明け暮れ 我が家 お出かけ

楽しめた第20回卯の花音楽祭。

2024年7月16日(火曜日)

近頃珍しくブログを中3日空けてしまいました。13、14日と一泊で旧友夫婦に会うために出かけ、15日は頸城区希望館で「第20回卯の花音楽祭」に出かけたため慌ただしさほかもあり、休ませて頂きました。

本日は20回目となった卯の花音楽祭です。海の日の祭日午後、雨は上がり会場ホールはほぼ満席でした。不肖親族として来賓席が指定され、お隣は音楽研究と地域の音楽振興なかんずく作之助研究に長年尽力された元上教大教授後藤丹先生でした。新潟市から駆けつけられた先生はかっての病を越えられて全くお変わりなく元気で嬉しい限りでした。

始まると大潟町小学校の9人の児童たちが列を作り場内を「夏は来ぬ」をアカペラで歌いながら入場し、ステージで「いま、地球(ふるさと)は美しい」を歌いました。子ども達の歌声は自然で爽やか、良いオープニングでした。
以下大潟区のオカリナアンサンブルのスタンド・アローンのアンサンブル、吉川区のコーラス「ゆりかご」の夜明けのうたの情感、頸城区の合唱団「火曜会」の信長貴富作曲の二曲は一種ドビュッシー風でリリカル、大潟町中学校吹奏楽部の「秘技Ⅱ」は難解だったが懸命な演奏から宗教的な神秘性が深く伝わり、大潟区のシニアコーラス「さざなみ」の「青田川のうた」は後藤丹先生の作曲で何とも爽やかな親しみにあふれ、前半の最後は大潟区のコーラスおおがたによる作之助作曲「漁業の歌」のヨナ抜き調は在りし日の地域を彷彿とさせました。

帰路の芙容の花
一日花だがその日を明るく彩っている。

休憩を挟んで後半はアンサンブル・オビリーによる弦楽四重奏のゲスト演奏、最後は卯の花合唱団による作之助の「吉野山」と「夏は来ぬ」でした。

地域にいると弦楽四重奏を聴く機会は少なく、バッハとモーツアルトのほかタイトルに「愛」が付く四曲のメドレー、サウンド・オブ・ミュージックメドレー、ラストは夏は来ぬでした。クラシックの演奏家はしばしばその楽しみと裾野を広げる貴い役目を負っていますが、それを遺憾なく発揮される熱演でした。

最後は混声四部合唱の「卯の花合唱団」による作之助作曲「吉野山」」および「夏は来ぬ」の演奏でした。前半でコーラスおおがたが歌った「漁業の歌」は在りし日の漁村の姿で、吉野山は南朝の吉野山における王朝の悲しみです。慌ただしい現代のひととき、佐佐木信綱の詩と作之助の曲によってやまと心に触れたひとときでした。

3時間余、児童を含めて4回の「夏は来ぬ」を聞きましたがみな素晴らしかったです。特にアンサンブル・オビリーの演奏、わけても後藤丹先生編曲の『夏は来ぬ」を歌うために生まれている卯の花合唱団のコーラスは涙がこぼれそうになるほど素晴らしかったのです。

エンディングで高らかに終わる夏はきぬの曲調はドボルザークの「新世界より」の「家路」とダブりました。「夏は来ぬ」は5番まである故自在な変化が可能で、一生懸命演奏される限り何度でも聴ける文字通りの名曲だとしみじみ感じました。

それにしても入場料無しでこれだけ楽しめる音楽会は本当に貴重です。

そういえば前日夕刻は新幹線「上越妙高」駅でキンコンカンと鳴る駅メロ「夏は来ぬ」を聴いてきたばかりでした。

今のところちょうど良い梅雨 胃腸に悪い世界。

2024年7月3日(水曜日)

