明け暮れ 我が家 お出かけ

荒れ模様の昨日、本日爽やかに晴れる ハクセキレイは求愛していたのか。

2024年5月17日(金曜日)

昨日は朝から風強く時折雨も吹きつける予報どおりの荒天。そんな日の午後は病院の眼科受診だった。

強風の病院駐車場と空。

数年来進行していた視力低下が今年著しくなり運転免許更新もやっとだった。読書やpcを見るのに時に拡大鏡をかざす必要があり、紹介状を自分で書き、お世話になっている病院眼科受診となった次第。近々白内障に対する手術の見込みとなった。

昨日は終日荒れ模様だったが本日は爽やかに陽が射し、風に吹かれた大気は澄んだ。

夕刻のベンチ。
田植えが始まっている。

田植えを終えた田にハクセキレイ。
カメラは自動的にピントが合うので助かる。

強く美しく鳴くハクセキレイはオスであろう。近くに二羽、メスと思われる鳥がいた。オスは懸命な求愛をしていると考えられ、鳴いては時折ひるがえるように鮮やかに飛翔した。間もなく飛び立ったオスの後を二羽のメスが追った。

もしかしたら鳴いていたのは親鳥、追ったのは若鳥で、飛翔トレーニングということも考えられた。またあちらこちらの枝で親に餌をせがむ雀の幼鳥の鳴き声が暗くなるまで絶えない。

27日日曜の種々(くさぐさ)。

2024年5月1日(水曜日)

去る4月28日日曜日は午前の開館前の美術館で芝生に目土をし施肥した。良く晴れた春の午前の庭仕事は気持ち良く予定通りに終了、残り時間に雑草を取った。
目土や施肥は足腰の負担を考え1回の分量を軽くし回数を増やした。

終わると開館時間になり、次々お客さんが来られた。


普段の昼は美術館でサラダを食べているのを、お腹がすいたのでベンチでホットサンドセットを食べた。

吹き渡る風、木漏れ陽が
清々しかった。

食べ終えて予定の木村茶道美術館へと柏崎市に向かった。

緑うるわしい松雲山荘。
木村茶道美術館入り口。

坂を歩いて美術館へ着く。

始まったばかりのお席に加えて頂いた。

床に副島種臣「龍」の大字軸。
広やかな一幅で、
種臣は能書家と説明を受けた。

香合は楽一入作「立瓜(たちうり)」。
可愛く畏まっていた。

柿右衛門の色絵水指。

 

茶は岡部嶺男の志野茶碗で頂いた。
銘「石清水(いわしみず)」だった。

「石清水」はのどかさと緊張が絶妙に調和した素晴らしい一碗。
最上屋さんのお菓子を食べ心こもったお点前で頂いたお茶は美味しく、幸せな一服だった。

齋藤三郎作「こぶし文鉢」菓子器。

この菓子器は大きな深鉢で、当日の席はもう一人の男性先客と二人だったため以下の南京赤絵皿に菓子が盛られた。相客をさせて頂いた方、有り難うございました。

瑞雲と梅枝のさわやかな菓子皿。
柿右衛門の水指と風合いが似ている。

櫂先が大きいのが特徴という瀬田掃部の茶杓と柏崎の塗師内田宗寛の黒大棗(おおなつめ)。同館は常に地元の宗寛作品を重んじているのはとても良い事だと思う。格調高い作品も十分それに応えている。

お茶のあと展示室で人間国宝の茶碗展を観た。
作品はみな驚嘆だったが以下お二人のが特に気に入った。

藤本能道の赤絵茶碗。
地肌の質感と赤絵の風合が絶妙。

田村耕一の鉄丸茶碗。
氏の記号的な文様はとても静か。

美術館を出て緑いっぱいの庭園を歩いた。

途中、シャガの花が咲いているところがあった。傍らの水草の中で蛙がグッグッと鳴いていた。

赤坂山の東斜面を使った山道。個人の山荘というけれど流れあり赤欄干の橋が掛かり、昔人の何と贅沢なことだろう。

木村茶道美術館と松雲山荘庭園を辞して帰路、柏崎コレクションビレッジ「風の丘」に寄った。
遠く日本海を望む丘に三棟の大きな施設があり、その一つ「同一庵藍民藝館」を訪ねた。
多くのコレクターを生んだ柏崎市。同館はその一人、染めや食器など庶民の日常にあった藍色の生活用品にこだわった正法寺住職・松田政秀の内外にわたるコレクションを主体にしていた。

