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大晦日の蛍の光 Farewell Waltz  ハンサムな先輩

2010年12月31日(金曜日)

2010年が間もなく終わります。少し緩んでいたお天気が再び荒れ始めました。来る2011年がどうか健やかな年でありますように。

 

映画「哀愁」の場面から“Farewell Waltz”

 先日の“Till We Meet Again”は今年美術館終了のワルツに。連日you tubeで恐縮ですが大晦日は蛍の光“Farewell Waltz”を借りました。日本語タイトル蛍の光は古いスコットランド民謡で1780年頃バーンズによって詞を付けられ、同じ頃メロディも確立したようです。スコットランド語で、さあ友よ古き友情を暖めあおうと、いう意味が歌われているといいます。

 

掲載の蛍の光は、妻お勧めのビヴィアン・リーの代表作「哀愁」の一場面です。一生一回の人生、もちろん映画のようにはいきません。書きかけでもいい、自分なりの小さなドラマに憧れます。少なくとも一途さと良心だけは持っていようと思うのですが。

 

動画にダンスの場面を借りました。ダンスと言えばその昔、学生時代に複数の学生バンドが参加するダンスパーティがよくありました。私の学校のバンドにハンサムでピアノの上手い先輩がいました。
パーティでは前のバンドがラストにワルツを演奏します。そのワルツが後半になると次の出番の彼は前のピアニストの右側からそっと入って、腰をかがめて右手でメロディを弾き始めます。前の演奏者は左手を弾きながら静かに左に抜けて鮮やかに入れ替わるのを見ました。any number any key okでプロのようでした。

この先輩は絶えず挑戦を続けているように見えました。ピアノではどこへ出ても恥ずかしくないばかりか、ハワイで飛行機免許を取得すると、最後には合衆国の医師免許試験に合格して渡米しました。女性にモテて、まるで映画の中の人のようでした。

どうしてそんなに出来るのですか、と尋ねたことがありました。「ひたすら努力」が答でした。男前が並外れた努力をするのですから、もう異次元です。

 

雨の日の色

2010年12月23日(木曜日)

 吹きたいだけ吹き、降りたいだけ降り、鳴りたいだけ鳴る荒天の祝日。美術館には友人夫妻が二組訪ねてくれた。こんな日だけに心温まる。

 

 夕刻の帰り道。晴れた日には見られない信号の色が、吹き付ける雨の舗道に写っていた。車を横道に入れて写真を撮った。あるか無しかの旅情だった。 

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  もうお一組、勇敢な三人のお客様がお見えになったと聞いた。その方たちは、前回、雪の冬期休館中に来館されて入れなかったが、今日はゆっくり見れたと仰ったという。もしかしたら雪や荒天は美術館日和なのでしょうか。押し詰まった大荒れの日、まことに有り難うございました。

 

後日追記:水たまりに写った信号を掲載しましたが、どこか似た情景の短歌があったと思っていました。赤い鼻緒が冷たい水溜まりに浮いている、というような感じで、、、。昔の本棚をみましたら石川啄木でした。時節、時刻、赤、などが少々似ていたようです。 

 

水潦(みずたまり) 暮れゆく空とくれなゐの紐を浮かべぬ 秋雨の後(のち) 

 

 貴重な啄木、お恥ずかしいことですが記事のタイトルを少し変えました。12月26日の追加と修正でした。

  

冬の来て道は喘ぎの場となりぬ

2010年12月16日(木曜日)

 昨日、初雪らしく降った。ここ海岸線の降りは控えめだったが、行き交う人に難儀が見えた。

12月6日 12月6日

12月16日 
12月15日、同じ場所

 新潟県に住んでいると雪が降って初めて冬を実感する。今年は夏があれだけ暑かったので、冬はどれほど寒かろうと大雪を恐れている。

 

 天気予報のせいもあって昨日の雪降りは会う人みな予想していた。一昨日、用事で妙高市へ行った妻も「こんなに温かいと明日は降る」と聞いて帰ってきたばかりだった。

 

 長めの予報では前半は例年並みという。しかし例年並みの内容がよく分からない。これまで思ってもみない暖かな日に恵まれていた分しっぺ返しがあるのでは、と疑心暗鬼で空を見る毎日。冬将軍という影の如き存在を思い浮かべながら、善人であれば、とつい期待をしてしまう。