梅雨に降られ出水する地域があるが当地は降っては晴れるを繰り返し、田畑や庭に都合の良い空模様が続いている。農家の方が今のところ良い具合で、出穂を促す「穂肥え」という作業の時期だと仰った。色々な段取りがあるものだと聴く度に思う。

本日昼、青々とした水田。
雨雲が山へ退いている風。

 日陰を作る大きな枝を伐採。
明るくなった庭。

かって枝の伐採は主に風通しを考えて行っていた。今年はそれもあるがあらためて花の陽当たりを考えるようになった。奥の方にあった花も色々掘って前に出してやっている。

話変わって本日外来に来られた若い方が最近胃腸が調子悪いと仰り、近頃のニュースや動画が恐ろしい事や荒々しい事ばかりで気持が落ち込むとも述べられた。まさにその通りですねと彼をしっかり見て全同意した。
終わらぬ戦争、絶えない陰惨な事件、狭く荒々しい自己主張、長い間肝心な政治や選挙からも真心が伝わらない。

しばらくSNSはじめニュースや動画などは観ないようにしましょう、私もそうしますとはっきりお伝えして薬をお出しした。

飛躍的に生活は便利になっているが、僭越を許して頂ければ、主だった世界は自画自賛ばかり、外見重視、内実希薄、胡散臭くて恥ずかしい。庭や生きものに余計眼が行くようになり、身近な人や美術館や診療所に見える人に安堵を覚えるようになっている。

眼が良く見えるようになってから不思議な事に匂いまで敏感になった。

白内障を手術して 倉石隆を大評価される村上市のお客様。

2024年6月27日(木曜日)

本日左眼白内障の一泊入院手術を受けて帰ってきた。去る12日に右を終えていたので両眼無事済んだ事になる。デリケートな場所なので安定まで気を付けなければならないと念を押された。

それにしても良く見える。
帰宅の車中で思った。“今までぼんやりしか見えないので、脇見も振らず前を見て運転をしていた。しかし今度はよそ見に気を付けなければならない”と。

そしてもう一つ、鏡を見て思った。“ああ自分はこんな顔をしていたのか”とひどくがっかりした。たるみやシワがくっきり、ヒゲはもっと丁寧に剃らなければならない、いや色々服装も気を付けよう”と真剣に思った。

本、新聞、パソコン、スマホ、、、眼を細めなくても拡大鏡の世話も要らずありありと見えるのは何よりだ。ブログの制作画面もしかりで、誤字脱字、変換ミスなど長年皆さまにお掛けした恥ずかしいご迷惑も減りそうである。

昨日手術後の病室から見た雲。
(眼帯のまま撮りました)

本日樹下美術館のナツツバキ。

この年でこんなに良く見えてバチが当たりそうであるが、早くも自らの老残を目の当たりにした。もっとご不自由な人もいらっしゃるのだから、あらためて親に幸運を感謝しなければと思う。
二度の手術をされた先生、様々で真摯なスタッフの皆さん、大変お世話になりました、感謝しています。

 

私の留守中村上市からいらしたお客様。倉石隆を大評価され、ご自分も持っておられると聞きしました。嬉しい限りです。

本日髙田から中高の同級A君夫婦が見えた。年取ると何度お会いしても初めて会うようで楽しい。

患者さんたちには大変ご迷惑をお掛けし申し分けありませんでした。良く見えるようになりましたのでまた頑張ります。

雨の日曜日、北海道の話、車の昔話。

2024年6月23日(日曜日)

よく雨が降った日曜日、午後は美術館でお顔馴染みの二人からそれぞれ北海道旅行(還暦祝い)の話と昔話などを聴いてくつろいだ。運河の街のお菓子やガラスの店、エスコンフィールドの楽しさなど北海道は外国の話のようだった。幸せにも夫婦でイタリア貴族のコスプレをされ、写真で初めて見るご主人の男前ぶりに驚かされた。

