明け暮れ 我が家 お出かけ

東京の食事会 ラウンジピアノ ターナー展 豆腐。

2013年12月8日(日曜日)

この週末一泊で上京した。一年に一回、時に二回、学生時代と病院医局をともにした三人の同級生夫婦で食事会が続いている。

うち一人がワインに造詣深いのでおよそフレンチになる。年と財布を考慮して今年は最後までグラスワインで通し、肉料理も外した。

ワイン好きは複雑でわずかなことにこだわり続ける。先日も100年前のワインを年刻みに用意し、皆で少しずつ味わう会に参加したという。飽くなき姿勢に一種可哀想な気もするが、本人はえへへ、と嬉しそうに笑っている。

pianoのチョコレートケーキ最後にピアノのチョコレート・ジェラート。選ばれたデザートワインも合っていた。

 

食事を終えてラウンジに行くと黒人がピアノを弾いていた。ベースが付いているので深く包まれるような音になる。ラウンジピアノはジャズだが、バラード中心でグルーヴ感やテンションコードが抑えられた演奏は洗練されている。

ステージが終わると「拍手が嬉しかった」と言ってピアニストが私たちのテーブルに来た。とても良かったと褒めてマティニーをおごった。妻の隣に座ったが、「私、黒人がそばに座るの初めて」とびっくりした顔が面白かった。おしなべて黒人達は優しく楽しい。

51才の彼はロスアンジェルスから来ていて、渡辺貞夫と一緒にセッションをしたり録音したという。当夜のベーシストとともに、今でも各地でナベ・サダのステージに立つと言った。渡辺貞夫が元気に演奏していると聞いて驚かされた。

 

pianoデュオ「My One And Only Love」をリクエストすると弾いてくれた。

 

翌日は「ターナー展」を東京都美術館で見た。ターナーはどれだけ耳目にしただろう、ついに見たという感じだった。ご承知のように英国を代表する画家。水彩で親しまれているが、油彩の大作も多く架けられていた。

全体に画調が薄いという印象を払拭出来なかった。劣化を考慮して照明を落としてあるが、極端ではないかとやや不満だった。但し大人気で場内は大変に混んでいた。

展覧会図録丁寧なターナー展図録。明日樹下美術館カフェにお出しします。

 

お豆腐料理一夜明けて本日昼食は鶯谷駅前、根岸の豆腐料理「笹之雪」で。あんかけ豆腐は二つ付く。
店を訪ねた皇族方が美味しさの余りお替わりを所望し、以来二つ付けているという。
フレンチの翌日の豆腐料理、種類も多く楽しめた。店を紹介してくれた義理の兄に感謝。

図録以外の写真は妻のスマホで撮りました。以前の携帯に較べずっときれいに撮れるんですね。

樹下美術館で結婚の集い。

2013年11月12日(火曜日)

予報通りの寒波?仕事場の大潟区一帯は数㎝の積雪となり、朝方はスリップにあえぐ車の音も聞こえた。例年、冬の初めは内陸より沿岸に降ることがよくある。

休館日の本日火曜午後、樹下美術館で結婚の集いがあった。お客様が12人、ご本人お二人、司会者とアシスタントお二人、見届け人の私たち夫婦を入れて18人のこじんまりした集まりだった。

参加者の祝意と当人たちの自然かつ固い愛情が響きあう25分だった。

1初雪の残雪午後の残雪3花束署名を終えて花束5食事会場夕刻の食事会場 2会場こじんまりした会場カフェでお茶式後カフェでお茶6テーブル食事にて

大勢、少し、二人。人の晩年に心許す人の数は次第に減る。拙い経験によると意識ある限り最後の段階で、およそ他者は視野に入らなくなる。その時、看る方は伴侶か、子か、孫か、医師か、看護師か、ヘルパーさんあるいは介護士さんか友人か、時には親という事もあろう。

誕生後の母子にも似た関係は、機能低下を辿る脳が行う精一杯の適応に違いない。いずれにしても相手は様々で一概に言えない。

本日のお二人も「最後の二人切り」を願って貴重な船出をされた。当人たちからある種晩秋の清々しさと言うべき心情が伝わり、胸打たれるひと時だった。

夕刻の食事会では苦学の青春時代、60年安保に一途心血注がれた諸先輩が集われた。後年、地道な社会貢献を遂げられ、なおかつ皆様の姿と言葉に影が見当たらない。何と率直で爽やかな人々だったことか。