 

 樹下美術館の駐車場はスタッフが雪かきして確保しています。この程度ならカフェの雪景色は貴重な眺めだと思われます。

 

 冬の来て道は喘ぎの場となりぬ 雪なき国の人は知らずや        sousi

 

マッシュルーム・けやき

2010年12月15日(水曜日)

ちょうど一年前のノートに名作椅子「マッシュルームスツール」のことを書かせていただきました。記事で当椅子が2008年12月パリにおける「日本の感性展」で好評を博し、09年10月にパリ装飾芸術美術館のパーマネントコレクションに選らばれた事を記しました。

 

この秋、デザインした山中グループは装飾美術館の選定記念に限定100脚のマッシュルームを制作しました。これまではマホガニーとクスでしたが、記念スツールはケヤキで制作されました。

マッシュルームけやき樹下美術館に加わった「マッシュルーム・けやき」(左手前)、フレッシュです。

 その昔1961年に家具メーカー天童木工は家具コンペを行いました。3人の学生、山中グループがデザインしたスツールが入賞を果たします。しかし作品は2003年の商品化まで41年間も眠り続けました。眠りを覚したのは昨今のミッドセンチュリーへの人気でした。マッシュルームは復刻後一気にパリ装飾芸術美術館の永久収蔵まで登りました。

2007年、樹下美術館開館の際に絵画ホールの椅子にと天童木工のスツールからマッシュルーム二脚を選びました。後で山中グループのお一人が当館収蔵作家・倉石隆氏のご長女と知って大変驚きました。

「マッシュルームスツール・けやき」には和やかな味わいがあります。どうぞご興味のある方は以下からご覧ください。 山中康廣建築設計事務所&YAMANAKA DESIGN OFFICE

今日から上越市一帯も今年初めての寒波に入り、降雪に見舞わました。

画家・篠崎正喜さん

2010年12月13日(月曜日)

 もう10年以上、画家・篠崎正喜さんとのお付き合いが続いている。氏の絵画はいずれも豊かな詩情と美しい色彩によって観る者を幸福にする。私たちも幸運なことに作品を所蔵させていただいている。

 

 昨日氏は東京から樹下美術館を訪ねて下さった。当地へのお越しは三度目だが、樹下美術館の開設後は初めてだった。

 

 前回は2002年の晩秋。当時すでにお母さまのご病気が始まっていて日帰りをされた。以後、看病に引き続き長く懸命な介護を遂行され、今年6月に看取られた。東京にあって97才の老親を在宅で看取るまでの道程は、見事というほかないほど透徹されていた。その間の貴重な起伏は氏のブログに詳しい。

 

午睡と篠崎さん カフェでご自分の絵「午睡」と対面された篠崎さん

 

 午後、樹下美術館をご覧になりカフェの後、近くの田んぼをご一緒した。すぐそばまで来ている雪の匂いを含んだ風が気持ちよかった。 見はるかす大気と山々や海と川、そして作り物でない旅情。都会の人が地方に求めるものは共通している。

 

 道の灯り

 

 夜は米山山中の水野・銚子屋さんを訪ねて尽きない話に時を忘れた。もう年末、帰りの代行車中から撮った道路の写真には昨年同様クリスマス風の光が写った。

12月、イルミネーションとマジック

2010年12月3日(金曜日)

 ちょっと待って、と叫んでも暦は聞いてくれない。そっけなくさっさと行ってしまうので走って追いつくより仕方がない。今、昨夕のことを3日午前0時過ぎに書かせていただいています。

 

イルミネーション 樹下美術館のイルミネーション

 さて先週末から樹下美術館でもクリスマスイルミネーションを点けた。4年目になり痛んだ部分もあって少々追加した。静かな所のせいか暗くなると止まって見てくださる車もあると聞いた。来年はもう少し足してみようかなと思った。
 ブロガー「シャッターチャンスは今」さんには小生の写真よりもずっときれいに紹介頂き感謝しています。

