食・飲・茶・器
淡交6月号巻頭言、利休百首 削った茶杓 新潟の茶会記事。
茶道裏千家の淡交社から発行されている月刊誌「淡交」
の6月号が手許にある。
家元による月々の巻頭言はテーマが平明に説かれ、とて
も読みやすい。
今月号は「もとのその一」だった。
如何に到達しようとも常に初心を忘れないようにという、利
休道歌(利休百首)の教えが説明されていた。
「もとのその一」は百首の中の以下の歌から取られている。
「稽古とは一より習い十を知り十よりかえるもとのその一」
ふとしたきっかけで昭和62年の今頃だったか、ご近所の裏
千家茶道教授である渡辺宗好先生の許に通い始めた。
普通毎週一回、月3回くらいが標準の稽古ではないかと思
われるが、元来長生きは出来ないという観念がある私は最
初の一ヶ月間は週二回をお願いして始めた。
週に1回追加の日は、ある地区の方達の稽古を終了した後、
残り火に炭を足して湯を沸かし、教えて頂いた。
その日は夕食を早くしてそそくさとお宅へ急いだ。
先生一人弟子一人、茶会であれば一客一亭の贅沢な、あ
る意味迷惑な稽古だった事だろう。
そんなはじめの頃、よくお聞きしたのが利休百首の言葉だっ
た。
基本となる茶道の精神、そして点前の手順や所作、および
道具の扱いなどの心得が詳細に述べられている。
「茶の湯とは只湯をわかし茶をたてゝ飲むばかりなる事と知
るべし」などはもっとも耳目にした言葉だった。当初は単純
過ぎてよく分からなかったが、仕度や所作で迷った時にこの
言葉を思い出すと、解決の糸口になることがよくあり、あらた
めて百首の凄さを知らされた。
当初、
「その道に入らんと思ふ心こそ我身ながらの師匠なりけれ」
もよく聞いた。
師範は「私は貴方の師だが、茶を始めようと決めた貴方の
心もすでに自分の師なのですと説明された。
なにやら禅問答のようで難解だったが、何故か心地良く響い
た。
そして「はぢをすて人に物とひ習ふべしこれぞ上手のもとゐ
なりける」は如何にも分かりやすかった。
稽古が進むと「稽古とは一より習い十を知り十よりかえるもと
のその一」が強調された。常に基本を忘れないように、という
意味に受け止めていた。
巻頭言「もとのその一」が載っている淡交6月号。
さてデビューの茶会で点前の手が震えて泣きたくなるような
こともあったが、14年目に茶名を授けられる日が来た。
ともに頂くT氏に習って拝名の茶会では竹の原型を買ってき
て、自分で削った茶杓を用いた。
茶杓には銘を付けても良い。
出来上がったものに迷い無く「その一」と名付けた。
茶名から7年経った2008年春、誠に残念なことに先生が逝去
され、、稽古から遠ざかってしまい迷子のまま今日に至って
いる。
懐かしい「その一」。
淡交には各地で開催された数多くの茶会が記録されている。
今月号に4月9日、新潟市で行われた数寄者の会が掲載さ
れていて、お正客のお家元に薄茶を差し上げた時の写真が
あった。
光栄な事に皆様のに混じって会記(日時、場所、用いた道具
類と作者、花、菓子などについて記したもの)も載っていた。
上段が当日の記事。勿体なき日の冷や汗がよみがえる。
淡交6月号から入門の頃と去る4月のことを思い出した。
淡交は「荘子」の「山木篇」〝君子の交わりは淡きこと水の如
し 小人の交わりは甘きこと醴の如し 〟に由来しているという。
※醴(ライまたレイ:あまざけ)
春の色、春の食。
春の野は淡く周囲と調和しながら歩みを進め、
今ならではの初々しさと優しさにあふれている。
食卓も春の香。
今の所ほどよい寒暖で庭の樹木や花は駆け足をせずに
移ろっている。