雨に濡れるアオハダの木。
雨の日の木肌が美しい。

もう一人のご主人は私が髙田に下宿していた中高時代、ご近所のとある集合住宅で過ごされたことがあったという。鮮明に記憶している大きく頑丈な住宅で、同級生の女子も住んでいた。
こちらは車の話だった。多分昭和30年前後、バス以外まだ自動車というものに乗る機会が無かったころ、学童たちは自動車に乗りたくて仕方が無かった。
そんな時代ご主人の身内がタクシーで退院することになったという。当日子供たちも病院へ行き、皆で一緒に退院の車に乗ったという。退院記念日が自動車記念日だったと言う出来事であろう。

ちなみに私の自動車記念日は小学校の帰り道、念願かなってあるアイスキャンディー屋さんの小さな丸い窓がある一種不思議な車に乗せてもらった。車は速く走ったが床に大きな穴が空いていて怖かったことの方を覚えいる。

後年床に穴が空いている車にもう1回乗った。昭和50年代初めのころ、ある二次会の帰りに代行を頼んだ。雪が降り始めた夜、後を走る代行の車がスリップして動けなくなり、頼まれて私はその車に移ってハンドルを握った。二人のスタッフが押して無事脱出したが代行の車の床、ペダルの手前に穴が空いていて雪の道が見えた。
晴れやかにも身内の退院日に皆と初めて乗った黒塗りであろう車に比べれば、私のは惨めなものであり、“さすが髙田育ち”の一語に尽きる。こちらのご主人も本物の侍の如き男前の人。

閉館して静かになった庭。
カフェのガラス越しです。

梅雨入りは例年より遅いと聞いている。晴れ間の庭はどんなだろう。

昨日今日の写真。

2024年6月7日(金曜日)

肌寒く感じていたのが本日急に蒸し暑くなった。この数日の写真からです。

去る日の在宅回り。
猫ちゃんの優雅な昼休み。

庭の柿の花が沢山付いて
秋に期待出来そう。

田んぼに面した場所の
青いホタルブクロ。

普段寒がっていたのに本日は何故かとても蒸し暑く感じ、肌着を着ずに直接半袖の白衣を着た。在宅回りの時、看護師に直接着ていると話すと、エーッと言ってびっくりしていた。

昨日休みだったせいで本日は胃カメラも入り、込み入った入院折衝もあって私にしては忙しい外来だった。

仕事後また芝生の奴隷となり、
ツメクサと闘った。

除草は計11回目。この数日、道具を使った取り方が分かり、能率が上がった。90%は除草出来ている。取り終えてから一部に用土を撒き撒水した。終わると7時を過ぎていた。庭の樹木の茂りが激しく、いくらでもやりたいことがあるが時間が足りない。

須坂市の田中本家博物館、脈々たる意識。

2024年6月4日(火曜日)

一昨日「緑陰茶会」が開催された須坂市。本日は前回の続きとして同市の田中本家博物館の展示について掲載させて頂きます。

かっての長大な蔵が素晴らしい展示室になっている。次々現れる貴重な美術品および生活用品は非常に見応えがあった。
一般に博物館といえば文書資料や説明が多くて疲れる。しかし同館は極力そうしたものが抑えられ「兎に角観てもらう」に徹し、成功していると思う。

刀剣をこれほど魅力的だと思った事がなかった。江戸時代は武士のほかにも一定の人々は帯刀を許されていたという。

九谷、伊万里、明時代の赤絵や呉須など、田中家の磨かれた美意識と鑑識眼はさずが。

以下は子供たちの為に揃えられた品々。

武者人形は端午の節句用。
他にもたくさんありました。

玩具。

いずれも夢のような高級玩具。
完璧な保存。

ままごと用の品々。子ども達は幸せだったろう。

着せ替え人形の数!

