明け暮れ 我が家 お出かけ

二回目の能生谷 シャルマン火打スキー場へ。

2016年3月5日(土曜日)

去る2月28日日曜日に能生川沿いに運転して
シャル
マン火打スキー場へ行った。

一応目的めいたものがあり、
1噴気を強めていると言われる焼山を見たいこと。
2当地の沿岸から見られる西頸城地方のギザギ
ザした山を間近に見たいこと。
3あるいは民家や石垣を見たいなどだった。

前回は日曜日のため早くスキー場のリフトが終了、
期待した肝心の山々を見ることができなかった。
そこで本日午後もう一度車を走らせた。
何日も経たない再訪だったが、楽しい午後だった。

 

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ゴミ集積場にもなっている堂々たるお堂。
先日は気がつかなかった。
小見のお堂のバス停といい、不思議な文化だ。

二回目にして入場したスキー場は本当に良かった。

 

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コース最高点は1000メートルを少し越える。

 

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リフト終点の向こうの大パノラマ。写真正面が火打山、
右方に焼山。写真にはないが左に大毛無山山頂、ほ
か名を知らぬ沢山の峰が見えて本当に素晴らしい。

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ズームで撮った焼山の噴気。

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何度も転びながら降りてきた女性。
キャーキャーと叫んで楽しそうだった。

スキー場とはこんなに気持ちが良い所だった
だろうか。
一種懐かしく遠くなった“健康的”という言葉。
それがここでは明るく生き生きと残っていた。

2本リフトのコンパクトなスキー場で、非圧雪、
パウダースノーを詠っている。
真っ白な自然に囲まれ看板やスピーカーなど
余計なものが見当たらない上品な施設だった。
関西ほか遠くの車輌で賑わっていて、常連を
集めそうな雰囲気を感じた。

 

スキーといえば20数年前、高校生の娘とその友
達と妙高パインバレーに行ったのが最後だった。

そして今日いつしかスキーを履かずリフトに乗る
年になっている。

「まだまだ-、ハイここで降りて!」
リフトの係員たちは私や妻をとても気遣った。
スキーをしない写真目的の人もいる模様だ
が、何より老人への配慮だったに違いない。

本日はこのあと梶屋敷から早川を遡り、笹倉温
泉まで足を伸ばした。
民家の様子や山々も雰囲気が変わり興味尽き
なかった。

続きを明日また書いてみたい。

能生谷をスキー場まで行った。

2016年2月28日(日曜日)

陽が射し予報よりも良いお天気だった日曜日。
午後二時半ころ車で糸魚川市~笹倉温泉へ行っ
て焼山を見よう、と出発したものの時間が足りず、
手前の能生で高速道路を降りた。

能生川の左岸を走り白山大橋を渡って右岸を上り、
シャルマン火打スキー場まで行った。

 

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ザーザーと雪解けの川音が気持ち良かった能生川。
いくら取っても尽きそうもない河床の石。

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目を引いた白山大橋。

 

民家の石垣
期待どおりだった民家の重厚な石垣。

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能生川に注ぐ急な流れの両岸は見事な石積みの護岸。

 

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次第に高度が上がり、春を待つ山の雑木が眼にやさ
しい。

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スキー場が近づいて鉾ケ岳と権現岳の山塊が迫って
きた。

 

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スキー場の駐車場。リフトは日曜日ということで3時で終
了していた。(通常は午後5時ということ)

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本日最後のスキーヤーのようだった。

 

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帰路確認した「246号」(県道)の道路標識。
これが国道なら赤坂、青山、渋谷を抜ける東京のメイン
ストリートの一つだが、県道とはいえここで246号の標
識と出会うとは。

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今度は「物出(ものいで)」というバス停。
何か浪費しそうな、紛失しそうな感じがする。
それとも変わった物が突然出てくるような。

