明け暮れ 我が家 お出かけ
新潟市のりゅーとぴあでミヒャエル・エンデの「モモ」を観てきた。
今日10月連休の最終日は新潟市のりゅーとぴあ演劇ホールで、ミヒャエル・エンデ原作の演劇「モモ」を観てきた。
(○脚本/演出 栗田芳宏 ○音楽 後藤丹 ○ヴァイオリン 佐々木友子 ○ピアノ 品田真彦
○出演 新潟エクステンションスタジオ 研究生 ○ゲスト荒井和真 (KURITAカンパニー)、今井明 (KURITAカンパニー) ○主催劇団ひまわり)
午後1時から始まり、2度の休憩を挟んで4時間の長丁場。
一言たりともセリフを逃すまいと耳目をこらして惹きつけられた。
モモはその昔、本好きだった娘が小学校を卒業するころに買って遣ったことがあった。
時間と幸福、それを奪う狡猾な者たちに対する奪還のストーリー。
深い命題が網羅されるが、恐らく子どもを含めてそれぞれの立場で理解できるのではないだろうか。
本日のお客さんは子どもよりむしろ大人が、それも若者が多い印象を受けた。
舞台を観て、昨年マイブームになった「青い鳥」が重なった。
時間と幸福が物語のカギであり、登場する大人と子どもの関係にも通底部分がみられたからだ。
モモでは時間節約と過剰な効率主義から生じる際限のない利潤追求のトリックが、スリリングに解き明かされ、貨幣経済への警鐘も重要な点になっている。
このあたりを子供達はどう読みとるのだろう。
最後にモモたちが本来の時間を取り戻した場面で、暗い舞台いっぱいに光が注ぎ無数の花びらが舞い降りる。
灰色のコートを着た怖そうな時間ドロボーたちや、美しいフィナーレが幼い脳裏に刻まれればそれで十分かもしれない。
〝時間というのは、生まれた時から始まる密かな音楽のようなもの〟
〝時間の源には光が射し花が咲いている〟
というようなニュアンスで語られたセリフを聞けただけでも、1時間半かけて新潟市へ行き長時間座った価値があった。
これらの言葉を述べた時間の司、マイスター・ホラ役の栗田芳宏さんの自然な動きから発せられる極めて明瞭なセリフに驚嘆した。
今まで観た芝居では、身振り大きく大声を出すのに言葉が聞き取れないという役者さんもいたのである。
さて、モモは人の愚痴や悩みをただ聞いているだけだが、彼女に話す人は自らの問題に気づき幸せになる。
このことは、前段で時間を掛けて丁寧に演じられた。
観劇でも読書でもそうだが、私たちは黙って舞台を観、あるいは本を読むだけである。
一方懸命に訴え述べるのは作者や演者だ。
この図式で言うと結果はどうあれ、私たちはモモなのか?
30年ほど前、娘と一緒に読んだ時には浮かばなかった観点だが、年寄りの独りよがりかもしれない。
最後に本日、舞台下手の一角にピアノとヴァイオリンの著名な演奏家が入られた。
セリフに重なる音楽は場面を引き立て、時に美しく時にスリリングに奏でられた。
演奏者とともにコンダクターとしてそこに居られたのは、音楽を担当された上越教育大学の音楽教授・後藤丹先生だった。
フィナーレで召されステージに上がられたが、嬉しかった。
入場の行列。
お尻が痛くなりましたが、りゅーとぴあでの4時間は、最後まで満席のまま盛況でした。
この度の公演は上越市の「智慧子のブログ」の予告記事で知りました。
智慧子さん、本当に有り難うございました。
ヤフーの景品の時計をしてみた。
先日ある探し物で普段あまり開けない引き出しを見ますと時計が出てきました。
ヤフーの株主優待品でした。
10年も前、ちょっぴり同社の株を持っていたことがあり、当時送られてきたものでした。
子どもにやろうと思っていましたがすっかり忘れていました。
最近修理などで時計に不自由していましたので、本日時計屋さんで電池を替えてもらいました。