着物。

何故か男児ものの方が
女児より上等に感じられた。

大人の着物。

一目見て気に入った帯。

お揃いの真綿入れの半襦袢、長襦袢(最後方)、艶やかな帯、息を飲むような水仙と藪柑子(やぶこうじ)柄の留袖ひと揃え。

最後に展示場を出た庭の一角にあった納屋のような場所。

高い棚に積まれていた鳥籠、虫籠。自然豊かな信州の春秋、入れ替わり立ち替わりの鳥や虫に籠は休む暇が無かったのでは。

さて沢山載せましたが、この何倍も展示されていて美しい書画もあった。客観の徹底、多岐で豊かな品々と原状管理の努力など田中本家の人々の意識の高さに尊崇を禁じ得なかった。
長き亘り質素倹約を家訓とし、ものと人を大切にして藩を支えきる。そうで無ければこれほど良い品は集まらず維持も叶わなかったことだろう。

子供たちの玩具や着物を見ているうちに目頭が熱くなり、同家の亡き人々のことを思わずにはいられなかった。

何か落ち込むようなことがあったら、あるいはそうでなくても、また来てみたいと思った。

同館は維持管理に費用が掛かりクラウドファンディングまで企画している。規模に雲泥の差はあるけれど、樹下美術館も決して楽ではない。12代御当主にはその点でもシンパシーを覚える。

昨日日曜日、長野県は須坂市の茶会に。

2024年6月3日(月曜日)

昨日2日、日曜日は上越市のフカミ美術さんが主催する長野県須坂市の「緑陰茶会」に出かけた。隣県とはいえ須坂までは車で一時間半ほどで到着する。通過するばかりだった同市を訪ねるのは初めて。他県となれば大旅行の気分で雨降りのなか妻を乗せて車を走らせた。

ナビを頼りに最後にリンゴ畑を抜けて古い通りが残る須坂市に着いた。

城下町須坂市の
会場界隈。

会場は浄土真宗本願寺派普願寺で濃茶席、田中本家博物館で薄茶だった。両場所は隣接し同市の風致地区を形成している。
予定の時間まで博物館の展示室を回った。展示作品については後日掲載させてください。


さて田中本家の12代ご当主、田中宏和氏とは今年3月、「お話と茶会」の催事で講演された折お会いしていた。その後お手紙まで頂戴し、このたび小島正芳氏近書「良寛の生涯と芸術」を持参し、会場入り口でお待ちくださった氏と再会を喜んだ。

最初は濃茶だった。

格調と清々しさの参道を歩く。

左右に台杉がある門をくぐって
会場へ。

 濃茶の席主は裏千家折井宗智先生。
市松模様にあしらわれた紫檀の風炉先屏風と点前座のしつらえ。特に目を惹いたのが座瓢釜だった。普通なら上下二段に膨らむ瓢だが、この釜は下段が大きく平たに張っている。鐶付きが無く代わりに大きな取り手が付いていた。大西浄林作で大胆な意匠に驚き、他で二度と見ることがないだろうと思った。
全体が黒い色合いの点前座の中で赤く映える了入の水指の調和がとても良かった。

糸巻きの蓋置きはじめ丹波肩衝(かたつき)の茶入れはじめ拝見のお道具はみな独自の存在感があった。光沢ある美味しいお茶だった。

続けて裏千家小布施宗節先生の薄茶席。お席は立礼で行われ、艶やかなお道具類で美味しいお薄を服した。

琵琶の蒔絵の大棗と
坐忘斎宗匠の茶杓。

紫紺交趾(こうち)袋形の水指。

 鶴首の花入れは籠。葉を伸ばし始めた矢筈薄と夏蝋梅が清々しかった。

不慣れな信州の地。私は少し離れた所へ行くと外国に来ているような気持になる。だた見知らぬ方々と一緒に座れば一座建立。心づくしのお道具を愛でながら美味しいお菓子を食べお茶を服せば文字通り一期一会の心地が漂うのである。帰り際長野の方で樹下美術館へ行った事がある、あまつさえ茶会に座ったと仰る方とお会いし嬉しかった。

