花頭窓、二十三夜塔、庚申塔、社寺
庚申塔その3、間近にあった愛らしい庚申塔と石祠。
毎回の庚申塔で申し分けありません。
樹下美術館の近くはどうかと考え、昼休みに近隣を走
ってみた。
山の気配を背にした社寺の門前が要点ではと思って見
て回った。
すると三和区に入って間もなく社があり、傍らの道路に
面して小さな塚と石祠(せきし)が見えた。
右に庚申の文字塔、左に祠。明るい場所でほがらかな感じ。
※後日の調べでは青野池の近く三和区腰柳集落のようです。
(樹下美術館からおよそ15分ほど)
塔の高さは60㎝ほどであろうか、小さくて丸く愛らしい。
右上辺に月・日と文字が刻んであり、様式の一つが簡素に
表現されていた。
現場では分かりにくかったが、写真を見ると六臂が彫り出
されており、青面金剛像だと分かる。合掌以外の手(臂)
に宝輪と弓矢を持っている。上方の左手は何を持っている
のか判然としない。猿とニワトリの姿はないが素朴でとて
も良かった。
過日板倉区の福王子を訪ねた際にも石洞の庚申塔に
出合った。中が暗く像は小さいが心暖まる。
そばの社は端整に手入れされていた。額が見当たらず、そ
の名が分からない。見逃したのかも知れない。
車で10分ほどの場所であり、今の所樹下美術館から最も
近い庚申塔とその祠(ほこら)だった。
元からあったものか、移されたのか、暖かな陽光に包まれ
てとても慎ましい。
昔人の祈りがほのぼのと伝わるのを感じた。
庚申塔その2 近隣の庚申塔(浦川原と柿崎)。
一昨日、庚申塔その1を書かせて頂き、火頭窓→二十三
夜塔→庚申塔へ関心が広がったことを書かせて頂いた。
さる11日日曜日は最初に二十三夜塔を見た浦川原顕聖寺
へ出向いた。ほかに石塔があったやに思ったからだった。
当日の門前。三基の石塔があり、手前に二十三夜塔、左に庚
申塔があった。
魚沼でもそうだったが、二十三夜塔と庚申塔はおよそ一緒
にあることが多いのではないかと思われる。
ここの二十三夜塔とも字が上手い(彫るのも上手い)と思
った。
その脚で亡き先輩の話を思い出し柿崎区は楞巌寺(りょう
ごんじ)へ行ってみた。
背後の山は広大な墓地。この先に柿崎影家の墓と上杉謙信
を教育し支えた天室光育の墓があり、深い静寂に包まれて
いた。
さて門前に幾つかの石塔が置かれ期待通りに庚申塔があっ
た。
やはり二十三夜塔もある。
少し向こうには仏像(青面金剛)が彫られた庚申塔がもう
一基。
魚沼の彫像は6本の腕(六臂:ろっぴ)だったが、この像は
合掌を入れてかろうじて四臂が覗える。
上方の左右に月と日を表す形象が認められ、下方に二匹の
猿が彫られているようだった。
一般に見ざる、聞かざる、言わざる、の三猿が標準らしい
が、ここでは二匹。左の猿は片手で口を抑え、片方で目を
押さえているようにも見えるけれども、そんなことがある
のだろうか。
いずれにしても近隣で彫像の庚申塔に出合う事が出来、大
変に嬉しかった。
知らぬは自分ばかり、やはり身近な所にも探し物はあるも
のだ。
本業、美術館、二十三夜塔、庚申塔、火頭窓、催事、、、。
なぜこの年になってこんなに忙しくなったのだろう。
残りの人生が見えてくるとこうなるのか。
今までがあまりに無為だっただけなのか。
いずれ庚申信仰の内容、あるいは本尊の青面金剛や登
場する猿あるいはニワトリなどの意味について記してみ
たいと思います。
以下に彫像庚申塔の一つのパターンを描いてみました。
庚申塔(こうしんとう)その1。
今年6月、黒井の大慈院でありありとした火頭窓を見た。
ふと目にしただけだったが、何故か晴れやかな気持ちが
して、以来その窓に興味を持つようになった。
その後何度か近隣の寺を見て回り、髙田寺町の久晶寺
や浦川原の顕聖寺(けんしょうじ)あるいは柏崎の妙満
寺でなど立派な窓を見た。
その寺巡りの中で顕聖寺を訪ねた際、門前で二十三夜の
石塔(二十三夜塔)を初めて目にした。
不思議な名の塔(塚)は古い女性たちが月を仏に見立て
て行った行事の記念として建てられたものだと知った。
石塔の時代離れしたいわれに心惹かれ、以来火頭窓と共
に二十三夜塔は好奇心の対象になった。
その後10月下旬の魚沼行きでは 雲洞庵始め道中の寺院
で幾つもの火頭窓を目にし、随所に二十三夜塔とも出会う
