明け暮れ 我が家 お出かけ
素晴らしい妙高山を眼前にゴルフをした。
よく晴れた本日日曜日、妙高カントリークラブであるご夫婦と一緒にゴルフをした。
大きな木が揺れグリーンのピンがしなるほど風は吹いたが、高原の陽光清々しく眼前の妙高山は圧倒的な彫刻のようであり、ことのほか素晴らしかった。
何度も通った当コース。年のせいもあるのか、残雪の妙高にこれほど心奪われたのは初めてだった。
パートナーご夫婦の人柄がまた素晴らしく、和気あいあいと18ホールを堪能させていただいた。
富山の買い物 学童の健診 緑の庭とカフェ。
去る富山行きで幾つか買い物をした。
美術館向きに出来る範囲でお金を使うが、普段自分用は倹約をしている。
富山市内で森記念秋水美術館へ行く途中に店があり、ウィンドウに魅惑されて入った。
店は「和具 ペリカン堂」。
富山県内と全国各地の民芸風の陶器、和紙や革細工および紙や繊維に木製雑貨など、手作りの風合いが親しめる品が並んでいた。
気に入ったものがあったので、求めた。
文箱と手ぬぐい。しっかりした和紙の文箱(4000円)は特に気に入りました。
手ぬぐいは庭仕事で使うつもりです。
和菓子用の楊枝(ようじ)。
すでに美術館のカフェで、お抹茶に付くお菓子に使っています。一本500円でした。
以下は駅構内のお土産屋さんで求めたオコジョの可愛いおみやげ陶器。
コップの縁につけてみました。カフェの丸テーブルのメニュー表にに乗せてみます。
以上、財布能力にも収まり、楽しい買い物だった。
さて本日午後から小学校の健診があった。
クラスによっては一部の肥満が気になったが、みな個性的で可愛いかった。
大人しく順番を待っていた一人の児童が印象的だったので、何になりたいの、と訊いてみた。
小さなな声で「パテシエ」と答えたので、「がんばってね」と言うと、「うん」とうなづいた。
みんな可愛いのだから、ずっと健康でいて欲しい、とつくづく思った。
上越市は吉川区で従姉妹の法要の日。
午後に上越市吉川区は国田の善徳寺で従姉の一回忌法要があった。
大正12年生まれで最年長のいとこの享年は94才だった。
二十才年が離れていたので、子供の頃に「おばさん」と呼ぶと、「いやね、お姉さんでしょう」と言い直しをさせられた。東京女子大出身、東京大学地震研究所に助手として勤務経験がある優しく聡明な人だった。
大正生まれの方はご苦労されている、とはある僧侶の言葉。
亡き従姉も空襲に遭うなどで神戸、東京、旧菅原村、旧吉川町と人生の苦楽を歩まれ、後年坊守の傍ら地域活動や俳句に勤しみ、幸せな晩年を送られた。
若き日苦手だった経は、本日美味しい水でも飲むように心耳に響き、懐かしくも良い時間を過ごさせてもらった。夕刻のおとぎは場所を移し、鵜の浜温泉「みはらし旅館」に会した。食べきれないほどのご馳走を頂き、初めてお会いする浦川原の方のお隣で時間を忘れて興味深いお話をお聞きした。
国登録有形文化財「経堂」や市指定有形民俗文化財「仏足石」のある清々しい善徳寺。
本日、お陰様で樹下美術館はお客様に恵まれ、好評の展示を見入られ、またカフェが満席になる時間もありました。
誠に有り難うございました。
令のこと、令和の新元号その2
申し分けありません、以下本日二回目の記載です。
今昼、元号発表を見て、前回のノートに書いてみた。
その後、美術館に行き遅い昼食を食べ、お客様と話をした。
元号の話題が少し出て、皆さんは意外の印象を口にされたが、特段長話にならなかった。
診療への帰路、そういえば令には令嬢、令息、令室があり、麗しさや尊びを込めて使われている事を思い出した。
ああ、それで良い、馴れるはずだ、と感じられてきた。
一方、律令制度、大宝令などにあるように令には法令の意味もある。このたびは麗しのほか、法が意識されているか、と一瞬ドキッとした。
出典の万葉集の時代は大系として律令が確立される時代でもあるから余計だった。だが政治を持ち込まない元号制定ゆえ、杞憂としたい。
意外な令と再度の和の登場。
思いがけない号だったが、令の名で女優団令子が浮かんだ。
今後生まれる女のお子さんで令子、令奈、美令、男の子は令治、令太などが一気に増えるかもしれない。
再びまみえん。
一昨日の25度から一転、本日車が示した午後の外気温は6度。朝早くは雪が舞ったと聞いた土曜日。
こんな日は美術館など、どなたも見えないのでは、と思っていたところ9名の方に寄って頂いた。
助かります、有り難うございました。
