館長の作品。

長い正月休み 母校の奮闘 コロナは真の安全保障 絵を描いてみた 来年に個展?

2021年1月4日(月曜日)

終日雨降りだった正月4日。このままなら昨日積もった雪は半分以下、おそらく20センチほどまで減るのではと、予想している。
雨降りで外出ままならぬ本日は終日家にいた。

皆様に我が儘を言ってとても心苦しいが、明日5日まで正月休みにさせて頂いている。今の所二件の電話相談がありお一人にお薬をお出ししただけで推移している。

夜のニュースで母校の大学病院が、新型コロナウイルスナの対応で忙殺される様子が放映された。心づくしのおせちが配膳される場面があり、見ていて涙がこぼれそうになった。田舎で正月休みなどと言っている自分が恥ずかしくなった。

命がけで不眠不休の現場を維持する人がいる一方、不要不急の歓楽に勤しむ人もいる。
とりわけ前者の現実はまさに戦時下の前線に値する。
二年目に入ろうとする世界は、異次元の第三次大戦を戦っているのではないのだろうか。
国には真の安全保障と捉え、ピンとこないメッセージなどは止め、全てにわたり先回りをして真剣に手厚く、手厚く対応してもらいたい。

さて本日7年ぶりに絵を描いた。絵といっても下絵のレベルだった。

①大潟区土底浜の屋敷跡公園で野菊が沢山咲いている場所。
道に人物を二人描き、土手の左部分を高かくするなど、構図を直すつもり。

 

 

 ②椿。手前の葉をもっと工夫しなければならない。

 

③春の水田。
家と木立の部分をもっと左に寄せ、道の遠近法を工夫しなければならない。
水平線の高さが画面の丁度半分位置なのも気になる。
(上か下か難しいところだが上にするのが正解か)

恥ずかしながら2002年以来これまで新潟市で二度、髙田で二度、拙植物画の個展をした。いずれも勧められた上だったが、三回は会場費を払い、売れた作品にマージンが掛けられた。
「せっかく自分の美術館があるのだから、そこでやれば」とずっとスタッフや知人に言われた。

ひたすら試行錯誤を繰り返すだけの絵。本日たまたま下絵を描いてみたところ、まだ描けるのかと思った。風景は初めてであり、苦労はするだろうが何とか楽しめそうでもあった。
本日の分を含め、今年中に10数点のモチーフを決め、全て油彩で描いてみようと思った。

来年80才になる。
なんとも哀れなことであるが、記念にささやかな自らの美術館で拙絵と写真の展覧会が出来るならば、と望みを託すことにした。
手持ちの50点ほどの花に、本日描いたような物を足して実現出来れば幸運だと思う。
長い正月休みのお蔭で生まれた希望に有り難みを禁じ得ない。

何もかも綱渡りであるので、また健康に気を付けなければならなくなった。

柏崎市立博物館の秋季企画展「かしわざきの木喰さん」最終日。

2020年11月23日(月曜日)

過日は鮭遡上だけ見て帰った柏崎。実は10月10日から同市立博物館で「かしわざきの木喰さん」展が開催されていた。迂闊にもそのことを知らずにいたところ、一昨日A氏から、柏崎の木喰展は明後日で終わりですよ、素晴らしいですから、と聞かされた。

この度の企画展ではもうお一人から貴重さを聞いていたものの、同館に格調高く常設展示されている9体の木喰仏を思い出して、はい見ましたなどと言い、正直聞き流していた。そこへA氏から、もう終わりますよ、早く、と熱い催促のお話で、本日慌てて観てきた次第。

江戸時代後期、二度にわたり新潟県を訪れた上人の作品は佐渡、長岡、小千谷、柏崎に多く残されているという。このたび84体に及ぶ(一体は上越市から)同市安置の木喰仏が一括展示され、規模の大きさは初めてという。好機は二度と無いと思い、昼に出かけた。