ことが出来、とても満足だった。
ところがその魚沼で、また一つ「庚申塚(こうしんづか)」
あるいは「庚申塔」が新たな興味の対象として加わった。
魚沼の最後に訪れた毘沙門堂には二十三夜塔と共に庚申塔
があり、そこで出合った女性が「二十三夜塔のことは知ら
ないが、庚申塔なら知っている」と仰った。
実は庚申塔については、今は亡き大先輩医師がかって当地
の医師会報に一文を書かれたことがあった。
若かりし私は“古めかしいな”と感じただけで、目を通さず
に終わっていた。
今思えば残念だが、このたび毘沙門堂の女性の話から興味
を覚えるに至った。
二十三夜の月待ち行事は女性のものだが、庚申講の行事
(庚申待ち、庚申様)は男たちのものだった。
二つの行事はいにしえの男女の立場や生活感の違いが現れ
ていて興味深かった。
↑魚沼の初日の朝、六日町の街角で早々に出合った二十
三夜塔。
この時以下のように反対側からも写していました。
手前から二つまで庚申と読める文字。四番目に二十三夜塔。
この時は庚申塔をほとんど気に留めていなかった。
以下は291号線を北上中に見た石塔群。
そして左の石仏。後にこれも庚申塔であることが分かった。
合掌する手を含めて六つの腕を持つ青面金剛(せいめんこ
んごう)が大きく彫られ、下方の両脇に見ざる聞かざるの
動作をした猿がみられる。
これらは庚申講で崇められる仏とその使者であり、庚申塔
の一つの典型だと知った。
さて毘沙門堂で出合った同地の女性は、“庚申講の夜、体
内の虫がえんま様にその人の悪事を告げ口に行く、という
いわれがある。それをさせないために、宵から経を唱え、
夜通し飲食を行い、話に花を咲かせて寝ずに過ごした“”と
仰った。
講は60日に一回の庚申の夜に集落内で持ち回りされ、必要
な掛け軸や食器などは共同で所有。
集まるのは男性で、女性は仕度や後かたずけに回り、子供
が食べ物などをお相伴する事もあり、楽しかったという。
この女性の子供時代まで行われていたというので、戦後し
ばらくは続いていた模様だ。
少々長くなりました。
魚沼の後、浦川原、柿崎、板倉など当地でも庚申塔を目に
し、上掲しました青面金剛が彫られた石塔にも出会いまし
たので、後日書かせて下さい。
可愛い猿も彫られていました。
魚沼行きその4 雪囲い開山堂の雲蝶、お土産。
10月最後の本日は、風強く驟雨に見舞われ気温は下が
った。
二件の在宅回りでは一瞬パチパチとアラレ風なものが降
った。
在宅回りの空。
さて三回も続いた魚沼行きの記載は本日最終回。このたび
ちゃんとまとまるのか心配だ。
前回は毘沙門堂でこの方に庚申講を聴く所で終わった。
明晰な人で、妻は電話番号などを渡し、是非樹下美術館へ
遊びに来てと言った。
昔から昭和10年代まで長く行われていたらしい庚申講の習
わしは、二十三夜の月待ちに劣らず興味深く、後に触れる
ことが出来ればと思います。
少々時間をオーバーした後、石川雲蝶彫刻の西福寺へ向か
った。
魚沼見物は上手い具合に目的地が連なり、何十分も車を走
らせる事なくほどほどで到着する。
開山堂は豪雪への雪除けとしてこのようなしつらえに
してある。
決定まで曲折があったに違い無いが、歴史的建造物を
守るのに正解だったのではないだろうか。屋根の守備
が最大の課題だったという。
開山堂の雲蝶は彫り色彩とも息を飲むばかりの迫力だ
った。今様にいえばクレージー、彫って彫って彫りまく
る凄まじさである。
9月掘川紀夫さんに連れ行ってもらった奴名川に於け
る削りと彫りの作品は雲蝶からのインスピレーション
ではないのかと、ふと思った。
彫刻作品は当寺院の貴重な財産。撮影不可は仕方無い。
ショップで写真集を求めた。
雲蝶の本。トミオカホワイト美術館のものと樹下美術館書
棚に並べました。
さて火頭窓の寺院と路傍の二十三夜塔への寄り道などで時
間が無くなった。
最後の予定地である堀之内の永林寺はこの度省略して帰路
に就いた。
西福寺から小出インターは近く、高速道路で帰った。
思えばこまごまとして忙しい魚沼行だった。
気がつくとこの日昼食を食べてなかった。
夕食は大潟区のピザ屋さん「ココビーンズ」に寄った。
サラダとビザをことのほか美味しく食べた。
以下はお土産です。
西福寺の鈴のストラップ。かすかにシャリリリ(捨利利利?)