そんな夕刻、あるご夫婦が転地されることになり、2組の夫婦が加わって食事をご一緒した。
優しく美味しい料理のOSTERIA SAKAZUME(オステリアサカヅメ)の3時間余、文字通り名残を惜しんだ。
尽きぬ話に、その昔の忘れていた事を細かに覚えて下さっていて胸が熱くなった。
会うは別れの始めとは、はそれでいい。一方、“別れは再会の始まり”もあろうと思った。
拙句)
再 び と手 を 差 し 出 し た春 の 夕
あれから8年 何故か今懐かしいノンちゃん。
東北の大震災から8年経った日、終日寒い風雨に見舞われた。8年前の現地も時間とともに雪が降り始めていた。その日、夜間に南三陸町が津波によって壊滅、というニュースが流れた。そこは弟一家が住む町だった。
音信が無いまま数日経過し、弟の友人から四日経った日に無事の知らせを受けた。一家は山間に入った場所に住んでいたため難を逃れ、子どもたちが通っていた学校は高台にあったので無事だったという。
安否は友人のネットワーク、および衛星携帯電話、Twitter、Google Person Finderなどメディアを経由して確認された。この間、一家は被災された家族の世話などに忙殺されていたといい、繋がった電話所の元気な声に胸をなで下ろした。高台の校舎から、波に呑まれていく町を見ていた生徒が気を失って倒れた、という姪の話はとてもショッキングだった。被災地は弟、子供、義弟などの家族が住んでいて暗澹たる思いだった。
ところで原発被災者とそのふる里の現状も辛い。今夜、新たな公共施設など現地のシンボリックな場所をきれいに拾って映し、それで良しとしたテレビ局があった。しかしいまだ多くの人が不安定な身分のまま、解決されないストレスを抱えて転々とせざるを得ない状況がある。
この現実に対して、交通事故に比べれば、原発災害は死亡が少なく些細という言説が見られ、本当に悲しくなる。
仮に一家に一台原子力炊飯器などがあり、それが事故を起こしたのなら、無理してでも交通事故と比較すればいい。交通事故は深刻だが、それによって何の非も無い10数万人の地域住民が、一夜にして転校、転職、転院、離郷を強いられることが普通に起こるだろうか。未経験、異質の大事態に対して、奇妙な比喩を持ち出し、二分して切り捨てようとする。苦しむ同胞に対する何という冷酷さ。かってない無謀な論調は、二分法が基礎であるコンピュータが社会にもたらした悪しき水脈の現れなのか、本当に情けなくて悲しい。
話変わって亡き仙台の妹は、30年ほど前、当地でノンちゃんというペルシャ猫を飼っていた。
ある日、旅行に行くので預かってといって猫が家に来た。気が強く、人を寄せ付けないといわれていたノンちゃんは当然私に懐かない。触ろうとするとフゥーッ!と爪を立て、近づくこともままならなかった。
折角の美形が台無しだった。
何とかしてみたいと思い、毎日の食事時間ごと、容器をわずかずつ自分に近づけ、寝転がりながら「ノンちゃん、ノンちゃん」と精一杯優しく呼んでみた。何日かすると、私のすぐそばで食べるようになり、ある日そっと触った。触る場所によっては厭がる素振りもあったが、そのうち頭や背中などを撫でると喉を鳴らすまでになった。
一週間はかかったか、ついに膝に乗るようになった。帰ってきた妹が見て、エッと言って絶句した。
あまり厳しくしないでね、と妹に告げ、以来仲良く暮らした。
ちなみにノンちゃんはある女優さんの所から姉を経て妹の許へ来たということでした。
早春の大潟水と森公園 夕刻に旧潟町村小学校分校同級会。
上越市髙田で12度になろうという暖かな土曜日、午前の仕事の後大潟水と森公園を歩いた。
お目当ては数日前の地域の新聞に載ったミズバショウを見ることだった。数本の花が遠慮がちに開花しいるだけで、多くはまだ苞を閉じていた。
場所は小高い森に囲まれている場所は清水が湧いている。水は冷たそうだが、澄んだ色合いが気持ちが良かった。
公園の後、ホームセンターで買い物を少々。その後美術館で芝生に施肥。施肥はあと三分の一でこの度の終了の予定。次回は桜が咲くころにしてみたい。
午後6時から地元鵜の浜温泉で、小学1~3年生まで通った旧潟町村小学校分校の同級会に参加。
昭和24年、分校における小学二年生時の写真。
一学年一クラスで、数えてみると61人がいた。
後ろの校舎は立派でこれが分校とはピンと来ない。