 

展示チラシ。

 

チラシ裏面。
チラシも底をついたため自前でプリントされている。

三十三観音、十王尊ほか十王堂の12体の群像の壮観な列に加えて、会場を埋め尽くす諸仏は、圧倒的な力をもって賑わう入館者を迎えていた。
上人の仏力か、入場者の昂揚か、場内に入った途端体が熱くなるのを覚えた。
一晩に一体、時には二体を彫り上げたという仏像の多くくは微笑(みしょう)を湛えつつ、独特の彫刻として全くスキが無いのである。庶民に向けて造られたというものの、高い品格と完成度は、研究とともに深い仏性によるとしか考えようがなかった。しかも九十才を越えた年令時の作品だというから、上人の並外れた体力、健康にも驚かされた。

意外だったのは三十三観音だった。おしなべてお顔がふっくらとしたいわゆる美人顔、明らかに木喰さんと異なっている。後の仏師が手を加えて彫り直し{改刻)したという。仏はどんな気持ちだったろう、凄まじい世界だと思った。

展示は本日最終日。
初日から賑わい、昨日は900名の入場だったそうで、図録は売り切れたと受付で聞いた。
代わって生誕300年を記念して刊行された「廻国放浪の作仏聖  木喰」(広井忠男著 日本海企画平成29年5月23日発行)を求めた。

「廻国放浪の作仏聖 木喰」
彫刻し安置された地域の風土とともに詳細に綴られている。

最後にショップの絵はがきコーナーの一番上にポツンと一枚、小生の「ヒメタイサンボク」が残っていたので求めた。
応対された館員の方が私を知っていて、嬉しかった。

「ヒメタイサンボク」
2002年の最初の個展でDMに用いた懐かしい絵はがき。

博物館の後木村茶道美術館に寄った。
紅葉は峠を越えていたが山荘の園内は賑わっていた。美術館の呈茶席は四名が座った。お点前の方は私が通い始めた昭和六十年代当時からの懐かしい人だった。かって樹下美術館も訪ねていただき、数年ぶりにお目に掛かった。当時の者は私だけになりましたと仰り、終わって短い話をした。

頂戴したお茶は熱く美味しく、お茶碗は奥高麗(おくごうらい)。大ぶりで作行き風合いとも非の打ちようがない立派なもの。一度盗難に遭い、後に出て来たという曰くある名品だった。

博物館、美術館とも、今年は突然生じたコロナ騒動で神経をすり減らしたのでは、と思った。

変わった植物ホオズキ かつて描いた拙ホオズキ。

2020年10月14日(水曜日)

ホオズキは変わっている。
夏にジャガイモの花に似た小さな花を咲かせ、花の後に青い萼(がく)が実を包んで膨らむと野菜に見え、涼しくなるに従って萼は赤い果実として見える。
そして今、萼は繊細な葉脈を金属細工のごとき網目として現わし、眼を楽しませてくれている。

 

中の赤い実はやや渋くどこか甘いトロリとして汁に包まれて細かい種を付けている。

子供の頃家にホオズキがあったようで、姉と一緒に赤くなった実を揉んで柔らかくし、そーっと軸と種を取り出した後袋状の実を鳴らした。
クチャクチャピュウピュウと、下唇を使って鳴らす。
海藻の仲間で海ホオズキというのもあった。
祭などで売られていたように思うが、こちらは高級品だった。

ついには楽器にまでなるホオズキ。美術館のは患者さんの家からもらった。
現在5、6本あるが、毎年少しずつ移動しているようであり、どこまで行くのだろう。

ちなみに以下はかつて小生が描いたホオズキです。

↑ホオズキ(透明水彩 2001年)。

 

ホオズキとヤマイモの実{透明水彩 2002年)。

 

ホオズキ(油彩 2014年)

 