荒々しい南風の嵐だけは来ないで欲しい。
茶道裏千家・坐忘斎お家元にお茶を差し上げた日。
去る4月9日夕刻新潟市内で、ある例会が
持たれ茶道裏千家、坐忘斎お家元のご講
話があった。
先立つ午後、旧齋藤家別邸のお茶室「松
鼓庵・しょうこあん」でお呈茶が予定され、
お家元をお正客に迎えて15:30から不肖私
が薄茶を差し上げる役となっていた。
今冬来ほぼ毎日稽古をし、妻の茶道師範の
元へ伺ってお点前を見てもらい、イメージトレ
ーニングや問答も仮想して練習を試みた。
当初80%もの降水確率だったお天気は日が
近づくにつれ下がってきて雨は避けられた。
当日朝8時、茶道具類のほか布類、着物履き
物、水、筆記用具、昼食など車を一杯にして
120キロ先の新潟市へ向かった。
新潟市は結城宗由先生のお社中の方たちが
すでに茶室内外のお掃除を始められていた。
茶室は広大な築山の高所にある。踏み石を伝
い流れの音を聴き、椿の落花を横目に皆で道
具を運び上げた。
道具の器は樹下美術館常設展示の陶芸家、
故齋藤三郎(陶齋)の作品を出来るだけ用い
た。
昨年逝去された会員への追悼でもあり趣旨を
生かせれば、と配慮も試みた。。
上越市から有澤宗香先生のお社中も加わり
仕度を進めて行く。八畳間に総勢14名のお
客様の予定。
間もなく京都の裏千家本部から業躰(ぎょう
てい:茶道全般にわたり仕度、所作作法、流れ
など助言指導される方)さんの幹部が来邸され
た。
水屋の配置、掛け軸の高さ、床のあしらい、炉
縁(ろぶち)とお釜の高さ、水指の水位の調整、
御菓子の盛り方ほか沢山のことで確認とご助
言を頂いた。
(例えばそれまでの水指の水位が低く、柄杓で
水を掬う場合、角度がつき過ぎ杓の尻が棚の
天板に当たりそうになり不自然な動きを免れな
かった等々)
これらの是正は一見窮屈なことに思われるが、
実は正反対、物や動作が少しでも自然で美しく
あり、しかも真に開放された時間を過ごすため
に要所に原理的な寸法とその応用がが存在す
るらしいということの現れだった。
さらにそれらを知らしめた茶の祖利休について、
あらためて凄さを思った。
(この部分10行は4月15日に追加致しました)
ダークスーツできびきびと動かれる二人の業
躾さんはTVの茶道番組で拝見している方々。.
本席が始まった後も裏方として私たちのスタッ
フと一緒に水屋仕事や進行を守備して下さった。
↑待合床に掛けた棟方志功「米大舟頌べいだい
しゅうしょう」。棟方氏と陶齋は若い頃から親交が
あった。
江戸時代、私たちの地元を襲った大飢饉を米を
回して救ってくれた酒田の豪商の舟を喜び、始ま
ったという歌と踊りを今に伝える「米大舟」。
逝去された酒造会社社長であられた会員への
手向けとして米の舟歌の小品を掛けさせて頂いた。
上床は文箱が普通だと思われるが、持ち会わせ
が無いので滝田項一作鳥の染め付けの陶箱を飾
った。
氏は富本憲吉門下で陶齋の兄弟弟子の一人に
当たる人。追悼の趣旨に沿い、去った人のイメー
ジを思い、鳥の図柄を選んだ。
床に格調高く良寛の「かたみとて」が掛った本席。
お褒め頂いた陶齋の手桶花生けに利休梅、ヒメ
コブシとクリスマスローズが入った。
↑水指は陶齋の掻き落とし牡丹文。薄器(薄茶を
入れる器)も陶齋の赤絵どくだみ文小壺を用い、風
炉先屏風は薬師寺、薬師三尊像の台座から取った
拓本龍の図、そして数少ない我が棚から方円卓を用
いた。
仕度が出来上がったお昼に妻が用意した奈良の
桜葉寿司といちご。
恥ずかしながら本番前のおさらい。
釜は治良兵衞の古い平丸釜。
蓋置きは竹で裏千家十三代お家元、円能齋の