と鳴る。
ようやく魚沼のことが終った。見聞は同地のごくごくわずか。
ただ名刹と観光トンネル、それにロープウエイは観光バスと
マイカーでごったがえしていた。
八海山ロープウエイを予定していたが、行列をみて即止めた。
終わりに、一帯の風土に深々と漂う信仰の空気は得に言われ
ぬものがあり、身を置くだけで心地良い浄化を感じた。
道中で見聞した庚申講のことは後に触れてみたいと思ってい
ます。
お読み下さった方に感謝致します。
る魚沼行きその3、トミオカホワイト美術館、花頭窓、二十三夜塔。
一泊二日の魚沼行き。ノートに連ねて三回目になった。
駆け足ぶりが如実に現れ、少々恥ずかしいが本日その
3とさせていただいた。
日曜午前は雲洞庵で過ごし、その後トミオカホワイト美
術館を目指した。
魚野川の右岸国道291号を走ると道すがら寺院が目に留
まり、しばしば火頭窓の設えが見られて満足だった。
さて丁度正午ころトミオカホワイト美術館に着いた。
有名な美術館だが不勉強がたたり、この度が初入館だった。
かつて昭和50年代の半ばに富岡惣一郎氏の作品展が地元
大和デパートで催され、見たことがあった。小品をと思っ
たが高価で全く手が出なかった。
求道者のイメージで描き続けた氏の作品は今どきの賑や
かな絵画を見慣れてしまうと、深閑としてハッとするほど
懐かしく、かつ不思議と新鮮だった。
目的地、浦佐の毘沙門堂に向かって再び国道を北上する。
以下いずれも走行中目にして撮影しました。
以後、道中こんなにあるのかと驚いたほど次々に二十三
夜塔と出合う。
塔や塚は地域の整備事業や廃寺を機に沿道にまとめられ
たものも少なくないと聞いた。上越市で見た幾つかのも
のに比べて皆大きく立派だった。
午後二時半過ぎに浦佐は普光寺・毘沙門堂に着いた。
毎年正月3日の「裸押合大祭」で知られている。
一帯では神仏の催事が多く伝えられ独特の風土イメ
ージがある。
まず仰ぎ見る重厚な山門はじめ幾つかのお堂が配置され、
見事なケヤキの巨木が随所に見られる。
毘沙門堂は古く、9世紀初頭に坂上田村麻呂によって創建
されたという。寺院の普光寺は江戸初期に建てられ、諸堂
と回廊で結ばれている。
山門の天上に谷文晁筆による二面の龍図が描かれている。
古山門(太子堂)にひっそりとあった花頭窓。境内にある
お堂の中で最も古いものという。説明書きによると、江戸
初期に髙田城主松平越後守が修繕したとあった。
普光寺境内から西(左)の眺め、正面に千手院が見える。二
つの流れが落ち合い、苔むして如何にも古い景観。石段は
洗い場に続いていたものか。
神仏とともにある悠久を感じさせる一帯に生まれ育った人を
羨ましいと思った。
片隅に庚申塚などと共に大小二基の二十三夜塔があった。
二つ並ぶのは珍しいかもしれない。
この日、境内で盛大な菊祭が行われており、年配の女性が案
内役をしていた。
その方に塔や塚について尋ねたところ、二十三夜の月待ちは
知らないが、庚申待ちは知っていると仰った。
女性の話をメモしている妻。庚申講の食事について聴いて
いる。
さてここまで記載してきたが随分時間を費やしました。
たかだか県内の一泊ドライブ。皆さまご存知の場所を斯くの
んべんだらりと書き連ねてしまい恥ずかしく思います。
申し分けありません、魚沼のことは後一回書いてお終いにし
たいと思います。
魚沼行きその2、あこがれの 雲洞庵。
昨日は魚沼行き初日、土曜日午後を記載させて頂いた。
ホテル「ダ・フェールイン六日町」ではぐっすり休み、朝