持参した妻によりますと、珍しい時計ですね、と言われたそうです。
大部分プラスチックですが、動いたということで1500円の電池を入れてもらってあります。
おもちゃのような景品とはいえ外観はほがらかで、夜になっても動いていますのでしばらく着けてみようと思います。
ちなみにその時の株式は樹下美術館を建てるときに無くなりました。
身近な所でお世話になっていたノーベル賞の業績。
発表が続いているノーベル賞受賞者について知らない場合が多い。
今年、医学生理学賞に輝いた大村智特別栄誉教授のことも恥ずかしいが聞いたことがなかった。
受賞対象となった主要な業績の一つは、熱帯地域の深刻なオンコセルカ症や象皮病の特効薬開発による何億もの人々の救済だった。
ところがふとしたことから、自分たちも身近に大村先生の恩恵を受けていたことが分かった。
2011年に亡くなった母は2004,5年頃に福祉施設の利用をはじめた。
ところが間もなく両腕や胸、両下肢などに赤いぶつぶつを生じそれをポリポリ掻くようになった。
厄介な疥癬症だった。
介護保険によって一気に多様化して増加した高齢者福祉施設はいずれもその洗礼に悩まされた。
恐れた疾患が母に及び我が家は一種パニックに襲われた。
施設利用の中止、連日の念入りな入浴、衣類や寝具の加熱洗浄、軟膏塗布、、、。
しかし一旦収まったかに見える症状は何度か再発した。
困って色々調べた所、犬のフィラリア症に有効で、ヒト疥癬にも効くという薬の記事に出会った。
当時その薬剤は自費扱いで保険適応がなく、薬局を介してメーカーから取り寄せた。
国内は犬向けに始まった薬剤、大丈夫かなと気をもみながら飲んで貰った。
だが母は平気で服用し副作用もなく、間もなく面倒な疾患から離脱していった。
その薬はイベルメクチン、商品名はストロメクトールだった。
しばらすると薬は人疥癬症の保険扱いが可能になった。
このたび大村先生のエバーメクチンを聞いた時、どこかで耳にしたように思った。
それがあの薬だった。
遠くの先生が急に身近に感じられ、業績のすそ野の広さに感嘆した。
「地方創生で重要なのは教育」は大村先生が語った言葉。
「知の水平の拡大」は昨日物理学賞に輝いた梶田先生の談話。
探求から生まれた言葉は貴重で、日本の将来を占うキーワードではないだろうか。
全力外交。
これまでの政府解釈で良かったものを、
本日の国会委員会は集団的自衛権の容認を決議した。
数の力で決着する民主主義であれば形式上どうにもならない流れだ。
「日本をとりもどす」と書かれたポスターをよく見る。
「美しい国 日本」と言って登場した人がそのリーダーだ。
同じ人が今日全力で取り戻そうとしているのは「軍事同盟強化の国 日本」であり、本日その道筋を付けた。
「美しい国」とは天地ほど違う。
地域の国道や県道は夏草ぼうぼうで、河川に大洪水が起きる国での出来事である。
このたびの安全保障で言えば、専守防衛と集団的自衛権では思想も内容も全く異質であることは私にも分かる。
前者は生存上の国内に於けるミニマムな備えに対して、後者では国外で他国の為に戦う命令が可能になる。
憲法が苦労して支えてきた尊い不戦思想が破られ、突然戦争への門戸が開かれたことになる。
心根の優しい人々から戦争法案として忌避されるのは当然の話である。
ところで安全保障の解釈拡大には「軍拡」が影のように付帯することだろう。
それは国内外の緊張と闘争意識を高めようが、果たして戦争の抑止に繋がるだろうか。
軍拡を喜ぶ一群は居る一方、その際限の無さに歯止めなどないことだろう。
壮大な無駄遣いと国家の疲弊、、、真面目にやるほどそうなる。
そんなことをなぜ今?