 KAZさん
KAZさん

 ところで昨夕刻、ある納会があった。幹事の知り合いということで今大活躍のMagician KAZさんがゲストでこられた。各テーブルを回って楽しいマジックを見せてくださった。それぞれ趣向を変えて文字どおりあっと驚くパフォーマンスを披露された。

 

 ルックスも表情も良く手もきれいで手品は非常に魅力的だった。来る12月17日(金)にはデュオセレッソで世界的なジャグリングのパフォーマーたちを交えて氏がプロデュースするショウがある。クリスマスに相応しい楽しいステージが目に浮かぶ。

 きっと彼は世代を超えて愛されることだろう。膨らむ期待と楽しい時間を有り難うございました。

 

祖母の姉の嫁ぎ先を訪ねた  そして野口孝治のこと

2010年11月25日(木曜日)

午後の休診日、上越市頸城区森本の遠い親戚S宅を訪ねた。祖母トワの姉タイの嫁ぎ先で、ご当主とははとこ同志、これまでは門前へ伺っただけだった。今日お庭を公開されると聞いて訪問した。ありし日の地主のお宅で、豪勢な屋敷構えに驚かされた。

祖母姉妹の実家は旧津有村(現上越市新保古新田)の開田地主だった。姉妹の兄で明治5年生まれの孝治(こうじ)は生涯を高田平野の用水保全や野尻湖の貯水と発電事業などに捧げている。また護憲の犬養毅を敬愛して大正時代に立憲国民党から出て衆議院議員を務めたこともあった。

孝治は高田学校(現高田高等学校)を出て福沢諭吉が健在していた慶應義塾理財科へ進んでいる。その人生は諭吉と犬飼の思想を実直に反映したものといわれ、孝治の自室には二人の写真が掲げられていたという。ちなみに孝治の長男は高田市議会議長を、甥の小山元一(かずもと)は初代上越市長を務めた。

 

門からの道
門から母屋へ続く通路
母屋正面
母屋
築山の道
濠(ほり)に沿って築山の道
東から見る家
築山から母屋の東側を見る
手水
手水と庭下駄
濠とモミジ
周囲にめぐらされた濠(ほり)

さて祖母の実家やほかの姉妹たちの嫁ぎ先も家が大きい。トワは医家の我が家に嫁ぐと木造二階建ての病棟のほかに10数部屋を有する住居が建った。本日尋ねた姉の嫁ぎ先が建って数年後の竣工は、姉に負けられない意識もあったのだろう。我が家の仏間は60畳(現在30畳)だった。

昭和28年、小生の小学6年時に亡くなったトワの通夜はその仏間で行われた。普段寡黙な父が座布団をくるんで背負い、赤城の子守歌を酔って歌って踊った。私は驚いて見ていたが、父には特別な日だったにちがいない。

 

実は祖父母は大きな家などで莫大な借財を作っていた。貸し主は祖父の叔母が嫁いでいた酒蔵だった。返済は医師になっていた父の肩に重くのしかかった。現金を求めて満州へ渡ることになる父。志していた大学での学問からの転換はまことに不本意なことだったろう。

勤務地の満鉄病院に佐賀県古枝(ふるえだ)村出身の看護婦・母がいた。
母によると、少々ふけた独身医師が病院にいたという。ある日、どうして結婚しないのかと尋ねると、
「僕には親の大きな借金があるから」と父が言ったらしい。

 

本日の見学は庭だけだった。是非とも屋内も拝見してみたい。外観を一見するだに貴重であり、調査や保護、利用を検討すべきではないかと思った。

ウサギのマシュマロとワイマールのトリオ

2010年11月24日(水曜日)

 はや11月も下旬、普段干支を忘れている私に来年はうさぎですよ、と妻。カフェのほうじ茶でお世話になっている上越市稲田の川崎園さんからウサギのマシュマロを頂きました。愛らしく元気のいいピンクのウサギさんです。大阪市内・柏屋さんのお製だそうです。

 ウサギのマシュマロと
ウサギのマシュマロとワイマールのトリオ(カップ、ソーサ、ケーキ皿)

 

 御菓子を1920年~30年ころのドイツワイマール窯のトリオの皿に載せました。ワイマールは第一次世界大戦を敗戦したドイツが、1919年に民主的なワイマール憲法を発布した東部ドイツ(旧東ドイツ)の町です。人口はたった6万人だそうですが、ゲーテやシラーを生み、若きバッハが10年間も滞在した美しい町だということです。 

