食・飲・茶・器

愛らしくも初々しいヒナ  齋藤さんの器で食べてみる。

2012年5月19日(土曜日)

仕事場の庭が鳥の声で賑やかだ。軒の三ケ所にあった雀の巣から一組が巣立った。モミジに止っていた二羽はそのヒナか。

もう二組はまだ巣に居て猛烈に啼いている。親は気の毒なくらいせっせと餌を運んでいた。

スズメのヒナ1

なんて可愛いことでしょう、私たちにもこんな時代があったのですね。

さて、連日旬の頂き物が続く。ワラビと筍に続いてフクラゲとカレイを頂いた。こんなにもらってバチがあたりそうだ。

そこで今夜は齋藤三郎さんの器を出して食してみた。しかしさすが齋藤さん、私たちでは完全に負けだった。まず切れ味よい包丁と品の良い盛りつけが課題。途中はともかく、少なくとも最初と最後で負けなのである。

齋藤さんはプロの料理人を育てるほどの食通だったと聞いた。家庭料理のつもりでするとまず失敗だろう。

 皿
今夜使った二種。色絵梅文中皿と染め付け山家文扇皿。

お造り、焼き物、汁
写真も下手で何を作ったのかも分からない、本当に恥ずかしい。

料理はサービス精神が働き、つい分量を多めにしたくなる。まずそこからが問題。

特に良い器を使った料理の場合、分量はほどほどに少く。あるいはどう器を見せるかが勝負かもしれない。水の切り具合、立体感、取り合わせ等々などなど。味は当然、料理はとんでもなく深かろう。

器の数と種類は十分にある。鑑賞用で終わらせたくない。今年は無理だが、いつか「齋藤さんの器で食べる会」が出来れば、と妻と話した。

雨が匂わす夏  筍のおかず。

2012年5月15日(火曜日)

夕にかかってシトシトと雨が降った。だれ恨むものない静かな降りだった。

 

降り始めに草木や土の匂いが強く立った。春から夏へ、山や森もいい香りがしているにちがいない。

 

煮しめ


笹寿司

 

先日の筍がおかずになって卓に出てくる。昼はミガキニシンを入れた煮しめ、夜は笹寿司だった。

母の笹寿司はもっと美味しかった、と。何気ない言葉でひと味おいしくなったりする。

筍、 この重量で木の芽とは。

2012年5月11日(金曜日)

頸城区の知人から今度はまるまるコロコロとした筍を五つもいただいた。頂き物ばかりで恐縮至極である。

 

筍これでも木の芽だから勇ましい。中に全ての節がすでに形成されているという。 

 

夜、妻が下ごしらえを始めたら二階まで香りがのぼってきた。明日はスタッフたちと分けて賞味しよう。時間があれば描きたいところだ。

 

追伸:当初のタイトル「筍やこの重量で木の芽とは」は季重なりのため文にしました(5月14日)。

 

 チェロとギターのコンサートバナー

山の幸(力)山菜 昔、池の平で私たちにも沢山採れた。

2012年5月10日(木曜日)

わらび

 

山菜採りが好きな方からわらびをいただいた。この時期から多くの人が山へ行く。皆さんに独自の場所があって沢山採ってこられる。深く入ることもあるのだろうが、絶えることない山菜に感心させられる。

 

山菜採り池の平のタケノコ採りの帰り。妹が担ぎ、母は着物。遠くに野尻湖。
昭和30年代中頃。

 

中高生のころ、池廼屋さんに泊まり池の平でワラビやタケノコを採った。宿の湯の香が良く、信州味噌を使った味噌汁が美味しかった。イモリ池を回り東大の寮を過ぎるあたりから私たちでも沢山ワラビやタケノコが採れた。

 

時には父が持参したコッヘルを固形アルコールの火に掛け、付近の谷川の水でタケノコと豚肉で味噌汁を作った。宿で用意してもらったおにぎりの美味しかったこと。

ワラサ そして広くなった?砂浜。

2012年4月25日(水曜日)

今朝Yさんから、息子さんが釣ったばかりという魚を頂いた。出世魚のブリがフクラゲ(フクラギ)からワラサにかかる頃合いか、ゆうに60㎝を越えていた。 

 