2002年5月、市内大嶋画廊で初めて植物画の個展をした。緑色の額に入れ60点近く出し、店主に促され25点ほどに値を付けてみたところ、一日でみな売れた。サイズはB5~A3 で5000円から15000円だったと思う。
上掲した一番上のホオズキは4人の方が欲しいと仰り(かなり執拗に)、半年かけて同じように描いて皆さんにお売りした。
今になれば何か悪いことをしたように思うが、出ていった絵はその後どうなっているだろう。

 

個展をした年、民間の医学雑誌で紹介されました。
(ASAHI MEDICAL2002年12月号)

 

本日は庭のホオズキだけのつもりが、恥ずかしながら自分の事を沢山書かせて頂きました。

森のトマト畑 その2 日曜日の外気。

2020年4月19日(日曜日)

太陽のかけらを取ってくると言って飛び立ったカラスは挑戦に失敗。かわりに美味しいトマトを持って帰って謝ろう、と決心するくだりまで、前回トマト畑その1に掲載致しました。本日は続きです。

5 まちにまった太陽
ぐっすりねむった次の朝、カラスはトマトをくわえると森をめざしてとび立ちました。山こえ川をこえてとびます。ようやく動物たちの森が見えてきました。
「もうすぐだ」

森でさいしょにカラスをみつけたのは小リスでした。とおくのカラスは、何か赤いものをくわえています。丸くピカピカ光っているではありませんか。


「太陽だ、カラス君が太陽をとってきたぞ!」
小リスはみんなに知らせました。動物たちはお山のてっぺんにかけつけます。
「やった、やったー!」

6つぶれた太陽
カラスはどんどん近づきます。トマトはまっ赤に光り、たしかに太陽のようでした。パタパタパタ。
カラスは、ついにみんなの上までやってきました。
「えらいぞカラス君!」、
「カラス君、やったね!」
みんなは、くちぐちにカラスをほめました。

「カアーッ!」、うれしくなったカラスは、思わず大きな声で鳴きました。
ポロリ、そのとき、口からトマトがおっこちたではありませんか。
ヒューッ!
「太陽が落ちてくるぞ、にげろ!」みんなはこかげにかくれました。

ベチャ!
へんな音がしてトマトはつぶれて地めんにとびちりました。
何がおきたのでしょう、びっくりした動物たちはとおくから見つめます。
「ゴメン、ゴメン」
カラスは空であやまっています。

いちばん早くうごいたのは小リスでした。そろりそろりとトマトに近づきます。


「クンクン、ちょっとまてよ、いいにおいがするぞ」
小リスがいうと、なかまたちがあつまりました。
ジュクジュク、ピカピカ、プーン、
太陽はとてもおいしそうです。
ごくり、ごくり、みんなののどがなっていました。
たまらず小りすがひとつまみ、ピチャピチャ食べはじめました。
「なんておいしいんだ!」

もう大変、いっせいにピチャピチャ、クチャクチャはじまりました。
あっというまにトマトをペロリ。
「太陽っておいしいね」
みんなの口は真っ赤っか。動物たちは、おたがいのかおを見て笑いました。
空でカラスがこまっていました。
それは太陽ではありません、トマトです、と言えなかったのです。

7 おいしかった太陽
それからというもの、動物たちは太陽のあじがわすれられません。夕方になるとお山のてっぺんに集まって、まっ赤な太陽をながめました。そして、
「もう一度おいしい太陽を食べたいね」と言いました。
夕陽(ゆうひ)はトマトそっくりでした。

森に秋が来て、しずかに雪がふりはじめ、みんなはあなぐらでねむりました。なんケ月かたって目をさますと大好きな春になりました。

8 森のトマト畑
ところで、森にはカミナリが落ちて山かじになった場所がありました。
じつは、トマトを食べたあと、そこでマーグじいさんがウンチをしていたのです。ウンチの中には、いくつかトマトのたねがまじっていました。
その中の一つから、なんとまあ、芽(め)が出ていました。

