食・飲・茶・器

ワラサ そして広くなった?砂浜。

2012年4月25日(水曜日)

今朝Yさんから、息子さんが釣ったばかりという魚を頂いた。出世魚のブリがフクラゲ(フクラギ)からワラサにかかる頃合いか、ゆうに60㎝を越えていた。 

 

夕陽を見に行く大潟区四ツ屋浜から降りた海岸からの投げ釣りで、最後は海に浸かって引き揚げたと聞いた。 一般に初夏からの魚らしいがすでにそんな季節になっているのだろうか。

 

フクラゲ

 

立派なので昨日お孫さんが生まれたばかりのスタッフさんと分けた。今夜は腹の身を刺身にして頂いたが、脂は薄めで味は濃く大変美味しかった。明日は背を焼き魚にするらしい。 

 

ところで大潟・柿崎一帯の海岸は、毎冬激しい浸食を受けていた。それが今冬、意外にも深刻な被害は見られず、むしろ砂浜は拡大している印象がある。こんなことは極めて珍しい。直江津港の防波堤の延長による現象ではないかという人がいた。

 

浸食を防ぐために大量のテトラを投入し続けなければならなかった海岸線。こんな徒労から免れ、今後は少しずつであっても、砂浜の再生へと向かうならこれほど嬉しいことはない。トキのヒナなどとともに、失われた環境回復へ希望を繋ぎたい。

いのちの電話チャリティー茶会にお邪魔して。

2012年4月15日(日曜日)

4月桜の時期に毎年行われるいのちの電話チャリティー茶会。もう何度お邪魔しただろう、以前小生も一度だけお点前をさせていただいた。

 

茶券

 

社会福祉法人「新潟いのちの電話後援会上越支部」の主催である。継続は力なり、よく20回も続いている。(株)有沢製作所と大杉屋惣兵衛両者によるご後援の賜物にちがいない。

 

 お花古備前のへたり形花生けに入ったアオモジとコバイモ、春の静けさ。

火入れ齋藤三郎の辛夷の器が火入れに見立てられていた。
盆はミャンマーから伝わった蒟醤(きんま:漆器の一種)。

 

桜

 露地の桜は年によって開き方が様々だが、それがまた良い。今年はまだ蕾ながら赤々と色濃くあと一息で開花。一分咲きの手前なら八寸咲きと呼んみたい趣があった。

 

昨日砂浜を4キロも歩いたら右膝を痛めていた。二席の会だったが、一席でおいとました。お点前は入門1年の知人だった。静かで落ち着いたお点前をされ嬉しかった。

 

茜の霞射す風情の御本茶碗で戴いたお茶。大杉屋さんの口に楽しいお菓子、いずれも美味しかった。

。今夜とんでもない暴れん坊が そして甥のチーズケーキ。

2012年4月3日(火曜日)

新潟県上越市の日中、すでにトラックの横転や家屋被害など激しい風の影響が出ていた。当地は台風でもこれほど猛烈な風はめずらしい。

 

 夕刻の中谷内池
夕刻の中谷内池、このころやや静かになった。

 

夕刻には一旦弱まったように見えたが、夜19時半過ぎからは未経験レベルとなった。空と海はゴーゴーと鳴りっぱなしとなり、外の至る所で風切り音が悲鳴をあげる。ドーン、グラグラ、ミシミシッ、ド^-ン、グラグラ。これでもかとばかり、古い木造三階建ての家は攻撃され揺さぶられた。

 

ガタガタ、バタバタ、障子とガラス戸がごちゃごちゃな音を立て、カーテンがふわりと踊る。間もなく2回の停電。こんなに怒り狂う風は初めてだ。災害の気配もしたのでヘルメットを被り、気を取り直して明日のために紹介状を一通書いた。

 

まもなくお花の教授に出ていた妻が「ああ、ひどかった」と言って帰ってきた。ドードーと鳴る家の階段を上がって来ると、私のヘルメットを見てびっくりして転んだ。

 

先回「力強い春の訪れを」と書いたらとんでもない暴れん坊の訪れだった。 

 