夕陽を見に行く大潟区四ツ屋浜から降りた海岸からの投げ釣りで、最後は海に浸かって引き揚げたと聞いた。 一般に初夏からの魚らしいがすでにそんな季節になっているのだろうか。

 

フクラゲ

 

立派なので昨日お孫さんが生まれたばかりのスタッフさんと分けた。今夜は腹の身を刺身にして頂いたが、脂は薄めで味は濃く大変美味しかった。明日は背を焼き魚にするらしい。 

 

ところで大潟・柿崎一帯の海岸は、毎冬激しい浸食を受けていた。それが今冬、意外にも深刻な被害は見られず、むしろ砂浜は拡大している印象がある。こんなことは極めて珍しい。直江津港の防波堤の延長による現象ではないかという人がいた。

 

浸食を防ぐために大量のテトラを投入し続けなければならなかった海岸線。こんな徒労から免れ、今後は少しずつであっても、砂浜の再生へと向かうならこれほど嬉しいことはない。トキのヒナなどとともに、失われた環境回復へ希望を繋ぎたい。

いのちの電話チャリティー茶会にお邪魔して。

2012年4月15日(日曜日)

4月桜の時期に毎年行われるいのちの電話チャリティー茶会。もう何度お邪魔しただろう、以前小生も一度だけお点前をさせていただいた。

 

茶券

 

社会福祉法人「新潟いのちの電話後援会上越支部」の主催である。継続は力なり、よく20回も続いている。(株)有沢製作所と大杉屋惣兵衛両者によるご後援の賜物にちがいない。

 

 お花古備前のへたり形花生けに入ったアオモジとコバイモ、春の静けさ。

火入れ齋藤三郎の辛夷の器が火入れに見立てられていた。
盆はミャンマーから伝わった蒟醤(きんま:漆器の一種)。

 

桜

 露地の桜は年によって開き方が様々だが、それがまた良い。今年はまだ蕾ながら赤々と色濃くあと一息で開花。一分咲きの手前なら八寸咲きと呼んみたい趣があった。

 

昨日砂浜を4キロも歩いたら右膝を痛めていた。二席の会だったが、一席でおいとました。お点前は入門1年の知人だった。静かで落ち着いたお点前をされ嬉しかった。

 

茜の霞射す風情の御本茶碗で戴いたお茶。大杉屋さんの口に楽しいお菓子、いずれも美味しかった。

。今夜とんでもない暴れん坊が そして甥のチーズケーキ。

2012年4月3日(火曜日)

新潟県上越市の日中、すでにトラックの横転や家屋被害など激しい風の影響が出ていた。当地は台風でもこれほど猛烈な風はめずらしい。

 

 夕刻の中谷内池
夕刻の中谷内池、このころやや静かになった。

 

夕刻には一旦弱まったように見えたが、夜19時半過ぎからは未経験レベルとなった。空と海はゴーゴーと鳴りっぱなしとなり、外の至る所で風切り音が悲鳴をあげる。ドーン、グラグラ、ミシミシッ、ド^-ン、グラグラ。これでもかとばかり、古い木造三階建ての家は攻撃され揺さぶられた。

 

ガタガタ、バタバタ、障子とガラス戸がごちゃごちゃな音を立て、カーテンがふわりと踊る。間もなく2回の停電。こんなに怒り狂う風は初めてだ。災害の気配もしたのでヘルメットを被り、気を取り直して明日のために紹介状を一通書いた。

 

まもなくお花の教授に出ていた妻が「ああ、ひどかった」と言って帰ってきた。ドードーと鳴る家の階段を上がって来ると、私のヘルメットを見てびっくりして転んだ。

 

先回「力強い春の訪れを」と書いたらとんでもない暴れん坊の訪れだった。 

 

実は20時ころ風の中、甥がケーキを届けに来た。風の夜に「こんんばんわ」と言われると少々驚く。風に強弱がではじめた深夜、食べたチーズケーキは超がつくほど絶妙で、一息つけた。

 

甥が作ったケーキ
甥が作ったケーキ

 