「今度こそ勝ちたい」、こっそり生き続けた戦前の亡霊が目を醒ましたのか。
それとも目に見えない集合コンプレックスの裏返しなのか。
先の大戦後、国は平和を尊び労働を喜び、経済文化文明を立派に再興した。
愚直なほど真摯な道は、膨大な戦争犠牲者に対する申し開きの歴史であったようにも振り返られる。
それなのにもう一度戦の際(きわ)に立つことを始めるとは。
日本が近代かけて蓄積した智恵と経験の全エネルギーをなぜ外交に集約しないのだろう。
そこには世界に類を見ない独特の価値と力が潜んでいるはずである。
「積極的平和」というならばそういうことではないだろうか。
雨がちの今夏最後の日、二つの出会い。
日中曇り時々雨だった8月最後の日、二つ出会いがあった。
一つは午前の診療で、お母さんに付いて顔をだされた帰省中の娘さん。
私が開業した昭和50年代はまだ小中学生だった。
本日母と一緒に行って小生に会ってみたいと仰ったらしい。
お母さんの診察が終わると、カーテンの陰から出てこられた。
すらりとして丸顔の美人さんは、子どもの頃と同じにこやかな目をしている。
品川区に住んでいて、私が通った大学と病院もよく知っていると仰った。
上越で暮らしているいま、若き日に15年間通った品川の話を聞くと懐かしさがこみ上げる。
変わらないですねと言っていただき、近頃自分はこの言葉に弱い。
話から立派な方と結婚し熱心な子育てをされ、幸せに暮らしているようだ。
私も頑張ろうという気持ちになった。
学生時代、しばしばラジオから流れていたビートルズの「And I Love Her」
アコースティックなサウンドが親しめ、歌詞もメロディも優しい。
比較的単調な曲は、間奏から半音高く転調して引き締まる。
次に午後から美術館で陶齋の作品を熱心にご覧になる若いカップルさんにお会いした。
色使いが九谷風ですね、男性がズバリと仰った。
詳しい訳で、石川県から来られたということだった。
陶齋の師・富本憲吉は昭和10年代、色絵磁器習得のため石川県へ、九谷焼の北出塔次郎の許へ通っている。
その時代を師とともにした陶齋は当然同道したと考えられ、強く九谷焼の影響を受けたはずである。
現在展示中の、齋藤三郎作「色絵色紙芍薬文鉢(いろえしきししゃくやくもんばち)」
緑の地色、赤、黄色に九谷焼きの風合い。 昭和20年代後半 幅29,0㎝。
作品に字も入れてるのですね、と陶齋の文字にも興味を示された。
落ち着いた雰囲気から、もしかしたら九谷焼きの作家さんかなと思った。
先日自分は北陸を訪ね、九谷焼美術館を見てきたばかりです、とお話させて頂いた。
陶齋を飾れて幸せに感じた。
活躍する中学生選手たち 今年の雀。
昨夜鈴虫の声が聞こえ、蝉たちは夏の終わりを惜しみあっている。
季節は着々と秋の仕度をしている。
気がかりだった台風15号は日本海で消滅してしまって助かった。
雨上がりの庭で、今夜も鈴虫が鳴き始めた。
本日台風一過の爽やかな空を期待したが、曇りがちで朝夕は雨が見られた。
午後、施設出務の帰りに寄った美術館のカフェで、おばあちゃんと一緒の中学生の女子生徒さんにお会いした。
おばあちゃんが当館のお抹茶が美味しかったと話すと、自分も行ってみたいということで実現したらしい。
とても美味しそうにお茶とお菓子を頂く様子だった。
その折り生徒さんが剣道の選手と聞いてびっくりした。
絵本の挿絵のように可愛い女子なのに先日、日本武道館の全国大会に出場し、
別の選手権では新潟県の団体戦で優勝したという。
忙しい夏休みで溜まっていた宿題は三日でさっさと終わらせたらしい。
絵が残っているのでは、と親が心配したところ、
「冬休みのうちに1枚描いておいた」
とちゃっかり顔で答えたという、何という計画性だろう。
近隣に有望なスポーツ選手たちがいることはとても素晴らしい。
小生の母校中学校の女子陸上リレー選手たちは全日本中学選手権に出場して見事に決勝進出を果たした。
