明け暮れ 我が家 お出かけ
淡紅色のアカシア、そして大連など
15年くらい前、当時上越市大潟区は大潟町で、町の広報誌にリレー随想というコーナーがあった。次の人を指名してコラムをつないで行くもので随分続いていた。思えばこんなところも合併前の良いところだった。
私の番になって、町の貴重な樹木というようなタイトルで書いた。その中で赤いアカシア(ニセアカシア)を一つとして挙げた。
赤といっても薄い赤むらさき色である。よく見ないと分からないが、大潟区蜘蛛ケ池(くもがいけ)の県道沿いに二本ある。かなりの巨木で、久しぶりに花の時期を通ったらやはり赤っぽく咲いていた。心なしか香りを強めに感じたのも15年前と同じだった。
大潟区はアカシアが多い。あたり白一色の花に囲まれてひっそりと色を帯びる姿はけなげだ。
ところでアカシアといえば、昔、家の庭のへりに厄介者のような感じで樹があった。戦争後、中国から引き揚げてすぐの頃、母がそのアカシアの花を炒めて食事に出したことがあった。
真っ白でいい匂いの花を母と採るのは楽しかった。花がフライパンの中で茶色に炒められていく様をありありと覚えている。
しかし食卓に出たものは食べられなかった。苦かったのか家族全員がダメだったように思う。
この時のことは素晴らしい期待が見事に外れる人生最初の記憶かもしれない。
それにしてもサツマイモのツル、アカシアの花、たぶんほかにも、、、。当時母に知り合いもなく、家にはお金も無かった。それで普通は食べないようなものを美味しいよ!と言って料理にした。アカシアの炒め物も初体験だったようで、もしかしたらと思って作ったらしい。最悪の結果に、空腹の家族の落胆と母への非難は如何ばかりだったろう。
ところでその昔、若い母の看護婦として最初の赴任地が旧満州大連だった。大連は大都市で、黒々とした木肌のアカシア並木やヤマトホテルがあったと聞いた。父と出会う直前だったらしい。それが耳に残っていて学生時代に「アカシアの大連」(清岡卓行著、1969年度芥川賞受賞作品)を読んだ。良い本だった。
済みません、話が色々になりました。
貴重な明治生まれ
美術館たる者、たとえ小館であっても図録一冊出せなくてそれとは言えない。このところ決めた期限が迫って懸案の制作に追われる毎日となった。いつしか大小400点に迫った分量もあるが、日頃の整理の甘さを痛感させられている。
それで毎日のように明け方まで格闘が続く。若ければもっとはかどるのに、一日は35時間くらい、一ヶ月は45日くらい欲しい、など考えるまでになった。それに何とかノートも、、、。
さて一先ず色々置いて、私が在宅でフォローしている方に明治生まれの人が4人いらっしゃる。いずれも女性でそのうち3人は100才を越えられた。4人のうち3人の方が杖で室内を歩行され、デイサービスへも通われる。お一人は押し車を使って近隣を散歩される。
残念ながら今日訪ねた方は骨折後に寝たきりとなられた。よくうとうとされているが、私たちが訪ねると一転して言語が冴える。今日の話をつないでみると次ぎのようになった。
「おや先生、相変わらず惚れ惚れするようないい男ですねえ。私がもっと若ければ本当に惚れるところですよ。
これでも学校時代の私は飛び競争の選手で、試合で直江津や柿崎までよーく歩いて行ったもんです。マイクロバスなんて無かったですから。
その時の先生がまたいい男で、私を好きだったらしいです。しかし私はまだ若かったからそんなことは分からなかったんです。今なら惚れるのに残念だったですよ、本当に。 しかし先生は男前だ、お帰りは気をつけて!先生もお元気で!」
すらりとして長身、言葉もきれいで、いつも似たようなことを仰る。要は褒めてやるからさっさと用事を済ませて帰りなさい、という風にも聞こえて、さすがだと思う。
よく面倒を見られている息子さんと、同行の看護師がくすくす笑いながら聞いている。
今日は明治生まれの女性から多めに褒められて疲れが和らいだ。それにしても彼女たちの存在は非常に貴重だ。お会いしてお話できるのを幸せに思う。