お手作り、銘「春風」。
↑茶道苦難の時代にご苦労された円能齋。
その人の春風にはひとしお励まされる。
↑席入りが近づく頃合いを計って美豆伎庵(みずき
あん)さんからお菓子「花吉野」が届く。
菓子と器との取り合わせを見ながら業躰さんに盛り
付けを教わる。
懐紙を置き、人数に合わせた楊枝が手品のように
さっと扇形に並ぶ。
春の野を彷彿とさせる御菓子は格段の優しさで好評
を博した。
↑比較的地味色で始まっている道具類の色彩を強
めようと二つ目の菓子器に今年入ったばかりである
陶齋の色絵椿文の鉢を用いた。
仕度から5時間が過ぎた頃、お家元が待合に入ら
れたと知らされた。
練習どおり茶道口ふすま前に座して息をはき、呼吸
を整えて待った。
誰かが「さあ」と言って促した。
茶道口を開け茶巾と茶筅茶杓を仕組んだ主茶碗を
左手に乗せ右手を添えて手前座に進んだ。
上座に圧倒され緊張は隠せない。
お家元は点前の頃合いを見て、クリスマスローズの
事を口にされた。
こちらのクリスマスローズは京都のよりも大きいです
ね、京都のはこんなにちっちゃいですよ、と指で輪を
作って笑顔を見せられた。
難しい掛け軸やお道具類ではなく、まず花から切り出
され緊張の座をほぐして下さる。
お家元に服して頂いた鈴木秀昭さんの「色絵金銀
彩幾何宇宙茶碗」.。
曼荼羅そのものでもあろう大きな器、精一杯大服に
して心込めて茶筅を振った。
何度も迷ったが、この茶碗に決めて良かった。
お家元が眼を丸くされ、場に光が射すようだった。
大きな音を鳴らされ見事に茶を吸い切られた。
後に茶碗についてオリエントの風合いを仰った。
不肖私も鈴木さんと出会った15年前に全く同じく感
じた。
オリエント学はお家元の義父・故三笠宮様のご専門
であり、何とも適った方からのご指摘に感銘を受け
た。
お次客、三客様はお家元のご親族が座られている。
↑お次客様は甥御さんの伊住公一郎様。
塚本治彦さんの織部でお飲み頂き、とても良いお
茶碗でしたとお褒め頂いた。
↑お従兄弟様の大谷裕巳様は新潟県の作家解良
正敏さんの黒釉面取り三彩茶碗で。
可愛く魅力的と好評され同県人として嬉しかった。
水屋から差し出される次客、三客様の茶碗は既に
茶が盛られしかも碗が温められていた。
私は湯を注いで茶筅を振るだけで良かった。
三手、四手と手間が省け、それだけお家元と相対
できる余裕が生まれる。裏方に回った業躰さんの
心遣いが沁みた。
古くて気がもめたが高木治良兵衞の釜をお褒め
頂き鐶衝きの型をお尋ねすると膝を進めて寄って
くださり、「遠山」ですね」と教えて頂いた。
漢字で書かれた良寛の和歌の読みをお尋ねされ
たので、精一杯声を張り上げてお答えした。
待合の棟方の米大舟もお尋ね頂いた。
描かれた若い女性は、棟方が1950年代当地で米
大舟の踊りを見た際、踊る娘さんの印象を描いた
ようですとご説明した。
上床の小襖を指して、トクサが描かれていますね。
と仰った。
私はその事に気づかず、はっとした。
上の甲板に鳥の陶箱に置かれていますが、その
鳥がトクサの上を飛んでいるようですよ、と仰った。
ああ樹下美術館にもトクサの道があり、春の鳥が
飛び交い始めた。
狭い茶室に居ながら自然界へとイマジネーション
を広げようとされる。
途中で一、二度夢心地になってしまったり、我に返
ったりした。
茶を点てながら、お茶を運び出される方達の足袋
のすれ音が聞こえ、みな一生懸命なのがひしひし
と伝わる。
お茶碗は家にあるもの皆お出しした。
お互いの器をやりとりしたり言葉を交わすのが聞こ
える。