また同校の女子テニス選手は先日、全日本ジュニア選手権14才以下ダブルスで優勝している。
私が知らないだけで、当地には大勢の生徒さんがそれぞれの分野で頑張っているにちがいない。
部活、スポーツをする人は学習も能率良くする。
明るい未来に向かってどうか思う存分活躍してください。
在宅訪問で出会った雀の群。
あちらこちらで見かける群は例年より個体数が多いように見受けられる。
順調な夏だったためだろうか、その通りであればと願っている。
本日終戦70周年。
本日終戦70周年の日。
昭和17年2月1日誕生の私は満州生まれ。
二つ上の姉も、一つ下の弟も三つ下の弟もみな満州で生まれた。
ある時期までいつか訪ねてみたいと思っていた中国だったが、
不思議なことに働くようになって、あるいは結婚すると全く里心を失った。
終戦の時、三歳半の自分に残ったのは記憶というほど高尚なものではなく、夢か幻に近い。
その中の一つに次のようなものがある。
5才の姉と私(もしかしたら一つ下の弟も居たのか?)は街を歩いていた。
通りは見た事がないほど祝祭的で人々は恐ろしいほど興奮していた。
その街中で、「早く、早く」と姉にせかされて家へ急いだ。
手をつないでいたのか、必死の姉をすぐそばに感じていた。
長く脳裏にあるこの場面は、満州における終戦の日ではなかったかと思っている。
そうであれば、父母はすでに厳しい帰還(引き揚げ)の準備で精一杯だったにちがいない。
戸外の騒ぎを見たい私たちは、親の目を盗んで外へ出たのか。
だが途中で、敗戦国民である自分たちの危険を感じた姉は慌てて帰ることを促した?
帰国後母は大陸の食べ物や、ちょっとした中国語を話してみせたが、父は満州を一切語らなかった。
縁者の大戦犠牲者はレイテ島に於ける母の弟がいる。
あるいは思想えん罪事件として、凄惨な拷問の果てに亡くなった無実の叔父も戦争犠牲者だ。
そして往診や訪問の行く先々でどれだけ戦死者の遺影を見たことだろう。
歳月が過ぎて関係者は黙っているが、今なを悲惨な死を遂げた当事者のうめき声が響いているように感じる。
故国を遠く離れた戦場で撃たれ血を吹きながら苦しみ、家族にも会えず冷たくなっていった兵は何を思っただろう。
みな善良で勤勉な兄弟であり夫であり、父であり子だった人達である。
歴史上の武将の物語も同じ、何千何万の兵のむごたらしい死なくして成立しない。
このことを考えれば、NHKは延々一年に及ぶ武将中心の歴史大河ドラマなどもう止めてはどうかと思う。
“70年の平和の重みは増すばかりであり、それでボケることなど絶対にあり得ない〟
偏狭な敵味方の峻別とその延長は戦争の導火線であり、いまや時代錯誤ではないだろうか。
那谷寺のご親切と「さるの釜」 高祖父玄作の見た釜のこと。
さて前回9日の北陸行き記事に旅先の親切を書かせて頂いた。
翌日の那谷寺では宝物の一つという茶釜についてお尋ねしていた。
実は過去の記事に、小生の高祖父・杉田玄作(1818-1874年)が残した「上京日記」を挙げさせて頂いた。
(当時の上京は京都への旅でした)
文久2年1863年9月7日金沢出発から始まる日記。
同月11日の今庄から栃の木峠の日に、秀吉公が陣所へ持参した古窯を見た、と記した上で釜の絵図が描かれてある。
この度の北陸行きで、予め那谷寺を調べたところ、ホームページに「秀吉公御物」として茶釜が伝えられている事を知った。
もしや玄作が見たものが那谷寺に伝えられているのかと思い、当日金堂を守られていた方にその事をお話し、
釜の拝見の可否をお尋ねした。
その方は熱心に話を聞いて下さると、釜は現在展示されておらず、しかも住職は所用で外出中ということ。
後日写真で宜しければお送りします、と仰った。
とても丁寧な方、と妻が述懐したほどの応対だった。
ところがその写真が帰った翌日早速届けられた
送られた写真の釜はまず霰(あられ)の肌がまことに美しく、
幾分撫肩(なでがた)がかった古芦屋(こあしや)の真形釜(しんなりがま)だった。