樹下美術館隣接の庭のミヤコワスレ | 同じにヒメサユリ(乙女百合) |
ナニワイバラ、より白く
降ったり止んだりしながら長雨の気配となった。寒暖に揺さぶられ風邪の方が増えている。
先日の晴れ間、妻が仕事場の車庫に懸けたナニワイバラが満開だった。
今日夕方の雨を恨みながら花は白さを増したように見えた。
あたりで田植えは終り、弟が帰った
朝から風雨に見舞われた日曜日。昼過ぎ宮城から来ていた弟一家が帰った。弟は「フォルテシモな豚飼い」を書いて以来面白い酪農家に加えて面白い文士の趣を漂わせ始めていた。
彼独特の風土感覚と養豚法が話題となり宮城県知事などとも面会したらしい。昨夜の食事では昨今の芸術背景の浅さを嘆き、ペンネームや続編などの戯れ言をのたまって楽しかった。豚飼いの家の若い姪たちは、テレビもゲームも無く団らんと本で育ったので天使のようだ。それがいきなり私のスキを突いてくるので油断できない。
樹下美術館のまわりは田植えの後、まるで湖と化した。しばらくは最も良い季節が続くだろう。
頸城野の田面に浮かぶ樹下の舟 さきくあらまし三歳(みとせ)旅して
sousi
陶齋最初のお弟子さん、志賀重人氏のお茶碗で、そして豊かな昔の写真。
午前中は田植え盛りの静かな雨。それが昼には上がり、落ち着いた光が窓から差した。その逆光を肴に母の日に届いた鶴屋八幡の棹ものをお相伴して抹茶を飲んだ。御菓子にはもうアジサイの色が付いていた。
お茶碗は陶齋(齋藤三郎)のお弟子さん、志賀重人さんの昔の作。陶齋ゆずりのおだやかな器だ。半年前たまたま上越市の道具屋さんで見つけた。え!と驚
くほど安価で、非常に幸せを感じた。
そこで思った、一般に品質が良くて価格が安ければ作品はもっと動くのではないかと。売れれば作家の作業は回転しさらに優作も期待できる。しかしこの時代、相変わらず法外な値札によって多くの展示会は冷え切っている。これほど作家、来場者ともに不幸なものはない。買い手に手が出るまで安くして頂ければどれほどファンは有り難いことか。価格次第でつらい時代であっても双方が幸せになれると思うのだが、、、。多くの場合不幸が続いていて残念だ。
さて気をとり直して、、、。お茶碗の作者、志賀氏は戦後高田で作陶を始めて間もない時期の陶齋に師事した。熱心な修行を終えると京都へ赴き、後にオーストラリアに招かれて同国で長く陶芸を指導された。
高田市(現上越市)後谷(うしろだに)の一行:濱谷浩氏撮影と考えられる。
実際はもっと大きいサイズです。
掲げた写真は陶齋、志賀氏ともに写る貴重な一枚だ。二代陶齋・齋藤尚明氏からお借りしたアルバムに後谷・筍狩と記されていた。今からおよそ60年前、季節は5月初旬だろうか。右端にリュックを背負った若き陶齋が休み、左端で荷を負った志賀さんが笑っている。
右の姉さんかぶりの女性は写真家・濱谷浩氏夫人朝(あさ)さんと思われ、撮影者は濱谷氏にちがいない。
国敗れて山河あり。若き日の一行にこれ以上ない角度で遅い午後の春陽が注ぎ、陶齋は正面からそれを受けている。貧しい時代だったのに人々のなんと生き生きしていることか。文化がそうさせていたと思いたい。映画も凌ぐ素晴らしい写真だと思う。
志賀氏からは、樹下美術館開館に際して貴重な資料やご助言を頂き感謝に堪えない。
セロニアス・モンク ストレート・ノー・チェーサー、そしてニカ男爵夫人
昨晩このノートを書くつもりが時間が無くて今日になってしまった。昨日、夕食の後でたまたまWOWOWをみると、帽子をかぶった大男の黒人がピアノを弾いていた。セロニアス・モンクだった。
1960年代中頃のモンクカルテットのヨーロッパ公演を中心に撮ったドキュメント映画だった。病で映画を禁じられていた自分の高校時代、禁を破って見に行った唯一の映画が「真夏の夜のジャズ」だった。全てよかったが、モンクのソロ「Blue Monk」の不思議な和音と彼の風貌に強い印象を受けた。