席が終わりに掛かる頃、突然茶室が停電した。
たまたま母屋の方のブレーカーが落ちたらしい。
何という事か、暗い室内の二方の障子が夕暮れの
陽にうっすらと赤く染まっている。
「夜咄(よばなし)のようですね」
「というより夕ざりでしょうね、いいじゃないですか、
昔の茶室はこんな明るさだったんでしょうね」とお
家元がフォローされ、ざわついた座が和んだ。
考えもしなかったハップニングもあり、いつしか終
了が近づいた。
お仕舞いください、とお家元。
名残惜しゅうございますが、お仕舞いに致します、
とお応えした。
仕舞手順を終えて茶道口に戻り、挨拶すると胸が
熱くなりお家元に手を合わせたくなった。
終わって一同そろって集合写真。
「新鮮で大変楽しかった、それぞれ異なるお茶碗の
変化も良かったですね」とねぎらいを受けた。
短い時間の中、お正客様によって生み出された和
みの一体感、一座建立(いちざこんりゅう)。
それはまた時計などでは計り得ない貴重な一期一
会のひと時だったのだと実感した。
私の拙点前は論外であり、この日の機会を与えて下
さり諸般に心砕かれた幹事様、世話人様に深く感謝
し、親身になってご支援頂いたお二人の師範と一門
のお弟子さん達、松鼓庵の皆様、そして当日の土台
骨を固く組んで頂いたお二人の業躰さん幹部、暖かく
見守って頂いたお家元様はじめ裏千家本部の方々に
心からの感謝を禁じ得ません。
呈茶の後場所を移してお家元のご講話があった。
伝統とその有り難み、がテーマだった。
有り難さの明快な解釈とそれを受け止める感性を磨
くことの大切さを話された。
私たちだけで聴くのが勿体なく感じた。
ご講話の後の懇親で柳都の芸妓衆による見事な相川
音頭。
泊まりのつもりだったが、明朝の仕事や気になる患者
さんがいたのでホテルで仮眠の後、夜中の北陸道で
帰った。
道中冷えて霧がかかり、何か別次元の世界に居る錯
覚を払拭出来なかった。
昭和62年から裏千家茶道をお導き頂き、常に励まして
頂いた亡き渡辺宗好先生を思わずにはいられない。
大変長くなりました。
早春の満月 弟の絶品豚肉。
展示の準備が終わり再び庭掃除を行った日。
雑草たちは既に元気よく肥りあるいはしっかり
土を掴んで踏ん張っている。
芝生は枯れているので入り込んだ青い雑草は
非常に目立ち、皆の目の敵。
そして分厚い落ち葉は悩みの種で、肥料として
そのまま放っておくか、美観を考えて取り去るか
毎年考えてしまう。
夕刻6時のチャイムまで庭をいじった。
終えて見上げた空に満月。
尾神岳の右肩に昇った月は力強く春の訪れ
を告げる風だった。
今夜は豚シャブ。
南三陸町の山間で弟が放し飼いしている豚肉は
知る人ぞ知る絶品。
現在自宅を開放して「山の食堂ポルセリーノ」
も営んでいる。
カナダ人、ヴェトナム人、フランス人など様々な旅
人が泊っては飼育を手伝うという。
ヒュウガミズキ。
午後遅くいっとき小雨となった。
この時期は受験や進学、入学や就職、どん詰まりの
期末、そして引っ越しなど、慌ただしさに希望と不安が
混ざり合った独特の雰囲気がある。
そのような中で膨らみ始めたヒュウガミズの蕾が心慰め
てくれる。
この花は例年樹下美術館の庭で行われる花木の開花
レースで黄色の小花をいっぱい咲かせて、一番乗りを
を果たす。
これ以外、早春にトサミズキ、キブシ、マンサク、福寿草
など黄色の花が思い浮かぶ。
残雪に黄色。自然界のセンスには本当に感心させられる。
本日も茶の稽古をしたが課題がいくつか見つかった。
新潟市西大畑界隈
昨日午後所用で新潟市は西大畑界隈を訪ねた。
↑新潟市立美術館で同館発行「全所蔵品図録」を求めた。