「さるの釜」として利休と秀吉が銘や由来を箱書きしていたのである。
鮮やかな肌、ふんわり落ち着いた腰の広がり、珍しい猿の鐶衝(かんつき)そして箱書き。
極めて上品かつ珍重な品物だった
ところが、玄作上京日記の絵図と説明を詳細に見ると、釜の寸法が非常に大きく、形も異なり茶釜ではなく湯窯のようである。
結局二つの釜の一致は無理なようだったが、このたびのことで那谷寺から受けた親切は身に余るものだった。
2017年、自然摂理(自然智)を背景に高野山 真言宗 別格本山の美しい那谷寺は,、開創1300年を迎えるという。
錦秋はことのほか素晴らしいと聞いた。
年を取ると、同じ本、同じ人、同じ場所へと傾く。
ぜひ再訪したいと念願している。
一泊の北陸は楽しく懐深かった なつかしや「旧はくたか号」。
昨日8日午後、上越妙高駅から15:09分発「はくたか563号に乗車して北陸方面に出かけた。
金沢一泊の短い行程だったが、小さな親切、小さなツキがあった楽しい旅行だった。
主な目的は
①かって特急「はくたか号」としてほくほく線を疾走していた「しらさぎ号」に乗ること。
②8日は、高岡市から「万葉線」に乗って夕刻の射水市「海王丸パーク]へ行き帆船「海王丸」を見ること。
③本日9日は、念願の北陸本線特急「しらさぎ」で加賀温泉駅へ行きレンタカーで以下の三カ所を巡ることだった。
小松市の「那谷寺(なたでら)」→山中温泉「長楽」のぎょうざ→最後に大聖寺の「石川県九谷焼美術館」。
※新高岡-高岡で利用したタクシーの運転手さんの助言から「瑞龍寺」を昼夜二度の参拝が出来た。
驚くばかりの端正さ、高岡市の国宝「瑞龍寺」(曹洞宗)。
●新高岡から高岡へ向かうタクシーの女性運転手が教えてくれ、見学の間待っくれた。
二日間のライトアップはとてもきれいです、とも教えて貰った。
高岡駅の「万葉線」ターミナル。乗った電車も駅も小さくて可愛い。
●万葉線は全24駅、途中の町並みが様々に変わり見飽きない。
目的の海王丸駅は23番目。
万葉線の複線区間で「ネコ電車」とすれ違う。
●運転手さんに女性がよく見られる。
当地高岡市ご出身の藤子不二雄氏が協力したドラえもん電車と小さなホームですれ違う。
●「見ますか」と若い運転手が言って、閉まったドアをもう一度開けてホームに降ろしてくれた。
「海王丸パーク」で二日前に、二代目にあたる「海王丸Ⅱ世(1984年進水」が入港した。
●Ⅰ世、Ⅱ世の「海王丸」と練習船「大成丸」を同時に見ることが出来た。
(写真の海王丸Ⅱの背後に大成丸、背景は新湊大橋)
この船が常時係留公開されているパーク主役の初代「海王丸(1930年進水)」。
●期待通りに茜雲が現れた。
高岡から新高岡への帰路で見たライトアップされた瑞龍寺。
●タクシーの運転手さんが、寄ってみますかと仰り待っていてくれた。
瑞龍寺は大きな山門を入ると広大な芝生の中を本堂に向かう。
静かな音楽が響き、光は様々に変わり荘厳で幻想的だった。
翌日(8月9日)午前、加賀温泉駅まで乗った「しらさぎ号」。
●ほくほく線で「はくたか号」として走ったその列車です、と乗務員さんが教えてくれた。
(「しらさぎ」はほかに従来から北陸本線で運行されていた同型のものもあります)
ああ懐かしや、元気ですか、あの時のはくたか号に会えて念願叶った。
目的地の一つ「那谷寺」はわが家の宗派、真言宗(写真は金堂)。
懸崖作りの本堂(拝殿)。
三重の塔ほか重文の塔頭は変化に富んだ広大な地形を利用して配されている。
●山中温泉「長楽」で、肉厚の餃子は期待通りの美味しさだった。
香り良い水餃子。
●油汚れの無い店内にピアノがあり、ジャズの催しの写真が壁に沢山貼ってある。
茂木健一郎さんの色紙も良かった。
大聖寺の九谷焼美術館の近くに「山の下寺院群」があった。
●偶々出会った場所だったが、赤い瓦の寺々は明るく爽やかだった。
最後に訪ねた大聖寺にある念願の「石川県九谷焼美術館」。
驚くべし九谷焼の意を確認した。