 花がらのトリオ アールデコ調の手描きによる花がらトリオ

 

ワイマール窯のスタンプ 
waimar(ドイツ読みヴァイマール)の窯印

理想を掲げた憲法もナチスの出現を許し、およそ15年で終焉を迎えました。
食器の明るい花模様から憲法が現した往時の希望が伝わり貴重に思われます。
 

樹下美術館は当食器も含め、来年も引き続きアンティークをお出ししたいと考えています。

 
 

晴れて月の出番かな

2010年11月19日(金曜日)

「大根なんてまだ可愛くて、白菜の顔も小さいんです」
荒天が続いていた先日の話。畑は縮んでいたらしい。

 

それが本当に久しぶり、今日は一日中雲一つなく思いっきり晴れた。
「助かります、あずき取りをしましたわ」と農家の方。

 

「朝、霜が降ったすけボートも仕舞いましたわ」は釣り好きの人。
彼の今年の海は終わったらしい。

  尾神岳の昼の月
午後尾神岳に月が登っていて

 

月 夜はこうこうとしていた

 

 天高し昼も夜もなく月を撮る

年とともに早くなる時間とは

2010年11月18日(木曜日)

 年とって感じることの一つに時間が早く経つことがある。ひと月前に来られた患者さんを一週間ほど前のように感じたり、11月初旬から中旬過ぎまでなどあっという間だった。猛スピードのため何かと積み残しも少なくない。

 

 加齢と時間のスピード化はいくつか要因が重なっているように思われる。
 一つとして、作業や思考に対する集中や関心の度合いが以前よりもあっさりしていることもあろう。若い頃は物事にいっそう集中し、沢山の事が気になり、絶えず何事かを深刻に考えて過ごしたように思う。毎日は今より濃く長かったにちがいない。

 

 2つめは年と共に作業や思考の効率が下がっているのだろう。同じ作業に以前の数倍も時間が掛かったりする。時間対効果が落ちていることを、時間が早く過ぎると実感して過ごしているかに見える。

 

  ところで小学校時代の登校で、よく時計屋さんの先輩宅へ寄って一緒に通学した。彼が出てくるまで店先の時計を眺めた。正面の時計の振り子と長針を見ながら1分間の感覚を覚えようとした。おかげで一分当てのような遊びは得意になった。

 

 時間当てと言えば中学生の頃の父に思い出がある。ストップウオッチにもなる時計を用いて父と1分当てをしたが全く勝てなかった。何度やっても父はピタピタと当てた。どうして分かるのか、執拗に訊いた。白状した父はある種ずるをしていたのだ。
 最初にお互い試しの一分をしようと父は言い、それからが本番だった。父は試しの一分間に自分の脈をこっそり計ったのだ。その後は前で両手を組むような動作などをすれば脈は簡単に計れる。さすが親は色々なことが出来ると感心した。

 

 さて3つ目として、5年ほど前のある日、何十年ぶりに暗黙の一分を試した。60秒を数えてみると1分16秒も経っていて愕然とした。その時の時間は自覚よりも1,26倍早く過ぎていたことになる。

 

 古いランプ
仕事場のトイレのそばにある古いランプ
昔の時間は如何ばかりだったのだろう。

 

  もう一つ追加してみたい。私たちは何処かへ出掛ける場合、行きより帰りを早く感じる。知らない所への往復ではなおさらだ。もしかしたら人生も似ていて、半分を過ぎた頃から往路と異なる経験であっても、いつか来た道を歩むような現象が起きているのかもしれない。

 

 昔より時は早く過ぎる。しかし仕事では以前よりも時間を掛けてゆっくり皆様と接するようになった。

 

 今夜センチュリーイカヤさんでヴァイオリン永峰高志氏、チェロ桑田歩氏、ピアノ大須賀恵里さんのコンサートがあった。晩秋のコンサート~ロマン派の甘きささやき~だった。魂を根こそぎさらわれるような大きな感動を覚えた。

(下段の9行を修正しました。11月18日 午後10時ころ)

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