明け暮れ 我が家 お出かけ
妻のことども。
昨夜半のいっ時かなり降っていた雪だったが、朝には止んでいた。幸い積雪はわずかで、地面が見えているところもかなりある。
今冬、予報では降る降ると言われながら海岸部は小雪のまま推移しいてとても助かっている。
そんな日頃、本日は妻の事どもを二つ。一つはお花、もう一つは昼食をあげてみました。
本日の昼食、熱いあんかけ五目麺。妻は何でも作り、本日も麺少なく具は沢山で、いつも感謝している次第です。
いつしか1月は下旬、現在3月15日の開館に向け購入した図書の資料を作っているところです。ジャコメッティやルオーの画集、ほか魅力的な川瀬巴水の版画を取り上げた別冊太陽などはお勧めです。小鳥や庭の写真集などを含めて10数冊を新たに準備しています。どうかご期待ください。
母校からホームカミングデーの記念品。
数日前に母校から包みが送られてきた。開けてみると色々と入っていて、昨年10月に行われたホームカミングデーの記念品だった。
「ホームカミングデー」とは大学が年一回、卒後25年と50年に当たる学年を母校に招待し、祝ってくれるイベントで、今年11回目ということだった。
誠に残念なことに当日用事があって出席できなかったが、この度記念品が届いた。資料を見ると対象者が64名で当日26名が出席していた(90名ほどで卒業しました)。
Golden記念表彰と書かれたプレート。
ゴールデンとは卒後50年生で、25年生はシルバーと呼ばれるようだ。
仕事場の机に飾っておこう。
同封された冊子とCD。
校歌(斎藤茂吉作詞)および当日の式の模様や学生時代のアルバムなどが同封され、ネクタイがプレゼントされていた。
ネクタイは百合をシンボルとした母校の校章が織り込まれている。
以下送られたCDからの写真です。
「昭和大学ホームカミングデー お帰りなさい!想い出の母校へ」の垂れ幕。
当日このようなものを見たら胸が熱くなったことだろう。
綿密に準備をされた大学関係者、同窓会、招待学年有志に心から感謝したい。
この度は50年は医学部のみ、薬学、歯学、保健の各学科は創立50年未満のため25年表彰者が招待された。
在校生による室内オーケストラの演奏。
式典後チアガールと応援部による卒業生へのエールが送られ記念の会食をしている。
基幹校舎と病院がある品川区旗の台へは学生時代は大岡山から大井町線で、病院時代には洗足池から池上線で通った。
母校は入学以来薬、歯、薬、保健の各部が次々に造設され医療系総合大学に成長している。
当時5棟程度だった旗の台の基幹施設は現在22施設棟に拡充され、都内および横浜の大学病院は3100余ベッドにまでなった。
学校のモットー「至誠一貫」をどれだけ実践できたか自信はない。
卒後50年、仕事を続けられたのは皆様のお陰であり、このたびは母校のお陰でもあると思った。
本日からブログ(樹下美術館館長のノート)の様式が変わりました。これからもどうか宜しくお願い致します。
本日は大変に寒い一日、髙田で最低気温-4,1でしたが、現在美術館で10㎝程度の積雪です。
荒天はご馳走なのか お年寄りの塗り絵 郡上八幡の葉なんばん。
ビュウビュウと吹き、ザアザアと降り、ゴロゴロと鳴った
日。
てんこ盛りの悪天候はもはやご馳走と呼んだ方が良いかも
しれない。
在宅訪問を終えてほっとした帰り道。
あるお宅では、夜間に賑やかな認知症の方の部屋を替えた
ら、声が響かず皆でよく眠れるようになったという。
新たな部屋とは家で最も良い部屋だったようだ。
あるお年寄りは最近塗り絵に熱心で、見せて頂いた。
お孫さんから色数の多い色鉛筆を買ってもらい、余計身が
入っている。
普段の手の震えが見られず、色使いも抜群だった。
とても可愛い方で、若き日を思い浮かべて描いていらっ
しゃるのだろう。
縞の着物の配色、襦袢、帯、帯あげ、帯留めなど細部の
描き分け。
あるいはドレスのピンクの部分の赤いフチ取り、顔の周
囲のこまやかでファンタジックな色処理etc、、、素晴ら
しいと思った。
本日水曜日は美術館の休館日。週一回、家で昼食を食べる
日だが暖かい素麺が出た。
右下の菜は過日訪ねた旧友が送ってくれた郡上八幡の「葉
なんばん」。
おふくろの味とあったとおり、使うと何でも美味しくなる。
国内には行きたい所が沢山あり、郡上八幡もその一つ。
お昼はささやかな味覚の旅でもあった。
ケヤキを切った。
日中は気持ち良い晴れに恵まれた本日、何十年の
懸案だった診療所のケヤキを切った。
その昔、幹は現在の三分の一ほどで、子供心に若