希望に包まれた3時間余、ユーモアと教養あふれる美しい女性の皆様のことも決して忘れることはできません。

豊漁のフクラゲ 誕生日の花束 5才児も天使。

2013年11月6日(水曜日)

冷たい風雨が始まる時期となっている。本日朝は寒かったが、一日中よく晴れた。

ふくらげ網元から立派なフクラゲを頂き、診療所スタッフと分けた。今年は沢山獲れて網を引く船のエンジンが焼け切れそうになったこともあったという。
一帯がみな豊漁のため安値となり一概に喜べない、一方カマスは小さくてまるでイワシみたいだ、とお聞きした。

 

花束スタッフの誕生日に届いた花束。美しさにモネ人形もびっくり。

話変わって昨年夏、四肢不全麻痺、記憶喪失症、失語症で長年闘病された方が亡くなられた。長い介護は大変だったが居なくなると淋しい、と最近お会いした奥さんが漏らされた。

今でも「おじいちゃん!」と言って孫が顔を見せます。
もう死んじゃったでしょう、と言うと「分かった」と言って傍らの保健薬を持って仏壇に走るんです。

そしてカンカンカーン、と鐘叩いて拝むんですわ、と奥さん。

一才児は天使、と以前書いたが、5才もまた天使だ。

浄興寺の茶会 大根炊き 古着の初おろし。

2013年11月4日(月曜日)

日曜日の昨日午前は、浄興寺茶会だった。9時前に到着し裏千家・西口宗米先生のお席から表千家は野村宗幽先生のお席と回った。

いずれも薄茶。晩秋の名刹で秋の名残を惜しみ、冬を迎える風情が漂う会だった。

お点前
最初の席が終わると懐かしい先生にお会いした。惜しまれて亡くなられた私の茶の先生の親先生だった。優しい笑顔がお元気で嬉しかった。

 

お運び2若い男子の生徒さんが運んでくれた。とても熱心だとお聞きした。

茶道は、どんな人にも道が開けている。
「その道に入らんと思ふ心こそ 我が身ながらの師匠なりけれ」
茶の道、心得を伝えた利休百首の頭に出てくる素晴らしい言葉だ。

この言葉は亡き師から何度も聞かされた。
「私も師ですが、やってみたい、学ぼうというあなたの心も師なのです」、と。

古着 昨年10月に東京のアンティークショップでたまたま目にとまった古着の初おろしの妻。
3000円値切って1万5千円で求め、東本町のきものの小川さんで仕立て直して頂いた。
菊の小紋は着ている感じがしないほど軽いということだった。

食事券が付いていて、茶の後に季節の名物、大根炊きとおにぎりを食べて帰った。大抵お茶会は午後遅く伺っていた。本日はすがすがしい午前、早出して良かった。

せめて帽子だけでも。

2013年10月30日(水曜日)

男性の古い写真が三枚あります。共通点が四つ、「池の平」および「一人」、そして「帽子」と「同じ人」です。

湖畔で黒姫山を正面に池の平の湖畔。
長い影法師と山の雪、寒そうな湖畔の旅情。

 

池ノ平 初夏だろうか、軽々した感じ。

 

ベンチで時折の優しい笑顔。いもり池湖畔、あるいは近くのグラウンドかもしれない。

ブログに身内を書いたり写真を載せるのはかなり決心が要ります。現存者の写真は斜め後ろなどが精一杯の世界でしょう。

さて突然ですが、実は掲載の写真は父です。1984年(昭和59年)11月、78才で亡くなり30年近く経ちました。
母のことばかり書きましたが、父と向き合うのは今でも勇気が要ります。

理由はおおよそ〝怖い〟と〝近いのに遠い〟の二つ。
怖いは文字通りで、子供時代、五人の兄弟姉妹の中で特に私は叱られました。
今でも「いつまで何やってんだ」と呆れられそうな気がしないでもありません。

とても父には叶いませんが、せめて帽子だけでも同じにと、似た帽子を探していました。
しかし昔は普通にあったいわゆる〝登山帽〟が現在中々ありません。

ところが最近似た帽子が偶々ネットに出ていて求めました。

 

帽子出会った帽子。帆布 風船型 と謳っていた。
初めて知ったSILVER LAKE CLUB社製。非常に頑丈なのには驚きました。

 

やや深めですが安心でとても満足しています。
せめて帽子だけでも、、、。

陶齋を心深く偲んだ日。

2013年10月6日(日曜日)