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市街地近くの小見(おみ)というバス停。
お堂を停留所にしたようだが、中にベンチが3つあり、
壁に花が飾られ、表には時計と小さな黒板まである
至れり尽くせりのバス停。

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小見のバス停を曲って上ると風情良く石垣が続いていた。

 

権現岳、鉾ケ岳の真っ白な山塊は神々しかった。
県道246を走っただけだったが、川の流れ、石垣、
家の風情、地名etc、、、興味は尽きなかった。

特別な観光地でなくとも所変われば風物も目新しく
楽しめる。
加えるに一帯は奴奈川姫の伝説や白山権現など
太古のロマンや信仰の素地を有している。
能生白山神社の春の大祭の素晴らしさを以前から
聞いていた。
本日は寄って良かった、また訪ねてみたい。

夕食は名立インターチェンジでコロッケカレーを食
べた。
(長くなりました)

年取って訳はどうあれバレンタイン ペリー・コモの歌。

2016年2月13日(土曜日)

明日はバレンタインデーということでチョコレートを頂いた。

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新潟市へ行った人からロシアのチョコレート。

 

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糸魚川市へ行った人から雪国らしいチョコレート。

お励まし有り難うございます。

 


ペリー・コモの「My Funny Valentine」
そもそもこの曲は女性が男性のことを歌っているそう
です。

かなり当てずっぽうですが訳してみました。

“私の可笑しなバレンタイン
甘くてどこか滑稽
心を微笑ませてくれる人
ルックスもなにか可笑くて
写真写りもいまいち
でも私のお気に入りの芸術作品

見た目ギリシャ彫刻的でもないし
口元もどこか弱々しくて
話せばスマートなんかじゃない

でも私の為に髪など変えたりしないで
そんなこと構わないでいい
ただ私と一緒にいてね、愛しいバレンタイン
ずっと一緒
毎日がバレンタインデー”

さて1961年、浪人の為上京して初めて買った25セン
チLPレコードが1950年代のペリー・コモでした。
上掲YouTubeのバージョンはその中にありました。
ペリー・コモをとても好きになりましたが、
後にお小遣いが無くなりレコードを中古屋さんに売りま
した。
売る前に気に入っていた歌を何曲か書き写して覚えま
した。

「When You’re Smilling」
「Talk Of The Town」×
→「It’s The Talk Of The Town」2月21日訂正しました。
「South of The Border」
などは今でもかなり覚えています。

昔人の冬 松の雪。

2016年2月6日(土曜日)

立春が過ぎ、雪は少ないが日照も乏しい。
来週半ばから気温が上がり暖かくなるという。

いつか記載したように雪国でただ春ばかり待っていると
貴重な月日が少々もったいない。

その昔、近隣農家の人達は冬になると出稼ぎや奉公で外へ
働きに出た。
残ったお年寄りや子供は来る農繁に向け夜遅くまでワラ仕事
や針仕事に勤しんだという。
高度成長期までこんな過ごし方が身近にあった。

日頃このような方達の話を聞くにつけ、寸暇を惜しんだ昔人達
に敬服を禁じ得ない。

 

0115の雪
庭の松の雪(去る1月中旬)。


0206の抹茶
春を待って「松の雪」というお菓子で抹茶を飲んだ。
庭の松の雪に雰囲気がとても似ている。
京都は丸太町かわみち屋さんのお茶菓子。

間もなく晴れ間のおとずれもあろう。

油断出来ない冬の道路。

2016年1月25日(月曜日)

 

拙詩)
昨日今朝と見舞われた寒波
気象の主が忘れ物とばかり寒波を取りに戻り
さあ、さあ、と言って降らせた

除雪された県道などはやはり狭い
往診でバスが来るとぐぐぐっと左に寄って
じっと通り過ぎるのを待つ

下校するこどもたちも大変だ
ちゃんとした歩道が無いので、
車を避けるのに芸当のようにしなくてはならない

その昔高校時代の冬の終わりころ
車が来て道路脇の雪の山に避けたらずずずっと滑った
ずり落ちた足を車のタイヤが踏んで通った

こんな日は今でも右足の甲が痛みを思い出す
広く除雪されるようになったが、車は増えた
すれ違いに足を踏まれる人は居ないだろうか

冬の道は油断出来ない。

介護に関心を持たざるを得なかった40年が過ぎて 暖かいマウス。

2016年1月15日(金曜日)