 

かっての職人さん達の仕事着、
印半纏(しるしばんてん)。

中国、アジアのものまで
はば広く展示されている。

以下は同館で企画されていた柏崎市の作家作品展から、吉田正太郎の版画。


濱谷浩が撮影した吉田正太郎と齋藤三郎のツーショット写真がある。氏は柏崎における齋藤三郎の支援者の一人だったが、このように愛すべき作品を生み出す方とは思ってもみなかった。ちなみに風の丘、コレクションビレッジ三館の一つ「黒船館」は正太郎と弟・小五郎お二人のコレクションが展示されている。

懐かしい「幻灯」のコレクション室もあるなど多彩で面白かった藍民藝館でした。

樹下美術館に帰ってクリームソーダーを飲み、閉館後は幾つかの花の苗を植栽した。

ホトトギスの苗。
秋にはどんな風に咲くのだろう。

色々忙しく動いた一日でした。翌28日みどりの日、今度はゴルフで明日掲載予定です。
明日木曜は休診日なので5連休が始まる。一泊でよいから今から行ける所があるだろうか。

色々載せました。

忙しない日々の中で 上越市の「エリス」 「人生ってつらいものですね」とお書きになった人へ。

2024年4月30日(火曜日)

先週末から始まった今年のゴールデンウイーク。何かと忙しない日を過ごし、当欄は25日に記載以来4日も空白を作ってしまった。
自業自得とはいえ美術館と医業の二足のわらじ履き、楽しいばかりではない仕事の芯は硬く重く、そのうえ幾つかの社会的な役割と約束が入るため、常に七つや八つの宿題が同時進行的に脳内を駆け巡っている。

このような状況は私だけで無く多くの人も大小問わず似た状態の中で生きているに違い無く、かって高齢になっても活動を維持された方達のお顔を思い出しては末席で励みにしている次第。

そんな日々の中、休息させてもらった出来事を数日分掲載させて頂きました。
初めに去る4月26日(金曜日)夕刻、ある客人と上越市髙田は上越市の文化財「旧師団長官舎」にあるレストラン「エリス」で食事をご一緒した。

夕刻、ライトアップされた庭に下りて風格ある建物を撮った。浮き世離れした館内で豊かな自然の結晶である食べ物を味わい,長く臨床心理の道を歩まれた客人と世の悲喜を話し有意義なひと時を過ごした。

30種を越す野菜が盛られたひと皿。

佐渡のシーズンを
惜しむような牡蠣の燻製料理。

こんなに美味しい数々の料理をこれだけリーズナブルに食べられるのは、地方都市ならではの幸せではないだろうか。

次回は柏崎市は「木村茶道美術館」とコレクションビレッジ「風の丘」の三館から28日に訪ねた「同一庵 藍民芸館」に触れさせてください。

冒頭で愚痴ってしまい申しわけありませんでした。

最近、樹下美術館のノートに「人生ってつらいものです.、来てよかったです」という短いメモがありました。樹下美術館はそんな方たちのことも思って営んでいますので、どうかお気が向いた折にまたお訪ねください。

楽しい初ゴルフ 紅麹、健康食品(機能性食品)、水原一平氏は。

2024年3月31日(日曜日)

