明け暮れ 我が家 お出かけ

母の七夕を描いてみた。

2010年7月12日(月曜日)

 七夕の事を母から聞いてから少しずつ情景を想像して筆を動かしていた。母の実家については、4才になった頃の幻のような記憶しかない。昭和21年3月らしい時、旧満州から佐世保に引き揚げて、佐賀県の大村方(現鹿島市古枝大村方)の家に10日ばかり寄っただけだった。
 

七夕 
母が子どもだったころの想像上の七夕。

 

 母からはあまりに楽しそうに聞かされたのでイメージだけで描きやすいように描いた。描くことは好きなはずだが、泣きたいくらい稚拙のまま時期もあるので終了とした。塗り残しもあったりして、出来ればもう一度描いてみたい。

 

 話変わって、去る日曜日のゴルフは15位で大波賞(61,53)だった。クッキーや缶ビールなど賞品二つをありがたく頂いて帰った。次回も腕の代わりに靴を磨いて参加しよう。

朝露で七夕の短冊を書く

2010年7月7日(水曜日)

大潟区の水田 
今日七夕の日、素晴らしい大潟区の水田(高橋新田から吉崎新田への道から)

 

 今日は七夕。遠い昔に天の川が見える夜もあったような気がするが、近頃はどうなのだろう。何かと母の話で恐縮だが、大正4年生まれの母によく以下のような七夕の話を聞かされた。

 

 その昔、佐賀県の大村方(おおむらがた:現鹿島市古枝大村方)の子どもたちは七夕の朝早く、手に手に盃を持って田んぼへ急いだ。稲に宿る朝露を集めるためだ。盃を稲にこすりつけるようにして皆真剣に集めた。

 

 家に持ち帰った露で墨を刷って短冊に願い事を書いた。前後して山の方から男たちが竹を売りに来た。笹をいっぱい付けた長い竹を束ね、ザーザと地面を引きづりながら歩いて来た。

 

 竹は下の方の笹を払った立派なものだった。間もなく家々に五色の短冊を付けた竹が高々と立つと、村はとてもいい眺めになった。家並は茅葺きだったかもしれない。

 

 これだけの話だが、うっとうしい梅雨空の下さわやかな情景が目に浮かぶ。時代はそれぞれ色々だが、詩情という点で昔は決してあなどれない。

 

  ※母たちは稲の露を採った。しかし多くの地域ではサトイモの葉に溜まる露を用たらしい。

憧れの地平

2010年6月30日(水曜日)

昨夜はもしかしたら、と胸躍らせてサッカーの中継を見た。いくつもチャンスはあったが、パラグアイの執拗な圧力に胸がつぶれそうだった。

 

 

ゲームは得点のないままPK戦になった。PK戦は悲壮だ。何万人の観衆の前で国の威信を背負って一人で攻撃を受けるキーパー。処刑に近い残酷さを感じた。それがある選手がキックを外した瞬間、残酷さはそのキッカーに飛び移った。

 

ゲームの運不運は過酷だが、大会を可能にしている平和の有り難みは尽きない。

 

 

さてこの度の8強入り。代表チームが憧れの地平を目前にしていたことがサッカー素人の私にも分かった。選手たちに手応えがあったにちがいなく、本当に惜しかった。

新しい地平、見晴らしのいい世界はなんとしても憧れだろう。キックを外した選手のトラウマは深かろうが、変わらぬ憧れが彼を癒していくように思われた。

 

 

不肖私には、のんびりした気楽さへの憧れがつのる。印刷所に申し分けないが、明け方まで関わっていた図録の制作を遅らせてもらっている。もう少し丁寧にしてみたいのと体がそう望んでいるようでもあって。しかし諦めたわけではないのでそう遠くならないうちに、と考えている。

バラ
妻が仕事場で作っているバラがほぼ終わった。これは花盛りのころの写真です。

チマキと笹餅

2010年6月29日(火曜日)

 

笹餅
 
チマキ 
   

 梅雨の盛り、連日頂き物をして恐縮を禁じ得ない。昨日は笹餅、本日はチマキを頂いた。いずれも梅雨時の越後の味覚だ。

 