だれも気がつかなかったのですが、芽はすくすくと育ちました。
そして夏、赤くみごとな実が六つ、七つ、ついたではありませんか。

「太陽だ、こんなにたくさんある」、みつけたのはマーグじいさんでした。

とつぜん、カラスがおりてきました。
「それは太陽ではありません、トマトという野菜(やさい)です。マーグさん話を聞いてください」と、言いました。

じいさんは、しんけんにカラスの話を聞きました。
カラスは、太陽を取れなかったことをあやまりました。それから村の畑でトマトをもいできたこと、野菜は山火事(やまかじ)のばしょでよく育つこと、食べてウンチをすれば来年もまた芽が出ることなど、知っていることをぜんぶ言いました。

じいさんはみんなを呼びに行きました。
あつまった動物たちのよろこんだこと。
ゆめにまでみた太陽が、目の前にたくさんあるではありませんか。
食べようとするみんなに、じいさんが言いました。
「ちょっとまって」
それからカラスに聞いた話をみんなにしました。

「トマトというものだったのか」
カラスのしっぱいも、太陽とちがうということも、だれももんくをいいまんせん。
「わかったね、みんな。さあトマトを食べよう」
もうがまんができません。手に手にトマトをとると、むちゅうになって食べました。

みんなには、もう太陽でもトマトでもどちらでもよかったのです。
ああ、動物たちはなんとしあわせだったことでしょう。
見ていたカラスは安心して村へかえりました。

それからカラスから聞いたように、みんなは毎年トマトを食べては、あき地でウンチをしました。そして何年かすると、しだいにりっぱなトマト畑ができてきたのです。

もちろん動物たちはとても丈夫になりました。

どうでしたか、私がマーグじいさんから聞いたのは、こんな話でした。

 

山おくのどこかに、このようなトマト畑があるかもしれませんね。

色々と突っ込みどころ満載の話だった事でしょう。陳謝をしながら感謝も致してます。

 

さて本日日曜日は暖かく、気持ち良い空に恵まれた。普段不健康と指摘される家ごもりが勧められているウイルス社会。安全なら健康維持のため出来れば戸外にも出たい。
その点、海、公園など田舎はあまり人に会わない良い場所がある。

本日昼近く、互いにマスクをして過日歩いた頸城区は大池いこいの森の湖畔を妻と歩いた。
一時間少々の間にランニングの若者が一人私たちを追い越し、一組の夫婦とすれ違い、外人さんのカップルが車から降りるのを見ただけだった。

途中でみた桜。

 

湖畔ちかくのあるお宅の庭。

 

何という名の木だろう、素晴らしい新緑。

 

ここの水はとても青々している。

 

昼食は湖畔の階段に座り、おにぎりとサンドイッチを分け、お茶を飲んだ。

 

美術館へ戻る途中、近くの農道一面にダイコンノハナ。

 

樹下美術館の西向きの庭。

 

南向きの庭。
庭の手入れをしたり、鳥を撮ったり二時間を過ごした。
ご夫婦が一組こられ庭を歩いて帰られた。

ヤマザクラに来たオナガ。

漠然とした恐怖に包まれながらお互いの疎外を温め合う、奇異な毎日。こんなことになってまったく言葉もない。
医療も激しい前線と、かえって暇をみている所に分かれている。私のところは後者だが、一人一人に非常に気を遣い、綱渡り感覚がつきまとう。当地は嵐の前の静けさを思わせ不気味でもある。

家では外気を入れ、清潔を保ち、運動と睡眠を心し、過剰な飲食による消耗を謹み、いざの場面に備えなければならない。

みんなが困っている、そのことをイメージしあう。
戦争よりまだいい、と仰ったおばあさんがいた。

森のトマト畑 その1。

2020年4月18日(土曜日)