日は射していたが気温が上がらなかった本日日曜日、米山水源CCで今年の初ゴルフ。親しくして頂いている同業ご夫婦とご一緒だった。


フェアウエーではトップばかり、ドライバーはあらぬ方へ飛び、時には真横に打ち出すなど散々で、短いアプローチは何度もシャンク。滅茶苦茶なゴルフを終始「真剣」に行った。
プレーは不味くとも、ゴルフを始めたばかりの20代のころに「若返った」ようで、そう悪い気がしなかった。昼食に美味しいチャンポンを食べると、後半には幾分調子が戻って来た。

地震の体験を話し紅麹のことも触れた。紅麹では私のところに当該の商品袋を持参され、三ヶ月飲みましたと仰られ、検査中の方がいる。ようやく大規模な健康食品の見直しが行われると言うことだが、様々な合成成分や薬剤成分が入ったものを「安心のお化粧」を施して「食品」と名乗らせるのは果たしてどうなのだろう。

その世界で「血圧高め」、「血糖値高め」とくくられる人々は曖昧な「健康食品(特定機能性食品)」の消費者ではなく、ちゃんとした責任関係で結ばれる「医療」で治療するほうjがよほど真っ当だと考えられる。

変わてもう一つ、違法賭博の問題で渦中にある水原一平氏の行方が、一部で泳いでいる如くいろいろ言われる。門外漢であるが、氏は韓国内で早々に出頭し厳重に保護され、正式な捜査ルートに従って帰米、米国当局に身を委ねているのではないだろうか。

氏にとって身を隠し潜伏するなどは何の意味もないだろうし、可能な訳が無い。

お話とお茶会 寒さが方向転換 庚申待ちの大河ドラマ。

2024年3月24日(日曜日)

さすがの寒さもS氏の言う通り彼岸を過ぎたら変わり、本日は温かだった。そんな日髙田仲町の「百年料亭 宇喜世」でフカミ美術主催の「お話と茶席」の会があった。

心づくしの食事の前、長野県須坂市「豪商の館 田中本家博物館」から来越された田中家12代当主田中宏和氏が話をされた。苦労の末商いを拡張し須坂藩を支えた田中家。20人分のお膳が8セットも必要だった豪商の生活と藩と浮沈を共にし荒波を乗り切った勤勉な信州人の骨頂は一種カルチャーショックだった。

茶席は二席で最初は井上宗皋(そうこう)先生の濃茶席から。味わいを高めるお軸とお道具類は重厚、一方お花の春蘭、炉縁の赤味と先生の応答に春の明るさが漂っていた。

向こうから古薩摩の茶入れ、
珠光青磁、左入の黒楽、木米のお茶碗。

次は佐藤宗佳先生の薄茶席。点茶盤によるお点前で私達は椅子に座る立礼(りゅうれい)だった。

席主さんが好きだと仰った七宝の杓立てと建水の青は、ようやく現れた青空の色だった。二席で頂いたお茶とお菓子はとても美味しく席主さんの人柄が表れた温かなお席だった。

 

そして今夕の大河ドラマ「光る君へ」は道長の結婚ばなしが「庚申待ち」の夜長とともに様々繰り広げられた。

庚申の夜、
道長の結婚に沈むまひろ。

まずドラマに庚申待ちが登場してびっくりした。当時から中国伝来の道教思想の一つとして、身体に密かに住む虫が60日に1回庚申の日の真夜中、就寝中の体から抜け出して天に昇り、自分がいた人の悪行を天帝に告げるという信心が始まっていた。これを防ぐため人々は夜遅くまで寝ずに過ごした「庚申待ち」の習慣。
後に庶民に広く浸透した行事は当初僧や貴族から広まったと聞いていたが、登場人物たちが自身の問題を抱えながら様々にその夜を過ごすのを観て、ああこんな場面があったのか、と興味深かった。

2019年2月に訪ねた
京都八坂庚申堂
今夜紹介されていた。

偏りもあろうが主に地方では時折社寺や路傍に庚申塔を見る。京都、奈良の中心的な古都では少ないと聞いていたが2019年の旅行で“本家”と言っても良いような立派なお堂を両市で見て喜んだ。