食バイキングを摂ってこの度の目玉である 雲洞庵を目指し
た。
出てすぐ快晴の魚野川を渡る。ホテルはもともと川沿いの
旅館を改装したばかりだったという。
さっそく沿道に現れた二十三夜塔。大抵庚申塚などと共に
置かれている。開発で元の場所から移動してきたものもよ
くあるようだ。
この春替えた車のナビが優れていて無駄なく目的地に着く。
美しく刷け目が施された大きな香炉(常香炉じょうこうろ)
に蝋燭とお線香を上げた。
少し誇張すれば、夢にまで見た火頭窓が眼前にずらりと10
窓も並ぶ。窓はそろって半開され誠に爽やかだ。
どういう訳か建物の細部に目が行ってしまう。
禅寺らしく簡素な欄間。最初の釘隠しに似通っている。
木瓜紋(もっこうもん)をデザイン化したものか。
回廊の火頭窓。本堂と異なり幅広く嵌め殺しになっていて
とても明るい。※後日記:櫛形窓(くしがたまど)の呼び
名がある模様。
位牌堂の先に開山堂。鏡の如くピカピカに磨かれている。
江戸時代の普請であるのに傷、塵ひとつ無い。どうすれば
こんなに綺麗に維持出来るのだろう、不思議なほどである。
曹洞宗では一仏両祖と言われるらしい。本像はその二祖で
ある道元と瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)の像。
手入れの良い各堂を巡っているうち、もてなしの心が伝わ
り、いつしか心癒やされ何かと有り難くなってくる。それ
で仏像や偈頌に手を合わせたくなる。
禅寺特有の魚板(あるいは魚鼓)。叩くと口から邪気を吐き
出すといい、木魚の原型。修業僧への食事などの合図に叩か
れる。
最後の宝物館は開祖師にまつわる品、あるいは歴史上の人
物(特に戦国武将)たちの書簡や身辺を彷彿とさせる道具類
が展示されている。
上杉憲実愛用の茶釜。その後の名物に比較して地味な印象
を受ける。
13世紀の中国の禅僧・天童如浄禅師の袈裟の端切れ布。
ぼろぼろになっているが大変に貴重な品であろう。
禅師は渡宋した道元の中国に於ける心からの導師。道元は
天童如浄から印可を受け、帰国して永平寺を開山、曹洞宗
の開祖となった。切れは二度と会えない恩人の形見だった
に違い無い。
帰りぎわの香炉にはその後の参拝客が上げたお線香が香って
いた。香炉にも鮮やかな菊水の紋章が見られた。
私のように教義に疎い者にとって、それが実践されている環
境に込められている丹精とその美しさに触れると、自ずと心
鎮まり癒やしに包まれる。
そもそも当寺院の縁起には藤原不比等の子の妻にまつわる物
語があり、庵寺(尼寺)の趣きなのである。優美な窓の曲線な
どはその事に深く関係しているのか。
現在の本堂は、江戸時代に出雲崎の大工の棟梁・小黒甚内に
よって再建されたものだというが、全く素晴らしい出来映え
だと思う。
さて、そのような訳でこの度は塔頭内の端っこばかり見てい
た。
“神は細部に宿る”という言葉があります。
明るく美しい火頭窓や廊下そして釘隠しや庭掃除。雲洞庵は
隅々へ意識が行き渡り、全体として私たちまで有り難くなって
いることに気づかされました。
樹下美術館もそんな風な心がけを少しでも実践して行ければ、
と願った次第です。
まだ幾つかの見聞がありますので、再々度記載させて下さい。
わずか2時間ほどの拝観でしたが随分長くなってしまいました。
魚沼行きその1、清津峡トンネル、六日町の夕べ。
昨日土曜日午後から魚沼地方へ出かけた。
目的の一つは今夏大地の芸術祭行きで時間切れとなった
清津峡峡谷トンネルを見ること。