本日高い空の日に、冒険とも思われました〝陶齋の器で食事会〟の一回目を終えました。

新潟市から6名のお客様を迎えて割烹「京」のご主人松本末治氏が包丁を振るわれました。

食事部屋の棚に陶齋親子の作品を飾り、用いた器は陶齋および師である富本憲吉と近藤悠三のものでした。

今年は陶齋生誕100年ということ。私どもは特別な事も出来ませんでしたが、本日ご本人とゆかりの人々の品を無事に実用致すことが出来ました。

二人の希有な師と陶齋、陶齋を愛した父。給仕に出ながら亡き人々の有り難みを噛みしめた一日でした。

 

親子二代の棚食事部屋の棚に陶齋の壽皿と香炉および陶箱、そして二代陶齋・尚明氏の白磁花瓶が二器。

 

陶齋の志野と唐津「口取り」に鮑焼きや鴨ロースなど9品が盛られた陶齋の志野皿(左)と絵唐津皿(右)。

近藤悠三の角皿香の物(お漬け物)は近藤悠三作ざくろの角皿に。

富本憲吉の花皿デザートのいちじくワイン煮、茶巾栗など6種が盛られた富本憲吉の花皿と陶齋の梅皿(手前)。

食後の茶は小生の点前でした。一カ所、道具の扱いを明らかに間違えました。しかし暖かなお客様は何服も茶を所望され、一期一会の一座建立となり、深く感謝致しています。

また、皆様がまず美術館の展示をご覧になり、強く興味を示して頂いたこと何よりの喜びでした。

器を生かしきって9つもの素晴らしいお料理(献立)を作られた松本氏ご夫妻。庭、給仕、水屋をお手伝い頂いたスタッフはじめ知人友人の皆様、本当に有り難うございました。あと三回、頑張りましょう。

茶の復習 アキアカネ 栗とスダチ。

2013年9月21日(土曜日)

 

稽古来月の毎日曜日昼、「陶齋の器で食事会」が近づいた。本日も茶の稽古をした。

食事のほか、食後に陶齋の器を使ってお抹茶を差し上げることになっている。合計4回のうち3回を館長責任で、小生がお点前をすることになった。緩急と呼吸、自然な所作と手順。昔ほど上がらなくなったと思うが良いお点前をしたい。

 

トンボ連日の晴天で庭が乾いてきたので要所に水を撒いた。
庭のアキアカネが盛んに首をかしげて考え事をしている風。

 

栗とスダチ家に帰ると、いつもの方から元気いっぱいの栗とスダチを頂戴した。

昼のガラス栓 夜の名月。

2013年9月20日(金曜日)

昨日木曜日午後はいつもの休診。柿崎の海を40分ほど歩いた。海は先日の台風も知らぬげに穏やかで、沢山の砂利が上がっていた。シーグラスを期待したがやはり少なかった。すでに多くの人によって拾われている感じを受けた。

シーグラス幸運なことに、写真中央の緑色の先が丸いガラス栓のシーグラスが見つかった。
他のはこれまで集めたものの一部です。右には薄いブルーのガラス栓があります。
(コップに入れて水を注いでいます)

さて昨夜9月19日は旧暦8月15日で、十五夜の名月(仲秋の名月)の日に当たっていました。そして三年続きで暦どおり満月を迎えましたが、次にこのように暦と満月が一致するのは8年後ということです。

登り始めた月上越市は尾神岳の南側に昇った月。 大潟区渋柿浜から頸城区へ向かう道路から。

ところで、夕刻にお見えになった男性のお客様が、「今夜8時ころ、樹下美術館のデッキで月を観ていいでしょうか」とカフェで尋ねられたそうです。妻からそのことを電話で知らされました。

ご遠慮なく使ってください。それより私たちもご一緒するのはどうですか、と聞いてと言うと、是非というお返事。急遽ご一緒のお月見が決まりました。

お客様とは8時の約束。私たちは6時半から月明かりの下でお弁当を広げました。昇るに従ってますます明るさを増す月。

月と妻お弁当を終えて、デッキの妻とススキとお団子、そして月。

8時になると約束の男性が貴重な草団子を持参して現れました。40才ほどの背の高い男性とは初対面です。侍のように礼儀正しく振る舞われ、丁寧な挨拶をされました。何度か樹下美術館を訪ね、とても気に入っていると仰ったのです。

東京の写真学校を卒業後、広告の世界を経て父親の没後、故郷上越市へ戻られた人。現在設計に携わっておられるというこで、沢山四方山話をしました。私たちから無理に誘ってしまい、ご迷惑でなかったかなと思っています。