今夕久し振りの近隣、
四ツ屋浜の夕陽。

厳しい寒さの日曜日。

2024年3月10日(日曜日)

本日も大変寒く美術館付近はいっとき白くなった。午前は開館に備え来館者さんにお配りする齋藤三郎と倉石隆の展示品説明文を書いた。
午後庭に行くと男性スタッフが分厚く積もった庭と路地の冬落ち葉を電動ブロワーで吹き払っていた。便利な道具があるもので、建物を囲む玉石の面倒な落ち葉もこれで取ったという。明日は晴れますので集めます、ということ。明日でなくとも開館まで晴れ間はあることだろう。

寒かったがそうとばかり言っていられず、ゴルフ練習場へ行き200球打った。年取ったのに練習すれば上手くなると考えているのは一種「業」のようなもので、年々下手になっているにも拘わらず「去年より上手くなりたい」と思うのはもうどうかしている。

帰って庭仕事。過日の秋葉区行きで求めた草花を植える土を造り予定場所に入れた。馴染ませて開館後植え付ける予定。これまで肥料が濃すぎたきらいがあるため肥料分は広く深くし、根が接する部分はあっさりと赤玉と鹿沼だけに変えてみた。

以下は庭の様子。

 2月17日の同じ花。

 南の日陰の残雪。
不思議な残り方。

 1月9日に取り替えた卓上メモが一杯になった。

カレンダーの裏側を使っているが、
このたびは小さめで交換が早い。

夕食は」カレイの煮付け。

それにしても本当に「三月は冬の尻尾」で、暖冬の後は「厳春」。風情もへったくれも無い寒さ。ゴルフと庭仕事は貼るホッカイロを使った。

先週末の新潟市秋葉区訪問その2 新潟県立植物園。

2024年3月5日(火曜日)

去る3月3日曜日の新潟市秋葉区へのお出かけ掲載は、本日新潟県立植物園となった。
皆様はお出かけになった方も多いと思われるが私はここも初めてだった。
いくつかの行きたい場所が隣り合うようにあるのは、荒天では特にとても助かった。

季節が良くなれば丘陵を背景に望まれる水場や芝生ののびのびとした風景を見てみたい。

大きなドームを有する植物園に期待が高まる。

入ってすぐの親子のコーナーでおとぎ話と植物をファンタジー風に展示。上掲は赤頭巾ちゃんのリンゴ。美女と野獣、ジャックと豆の木ほかがあしらわれ、光のトンネルを通ってエリアに入る。次回は「はなとしあわせ」ということでとても良いテーマだと思った。

高い岩から数本の滝が落下している。ドーム内を満たす水の音が館内の雰囲気を生き生きとさせる。

オオギバショウの葉と花を見上げる。
左側に立つものが花のようだ。

ソーセージの木。

ダリの絵の中にいるような気分。

ひそかに咲いていた蘭。

食虫植物「ウツボカズラ」。

ベトナム北部のカイドウツバキ。

白花ブーゲンビリア。

ニューギニアのツツジの一種。

ドーム内はエキゾチックな南国の森を思わせ、手軽な旅行気分を味わうことが出来た。

天井の様々な環境コントローラー。
光、温度、湿度、気流などを管理
しているらしい。

見事だったアザレアの展示。

アザレアは江戸時代から西洋ツツジとして人気になった。現在秋葉区は日本最大級の産地だそう。本来の開花時期は4月~5月だが冷蔵管理などによって秋から冬の鉢花として親しまれている。咲き揃ったバリエーションとボリュームは圧巻だった。

以下は最後に見た水中植物のセクション。

神秘的な緑と愛らしい
熱帯魚に心休まる。

交通の要地新津。旧新津、小須戸、白根は江戸時代から現代までヤブコウジ、ボタン、チューリップ、アザレアなど内外のブームと同調しつつ研究を重ね今日成果がが実を結んでいる。新潟県といえば米と相場が決まっているなか、雪国にあって花を選んだ先人の見識に驚かされた。