セロニアス・モンクの演奏は非常に独特だ。テンションコード、風変わりな間に突然の強打、意表を突くメロディ、不意なトレモロ。これらで聞く者を興奮やファンタジーへと自在にいざなう。多くのミュージシャンたちからも敬愛されながら1980年代後半、惜しくも64才で亡くなっている。
ところで1962年正月、上京して初めて聞いたジャズの演奏会がホレス・シルバーの東京公演だった。その時、力強いリズムで深くきらめくような「ニカの夢(Nica's Dream)」が演奏された。
動くニカ夫人を初めて見た。
曲のタイトルにあるニカは白人。ニューヨークで苦しむ数多くの黒人ミュージシャンたちのパトロンとして強力な支援を続けた女性だ。フランスの男爵夫人でしかもロスチャイルド家の人だという。多くのミュージシャンのなかでチャーリー・パーカーとともに彼女から最も手厚いバックアップを受けたモンク。ニカの庇護のもと彼らは新たな音楽の開拓者として歴史に名を刻まれるまでになる。
同夜の映画で何度かニカ夫人を見ることが出来た。てきぱきと知的で魅力的な人だった。お金の使い方によって世界を革新する文化の創造が出来ることを体現した希な人にちがいない。本当に素晴らしいと思う。
この映画「セロニアスモンク ストレート・ノー・チェーサー(モンク作曲の曲名でもある)」の総指揮はピアニストの前歴があるクリント・イーストウッドだということも知った。
テレビを見ている間、椅子で寝ていた妻が「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」だったかの所で「いいわね」と言って目覚めたが、すぐまた寝てしまった。
余談ながら、ホレスシルバーの時もそうだったが、昔のジャズ公演は演奏者も聴衆も男性はスーツが基本だった。今では想像も出来ないが、60年代、ダークスーツをキメる黒人の演奏は本当に格好良かった。この映画でもモンクの服装を母親のようにニカが誉める場面があった。
※1:ちなみにホレスシルバーの時の私は学生服で行った。当時学生はそれで十分OKだった。
※2:その昔、日本のジャズ界(モダンジャズ)にニカほどではないにしても、一種パトロン的な女性がいたようだ。その人はある石油会社社長のお嬢さん。ホレス・シルバーの来日に際して、彼女がメンバーたちを東京観光に誘い、食事をもてなす写真付きの記事を当時のスウイングジャーナル(だったと思う)で見たことがある。
母と美術館へ、そして95年の人生は長いか短いか。
予報が当たり朝からサツキ晴れとなった。仕事の後、今年初めての母と美術館へ。展示を見終わってカフェに座ると、これが最後かねとつぶやいた。幸せを感じている言葉だから、「また来よう」で十分なのだろう。
それから「95まで生きるとは思わなかった」と続く。「95年は長かった?短かった?」と尋ねてみる。いつものように「短かった」が答だ。多くのお年寄り(多分私も、、、)は同じように答えるだろう。しかし「長ーかったです」という言葉も聞いたことがある。沢山ご苦労をされた方の言葉だったように思う。
お茶の後、外へ出て盛りのヤマザクラを見る。10本ほどの桜は以前雑木林だった敷地に自生していた。その後、庭の花にやる肥やしが桜にも効いて前よりも元気になった。ヤマザクラの花色は多様で味わい深い。野に里に馴染むのでソメイヨシノよりもずっと和める。
随分ご機嫌斜めだった春が、一気に新緑へと急ぎはじめた。
いつまでも
赤い夕陽の海を歩いた。砂浜にハートマークが残されていた。良く出来ていて二人の思いが伝わる。
きっと波にさらわれてしまうことでしょう、よかったらまた来てこしらえてください。通りすがりの私まで幸せな気持ちになりました。
パットブーンの砂に書いたラブレター
※ 結局今日は三つも記事を書いた。
急行能登のトイレにアールデコ
本日夜中、金沢から急行「能登」で直江津に帰ってきた。金沢を22:29に発ち上野に早朝に着くいわゆる夜行列車だ。今年3月、廃止となって多くの鉄道ファンが最終運転に集った。なのにまだ走っていて驚いた。週末や行楽シーズンに臨時で走るそうだ。