新型コロナウイルス感染対応に準じ、なんとか休館中の樹下美術館。

お詫びのひとつとして、誠に恥ずかしいのですが1982~83年ころの自作「ばいきんきち」を掲載させて頂きました。
同じ頃もうひとつ「森のトマト畑」を書きましたので、本日懲りずにその前半を載せてみました。当時文は原稿用紙にボールペンで書き、絵は半紙に水彩を施しました。

長年経ち、一定の語句を添削しています。また表紙を替え、新たに後半の挿絵を用い、タイトルはパソコンで上書きしました。当時多くの漢字にルビをふり、一応小学校低学年の娘向けに書いていました。

 

1 はじめに
今日は、むかし私がお山を歩いていたときに見つけたトマト畑のことをお話しましょう。
あつい夏の日でした。わたしはとおい所にあるお山をあせをかきかき歩いていました。うすぐらいお山の森に小さな空き地がありました。
おどろいたことに、そこにまっ赤にじゅくしたトマトがたくさんなっていたのです。

あついひざし、かわいたのど。そのとき、がまんしきれず一つもいで食べたトマトのおいしかったこと。でもなぜ、こんな山のおくにりっぱなトマト畑などがあるのでしょう。私はわけが知りたくて森のおくへはいっていきました。

森にはいろいろな動物が住んでいました。動物たちはリスもクマもテンも、タヌキも野ネズミも、キツネもみなつやつやと毛なみが良く、とてもじょうぶそうでした。元気なのは、おいしいトマトを食べているせいにちがいない、と思いました。

私は動物たちに、どうしてこんなところにりっぱなトマト畑があるのか、わけを聞いてみました。
すると年よりクマのマーグじいさんが、「こちらへいらっしゃい」といって、じいさんお気に入りの木のあなぐらへつれて行きました。
「じつはあのトマト畑にはわけがあってのう、ひとつ聞いてみるかい」といって話してくれたのがこのお話です。

2 うすぐらい森
動物たちの森はむかしからひあたりが悪く、とてもくらかったのでした。そのためみんなはよく病気になりました。それで動物たちはもっとひあたりが良ければなあ、といつもねがっていました。

ある日、村からいちわのカラスが森にまよいこんできました。カラスはみんなから明るい森のねがいをきくと、
「それなら私が空をとんで、太陽のひとかけらをとってきて森を明るくしてあげましょう」といいました。
みんな大喜び。くちぐちに「カラス君、おねがいします」とたのみました。

3 がんばりカラス
雲ひとつないたいそう良いお天気の朝、
「では行ってきます」
動物たちにみおくられ、カラスは大空めがけいきおいよく飛び立ちました。

 


パタパタパタ、パタパタパタ、、、。カラスはいっしょうけんめいはばたきました。
でもとんでもとんでも、太陽は高い空の上。がんばりつづけたカラスでしたが、夕がたまでにようやく低い雲の下までしか行けきませんでした。

太陽はどんどんしずんでいきますし、羽もすっかりつかれてしまいました。とうとうカラスはあきらめて、地上にまいもどりました。

それからあくる日もあくる日も、カラスはとびたちましたが、うまくいきません。


そのころ森では、動物たちがなかなかかえってこないカラスのことをしんぱいしていました。
「太陽はあついからなあ、カラス君、おおやけどをしてしまったのでは」
マーグじいさんはしんぱいそうです。
「空をとべるカラス君だ、きっと太陽をとってきてくれるよ」
小リスはカラスをしんじているようでした。
「もしかしたらカラス君、太陽をもちにげしたのでは」、キツネはうたがっているみたいでした。
それでも夕方になると、みんなでお山のてっぺんにすわって、カラスの帰りをまちました。

4 こまったカラス
ところでカラスはどうしていたのでしょう。
なんどくりかえしてもうまく行かないカラスは、しょんぼり村はずれの道をあるいていました。
「このままでは森にかえれない。こまったなあ、カアー」と空を見上げてなきました。