二つ目は魚沼地方の寺院の火頭窓や路傍にもあるという
二十三夜塔に出合うこと。
さらに誠に遅ればせながら未だ見ぬ石川雲蝶の彫刻を見る
ことなど主に三つの要件があった。
まず樹下美術館近隣(上越市浦川原区)の顕聖寺境内へ。
この度の魚沼行きを前に、あらためて火頭窓を見たいとい
う妻を案内した。雨上がりの静かな寺で窓が鮮やかだった。
清津峡はかって20数年前に訪ねた時よりもずっと近い印
象を受けた。
雨上がりのトンネル駐車場。紅葉シーズンのせいか大地の芸
術祭が終わっても大変な人気。
清津峡の見事な柱状節理構造。柱状節理は高校時代に山崎
静雄先生から地理の授業で習った。魚沼地方の河岸段丘も
この先生から教わった。ぼんやりしていた高校時代だが先
生の地理は面白く、渡辺文先生の英語とともに部分として
記憶に残っている。
いずれも最後のパノラマステーション。逆光と薄く張った水
の鏡面効果が山峡の荒々しい景観と相俟って爽快な視覚体
験が出来る。
当日は六日町に出来たばかりのホテルに宿泊した。
近隣に食事処が多くあるのでそちらで夕食を摂るという大変
合理的なホテル。
直近で鰻重を食べた。うなぎは久し振りであり質量とも上等
だったが、さすがに少々残した。
食後に六日町の通りを歩いた。7時少し前ながら明かりが灯
った店がかなりあり、通りを楽しんだ。
所変われば村も街も変わる。普段家まわりを車で走る程度の
ため、山などを越えて見ず知らずの土地に来るとあたかも外
国を訪ねたようなエキゾチズムに襲われる。
本日長くなりましたが、あこがれの雲洞庵を始め二三の美術
館といくつかの火頭窓や二十三夜塔などを今後掲載してみる
つもりです。
大昔子供たちと行った五十沢以外、恥ずかしながらほとんど
知らない魚沼地方を駆け足で興味深く巡りました。残りのこ
とは後に掲載させてください。
火頭窓を探して旧刈羽郡地域へ 二十三夜塔 彼岸花。
本日月曜日は秋分の日の振替休日。
昨日に続いて美術館開館前の1時間、クリスマスロー
ズを中心に草花に肥料をくべた。
彼岸前後から庭をいじるのに良い時期とは、かって園
芸屋さんから聞いた話だが、その通りだと思う。
肥料の後、柏崎市の東部、刈羽村、西山、礼拝および
出雲崎西部あたりへ車を走らせた。一帯は黒瓦屋根の
大きな家が目立ち、小山を背にした幾つかの寺院が脳
裡にある。
火頭窓はまだマイブームとして細々と続いているので
それを期待して出かけた。
本日お彼岸の休みでもあり、道中彼岸花が目に付いた。
硝子窓になっている。横や裏手にもあるかもしれない。
思ってもみない数に十分満足し、本日は帰路についた。
なだらかな背後の山に観音像が見えていた。いずれお天
気の良い日にもう一度訪ねてみたい。
本日ある寺院で見た二十三夜塔。
浦川原区、十日町市に加え三つ目の石塔。月待ちとは
何と風情ある行事だろう。
年ごとに行われていたはずだが、毎回石塔を建てては
いない様子。月待ちには雨降りや曇りの夜もままあった
はず。
恐らく行事の度になにがしかのお金を積み立て、特に
素晴らしい下弦の月が昇った晩に、満座で賛同し初め
て建立したのではないか、と考えてみた。
塔にはその夜の女性たちの高ぶりがいまだ漂うようだ。
もしかしたら素晴らしい二十三夜月は一帯等しく昇った
と考えられるので、同じ年月日の石塔があちこちに建っ
ている可能性がある。
今後出雲崎や寺泊、与板あるいは魚沼地方へも出かけ
てみたい。
大地の芸術最2018その2。
去る9月2日、初めて大地の芸術祭を訪ねた事を掲載さ