  ところで一昨日の夕刻から夜にかけて上越一帯も豪雨に見舞われた。移植の穴堀りをしていた庭で、突然放水を浴びせられるような雨にあってずぶ濡れになった。梅雨の終盤、気温の上昇と共に雨は油断できなくなる。

 

 田では、晴れ間をみてあぜ道や農道で草刈りが盛んに行われていた。梅雨が明ければ一帯の水田は生気に溢れ、頸城平野は壮大な美観となることだろう。収穫まであと3ヶ月、無事なお天気であってほしい。

淡路の先輩から鯵、そして西方の人

2010年6月26日(土曜日)

渦潮の海 
一年中荒海の鳴門の渦潮(同封されていた写真)

 

 昨日、学生時代の運動部でお世話になった淡路島の先輩からトツカアジが届けられた。他所のアジとは「まるでレベルが違う」としたためてあった。外見は普通のアジに見えるが名は初めてだった。

 

 送り主のA氏は昭和30年代後半、母校の軟式庭球部を医学部リーグの団体戦で全日本制覇させたエースだった。氏の身体能力と勝負勘は文字通り群を抜いていた。 

 振り返ると学生時代に交わった西日本(関西・四国・九州・一部東海も)の級友、先輩は私などとは随分違っていた。男っぽく勝ち気、顔立ちも精悍。同じ日本人なのに異国の人の印象さえあった。

  「いいか、相手がこう来たらこう行くんや」、部員たちを見回して檄を飛ばすA氏。眼差しには熱さと冷静さが共にあった。

 

 さて頂いたアジを昨夜は手巻き寿司に、今夜は塩焼きにした。添えられた手紙に寿司メシの要点が記されていた。その通りに作った妻は出来上がりの加減を絶賛した。淡路のお寿司屋のレシピに準じているらしい。

 そして今夜、こんなに美味しいアジがあろうとは、と声を揃えて塩焼きを食べた。

 

 鯵は普段でも関脇以上の美味しさだが、この度のトツカアジは明らかに横綱を倒そうという勢いがあった。親交ある王元監督にも送ると書いてあった。

 

 A氏は仕事をセミリタイアして釣りを始められた。同じ部活で、補欠を争っていた私などを忘れないで下さり光栄だと思っている。また全日本を制した当時のA氏のペア(前衛)が新潟県・県北の先輩だったことも密かな誇りだ。

 

 電話で礼を述べると、塩焼きを今日に遅らせたのは正解だということ。また、鳴門の荒潮で揉まれた魚は日本海の上品な魚とは違うんだ、と先輩らしい言葉を頂戴した。

 

 所変われば品変わる、そして人も。私が知った西方の人たちは、おしなべてハキハキとして勝負強く、情が厚い。こちらへ帰って35年、たまに電話や手紙でA氏に接すると、ただただ有り難く元気になる。

素晴らしい。

2010年6月25日(金曜日)

 夜更かしのデンマーク戦、まさかまさかのチャンスを次々ものにして素晴らしかった。選手たちの何とタフなこと。また直後のインタビューでは、寝不足の私たちに「ゆっくり休んでまた応援して」というコメントまであった。選手は強い上にこまやかで、それがまた嬉しい。

 代表選手のサッカーをみて、私たち日本人はまだ進化を続けているんだ、と希望を感じた。 

今朝のカーテン
朝のカーテンが祝福して揺れる 。 

 

 

なのに国技・大相撲の恥ずかしいこと。変われるのだろうか。

草取りして月

2010年6月24日(木曜日)

午後からの休診日で夕刻に庭の草取りをした。美術館を営んで3年、展示とともに大切なのは庭。庭に大切な作業は草取りだとなかば悟っている。

雑草
妻が取った分も。まだまだ取り切れない。

草取りは無心の時間という点で精神にもいい。またある種修行の感じもする。終えて手を洗うと庭も気持ちもさっぱり。

月

今夕の月、本当はもっと大きく見えるのに。

 あまつさえ遅くなって月に気がつく時など、自分も花や草であるかのような気持ちがよぎる。

 家に帰って昨日頂いたタケノコを食べた。下さった方が「ジャガイモやタマネギなどは入れないで」というタケノコ汁が美味しかった。桑取のタケノコ。この時期なのにとても柔らかく味も濃かった。