しばらく歩いていると、広いトマト畑が見えました。まっ赤にじゅくした大きなトマトがたくさんなっています。おなかペコペコのカラスは一つをもぐと、モグモグ、むちゅうになって食べました。
「あーあ、おいしかった」

カラスはようやくひといきつくことができました。
そしてもう一つ食べようとトマトをくわえたとき、
「コラー、いたずらカラスめー!」
大きな声がしておひゃくしょうのとくべえさんが走ってきました。
カラスはトマトをくわえるとスタコラ、スタコラはしってにげました。

ようやく草むらへとにげて、ひとやすみ。
くわえてきたトマトを食べようとしたとき、
まてよ、太陽がとれないなら、かわりにこのおいしいトマトをおみやげにもってかえろう。そしてみんなにわけを話して、あやまろうと思いました。
その夜カラスは、トマトをわきにおくと、ぐっすりねむりました。

申し分けありません、後半へ続きます。

 

これが当時の表紙。
いつでもコピーできるように、原本は閉じずにクリップで止めていました。

文の原稿用紙。
こどもたちなどに上げる時はこれをコピーし、
挿絵のコピーをはさみ表紙のコピーを乗せてホッチキスで止めました。

10部ほど作りました。当時白黒のコピーが普及しはじめていましたが、私が知る限りカラーコピーは新潟市の印刷屋さんが扱っていてそこへ持参しました。一枚800円だったと記憶しています。その後カラーコピーは急速に普及しました。

休館中のお詫び ばいきんきち その1。

2020年3月24日(火曜日)

新型コロナウイルスはオリンピックを延期させるほどの力を見せつけています。やはりただの風邪でもなければインフルエンザでもなかったようでした。

さて以下は今から40年ほど前、小学校2年と4年生だった二人の子供に向けたまことに拙い文と絵です。
本当に恥ずかしいのですが、新型コロナウイルスによる休館のお詫びです。もし宜しければどうかご覧下さい。

 

1ミクロマイシンとホメオスター
私はいつもばい菌というのはいったいどこからやってくるのだろう、ということを考えていました。ばいきんのようすをさぐるには、自分もばいきんのように小さくならなければいけないので、人間が小さくなれるおくすりをつくるけんきゅうをしました。ある日、とうとうそのおくすりが出来あがりました。そして、小さくなるおくすりにはミクロマイシン、ふたたび大きくなるときのはホメオスターという名前をつけました。

かぜがとてもはやった冬、私はばい菌の基地を見つけにゆくことにしました。ばいきんにあやしまれないようにコートをきて、カメラをもって帽子をかぶり、しんぶんきしゃのかっこうをしました。そしてホメオスターをもポケットに入れ、ミクロマイシンをのんでみました。たった三つぶで私の体はどんどん小さくなり、つくえやいすが山のように大きくみえるようになりました。

2ピノ
さていよいよ外に出てみると、あちこちはみなばいきんだらけでした。空をとんでいるもの、れつをつくって行進しているもの、きたないみぞをのぞきこんでいるもの、中にはひるねをしているものもいました。
しばらく歩いてみましたが、ばいきんたちはあっちへ行ったりこっちは来たりで、どこにきちがあるのやらさっぱりけんとうがつきません。ところがよくちゅういしてみると、けがをしているばいきんたちは、みな同じ方向へ歩いたり、はこばれたりしていることに気がつきました。

けがのばいきんたちは、びょういんへ行くにちがいない。そこにはきっときちがあるはずだと考えました。そこへ足をけがしばいきんが「いたいよう、いたいよう」と泣きながら歩いていきました。あまりいたそうなので私は近づいて、足にほうたいをしてあげました。
「どうもありがとう」そういうとばいきんはまた歩きはじめました。するとこんどは仲間がやってきて、
「おいピノ、いったい何にやられたんだ」と言いました。
「くすりのたまにやられたんだ。逃げても逃げてもくすりがおいかけてきて、とうとう足をやられてしまった。と答えていました。ハハ-、あいつはピノというのか、いがいにかわいい名前だなと思いました。
「ピノおだいじに」というと仲間のばいきんはとおくへ走って行きました。ピノの後をつけると、ばいきんたちがとてもたくさんいる所へきました。きゅうきゅうしゃもいそがしそうに走りまわっています。いよいよきちのちかくへ来たのだ、と思いました。