せて頂いた。会場エリアは広大であり作品数も会場に大
地が名づけられる通り膨大だった。
本日は当日観た(あるいは体験した)ほかの作品の一部
を載せました。
まずクリスチャン・ボルタンスキーの作品「最後の教室」。
ユダヤ系の家庭でホロコーストの体験を聞いて育った作家
は山奥の比較的大きな廃校小学校を会場としている。
最後の教室には「最後の授業」の意味が込められている、
と思った。
入館してすぐは旧体育館。多数の裸電球がつり下げられた暑
い館内に干し草の臭いが充満し、それを煽るように扇風機が
ブンブン回っている。
広大な収容所であろうか、牛舎の臭いでもある。しかし一挙
に遠い未知の、あるいはどこかで出合ったような闇へと放り
込まれた。
階段を上がって廊下を歩く。行く手に物凄い光が点滅し、光
に吸い込まれるように歩く。廊下には辺りを振るわすように
ドン!ドン!ドン!ドン!と低い大きな音が響き、心臓の鼓
動に聞こえる。廊下の上方に並ぶ額は中に何も無いが全て遺
影のようである。
ある場所(教室跡?)に横たわる光が入った累々たるアク
リルケースは柩であろう。
白の基調は同地の深い雪であり、無くなった学校や失わ
た人々へのオマージュにちがいない。
いずれにしてもここで体験したのはホロコーストと鎮魂。
もしかしたら精一杯の再生への希望なのか?同行者はど
う思ったか分からないが、当日最もインパクトがあり心惹
かれた作品だった。
話変わってシンボル的な会場ともいうべき十日町キナーレを
訪ねた。今年は「方丈記私記」のタイトルのもと四畳半の空
間がテーマ。多数のインスタレーションが大きな水場を囲ん
で並んでいた。
その中から紙面の関係で2作品を載せました。
羊毛で小さなパオのような美容室。ハサミと羊と美容がつ
ながっている。
お小遣いを出して独楽を回してもらい、運試しをするブース
(作品?)。私は外れで小さな盃にサルナシのジュースだっ
た。鉄火場のようであり、二人いた女性は全くきれいだった。
方丈記私記は殆どが店か家、部屋また遊びや交流の場を
エッセンスとする立体作品だった。お洒落な茶室なども期待
したが見当たらず、これは仕方がないことであろう。
いつか行われるかもしれない「妻有大茶会」を楽しみにした
い。集客するのではないだろうか。
キナーレは巨大な正方形?の水場を囲む設え。それが実に不
思議だった。
下で見ると水場は浅く、多くの人が気持ちよさそうに歩い
ている。
二階に上がり歩くほどにそれは低く小さく見えてくる。
底には別に水場と、それを囲むように周囲の柱などが巧妙に
描かれている。
下で見ると単にデザインとしか見えない底の模様が、二階で
は反射もなくはっきり見え、そこには水場が一段と低く小さ
く見えるような巨大な絵が描かれているというわけである。
さて時間も押してきている。ある古い民家の二階で「裏側の
物語」をみた。
大きな雪舟風の水墨画風の絵。実は思いもよらぬ素材を用
い、影絵として表現されている。
当日遅く寺院を通り過ぎた。ちょっと待って、と声を掛け、
もしやマイブームの火頭窓?と、降りて見た。(当寺院は
芸術祭作品ではありませんが、、、、)
長泉禅寺と門標に書かれていた。矢印のように大好きな火
頭窓がありました。
境内の一角に大きな杉?の切り株を囲んで諸菩薩が座してい
て、穏やかな勢至(せいし)菩薩が見えた。勢至菩薩は以前
に書いた「二十三夜の月待ち行事」であがめられる仏であり、
下弦の月がその化身と言われていた。
帰宅して調べるとこの寺には二十三夜の石塔もあるらしかっ
た!