 三人で田んぼに昇る名月を惜しんだ一夜。氏とはお団子にお抹茶、番茶、コーヒーを一ご緒した。

お団子話を聞いたお茶をされる友人の奥様が、予め自宅用の月見団子を分けて下さった。
月明かりの下、軽い甘みとほのかな塩気は美味しかった。

さてオリンピックといい、次の十五夜満月といい、いずれも7ー8年先のことになる。それまで生きているかどうか、とは老人たちの話であり、71才の私の話でもある。

増々危うい年齢になっては健康への留意以外、将来に関してなすすべは無い。先日の後輩との食事、昨夜の初対面の男性との月見、、、。いつしかみな一期一会の真実味を帯びてきている。

お付き合いはある種厚かましさを禁じ得ません。ご無理を聞いていただき感謝しています。

ホットサンド 萩、アキアカネ SPレコード シャルメーヌ。 

2013年9月15日(日曜日)

本日9月15日は日曜日、明日の敬老の日に続く連休です。その明日、夜半から朝にかけて台風が来ると報じられています。

さて樹下美術館のカフェでは妻の提案によってトーストに追加してホットサンドをお出しすることになりました。当館内はこじんまりしているうえドアが一つもありません。それでカフェの匂いは全体に行きますので、あまり食事らしいものは用意できませんでした(もちろん手が足りないのもあります)。

本日ホットサンドはお二人から注文があったそうです。小生も昼食に食べました所美味しかったです。館内はかすかに暖かで香ばしい匂いがして、なんとなく幸せな感じがするのを覚えました。

※大変に申し分けありません。ホットサンドのメニューは1ヶ月ほど日曜、祭日だけの対応ということです。どうか宜しくお願い申し上げます

 

ホットサンドホットサンド。秋めいた庭を見ながらどうぞ。

 

はぎ隣接の庭は萩の盛り。

 

あきあかねアキアカネがあちらこちらで羽を休めています。

 

spレコード息子たちが来ていて家で夕食の後、久し振りに蓄音機を開けてでSP盤を鳴らしました。
写真のレコードはシュナーベルのピアノソナタです。

最初にマントヴァーニの「シャルメーヌ」を掛けました。さほど大きくない機械ですが、音はかなり出ます。
上越出身(新井、大潟、塩沢にもいらした)のピアニスト、編曲家・故飯吉馨さんは、クラシックからジャズ、ポピュラーに転向したきっかけは、このレコードを聴いたため、と後に仰っていました。1950年代のことでしょう、ジャンルを超える名盤ではないでしょうか。

次ぎにアルトゥル・シュナーベルが弾くベートーベンのピアノ・ソナタから一枚出して掛けました。SP二枚、若者に感動と驚きが走るのが見えました。

 

YouTubeに同じ音源、機械も同型の「シャルメーヌ」が掲載されていました。小生の盤より良い音がしています。

 

台風はどうなるのでしょう。衰えていること、出来ることなら夕焼けがきれいになることが願われます。

上越市で少々懐かしい友人と食事。

2013年9月12日(木曜日)

過日、私より少し若い知人が樹下美術館を訪ねて下さった。数年前のこと、展示だけご覧になって帰られたことがあった。このたびはカフェにも寄られ、留守中の拙宅の呼び鈴を押したという。そのことが同夜のメールにあった。

誰もいない家の呼び鈴を押す情景は目に浮かぶ。追い返したようで申し訳なかった。詫びのメールをしてひさしぶりに食事をしましょう、と返した。話はとんとん拍子となり、何日も経ずして今夕上越市は高田「おと」で夫婦の会食をした。

おとの踏み石店の土間の踏み石。食事の最中は夢中で写真を撮る暇なしでした。

地野菜、魚の焙り、のっぺ、貴腐サラミ、栃尾の油揚、ほか皿を回しあって美味しく食べた。代金もリーズナブルだと思った。

医師会の今昔、旅、上越の偉人、焼き物、庭、体調のことなど話尽きなかった。
氏が仰ったとおり、いつしか過ぎた食事は一期一会の味が残った。氏とは若干の起伏はあったが、知人から友人へ変わった様な気がした。

番茶と甘納豆家に帰って齋藤尚明さんの近作の湯呑で甘納豆を。

酒は弱い方の私ですが、、今夕は生ビールのあと「山崎」のストレートをちびちび頂きました。
相客は良い方なので無理に酒を勧められず、ほどよい加減。
家に帰るといつものように甘い物と牛乳を少し口にしました。

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