3ばいきんきち
ほそいろじをぬけると広ばへ出ました。そこはとなり町のびょういんの庭でした。庭のすみにふるいれいぞうこがすててあり、ピノはそのそばへ行くとあたりをキョロキョロ見わたしました。わたしは見つからないように木のかげにかくれました。しばらくしてのぞいてみるとピノはもう見えなくなっていました。
そうか、あのれいぞうこがばいきんのきちにちがいない、と考え、走っていってれいぞうこをトントンとたたき、
「私はばいきんのしんぶんきしゃです、開けてください」とさけびました。
するととびらがひらいて「さあ、早く入れ、見つかるな」ともんばんがいいましたので急いで中に入りました。

 

 

次回続きをのせてみたいと思いますので、どうかもう少し我慢のほどお願いいたします。

南風の午後、トクサ刈り 雲の猫。

2018年3月8日(木曜日)

季節風に代わって南風になった本日、雲は怪しい
形状を見せた。

1
西方の妙高連峰。滑らかな波を描いたモノトーンの雲。
ビュービュー吹く西寄りの季節風ではこうならないようだ。

今月15日の開館が迫ってきた。庭の雪は大方片づき、本
日午後、気になっていたトクサを刈った。
例年、雪による倒伏に備えて短く刈っていたが、今冬はサ
ボって様子を見ることにした。
それがドカ雪に見舞われバラバラになってしまった。

 

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刈る前の様子。

3
途中から妻が加わり、一時間少々の格闘でスッキリして
きた。手前と左に刈った草。トクサは庭の大切なアクセン
トなのでひと安心。

作業を終えて見上げた雲はやはり怪しい雰囲気。

 

4

 

中央に猫か子供に見えなくもない模様があった。

 

5

以前行ったようにそれらしい部分をなぞって猫を描いてみた。

6
少々無理もあるが猫風になり、右目がハートに見えるので
イタズラを加えた。

開館を前に南風が可愛い“招き猫”をプレゼントしてくれた、
ということにさせてもらった。

南風さん、雲さん、ありがとう、猫さんまでも。

今の所二月の方が良いお天気 夕刻の風景を顔にしてみた。

2018年2月4日(日曜日)

本日日中は予報よりも良く、風はあったが晴れ間の
多い空だった。
今の所前月よりも今月のほうが良いお天気になって
いるようだ。但し明日から4,5日は寒波が続く模
様。
現在20:30を回った所で、さっそくヒューヒュー
と空が鳴りだした。

 

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東方の米山が穏やかな雲に囲われていた。

 

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西では雲間から白い陽が覗いた。

陽は眼を思わせたので簡単な加工ソフトで顔
にしてみました。

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左下の権現山を唇に使わせてもらいました。
お眼汚しとなり、申し分けありません。大きく
してみると少しだけ優しくなるようです。

私が描いたエビヅルはヤマブドウだったのか。

2017年10月12日(木曜日)

去る10月4日、上越市大潟区は高速道路沿いの小道のノブ
ドウのことを書かせて頂きました。

同じ時期、大潟スマートインターの付近で野性のブドウが実
をつけていました。
黒に近い深い色の実は、むかし描いた「エビヅル」を思い出さ
せました。

 

1
エビヅル

 