外国作家ではボナール、クレー、レジェ、ピカソほか網羅
されているが、カリエールの充実は特に目を引く。
国内は新潟県出身者はじめ主要な画家が収蔵されている。
時代を築いた作家たちの基礎への傾注と新しさへの挑戦
の足跡が横溢する一冊。
↑1995年に開催された倉石隆展にちなみ、氏の作品19点
が収められている。ほしいなあ、と思うものが何点もある。
↑行形亭(いきなりや)と旧齋藤家別邸が続く一角は新たに
石畳が設えられ、さらに格調高くなっていた。
↑用が済み、近隣のイタリアンレストランでランチコースを
食した。
店の名は「ネルソンの庭」。イタリアンでネルソンは珍しい
ことだが、イギリスの人、ネルソン提督へのシンパシーか
ら名付けられたらしい。
いずれも美味しい前菜、パスタ、デザート&珈琲で1500
円はリーズナブル。
庭にイングリッシュローズが咲くという店は最大100人の
ゲストが可能だという。バラの季節にも来てみたい。
↑雛飾りの展示期間に入った新潟市。旧副知事公舎だっ
たというレストランの一角に和室が保存されている。
北洋漁業で財をなしたという田代家のおひな様が飾られて
いた。
海運、港湾、米で発展した新潟市は各所に往時の面影を
保存しようとする気運を感じる。
西大畑界隈には、會津八一終焉の地に建てられた北方
博物館の新潟分館、および旧日本吟行新潟支店長役宅
である美術館・砂丘館もあり、辺りは風致と歴史、文化が
結び付いた爽やかな一角になっている。
木目込み雛を作ったおばあさんはカレーをルーから作っていた 寒鱈のソテー。
先日は大正11年生まれのお年寄りからチョコレ
ートを頂いた。
もちろん介護者(娘さん)が用意して下さったもの。
本日伺った方は101才。
見て下さい、おばあさんが作ったおひな様です、と
隣室に案内された。
お嫁さんが仕度して飾られていた。
昨日は車椅子のおばあさんを交えてこの部屋で食
事をしたそうだ。
↑木目込み雛(きめこみびな)というもので、人形
の原型に付けられた筋目に布の端々を埋め込ん
で作られる。
おばあさんの戦後の女中奉公時代に真多呂(また
ろ)という老舗の人形店のキットを完成させたもの
だという。
床の間の立派な軸もおばあちゃんの書。
この方の奉公先は東京都内の一部上場企業の
社長さんのお宅だったそうで、夫人に気に入られ、
熱心に料理など教えてもらったという。
後こ当地に帰られてからもカレーは20種の香料
を調合してルーから作り、店にしか無かったハン
バーグやスウィートポテト、プリンなどを自作し、
カツオのたたきはワラを焼いて身をあぶって作っ
た、とお嫁さんが仰った。
最近瞑目してベッドで過ごされるが、伺うと満面の
笑みを浮かべられる。良い笑みはチョコレートのお
ばあさんや、これまで元気に長生きされた方たちに
共通している。
また一生懸命働き(学び)、悪意から遠く、心が澄
んでいる印象も皆さん一緒だ。
昨年106才で亡くなった明治生まれの方は身を粉
にして長く魚の行商を続け一家を支えられた。
このような方達は介護者とも上手く行き、途中出会
う幾つかの困難もなんとか越えて来られる。
お嫁さんも立派で、この度の雛の仕度と仕舞い一
つとっても実は大変なことなのだ。
私たちは親を看る最後の世代ですね、と仰ったが、
その通りであろう。
弟からの寒鱈は本日ソテーになっておしまいになった。
本当にごちそうさまでした。
YouTubeに木目込み人形(真多呂人形)の動画がありま
した。これを見てどういうものか少し分かりました。
少しずつ寒さが緩む気配です。
宮城県の寒鱈。.