い木だと思っていた。
友達と遊ぶ時には決まってここに集った。
また新潟地震では近所の皆さんが出て来て、木の
回りに身を寄せたという。
後年診療所を移した時から、周囲は駐車場となり、
一帯に緑陰を作り景観を和らげた。
しかし毎年秋になると盛大に枯葉を散らし、葉は前
の道路を伝い遠くまで町内を移動、至る所に吹き溜
った。
以前は、菊作りの肥料に良いからと集めて帰る人が
いたけれど、今はそれもない。
通りの木はこの一本なので、落ち葉の季節に各お
宅の前を掃く町内の人を見るにつけ、申しわけない
と思い続けた。
あるいはそれほど広くない駐車場にあって冬期の除
雪に支障をきたした。
いつか切らなければならない、、、長年悩ましい課
題だったが今夏業者さんに頼むと、本日ついに切ら
れた。
見上げるほど大きなクレーン車と三人の人が来て手際よ
く安全に作業は終わった。
御神酒を注いで始まったが、そんなことでは済まないだ
ろう。
木には何とお詫びをして良いやら、本当に申し分けない
と思っている。
来年は古い女になるからイヤ そして憲法。
過日のインフルエンザワクチン接種で来られた女性は
平成元年生まれの方だった。
知っている人で、新しい元号の話になった。
すると、「ああ、やだなー」と言う。
聞いてみると、
「平成は自分の時代で、まだ若いと思ってるのに、そ
れが終わったとたん、古い女になっちゃう」
と仰った。
なるほど、今度は私の番である。
「それなら昭和二桁の私なんかどんなになるんだろう
」と言うと、「アハハハ」と笑われた。
仮に昭和48年、彼女と同じ30才に戻って自分の生誕年
を振り返れば、太平洋戦争を始めて間もない頃となり、
劇的に相違する。
一方彼女の生誕年、平成元年を見るとゲームボーイが
発売され、NHKの衛星第一、第二衛星放送が始まり、
セルシオの販売開始が見られる。
すでにパソコンの時代となり、工場にはロボットが唸り、
眺めは今とそう変わりない。
ちなみに自分が小学校5年生の頃、回りに居た70半ば
のお年寄りの誕生はおよそ鹿鳴館時代(1883年~)に
相当し、ルノアールが精力的に制作していた。
慌てて作った鹿鳴館は4年で無くなった(1883~1887年
明治16~20年)。
1883年、ルノアール。ダンス三部作から「田舎のダン
ス」。魂の入った芸術は今も色褪せない。
先の彼女が来年の今ごろ再び来られても、ちっとも古
くなく元気のままだろう。
ところで私の30年に残酷な大戦の天地攪乱があった。
当時の人生はいまよりずっと短い。
国際競争の中で人間はあせり、みな短気になっていた
のかもしれない。
何百万人の命が失われたこの国で戦後に憲法が変わっ
たのは自然なことだった。
比べれば前述の女性の30年は穏便で、最大の攪乱は
は東北大震災だった。一方国際間では、苦手とした賢
く根気のいる外交の堅持こそ求められたが、言われる
憲法の変更まで要する案件など本当にあったのだろう
か。
憲法の理念はなにがしかの私の価値観と良心の鏡とし
て子供時代から心に染み込み、もう一人の親のような
ものになっている。
だからそれに触れられそうになるとぞっとする。
人生は80年、90年と伸び、人の先は長くなった。
今憑かれたように憲法に手を掛け、折角の安寧を揺さ
ぶろうとするのは、一体何のためなのだろう。
庚申塔その5、ヒヤリとした雪の山道、光明真言。
今冬一番の冷えだったと思われる日。
三条市から折々来館されるご夫婦が午後お見えになっ
た。
舞子高原から山越えで十日町、松代経由で上越に出た
と仰った。
先般、私たちが魚沼行きで走った同じルートをこられた
ようだ。
途中の山越えは雪道で、怖い思いをして抜けて来たと
仰った。
スタッドレスタイヤにしたばかりで助かった、とも。
ご夫婦とご一緒の後、吉川区は尾神集落まで行き、源
地区などを回って帰るつもりで車を走らせた。
午後3時半近くの雨まじる中、道すがら庚申塔に出逢え
れば、晴れた機会に写真を撮ろうという目論見だった。
しかし目星を付けた場所に目指す石塔が無く、尾神集
落を右折し、村屋→国田を回って帰ることにした。
平場と違い、目指した場所は雪が積もっている。
集落に初冬の風情を見る余裕があった。
帰路、普通なら川谷、石谷、名木山、などと通過するはず
だった。
それがどうしたことか、いきなり大賀(おおが)への標識
が出てきた。
大賀?ここ出身の方と昔お合いしたことがあった、と思い
ながら進むと、名木山に出た。
名木山はこんなに近かったか?