実は20時ころ風の中、甥がケーキを届けに来た。風の夜に「こんんばんわ」と言われると少々驚く。風に強弱がではじめた深夜、食べたチーズケーキは超がつくほど絶妙で、一息つけた。

 

甥が作ったケーキ
甥が作ったケーキ

 

明日のニュースが心配される。

南国・西国の小旅行Ⅱ:チャンポン 旅の携行物は多いな。

2012年3月21日(水曜日)

17日夜無事に福岡の宿に着いた。なぜか九州の実感が無く大阪に居るという錯覚を吹っ切れなかった。

 

16日から15000人もの参加者がある巨大な学会が開催されていて、福岡市内のホテルはどこも満室。数日前にようやくキャンセルで小さなホテルが一室取れていた。

 

御笠川沿いのホテル。一人のフロントながら親切だった。

チャンポン店内では皆チャンポン、お客さんを見ていてある事に気づいた(後日書きます)。

せっかくの九州。博多駅前のビル内にあった店「リンガーハット」でチャンポンを食べた。初めて知ったが、同店は国内外におよそ500店舗を展開するチェーンらしい。

普段から自分はさほど食べ物にこだわりが無く、外食も大抵のものを美味しいと思ってたべる。この夜餃子とともに食べたチャンポンは沢山入る野菜が新鮮であっさり味、健康的な食べものだと思った。

店内のボード
壁にお洒落なボード。チャンポンや店の歴史のことかと思ったら、野菜、麺、スープ、どれもみな特別仕立てだと書かれていた。ちなみにリンガーは幕末~明治に長崎に来た英国の実業家の名、ハット(hut)は小さな家という意味だった。

梅駅前に行く途中の紅梅、やはり早い。

旅支度1一人旅の身支度。リュックとポシェットは数日前ジャスコで買った。
革ジャンと帽子はいつものもの。

それにしても今どきの旅行は携行物が多い。沢山のJR切符、航空予約券、ホテルのクーポン券、保険証、運転免許証、財布、薬、本、紫外線カット品、整髪料、充電器、自作の行程表、鍵類、飛行場の駐車入場券、着替え、カメラ。家に居れば何気ないものまで毎日眼を遠し管理して携行する。旅慣れないので随分なストレスだ。明日から本番、妻が居ればこの携行ストレスは半減するのにと、思いながら休んだ。

牧区のお蕎麦に「まんさくの花」を付けて 陶齋の食器で食べる。

2012年2月23日(木曜日)

本日午後、上越市牧区は府殿(ふどの)の親戚から老夫婦が顔を出された。府殿は長野県境まで直線にすればおよそ5キロ、もう飯山と背中合わせになる。

 

ご自宅で採れた粉でこしらえたお蕎麦を持参して下さった。府殿の蕎麦は何度食べても風味があって美味しい。ご丁寧に、とお礼を言うと「うちらは雪が多いので、たまに雪の少ないところを見ようと言ってドライブに来ました」と仰った。

 

こんなに雪が少ないなんて、とびっくりされるお二人。しかし大雪の疲れも見せず、優しく仲の良い老夫婦を見るとこちらが癒される。

 

陶齋の器齋藤(陶齋)の器を出した。染め付けは山と民家、青磁は椿の象眼、
辰砂の小皿には先日の「雪持ち笹」が描かれている。

 

牧村のおそばO先生お心入れの「まんさくの花」を開けて蕎麦を賞味した。
牧村のというだけでもう有り難い。

 

今後何かの記念行事に「陶齋の器で食事」という催しをしてみたい。

 

上越市大潟区 マルト歌代商店のいちじくの缶詰

2011年12月27日(火曜日)

患者さんから何かと頂き物をする。こちらが上げなければいけないのでは、と申し分けなく思っている。

 先日はコロコロとした美味しそうなサトイモをいっぱいいただいて皆で分けた。

 

いちじくの缶詰
 

予約したのが来ました、とこのたび上越市大潟区、マルト商店のいちじくの缶詰をいただいた。

 