明日のニュースが心配される。

南国・西国の小旅行Ⅱ:チャンポン 旅の携行物は多いな。

2012年3月21日(水曜日)

17日夜無事に福岡の宿に着いた。なぜか九州の実感が無く大阪に居るという錯覚を吹っ切れなかった。

 

16日から15000人もの参加者がある巨大な学会が開催されていて、福岡市内のホテルはどこも満室。数日前にようやくキャンセルで小さなホテルが一室取れていた。

 

御笠川沿いのホテル。一人のフロントながら親切だった。

チャンポン店内では皆チャンポン、お客さんを見ていてある事に気づいた(後日書きます)。

せっかくの九州。博多駅前のビル内にあった店「リンガーハット」でチャンポンを食べた。初めて知ったが、同店は国内外におよそ500店舗を展開するチェーンらしい。

普段から自分はさほど食べ物にこだわりが無く、外食も大抵のものを美味しいと思ってたべる。この夜餃子とともに食べたチャンポンは沢山入る野菜が新鮮であっさり味、健康的な食べものだと思った。

店内のボード
壁にお洒落なボード。チャンポンや店の歴史のことかと思ったら、野菜、麺、スープ、どれもみな特別仕立てだと書かれていた。ちなみにリンガーは幕末~明治に長崎に来た英国の実業家の名、ハット(hut)は小さな家という意味だった。

梅駅前に行く途中の紅梅、やはり早い。

旅支度1一人旅の身支度。リュックとポシェットは数日前ジャスコで買った。
革ジャンと帽子はいつものもの。

それにしても今どきの旅行は携行物が多い。沢山のJR切符、航空予約券、ホテルのクーポン券、保険証、運転免許証、財布、薬、本、紫外線カット品、整髪料、充電器、自作の行程表、鍵類、飛行場の駐車入場券、着替え、カメラ。家に居れば何気ないものまで毎日眼を遠し管理して携行する。旅慣れないので随分なストレスだ。明日から本番、妻が居ればこの携行ストレスは半減するのにと、思いながら休んだ。

牧区のお蕎麦に「まんさくの花」を付けて 陶齋の食器で食べる。

2012年2月23日(木曜日)

本日午後、上越市牧区は府殿(ふどの)の親戚から老夫婦が顔を出された。府殿は長野県境まで直線にすればおよそ5キロ、もう飯山と背中合わせになる。

 

ご自宅で採れた粉でこしらえたお蕎麦を持参して下さった。府殿の蕎麦は何度食べても風味があって美味しい。ご丁寧に、とお礼を言うと「うちらは雪が多いので、たまに雪の少ないところを見ようと言ってドライブに来ました」と仰った。

 

こんなに雪が少ないなんて、とびっくりされるお二人。しかし大雪の疲れも見せず、優しく仲の良い老夫婦を見るとこちらが癒される。

 

陶齋の器齋藤(陶齋)の器を出した。染め付けは山と民家、青磁は椿の象眼、
辰砂の小皿には先日の「雪持ち笹」が描かれている。

 

牧村のおそばO先生お心入れの「まんさくの花」を開けて蕎麦を賞味した。
牧村のというだけでもう有り難い。

 

今後何かの記念行事に「陶齋の器で食事」という催しをしてみたい。

 

上越市大潟区 マルト歌代商店のいちじくの缶詰

2011年12月27日(火曜日)

患者さんから何かと頂き物をする。こちらが上げなければいけないのでは、と申し分けなく思っている。

 先日はコロコロとした美味しそうなサトイモをいっぱいいただいて皆で分けた。

 

いちじくの缶詰
 

予約したのが来ました、とこのたび上越市大潟区、マルト商店のいちじくの缶詰をいただいた。

 

砂丘の大潟の産物にと故歌代万吉翁の苦労が実った1907年来の缶詰。今年はいちじくが比較的良かったと聞いて嬉しかった。

 

本日は紅茶といちじくに少々のウイスキーを加えてみた。香りが立ち甘味も増して冷たいいちじくがいっそう美味しくなった。

 

  皆様にいただいてばかり、来年も精一杯がんばろうと思った。

  マルト歌代商店:上越市大潟区潟町159番地  電話025(534)2155

 

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