何かおかしい、疑問がよぎったが石谷→川谷と現れる。
知っている方ならお分かりだと思うが、村屋の手前の直進
すべき三叉路を、下りに導かれて左折し、帰路ではなく山
に入って行く状況が生じていたのだった(後で分かったこ
とです)。
細い山道に入ってマイクロバスと出合う。おっかなびっく
りバックしてすれ違ったものの、かなり怖かった。それが
最後の対向車となった。
誰も来ない道が続く。ナビから集落らしきマークは消え、
道は一本だけになっている。何度か引き返そうとしたが、
自宅へのナビはそれと違う方向を示すようになった。
下るはずの道は上りが続き、いつしかかなり高い山道に入
り込んでいた。
スリップが怖くじわじわと極めてゆっくり走ったが、時折
後輪が振られる。
日は暮れ、見当が付かない雪の山中に一人取り残されたよ
うだ。
そろりそろりと走る道は盛んにくねって心細い。転落、遭難、
不安がよぎる。
ハンドルの手に力が入り、動悸が止まらない。
“南無大師遍照金剛 (なむだいしへんじょうこんごう)“
弘法大師空海への帰依が口をついた。
唱えは35年前父の葬儀で繰り返された文言だった。
“おん、あぼきゃ、べいろしゃのう、まかぼだら、まに、は
んどま、じんばらはらばりたや、うん”
一人の車中、どうかしていると思ったが繰り返した。
これも父の時に覚えた光明真言で、何とか言えた。
間もなくナビが“8キロ先は雪のため通行止めです”と告げ、
画面を動かすとずっと遠くに柏崎市の集落が出る。
家とは真反対、尾神岳の西を迂回して高い峠道を走ってい
るらしい。
遅きに失したが引き返す決心がついた。
自分のわだちを辿りながら、おっかなびっくり下っていく。
雪の山中45分の迷走、ようやく巡り会った民家。窓明かり
が嬉しい。
振り返れば、
下りを見つけようとしながらどこまでも上ってしまう。
間違っていると思いながらナビに沿ってしまう。
引き返そうとしながら進む。
夜間新雪の山道を老人一人、危うく事故になりかねない状
況ではなかったのか。
午後お会いした三条の方たちも怖かったと仰った。
日が暮れていたのでこの度はそれ以上に危なかったかも知
れない。
私も昨日冬タイヤに替えたばかりだったのだが,,,。
“平地は雨、山沿いは雪”の予報とはこういうことだった。
庚申塔その4、柿崎区は猿毛の庚申塔、すずきせいこさんと出合う。
6月からの石塔マイブームはまだまだ終わりそうもない。
二十三夜塔と庚申塔では、浦川原は顕聖寺(けんしょう
じ)、柿崎は楞巌寺(りょうごんじ)の各門前、そして三
和区のとある神社を訪ね、それらを当ページで紹介させて
もらった。
以後板倉区福王寺や山寺および柿崎区は小村峠と猿毛集
落も訪ねた。
本日は小村峠と猿毛で見聞した石塔を記してみたい。
一帯の庚申塔について、今はなき大先輩である笹原作二
郎医師が「柿崎町黒川筋の庚申塔」という一文を当地の
医師会報に書いておられた。