砂丘の大潟の産物にと故歌代万吉翁の苦労が実った1907年来の缶詰。今年はいちじくが比較的良かったと聞いて嬉しかった。

 

本日は紅茶といちじくに少々のウイスキーを加えてみた。香りが立ち甘味も増して冷たいいちじくがいっそう美味しくなった。

 

  皆様にいただいてばかり、来年も精一杯がんばろうと思った。

  マルト歌代商店:上越市大潟区潟町159番地  電話025(534)2155

 

年末に奉公を思ってみる その1:言葉と行儀 尚明さんの来訪

2011年12月25日(日曜日)

父を継いで上越市大潟区で開業していつしか36年が経っている。一つ急患を振り返れば、当初は入院よりまず往診だった。自家用車も救急車も一般的ではなかったせいでもあろう。そのことは当地だけでなく、時代の事情はいずれも同じではなかったかと考えている。

お陰で沢山の急場を経験させていただき、ためになった。今回は疾病でなく家の様子などを綴ってみたい。

 

例えば夜10時すぎにこんな電話が掛かる。

「ああ先生かね、オラチのオッカが寝るセッたら心臓がコワイセッてるんだわ、来てくんないかね」。

 

それまで過ごした東京だったら多分こうだ。

「夜分申し分けありません、先生ですか。○○の▽▽ですが、妻が寝ようとしたら心臓がつらいと言っています。恐れ入りますが来ていただけませんか」

 

奇妙なことに電話は何処の誰だれも言わずに始まることが少なくなかった。急患とはいえこれは一体何だろう。

ところが家に伺ってみると様子が違うのである。

家族の誰かが家の前に出ていて、「夜分お疲れさんです」と言って鞄を持って歩こうとする。

診察が終わると「有り難うございました」と言って、先を歩き、雨ならばカサ差そうとされた。特に在(田んぼのある地域、山に近い地域)に行くほど丁寧を感じた。

 

電話と現場のあまりの違いが不思議だった。電話のぶっきらぼうは急用だからか、あるいは電話に不慣れなのか、それとも料金がかさむので短いのか、などと考えたがよく分からなかった。

ところで、今ではさすがに少なくなったが一部ご主人の無関心も考えさせられた。夜間に往診をしても居間でタバコを吹かしてテレビを見ているだけ。親のことなのに顔も出さなければ挨拶もせず、みな奥さん任せという家も珍しくなかった。

 

そんな中で言葉も行儀も良い奥さんやお婆さんとたびたび出会った。不思議だな、と思っていたが、後で彼女たちには奉公に出た人が少なからずいる事を知った。

 

「はい」、「いいえ」、「わかりました」、中には、「左様でございます」etc。これらを聞いて、奉公に行きましたか、と尋ねると「行きました」と仰る人が多かった。

 

行儀でも目を見張ることがあった。玄関に伺うと小走りで出て座り、手の先をきれいに合わせてお辞儀をされる。帰り際も、ススと先を歩き、「履き物も揃えませんで」と言いながらひざまづいて靴を揃えてくれるのである。

知らなかった世界、奉公。時間をみて皆様からいくつかお聞きした。知らなかったのは自分だけかもしれませんが、機会をみてまた書かせていただきたいと思います。

本日午後から陶芸家、二代陶齋・齋藤尚明さんが母の弔問にこられた。50年以上も経つが尚明さんたち陶齋のお子や甥姪の皆さんは陶齋とともに何度か我が家に来られた。
本日は家で食べた母の餃子のことを仰り、庭の起伏や海への道なども覚えておられた。わずかに残ったシュトーレンをごいっしょした。

 

最後の一切れ 長い間楽しみました、とても美味しかったです、ごちそうさまでした。

現在22:30をまわった。風強くごーごーと海鳴りが聞こえる。明日の予報も悪いが風雪は弱めにしていただきたい。当院は紹介状をよく書く。本日はこれから二通だ。

妙高市山本製餡所の栗羊羹 暮れの灯り

2011年12月5日(月曜日)