寒い夜、人気のないホームで急行を待っていると、学生時代に戻っていく錯覚を覚えた。
車中、妻は読みかけの本を膝に置いて眠ってしまった。その本を取って読ませてもらった。橘曙覧(たちばなあけみ)の「独楽吟(どくらくぎん)」という本だった。曙覧は正岡子規も憧憬したという江戸後期の歌人と知った。とても良く、52首の短歌は疲れているはずの頭に吸い込まれるように入ってきた。
さてこの度、能登のトイレで楽しい発見をした。何気なく見上げた灯りがアールデコ調。侘びしい夜行列車の片隅にこんなデザインがあろうとは。そういえば能登のフロントビューや洗面所の灯りにはミッドセンチュリーの面影が漂う。乗り物のデザインは練りに練ってあるはずだから、列車はちょっとした美術館だ。
金沢で婚礼
昨日午後金沢で身内の結婚式があった。温かで心こもった婚礼だった。年をふるにつれ永い縁の貴さをいっそう感じる。私などよりよほどしっかりした新郎新婦を見て希望を新たにさせてもらった。
最近の習い性で今回も観光なしの日帰り。丁度良い電車がなくて22:29発の臨時急行・「能登」で帰る予定にしてあった。到着まで随分と時間あるので妻と映画を見た。 「ビクトリア女王 世紀の愛」を途中から。ストーリーはともかくシューベルトの音楽に時代のリアリティを感じ、服装とファブリックやテーブルウェアに目が行った。映画館に入るのは、むかし子どもたちと見た「ペンギンズ・メモリー 幸福物語」以来およそ25年振りだった。
※文中ペンギンズ・メモリー 幸福物語は修正しました。
見終わってまだ時間があったのでクリームあんみつを食べて一息ついた。
金沢駅から懐かしい急行に乗って、日付をまたいで夜中過ぎに直江津駅に着いた。能登は代替わりしたのか車内は昔よりもきれいになっていた。家に帰って95才の母の寝息にひと安心。
車中のトイレで楽しい発見をした。日が明けたら写真を載せてみたい。 (4月25日夜更け)
- 花頭窓、二十三夜塔、庚申塔、社寺
- 樹下だより
- 齋藤三郎(陶齋)
- 倉石隆
- 小山作之助・夏は来ぬ
- 聴老(お年寄り&昔の話)
- 医療・保健・福祉・新型コロナウイルス
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- 明け暮れ 我が家 お出かけ
- 文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ
- 食・飲・茶・器
- 拙(歌、句、文)
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- 館長の作品。
- ああ近くに居たかった 鮎の甘露煮と百人一首最中。
- 本日土曜日、晴れて温かくても「今のところ」を忘れずに 本日の海と庭。
- 晴天だった日の夕刻、ハクガンは雪降るようにねぐらへと入った。
- 小春日和のハクガン 冬の降水雲?
- 昨日、今日の鳥と空。
- 音楽家飯吉さんご兄弟、兄汐澤靖彦さんのご逝去。
- 脅しの如く大雪と言われながら 夜は「ハウルの動く城」をちゃんと観た。
- 本日の冬鳥 彼らの幸福とは。
- 京都滋賀の旅 最終日は延暦寺。
- 七草粥に大根のバター煮 蝋梅。
- 2024年大晦日の 渡岸寺十一面観音、八幡掘、ラコリーナ近江八幡 日本という国は。
- 京都、滋賀の旅 3日目の大津。
- 本日1月4日、最近の雪模様、コハクチョウなど。
- 京都、滋賀の旅 2日目の京都。
- 年末は山科に4連泊して京都、滋賀へ。
- 謹賀新年 年頭の意識目標。
- 大晦日のワルツはKALIから。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その4。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その3。
- 館内のノート、今年後半の「お声」からその2。
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