昭和59年のその会報は手許になく、医師会から取り寄
せると4ページに亘る紹介文と6葉の写真が載っていた。
先生は写真に優れ、県展で特選されたこともあった。
昭和59当時の庚申塔が載った医師会報記事から冒頭の
2ページ。
モノクロ写真はドキュメント性を引き立て、石塔は魅力的
であり、在りし日の先生を思い出して胸熱くなった。
すぐにでもこの写真のところへ行きたい。
まずは去る木曜、午後休診日に猿毛と小村峠へ向かった。
峠からの眺め。眼下に柏崎市西部の集落が。
↑峠の高台にあった二十三夜塔。幅2メートル近くあろう
という巨大な石塔(もはや岩石)だった。
30年ほど前、ここにあった5,6軒の家はおよそ10年で
半分ずつ減って、いま全戸が無くなっていた。
残った大きな石塔は、二十三夜の下弦月の晩に女性達
が集い語り合った夜があっことを、なにより誠実な住民の
暮らしがあったことを如実に物語っている。
それは石塔が果たしている重い役割であるが、江戸期に
置かれた石は、“まさか自分一人になろうとは”と呟いて
いるのではなかろうか。
その日の帰路、猿毛(さるげ)に寄った。
道沿いで見た庚申塔。力強い青面金剛(しょうめんこん
ごう)は六臂(ろっぴ;六本の腕)。
お猿さんは中央に一匹、耳を押さえているのか、左右に
もいるようだが、はっきりしない。
そして本日、先掲の医師会報を持参して再度猿毛を訪ね
た。
先回は東側から入り、この度は西から入ってみた。
この辺りで60才くらいの方にお会いし、会報の写真を見
て頂きながらて話を聞いた。
男性は軽トラに積んだネギを納屋に降ろしているところだ
った。
会報の写真を見ると、“道路補修によって今ここには無い
がすぐ近くに移してあるよ”と仰った。
有り難い。
今年のネギはどうでしたか、と訪ねると「良かったかな」と
笑顔で仰った。
石塔は本当に近くの良い所にあった。
きれいに並んだ石塔群。手前は大きな二十三夜塔!二番
目に庚申塔。
記念碑を手入れ良く保存することは、それを残したかって
の住人の願いを大切にすることであり、山間の人びとの愛
郷心とその篤さが心打つ。
行政は各地域を総括する親あるいは子孫の代表機構であり、
他に代えがたい存在意義がある。
文化都市を謳うなら、先人を尊ぶ事業の一環として各地の
民の生活史である石塔や諸石仏を文化として手厚く保護し
紹介する義務を負っているのは論を待たない。
先輩医師が撮ったものと思われる青面金剛の庚申塔。
金剛の六臂と三猿がかなりしっかり浮き出ている。
十像十色、それぞれに特徴があって面白い。
猿毛から樹下美術館に戻ると女性がお茶を飲んでおら
れた。
糸魚川市からこのたび開催された上越市の名家巡りに
来られたという方。最後の頸城区森本の白田邸の帰り
に寄った、と仰る。
お話するうち、小生がよく見るブログの筆者すずきせ
いこさんだと分かった。
まさかである!