地域包括支援センター主催の会に参加した記事は同夜遅く記載した。
気がつけば日付が変わり本日15日版になっていた。

いつしか過ぎた町医者の40年。
単純ながら当初2才のお子さんは今42才。
15才の中学生は55才。

また、45才だった方は85才で、55才の方は95才になられる。
なにより33だった自分は73才になった。

開業当初から高齢者が多く、仕事は治すことと共に看取りも多かった。
最近は随分減ったがこれまで4,5百人の方を看取っているかもしれない。

しかし人生の最後にかかわる立場にいながら何を得たかは難しい。
ただある時期から「終わり良ければ全て良し」を思うようになった。

薬の代わりに昔の事を尋ね、今の季節や今日の天気を伝え、
時には触るだけが仕事の事もあった。

そんな中で、介護保険は過去の辛酸の克服に一定の成果を上げた。
だが今日長いベッド生活の深刻な側面を生んでいる。
これはすべての人の課題であろう。

如何に介護するか、それ以上に「如何に長く健康でいるか」が
古くも新たな問題だ。

最近では、備えはこども時代から始まっていると言われる。
望むなら「少しでも早いほうがいい」が正解であろう。
成果は「終わり良ければ全て良し」へと繋がると考えられる。
反省を含めて言わせて頂ければ、
およそ体作りの概念は人生の半ばから一新させる必要があるようだ。

話変わって本日暖かいマウスが届いた。
近頃マウスを扱っていると手が冷たく感じるようになった。
もしやと思い暖かいマウスを検索したら幾つかのタイプが本当にあった。

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「USBであったかいマウス」(1980円)。
普通より大きく、クリック操作は少々固いが、暖かくてほっとする。
温度は二段階切り替わり、お尻に熱源があり青い光がきれいだ。

出初め式のはしご乗り。

2016年1月10日(日曜日)

本日は終日風が吹いたが雪にはならなかった日曜日。
午後近所で木遣りの歌声が聞こえ、出初め式と思われ、
祝儀持参で出てみた。

上越市大潟区内を回り西念寺境内が最後のようだった。
寒風の中、そこで地元消防隊の梯子乗りが披露された。

 

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大勢の人が鉤ではしごを支え、声を掛けて乗り手を励まし
皆で心ひとつにして集中しているのが分かる。

自分が子どもの頃、はしご乗りを見るのがとても好きだった。
高い所の急所に足を掛けたり、ヒザで支えたりして乗る。
あんなところでやるなんて!ひやひやしながら見た。

「オラおっかあ見えたかな!」
「ああ見えた、見えた!」
こんな声が飛び交い、場を和ませていたと思う。

あるおばあさんの家を訪ねるが、
若かりしおじいさんのはしご乗りの写真が飾ってある。
白黒写真のご主人はとてもはつらつとしている。

暖かな正月 突風の海 アルコール。

2016年1月2日(土曜日)

数ヶ月前の予報通り暖冬となっている。
正月も二日目、やはり暖かい。

いつぞやは正月元旦が晴れて、まだ元気だった母を坂田池の
散歩に誘ったことがあった。
弱りが見えていた母が杖を片手に地面に降り立った途端、
100歩も歩き非常に驚いた。
高齢者にとっていかに戸外が大切か、強く思い知らされた。

 

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眩しそうな本日の水仙。

 

正月も二日目、十分な休みをもらっているせいか珍しく日がゆっくり
過ぎる。
昼に柿崎海岸を歩いた。

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正午すぎの柿崎海岸。

 