お薄では正客の指名を受けた。あれを聞けば良かった、これを尋ねれば良かったということに終始し、恥ずかしかった。

次回は田中本家博物館の展示などに触れさせて下さい。

昨日は妙高市でゴルフ 草むしり ビーフン。

2024年5月27日(月曜日)

昨日日曜日、妙高市の松が峰カントリー倶楽部でゴルフをした。久し振りのゴルフは終日爽やかな空のもと妙高山を目にしながら沢山打ち沢山歩き楽しかった。

風はなく良いコンディション。
100を少し切る成績だった。
1万3000歩も歩いている。

帰ってきて樹下美術館の芝生見ると、
雑草がまだ気になり、いっとき除草した。

これは数日前の夕食のビーフン。
餃子とビーフンは母が満州で仕込み
私の好物となった料理。

浄興寺で表千家同門会新潟支部茶会 美味しいお茶をご馳走様でした。

2024年5月19日(日曜日)

本日空は予報より好くなり温かで過ごしやすい日和だった。上越市髙田は浄興寺で「表千家同門会新潟支部 第34回支部茶会」が催され、午後妻と有沢宗香先生社中のお二人にお相伴してお茶を頂きに上がった。

第一席と二席に座らせてもらった。
以下一席目の田邊和子先生のお席。

本席のお軸「福不可受盡」
“幸福は独り占めせず分かちあう”
貴重な高僧文人、江月宗玩筆

唐物の耳付き花生けに大山蓮華。
一輪で広間に生気を与えている。

男性のお点前、優しい席主の
田邊先生。

頂いたお濃茶は香り良く艶々として滑らか、とても美味しかった。

向こうから左入の黒楽茶碗、珠光緞子(じゅこうどんす)の仕服、覚々斎作茶杓「むかし」、瀬戸の茶入「松の翠」。いずれも大切に伝えられている風格のお道具。
終わってお水屋から出られたご主人にお会いした。茶に染まったエプロン姿でニコニコされ、お二人の睦まじさは心温まるご馳走だった。

続けて2席目のお茶は野村征子先生のお薄。

不肖正客に当たり、征子先生とのお話に夢中になり写真が撮れなかった。表千家八代啐啄斎(そったくさい)の上品な消息、ふうろう草など愛らしいお花、坂倉新兵衛の爽やかなお茶碗、何より野村先生のお元気を嬉しく思い、美味しい一碗を堪能した。

私どもは裏千家のお世話になっているので表さんなど流派の異なるお席は一種旅情が感じられて楽しい。

表千家の皆さま、本日は誠にお目出度うございました。
終始温かにして頂きとても感謝しております。

荒れ模様の昨日、本日爽やかに晴れる ハクセキレイは求愛していたのか。

2024年5月17日(金曜日)

昨日は朝から風強く時折雨も吹きつける予報どおりの荒天。そんな日の午後は病院の眼科受診だった。

強風の病院駐車場と空。

数年来進行していた視力低下が今年著しくなり運転免許更新もやっとだった。読書やpcを見るのに時に拡大鏡をかざす必要があり、紹介状を自分で書き、お世話になっている病院眼科受診となった次第。近々白内障に対する手術の見込みとなった。

昨日は終日荒れ模様だったが本日は爽やかに陽が射し、風に吹かれた大気は澄んだ。

夕刻のベンチ。
田植えが始まっている。

田植えを終えた田にハクセキレイ。
カメラは自動的にピントが合うので助かる。

強く美しく鳴くハクセキレイはオスであろう。近くに二羽、メスと思われる鳥がいた。オスは懸命な求愛をしていると考えられ、鳴いては時折ひるがえるように鮮やかに飛翔した。間もなく飛び立ったオスの後を二羽のメスが追った。

もしかしたら鳴いていたのは親鳥、追ったのは若鳥で、飛翔トレーニングということも考えられた。またあちらこちらの枝で親に餌をせがむ雀の幼鳥の鳴き声が暗くなるまで絶えない。

2025年1月
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  

▲ このページのTOPへ