寒風と氷雨のなか出かけた秋葉区金津。一か所に集まっている美術館と植物館そしてフラワーランドを楽しませてもらった。

かねが.ね当植物館を勧めてくださったS氏に感謝いたします。

新津美館でかってお世話になった松沢寿重館長にお会いできたのも幸運でした。

先週末の新潟市秋葉区訪問その1 フラワーランド、新潟市新津美術館。

2024年3月4日(月曜日)

昨日日曜日、新潟市は秋葉区金津へ行った。同区の新潟市新津美術館を訪ねること、隣接するフラワーランドと向かいの県立植物園が目的だった。

かなり遠距離なので出来るだけ高速道路が良いのだが、ナビは予想に反しずっと手前の燕・三条インターで下りるように指示した。しかし過去の秋葉区行きに従い、距離は長くなるようだったが磐越道を走った。

懸案の三施設は丘陵地の入り口でお互いが隣り合うようにあり、私は初めての訪問だった。
近い順からまず花の街、秋葉区の新津フラワーランドに入った。

新潟県最大を自称する大きな施設。

沢山あった雪割草、1万円前後の高価なものが揃っていたが自分たちは千円ほどの3点を選んだ。それでもきれいなものがあった。

 驚くほど大きな実をつけたヤブコウジ。
見るだけにした。

黄色が美しい花が多く付いたクリスマスローズを2鉢と樹下美術館駐車場脇に植える予定で白梅の苗木1本を求めた。冷たい雨降りにも拘わらず館内は鮮やかな花々と人で賑やかだった。

続いてお隣の新潟市新津美術館へ、傘を差せないほど強風の空。

スケールの大きさに圧倒される。
一階のアトリウムは白色大理石の
造形的な階段だった。

 同館では「笹岡了一と新潟光風会の作家たち」展が1/20(土)~3/10(日)の間、開催されている。
以下いずれも展示されていた笹岡了一作品のごく一部です。撮影OKでした。

「習作」(左)1931年と少女の習作(右)
優れたデッサン力は生来の賜物では
ないだろうか。

タイトルを見損ねた戦地のひとこま。
従軍した者でなければ描けない
転戦の合間に訪れた時間。
優れた構図の大作だった。

「纏足」
1946年 116,7×91,0㎝

「丘の村(ESPEJO」
1982年

笹岡了一氏は1907年(明治40年)生まれ。早く画業に勤しみ20才から38才まで繰り返し応召、頻回の戦場体験は生涯深く作品に反映されていると感じた。
氏は精力的な発表の傍ら日展審査員、日本美術家連盟委員を歴任、新聞小説ほか挿絵、美術書で活躍、他方後進と地域貢献に注力され、光風会館建設を主導されている。

79才の没年には600名が参列する流山市の合同葬が行われ、夫人によって163点の作品が新津市に寄贈され同館の中核である笹岡作品の礎になりました。

本日はこの辺でお終いにし.て次回新潟県立植物園を記載する予定です。
昨夜から今朝に掛けて雪が降り当地周辺では5~15センチは積もって除雪車が出ました。

文中誤記多く申し分けありません、視力が落ちていて近々受診を予定しています。

去る22日(木)および23日(金)の梅見物 その3 鎌倉の梅。

2024年2月27日(火曜日)

冷たい雨がそぼ降る23日午後、道中タクシーを依頼し、降りては傘をさして鎌倉の梅巡りをした。若い運転手さんは親切で、回りたい社寺のメモを渡すと順序よく走ってくれた。

初めの寺は宝戒寺。参道入り口に数基の庚申塔が保存良く並び、献花もされていて感激した。

 宝戒寺「大聖歓喜天堂」
梅らしい花のあしらい。

荏柄天神社のミツマタ。
絵馬が一杯。

浄妙寺の蝋梅。

境内の花塚。
雨に打たれる花が静か。

同じく浄妙寺のアシビ。
寒さの中の満開に励まされる。

お庫裏であろうか閑静な佇まい。

途中の踏切で止まると、
江ノ電が通過した。

お菓子屋さんはありますかと運転手さんに訊くとすぐ連れて行ってくれた。

 