2
拙作「竹にからむエビヅル」A3相当サイズ、2001年11月終了。

自分で言うのも変ですが、この絵はそれまでで最も精密的に描
くことが出来た作品でした。
2002年に初めて作品展をした際、50余点を出品し、20数点に
に値を付けて売り絵とし、残りを非売品としました。
特に思い入れが深く、手許に置いておきたいものを非売にした
わけです。
売り絵はB5~A3で5000円から15000円くらいだったと思いま
すが、初日午前中で大方売れました。

「竹にからむエビヅル」は特に精魂込めた成果を感じていました
ので非売品の筆頭くらいに考えていました。

 

3
右上の葉の部分。宜しければ拡大してみてください。

 

 

5
竹笹に絡んでいる部分。
患者さんから頂いたエビヅルは一本の笹にツルがからんだ
ものを頂きました。
生き生きとさせてみたかったため笹をもう一本加え、さらに右
に竹を描き、そこにも巻き付かせました。
手足を伸ばして懸命に育ち実る様を描ければと、思っていまし
た。

 

4
ブドウの部分。
ブドウとツルの根部が粉を吹いている様子や笹の葉と竹
の鞘の細い脈や筋などを意識して描きました。

描きながら、細密の点で自分には二度とは描けないだろ
う、と感じました。

所が作品展の初日、あるお年寄りがこの絵を買いたい、
どうしても欲しい、と言って離れない、と会場から電話が
ありました。
私と話したいと仰っている、とも聞きました。
会場まで30分、仕事を終えて駆けつけると老人が待って
いました。
すでに二時間も待った上、いくらでも出しますと仰るので
す。

本当に困惑しました。
何度も頭を下げられます。
「こんなされるなんて幸せではないですか、お売りしたら」、
という声が聞こえました。
自分はアマチュアだが確かにそうかもしれないと考え、売
り絵の2,5倍ほどの金額を口にすると、有り難いと仰いま
した。

そんな訳で「竹に絡むエビヅル」は手許にありません。
但し、その後の作品展などの際はお借りする事にさせて
頂きましたのでこれまで2回、ほかで使わせていただきま
した。

ところで最近になって、最初に掲げたエビヅルの写真と描
いたエビヅルに粉吹きの有無、粒の大きさ、葉の形状など
で若干の違いがあるのではないかと思うようになりました。
当時私に下さった方が「エビヅル」と仰り、自分も貴重な植
物を喜びそう名付けました。
しかしどうもそれは、さらに貴重な「ヤマブドウ」だったので
はないか、と考えるようになったのです。

描いた実物はありませんが、精密画を名乗る以上両者をさ
らに比較し、違っていれば画題を訂正させて頂きたいと考え
ている所です。

鮮やかなノブドウの実。

2017年10月4日(水曜日)

美術館の近くに高速道路が走っている。
その両脇に細い道が通っていて、春はヤマザクラ秋は草木
の実が見られて心慰められる。

毎年ノブドウの鮮やかな色づきを探しているが、時期がうまく
合わないのか、ここに載せられるようなものに出会えなかっ
た。

そんな折りの昨日、色とりどりの実をつけた蔓があった。

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色は素晴らしいが食べられない。

 

IMG_9893 - コピー
このようなターコイズブルー(トルコ石の青)の実などを宝石
のようだという人もいます。

 

恥ずかしながら20112000年に描いた植物画の中にノブドウがある。

野ぶどう2001111月
制作ノートに11月の完成と記載されている。
(A4サイズです)

野ぶどう拡大
中央部を大きくしてみました。
細かな描写は何とか出来たのですが、フリーハンドで丸
を描いたり、色を汚さずに陰を付けることなどで苦労しま
した。

すでに当時から15年は経ちました。
細密でなくとも、植物でなくても何か絵を描きたいと思っ
ているのですが、気力を高めるのが大変です。

長年の課題である当館の収蔵作品図録が最終校を終え
印刷屋さんに行きましたので、無事に印刷が上がり、気
持ちが開放されたなら、出来れば絵筆を執ってみたいと
願っている所です。

 

2024年12月
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