とても知的な方だ。
以前にも当館のことをお書き下さっている。
クラウドの人が眼前にいる不思議さと嬉しさで胸弾
んだ。
沢山お話したかったが、長岡市のコンサートに出かけ
る時間が迫った。
アシュケナージ指揮アイスランド交響楽団と辻井伸行
さんのピアノが聴けるコンサートだった。
忙しい午後は長生きして良かった日になった。
コンサートのことは明日の予定にしてみます。
ついつい長くなってしまいます。
茨城の栗で渋皮煮を作る。
今ごろになると妻の友人が茨城県は笠間の栗を送ってく
ださる。
この度妻が以下の様に渋皮煮をこしらえた。
過去何度か作っているが、今回は量が多く二日がかりと
なった。
沸騰した湯につけ、冷めたら上げて皮(鬼皮)をむく。
この時皮を傷つけると煮る段階で破れてしまう。
むいた栗を重曹を加えた湯で吹きこぼすまで三回煮立てて
あく取りする。
あく取りした後ブラシを掛け、また固い筋を楊枝で取り去り、
その後水が澄むまで数回水洗いしてきれいにする。
栗はミネラルが豊富で糖質度が高い。そのため砂糖の無い時
代から甘味として珍重されていたという。
エネルギーはむき身100グラム(5~7個)で165キロカロリ
ー、このたびザラメ糖が加わり200キロカロリーにはなろう。
案外おなかが膨らむので美味しくとも2個で十分だ。
渋皮煮は、近く行われるお茶事でお菓子として用いる予定と
聞いた。
ゆで栗は食べるときに手間を感じるが、渋皮煮は先に手間を
掛けた分、後で楽に食べられ、日本版マロングラッセといえ
るかも。また比較的保存が効くという利点がある。
セイロン紅茶のブック缶に秋の実。
昔描いていた植物画をポストカードにしてささ
やかなショップでお出ししている。
過日そのうちのノブドウのことでお客様とお話
した。
野の宝石、変色するものしないもの、それらの
違いなど楽しくノブドウのお話をした。
すると本日その方が可愛いブリキの紅茶箱を持
参され、どうぞと仰った。
クリスマスのイメージがあったブック型の紅茶箱。
セイロン紅茶のブランド「バシラー」とお聞きした。
丁寧な製法とおしゃれなパッケージで知られて
いるらしい。
うちでも面白いデザインのを取り寄せてみたい。
中に色づいたノブドウと鮮やかなコムラサキの実が入ってい
た。
以前愛らしい鳥「エナガ」の貴重な写真集を頂いた。
開館当初からのお客様、誠に有り難うございました。
樹下美術館でこの鳥に会えれば最高ですね。
魚沼行きその4 雪囲い開山堂の雲蝶、お土産。
10月最後の本日は、風強く驟雨に見舞われ気温は下が
った。
二件の在宅回りでは一瞬パチパチとアラレ風なものが降
った。
在宅回りの空。
さて三回も続いた魚沼行きの記載は本日最終回。このたび
ちゃんとまとまるのか心配だ。
前回は毘沙門堂でこの方に庚申講を聴く所で終わった。
明晰な人で、妻は電話番号などを渡し、是非樹下美術館へ
遊びに来てと言った。
昔から昭和10年代まで長く行われていたらしい庚申講の習
わしは、二十三夜の月待ちに劣らず興味深く、後に触れる
ことが出来ればと思います。
少々時間をオーバーした後、石川雲蝶彫刻の西福寺へ向か
った。
魚沼見物は上手い具合に目的地が連なり、何十分も車を走
らせる事なくほどほどで到着する。
開山堂は豪雪への雪除けとしてこのようなしつらえに
してある。
決定まで曲折があったに違い無いが、歴史的建造物を
守るのに正解だったのではないだろうか。屋根の守備
が最大の課題だったという。
開山堂の雲蝶は彫り色彩とも息を飲むばかりの迫力だ
った。今様にいえばクレージー、彫って彫って彫りまく
る凄まじさである。
9月掘川紀夫さんに連れ行ってもらった奴名川に於け
る削りと彫りの作品は雲蝶からのインスピレーション
ではないのかと、ふと思った。
彫刻作品は当寺院の貴重な財産。撮影不可は仕方無い。
ショップで写真集を求めた。
雲蝶の本。トミオカホワイト美術館のものと樹下美術館書
棚に並べました。
さて火頭窓の寺院と路傍の二十三夜塔への寄り道などで時
間が無くなった。
最後の予定地である堀之内の永林寺はこの度省略して帰路
に就いた。
西福寺から小出インターは近く、高速道路で帰った。
思えばこまごまとして忙しい魚沼行だった。
気がつくとこの日昼食を食べてなかった。
夕食は大潟区のピザ屋さん「ココビーンズ」に寄った。
サラダとビザをことのほか美味しく食べた。
以下はお土産です。
西福寺の鈴のストラップ。かすかにシャリリリ(捨利利利?)
と鳴る。
ようやく魚沼のことが終った。見聞は同地のごくごくわずか。
ただ名刹と観光トンネル、それにロープウエイは観光バスと
マイカーでごったがえしていた。
八海山ロープウエイを予定していたが、行列をみて即止めた。
終わりに、一帯の風土に深々と漂う信仰の空気は得に言われ
ぬものがあり、身を置くだけで心地良い浄化を感じた。
道中で見聞した庚申講のことは後に触れてみたいと思ってい
ます。
お読み下さった方に感謝致します。
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