文字通り街角のお菓子屋。
「力餅家(ちからもちや)」さん。

古い店内一杯に餅や飴のお菓子が並ぶ。品の新鮮さへの配慮が良く伝わった。

長谷寺。
最も賑わっていた。

続いて明月院へ。

門に美しい花が生けられていた。
寒牡丹ではないだろうか。

円窓。
いつも寒い季節ばかりだが
それでも良い。

石の上に花が生けてある。

梅と詫びた門。
昔の物語を伝えているようだ。

東慶寺。
心に残る木瓜(ボケ)の赤い花。

ご本尊、釈迦如来像。

道順は北へと移動し北鎌倉で終わった。小さな北鎌倉駅から横須賀線に乗り東京駅へ。
写真をご覧になってお分かりだと思うが各地の梅は盛りを終えていた。熱海、鎌倉はさらに東京よりも早いようで、いわば残花巡りの様相だったが、冷たい雨の両日よく回ったと思う。

有名観光地といえども通年にわたって人を集めるのは難しかろう。それでもこのたびの各地は社寺を中心に四季の花に力を注ぎ、冬は梅として努力を続けているのは立派なことだと思った。
その梅も終わりとなればクリスマスローズや馬酔木、椿、ミツマタ、マンサクなどを混ぜて何とか応えようとするのは有り難いことだった。

花は仏の化身、特に古都鎌倉の吹き出すような梅の盛りを想像し是非再訪したいと思った。

去る22日(木)および23日(金)の梅見物 その2熱海梅園と澤田政廣記念美術館。

2024年2月26日(月曜日)

去る22,23日は強い寒波の中、雨降りの小旅行。電車以外の現地移動はタクシー、そのほかは寒い中を歩いた。せっかくなので文句も言わず各所を巡った。
本日は前回に続き2日目の午前で、熱海梅園とそこに接する澤田政廣(せいこう)記念美術館へ寄った。

澤田政廣は文化勲章を受章された人で、氏の晩年になる爽やかな仏像が展示されている我が糸魚川市の「谷村美術館」が浮かぶ。館内には彫刻のほか絵画や書が展示され、鮮やかな色彩と素早い動的なスケッチに目を奪われる。建物は糸魚川の方が早く、ここの全体には谷村美術館の外観と内部構造に類似した雰囲気が感じられた。
庭の展示は谷村美術館にないもので、雪の有無の違いが現れたのかと考えられ、楽しく印象的な美術館だった。

美術館前の「海の讃歌」S38年。

庭の「黄泉のしこめ」S31年。
逃走と生成の神話的なイメージ。

館内、「あたみニュース」から。
「人魚」昭和44年。

 

外壁から見える「ともしび」昭和21年。
戦争直後の慎ましさが伝わる。

外観は中央アジアの砂漠に現れる
構造物のイメージ。
谷村美術館を研究したようだ。

何度訪ねたかもう覚えていないが春になったら谷村美術館を訪ねたい。何度でも行きたい美術館だと思う。

さて澤田記念美術館を出るとすぐ熱海梅園(むしろ梅園内にある)。かなり急な川に沿った谷間があてられ、滝や橋が景観よく配置されている。お天気が良ければいっそう清々しかったに違い無い。

ヒヨドリがウロを覗き、傍らに
クリスマスローズが咲いていた。

梅はほぼ盛りを過ぎていた。寒いため売店で温かなお汁粉をた飲んだ。これだけ寒ければ余計思い出に残ろう。

昼に熱海を発ってJR東海道線でほぼ1時間大船へ。横須賀線に乗り換えて隣駅が鎌倉だった。
鎌倉の梅めぐりは次回予定させて下さい。

本日こちらは風が吹いて荒れ模様、関東一円のあの寒さはどうなったのでしょう。

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