いつも楽しみにしているブログ「軽薄短笑」さん。ある日の記事に、かって使用したワープロ東芝RUPOのフロッピーを標準テキストに出来なくて困った、と書かれていた。

 

私の家の片隅に比較的後期のRUPOがひっそりと眠っていたので、お貸ししますと、ブログ主のK氏にメールした。

 

話が進んで樹下美術館でワープロをお渡しすることになった。普段ブログがきっかけでその筆者とお会いすることはまず無い。お会いしたK氏は心身ともにきりりとして、いかにも磨かれた人の印象を受けた。

 

RUPOでPC向けにテキスト変換するには、1ファイルごとに新旧フロッピーの入れ替え作業が必要となる。メカ音痴の自分が操作に到達するのは大変だった。しかし封印された自作文やデータがよみがえるのはある種感動もあった。

氏は私の何倍もRUPOの記録があるらしかった。メカに強い方と想像していたが仕事量は膨大だったことでしょう。

 

本日全てを終了したと仰って機械が帰って来た。妙高市の山本製餡所の「栗羊羹」を頂戴した。ずっしりとした手応えの羊羹はとても美味しかった。お忙しいのにわざわざお寄り頂き、羊羹も頂戴し恐縮した。これからも「軽薄短笑」さんの益々のご活躍をお祈りしたい。

 

栗羊羹
羊羹は清水卯一の白釉茶碗にとても合った。

 

灯りの軌跡一昨日の夜、友人と会食した帰り道、代行の車窓から撮った灯りの軌跡。
自分にはこんな造形を描こうと思っても描けない。写真なら簡単なのに。

甥夫婦が作ったシュトーレン

2011年12月4日(日曜日)

新婚の甥夫婦からシュトーレンのプレゼントがあった。心暖まるラッピング、二人ともパン職人なので見るからに美味しそうだ。シュトーレンは上越でも売っているようだが、私たちは初めてだった。

 

シュトーレンのプレゼント
ドリー・バーデンの器で味わってみる。 

 

ドライフルーツやナッツが入った重めの菓子パンで表を砂糖で白くしてある。ドイツ発祥のこの食べ物はクリスマスまでの4回の日曜日ごとに切って食べるのが伝統らしい。しかし現在では時節にこだわりなく食べられているという。

 

切って食べてみる歯触り風味甘さみな素晴らしく、“美味しい!”と言って妻と顔を見合わせた。

 

これからどんな風に変わるのか、クリスマスまで毎週少しずつ食べてみることにしよう。

 ドイツ語シュトーレンは英語のストールであろう。白いおくるみ(シュトーレン)に包まれた赤子のイエスを現しているようだ。それをスライスするのはやや気が引けるが、有り難く賞味した。

画家篠崎正喜さんから

2011年12月2日(金曜日)

画家篠崎正喜さんからメールが来ていた。今夏亡くなった拙生の母のこと、昨年亡くされたご自分のお母様のことが書かれていた。

 

氏は都会の親子暮らしの中で、多くの病を越えられた97才のお母さまを在宅で看取られている。

 

最後に以下の文面があった。 

当初の嵐のような喪失感は薄れ、
今は深々と冷える、厳冬のような寂しさです。
人は自分のためには生きられない。
人は誰かのために生きている。
つくづく、そう感じています。

今までは母のために頑張って来ましたが、
これからは広く社会のために生きよう、と思っています。
今、人生を集大成する作品シリーズに取りかかっています。

 

M_夜明けのダンス
添付にあった篠崎正喜作:夜明けのダンス、クリックして見てください。
あるクライアントの依頼で描かれた若き日のお母さまのイメージ絵。
いつもながら美しい色彩。タッチが少し変わったようにも思われるが
それがまた楽しい。

 篠崎正喜さんのホームページから 美しいピクチャーブックと興味深いブログが見られます。    

 

そして本日氏からピエール・マルコリーニのチョコレートが届いた。

 

ボックス

お洒落な黒いボックス。

チョコレート
なんとも魅惑的。

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