そして当日、マユビトのほかに以下のお土産を買って帰った。
とちの実せんべいは障害者の皆様が作ったというバッグに
入れられた。 新聞紙で作ったとは思われない丈夫なバッグ
だった。
日比野こずえさんデザインのハンカチ。同氏はほくほく線の
ラッピング電車のデザインを担当された。
以上遅くなりましたが、去る2日「越後妻有りアートトリエン
ナーレ大地の芸術祭」の訪問記その2でした。
一昨日は頸城区の玄僧を抜け、吉川区の朔日峠(ついたちとうげ)を越え、浦川原区の顕聖寺で火頭窓を見て二十三夜塔と出合った。
かって石垣、とくにボタモチ石を興味深く見ていた時期が
あった。
ボタモチ石は終わったが、時として私にはマイブームとい
うような事が起きる。
茶花、クリスマスローズ、芝生、ガクアジサイ、ユリ、モミ
ジなど植物、あるいは焼き物や絵画や本そして雲などもあっ
た。
それぞれは数年で終わったものから何十年と続いているもの
まで色々だ。
ところで最も新しいのは火頭窓で、始まったばかりというと
ころ。
過日上越市黒井の大慈院と寺町の久晶寺で見た事を書いた。
その後ネットで近隣を検索すると浦川原の顕聖寺で見られる
ことが分かった。
室町時代からの名刹だという。
一昨日土曜日の夕刻、思い立って出かけてみた。
ニラ、ニンニクの臭気と酒気をおびて入山してはいけない、と書
かれている。寺は高台にあり石段を上る。
親切なことに所々平らな石版が敷いてある。その左側を小さな
流れが涼しい音を立てて下っている。
禅宗様式を取り入れたという 手入れの良い庭。龍神伝説が伝
わる竜神清水と呼ばれる池と流れがすがすがしい。樹齢数百年
の立派な杉も見た。
建物には興味をそそられる文字や装飾が見られ、知る人の話を
聞いてみたいと思った。
帰り道、寺を下って出合った石塔。
「廿三夜(にじゅうさんや)」と読んで調べてみた。
すると塔は二十三夜月の夕から一晩、主に女性たちが集い(講
あるいは社中として)、経を読み飲食をともにして語り過ごす
「月待ち」行事を行った記念碑だとあった。
古くは室町時代から一部で行われ、江戸時代の中後期で最も盛
んだったという。
月に関係する集まりはほかに十三夜、十五夜、十九夜などがあ
った模様だが、二十三夜は全国あまねく行われ、特に1,3,5,
11月が選ばれている。
二十三夜は下弦の月であり、それは智恵を授けることで邪を払
い幸せをもたらす勢至菩薩(せいしぼさつ)の化身として人々に
親愛され、行事は教えに従い恩恵に浴する特別な晩だったらしい。
夜半に出て明け方まで西の夜空で煌々と輝く半月は、仏として
女性を惹きつけ心酔させる力を有していたのか。
世間と月と信仰。特に江戸時代の庶民の寄る辺なさと心映えを
思わずには居られない。
盛んだった月待ちも、明治期の急な文明開化の中で迷信とされ、
また旧歴から新暦に変わったことなどから行われなくなったよう
だ。
振り返れば去る午後遅く、玄僧という頸城区の不思議な地名の
村落を抜け、新月を意味する峠である朔日(ついたち)峠を越え
て浦川原に出、火頭窓を見ながら顕聖寺境内を巡り、「二十三
夜の月待ちの塔」と出合って帰ったほんの1時間半。
そういえば寺のずーと向こう側、川を挟んだ遠い所に月影という
村落もあったなと、思った。
偶々その日は新暦ながら6月23日だった。
- 花頭窓、二十三夜塔、庚申塔、社寺
- 樹下だより
- 齋藤三郎(陶齋)
- 倉石隆
- 小山作之助・夏は来ぬ
- 聴老(お年寄り&昔の話)
- 医療・保健・福祉・新型コロナウイルス
- 花鳥・庭・生き物
- 空・海・気象
- 頸城野点景
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- 社会・政治・環境
- 明け暮れ 我が家 お出かけ
- 文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ
- 食・飲・茶・器
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- こども
- 館長の作品。
- 小春日和のハクガン 冬の降水雲?
- 昨日、今日の鳥と空。
- 音楽家飯吉さんご兄弟、兄汐澤靖彦さんのご逝去。
- 脅しの如く大雪と言われながら 夜は「ハウルの動く城」をちゃんと観た。
- 本日の冬鳥 彼らの幸福とは。
- 京都滋賀の旅 最終日は延暦寺。
- 七草粥に大根のバター煮 蝋梅。
- 2024年大晦日の 渡岸寺十一面観音、八幡掘、ラコリーナ近江八幡 日本という国は。
- 京都、滋賀の旅 3日目の大津。
- 本日1月4日、最近の雪模様、コハクチョウなど。
- 京都、滋賀の旅 2日目の京都。
- 年末は山科に4連泊して京都、滋賀へ。
- 謹賀新年 年頭の意識目標。
- 大晦日のワルツはKALIから。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その4。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その3。
- 館内のノート、今年後半の「お声」からその2。
- 館内のノート、今年後半の「お声」からその1。
- 美しい正月飾り 葛飾北斎が用いた数字のカレンダー 瑞々しいマイケルジャクソンのクリスマスソング。
- 寒波の日の上下浜 コハクチョウの若鳥に観られる表情のようなもの。
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