尾神岳、浦川原、桑取、そして秘密。

2010年6月23日(水曜日)

 尾神岳、浦川原、桑取、そして秘密。これらはいずれも今年頂いたヤマタケノコ(ヒメタケノコ)の産地だ。毎年決まった方が得意の場所に出掛けては分けて下さる。ある方は決して場所を明かさず、秘密ですと仰る。

 

タケノコ
 そろそろ最後、今日の桑取のタケノコ。

 

 昔、子どもたちとさかんに出掛けた尾神岳、浦川原は月影小学校と雅楽、濱谷浩さんの桑取、そして秘密の場所。それぞれ何がしかの思いを絡ませて楽しませて頂いている。麗しい山の土と水が育てたタケノコは味・香り・歯ごたえ、見た目、みな良くて飽きることがない。

 

 その昔昭和30年前後、毎年家族で池の平へ出掛けて池廼屋さんに泊まった。翌朝おにぎりを作ってもらいイモリ池を通って先へ歩く。すぐ右手に東大の寮があって、そのあたりから小さな谷川に沿ってワラビやタケノコが沢山採れた。持参した飯ごうに川の水をすくって味噌を溶き、コッヘルで炊いてタケノコ汁を作った。カッコー鳴く草原の昼食は美味しかった。毎年採り続けても無くならないタケノコに少々驚かされる。

チマキ

2010年6月12日(土曜日)

 午後、お年寄りの急な腰痛を往診した。骨折でなくてほっとした。

 

チマキ 
 

 大おおおばあちゃんの診察を終えると、年配のご夫婦はちまき作りに戻られた。奥さんが笹にお米を詰め、ご主人が巻いていく。近くの作業所で出荷用を作り、家では自分たちのを作るという。

 

 立派な笹が使われていた。銅鍋で煮ると笹の色が青いまま褪せないと聞いた。見てると呼吸のあった仕事ぶり、出来たらお持ちしますと仰ってくださった。
 これからの季節、梅雨空とチマキはうるわしい田舎の風物詩だ。お宅のまわりの田んぼがいよいよ生気を増していた。

 

 その昔、アカシアの花などを食べようとした私たち。後によそからチマキを頂くことがあった。砂糖入りのきな粉を付けて、あまりの美味しさに頭がヘンになりそうだった。

海を旅した陶片の女の子

2010年6月9日(水曜日)

 食事の部屋の書棚に海へ行った時に少しずつ拾った陶片が置いてある。シーグラスと同じで、海に捨てられた茶碗や皿など(またそのかけら)が海底を旅して割れて細かになり、角がとれたものだ。おしなべておだやかな形状になっている。

 なにしろ海はあらゆるものを揺すって揉んで洗う。固くトゲトゲしたものなどみな小さく丸くする。最後は砂にそしてミネラルまでしたいのだろう。ありあまる時間と何かのはずみで命まで作ってしまったのだから、海のなんという根気と力だろう。

 

 いっぽう地上は社会などもあって複雑だ。しかしそこで我々も海と同じようにゆすられ揉まれ洗われる。最後はやはりミネラルだろうが、できれば文化を創ることを期待されている。偉そうにする必要はないが、茶碗と私たちの違いはそのへんかもしれない。

 

 さて昼食後、何気なく陶片をみていると一つのかけらが気になった。 

IMG_2893 
さわやかな陶片

 

 手に取ると突然女の子の顔に見えた。上目づかいで真剣に前を見ている。あごから頬の線も愛らしく愛着を覚えた。

 

 不思議なもので一度そう見てしまうとあたかも女の子が描かれたような気がしてくる。実際は波、渦巻き、秋草などが描かれているようだ。

 

 かけらと私たちは異なる存在だが、こうして楽しく出会えるのも何かのおぼしめしにちがいない。

 

顔 
顔・長径3,5㎝ほど

 

裏
裏側・高台があり、大きめの皿のようだ

 

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