●小学生のイラスト(このたびは魚)を九谷焼のプロたちが作品にする企画展も見た。
数十点あったが、素晴らしい企画だった。
子供達は九谷焼を理解していると実感した。
帰路の金沢駅で、美しいアシスタントさん。
●ブログ掲載の事を話すと、どうぞお願いします、ブログも見たいと仰った。
グランクラスのお弁当と飲み物。油脂を一切使わない上品なお弁当だった。
予定が順調すぎて、ひと電車早めるべく切符を買い直した。
●日頃の褒美?にとグランクラスを申し込むと2席残っていた。
一泊の短い旅行。
駆け足のため金沢で街に出ず、山中温泉は湯につからず。
それでも出会った人はみな親切で、疲れもせず楽しかった。
施設がおしなべてきれいで清潔だったのも、大切なことである。
非常に沢山の写真となってしまいましたが、やはり「北陸恐るべし」だった。
文化も人も全体の観光深度がちがう。
そういえば上越地方も北陸と呼ばれていたっけ?ふと思い出した。
信越で行けば良いのか、難しいところだ。
昨日の同級会は卒後58年にして初めての会だった。
昨日の記事に中学校の同級会の事を書かせて頂いた。
前回は何時だったか判然とせず15年前?と記した。
だが、配られた資料などから卒後58年にして初めての正式なクラス会だったらしい。
15年前?としたものは、学校の創立記念行事の流れで急遽集まった模様だった。
みな忙しかったのか、これが普通なのかよく分からない。
しかしあちこちから集まった中学時代の三年間は、実人生の幻のような始まりとして振り返られる。
厳しい将来の予感の中で、あこがれ楽しんだ特別な月日。
58年経って100余人の中から40人も集まるのには訳があったのだろう。
本日午後、以下の花などを庭で見ました。
今年は珍しく夏夏とした暑さが続いている。
地元の鵜の浜温泉海水浴場も賑わっていると聞いて嬉しい。
本日ご来館の皆様、まことに有り難うございました。
- 花頭窓、二十三夜塔、庚申塔、社寺
- 樹下だより
- 齋藤三郎(陶齋)
- 倉石隆
- 小山作之助・夏は来ぬ
- 聴老(お年寄り&昔の話)
- 医療・保健・福祉・新型コロナウイルス
- 花鳥・庭・生き物
- 空・海・気象
- 頸城野点景
- ほくほく線電車&乗り物
- 社会・政治・環境
- 明け暮れ 我が家 お出かけ
- 文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ
- 食・飲・茶・器
- 拙(歌、句、文)
- こども
- 館長の作品。
- 小春日和のハクガン 冬の降水雲?
- 昨日、今日の鳥と空。
- 音楽家飯吉さんご兄弟、兄汐澤靖彦さんのご逝去。
- 脅しの如く大雪と言われながら 夜は「ハウルの動く城」をちゃんと観た。
- 本日の冬鳥 彼らの幸福とは。
- 京都滋賀の旅 最終日は延暦寺。
- 七草粥に大根のバター煮 蝋梅。
- 2024年大晦日の 渡岸寺十一面観音、八幡掘、ラコリーナ近江八幡 日本という国は。
- 京都、滋賀の旅 3日目の大津。
- 本日1月4日、最近の雪模様、コハクチョウなど。
- 京都、滋賀の旅 2日目の京都。
- 年末は山科に4連泊して京都、滋賀へ。
- 謹賀新年 年頭の意識目標。
- 大晦日のワルツはKALIから。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その4。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その3。
- 館内のノート、今年後半の「お声」からその2。
- 館内のノート、今年後半の「お声」からその1。
- 美しい正月飾り 葛飾北斎が用いた数字のカレンダー 瑞々しいマイケルジャクソンのクリスマスソング。
- 寒波の日の上下浜 コハクチョウの若鳥に観られる表情のようなもの。
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