垰を越えていると思った山陰の大雪は本日も継続したという。
何でこんなに執拗なのだろう。
本日当地は普段少ない沿岸を中心に降ったが、生活に支障
を来すほどではなかった。
弟から宮城県の寒鱈(真鱈)が贈られてきている。
本日は鱈汁だった。熱々の汁と身は濃厚でまことに美味しく
いただいた。
今年度の開館までおよそ一月、間もなくですがもう少しお待ち
下さい。
現象は何かの都合といえども ロイヤルドルンの小さな器。
続く西高東低の気圧配置による冬型のお天気。
お天気も空の都合であるが、“この便秘はお腹の都合”
などと皆様に言う事がある。
そんな時は、もう少し様子をみましょう、というニュアンス
をお伝えしているつもりでいる。
昨日、荒天は音楽か舞台装置などと書いたが、空の都合
と分かっていても、いざ悪天の外出はやはり気が重い。
在宅回りりの前に気分を変えて明るい器でコーヒーを飲
んだ。
手前の器は1880年代の高さ5,5センチのロイヤルドル
トンでとても小さい。右に少し見えるのが1920年代のリ
モージュ。
向こうにあるのはスーパーのドライフルーツのパンケーキ。
2002年大嶋画廊で初めて行った「花の肖像展」でこのような
小さな器でお客様にコーヒーをお出しした。楽しい個展になり
とても思い出深い。
本日正月三日の吉凶 塩ラーメンから若き日の外食。
本日正月三日目、当地の最高気温がほぼ9℃、
最低が4℃、これでは雪にならない。
夕刻に上越市は高田の本町へ出かけた。
そこで思いも掛けぬ齋藤三郎の優品と出会い、
思い切って求めた。
刊行予定の図録に間一髪で間に合い、これが
先日のおみくじにあった「吉」なのか、と思った。
但し今朝何故か車のバッテリーが上がってい
て、結局今年も吉凶交えて始まる事になった。
帰路、上越市は大潟区犀潟の大雅飯店で
塩ラーメンを食べた。モンゴルの塩、鶏ガラ
スープ、細めの麺、上手く乗っているネギ、
みな素直で美味しかった。
私は塩系の麺類が好きでタンメンも良く食べ
る。
その昔、昭和30年代半ばの浪人時代、予備
校のある代々木の店で、行けばタンメンばか
り食べ、野菜の中から時折顔を出す小さな豚
コマを喜んで摘まんだ。
当時、薬「キャベジン」からキャベツが脚光を
浴び、胃に良いからタンメンはキャベツの大盛
りを頼むと言う先輩もいた。
タンメンの上にキャベツの千切りが山と盛られ
て出てくるのを食べたことがあったが、あまり
のことに胃に良いとは思われなかった。
東京工大がある大岡山が長く、そこの「味楽」
という店によく行ったし出前も取った。
思えば出前を普通に考えていたが、手間と人
手は大変だったのではないだろうか。
わざわざそのため、修行も兼ねた若者を雇っ
ていたようにも思われる。
味楽ではとろみが付いた味楽メン(天津麺だが
やや甘い)が美味しく重量がありよく食べた。
ちなみに味楽の親方は旧東頸城郡は松之山ご
出身で、出前持ちの子は中卒後間もなかったの
か、ぎょろりとした目の坊主頭でとても若い人だ
った。
無事なら70才近くなっているのでは。
新年は自分の心配より人の心配、どうされてい
るだろう。
大岡山にはもう一軒、小上がりがある「大福」と
いう新潟県出身のご飯屋さんもあり、アジのフ
ライなどはふっくらと揚がり、白菜のお漬け物と
真っ白などんぶりご飯が美味しく、近くの先輩た
ちと良く行った。
あるいはお金が無くなると、いらっしゃいませー!
と奇妙なイントネーションの鼻声で迎える、これ
もとても若い女の子がいる食堂で「めざし定食」
を食べていた。
目刺し一皿と生卵、お新香や味噌汁が付いて
いたのか、案外これも普通だった。
弟はおぼえているだろうか、よくこの子の「いらっ
しゃいませー!」を家で真似して笑った。
ああなぜ昔のことをこんなに良く覚えているのだ
ろう。
今のことは世間に「食堂」という店がまだ有るのか
どうかも分からない。
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