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砂浜の千鳥。
この鳥に出会うと必ず母を思い出す。
どんな人間にも小鳥のような時代があったに違いない。

 

160102柿崎の海
一時間ほど経つと猛烈な突風が吹いてきた。

 

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砂浜を歩いた本日6700ほどの歩数が出ていた。
19エクササイズあり私には十分な(過ぎる?)結果。

風も収まった夕刻、親戚の集まりに出た。
昨年3月、アルコールが自分に極めて強い発癌作用があることが分かり、
以来酒類を口にしない生活をしている。

やはり物足りないし同席の方に申し分けない気がする。
だがタクシーや代行の世話にもならず、無事帰宅しては、
ああこれでいいんだと一人で納得している。

明けましておめでとうございます 外出しなかった元旦の運動。

2016年1月1日(金曜日)

現在1月1日午前零時30分過ぎ。
拙ブログをご覧頂いている皆様、明けましておめでとうございます。
新たな年の幸せをお祈り申し上げます。

玄分一昨年の作品展に出した油彩「ほおずき」を年賀状に使いました。
本年も何卒よろしくお願い申し上げます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて本日元旦は一歩も外出せず仕事場で図録編集や溜まった書類を書いた。
途中何度も机を離れて歩いたり階段昇降をした。

歩行は普通の倍くらいの歩幅で、かつ伸びやひねりを加えて歩き、
階段は足先を使い、しゃがんでは伸びる動作を加えて上る。
元来かなり外股なので、普段両足の内側に重心を乗せて内股気味に歩くようにしている。
本日室内のトータル2158歩は十分ではないかなと思った。

スマホを持ってから歩行や階段昇降が安定して増えた。

大晦日に大物の夢を見た。

2015年12月31日(木曜日)

今朝、かってない大物の夢をみた。
しかもほんの少し一緒に歌を歌ったのだ。
夢は深層心理が現れるので書き明かすのに躊躇する。
だがもうおじいさんなので気にせず書こう。

さて博物館のような建物を歩いて行くと奥に広い階段があり大きな扉があった。
楽しい気分がして階段を上り扉を開けた。
すると広い部屋の中に真っ白なバスが止まっていた。

キラキラした沢山の美しいグラスがテーブルに並んでいるのが窓から見える。
誰かが出てくる予感とともに、ボンネットを回って来た人こそエルヴィス・プレスリーだった。

咄嗟に何か歌わねばと思い♪Wise men say only fools rush in♪と出だしを歌った。
すると彼は隣に座り笑顔で続きを歌い始めた。

私は何故か鏡を見なければと思い途中で席を立った。
鏡にはすっかり白髪に変わった自分が映っていた。
何故だろうと、髪に手を当てながら戻るとエルヴィスが消えていた。

彼は私の娘のように色白だった。
そういえば今年は娘に会っていなかった。
大晦日にプレスリーになって現れたのか、小柄だが大物の娘らしい。

幸福な感じがして目が覚めた。

 

ところで私は特別エルヴィスのファンではないが、自分の世代では絶大な人物だ。
数日前、川船でメンフィスにあるエルヴィスの記念館を訪ねるツアーの番組を見ていた。
どんな夢判断をされても構わないが、歴史上の人物と夢の中で一緒に歌うなどめったにない事だろう。

夕刻、ある超高齢の二人暮らしのお宅から電話があった。
昼に数回嘔吐して微熱もあるという。
伺うと症状は治まっていて笑顔さえ見えた。
休暇の始まりにこのような事が時にある。
「海外旅行かもしれない、と思っていました」と仰った。

いえ、残念ながら私は開業して40年一度も海外へは行ったことがないのです。
行って見たい所は沢山ありますが、もうチャンスはないだろう、と思っています。
負け惜しみですが、今朝は大いなる人の夢を見ることが出来ました。
夕刻は不安にさいなまれていたおばあさんの所へも行かれたのです。

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