実は私たちの旧潟町村には戦前小学校が二つあった。戦後、それが一つに合併され、もう一つは新生中学校の校舎になった。当然小学校に全生徒は入れない。そこで三学年しかない中学校の余った教室が分校として用いられた。分校へ3年間通うと4年生から本校へ通うわけだが、そのため分校とはいえ、立派な校舎(中学校)で写真を撮っている。
この変則は本校が分校の3クラスを吸収できるまでかなりの間、続いていたと思う。
さて本日の集まりは地元民ばかりが10人。みな認知症もなく、アクは抜け切って、ミズバショウが咲いていた清水のように澄んでいる。何の利害もなければただただ安心で、親戚でもなし、独特の気楽さを覚える。
出席している一人の男の話が出た。彼は母親に大変可愛がられ、入学式はおろか6年生まで遠足に母が付いてきたという。皆にはやされたが、私は初耳であり、貧しかった時代にそんな同級生がいたことにとても驚いた。立派な仕事を営む明るい人柄の同級生の話だった。
女子は、えこひいきをする担任がいて、いやだったと話した。自分のことで精一杯だった私は、いずれの話も全く知らなかった。
あっという間の二時間を終えてあっさり解散。この先も続けるか、話題になったが、参加者が8人になったら考えようという事になった模様。
冬の連休は急ぎ足で京都と奈良へ その4(庚申塔その18)奈良。
去る2月9日に上越妙高を発って出かけた京都、奈良行を三回に亘って記載させて頂いた。
疾風のごとく回った京都では曲がりなりにも社寺を訪ね、窓を眺め、二つの庚申堂を訪ねた。
2月11日、最終日の奈良は予め訪問先のメモをホテルのフロントに渡し、観光タクシーさんに予約してもらった。
9時出発の当日、最初は昨夜の奈良町庚申堂へ。前夜暗がりで見た屋上のお猿さんを確認して撮るためだった。
空を見ていた猿は二匹の小猿を抱いていた。てっぺんの三猿が可愛い。
貴重な仏を訪ねる前にお猿さん、運転手さんが笑っていた。
私よりも少々若そうなその方は生粋の奈良っ子。腕白時代は東大寺や興福寺の境内を遊び場とし、大抵の池で釣りをしたという。
才媛を奥さんに、どこか火野正平に似た雰囲気。訪問先の寺院と時代の裏表を知り尽くしている風にお見受けし、終始楽しませて頂いた。
興福寺へ。
東金堂で薬師如来と脇侍の日光月光の菩薩を拝観。菩薩のモダンな表情が印象的だった。
近くで見る五重塔。
遠目の優美さと違い、軒先まで吹き出すように組まれている斗栱(ときょう)が凄まじい。内陣に穏やかな釈迦三尊が安置されているという。
幾度となく焼失復興を繰り返し昨年再建なった中金堂へ、妻と運転手さんが歩く。堂内に本尊と釈迦如来、薬上と薬王の両菩薩が脇侍し、さらに四天王が固めている。元々は藤原鎌足が蘇我入鹿の打倒を祈念して安置したという如来。厳しい表情をしている。
興福寺は藤原氏の絶大な権勢をそのまま表すものというが、運転手さんは説明で藤原不比等を何度も口にした。どこか江戸っ子のような氏は「不死人」と発音しているように聞こえた。
国宝館の入場券。
圧倒的な千手観音菩薩に迎えられ、遠い存在だった阿修羅、沙羯羅(さから)、須菩提(しゅぼだい)の前に立てた。
眉が感情を目は意思を、唇が両方のバランスを取っている。ある意味みな私などよりも遙かに生き生きとしていて、話し掛けたい衝動に駆られる。技法といい、古代の人はかく微妙な像を良くも造ったものだ、とため息が出る。
東大寺へ向かった。
私たちの予定にゆとりがあったのか、間もなくお水取りという二月堂を丁寧に案内してもらった。
当日の松明となる竹が用意されていて、緊張感が漂っている。
竹は根を付けてバランスにするという。
大仏殿へ。これでも創建の三分の二という。いったい材の切り出し、運搬、削り、、、クレーンも無い時代、どのような足場を組み、如何なる滑車やロープを用いたものか。
大仏殿前の八角灯篭のうち、銅鈸子(どうばっし)の音聲菩薩(おんじょうぼさつ)。
齋藤三郎さんから頂いたらしい樹下美術館が収蔵する拓本の掛け軸。
大変丁寧に採られていて、こちらの方がすっきり美しく見える。
秋篠寺へ。
本堂。お目当ての芸妓天は力みが無く、恥じらいとも取れる表情が見えて親しみを覚える。
一時は大ブームとなりにぎわったという。
一面苔むす庭が美しい。随所に万両が赤い実をつけている。苔が欠けている所は万両が採られた跡だと、運転手さんが嘆いた。
続いて初めて伺う唐招提寺へ。
鑑真和上の命がけの渡来の物語は今日も心を打つ。
境内を和上の墓所へと向かう。簡素な泥煉瓦の塀が何故か懐かしい。
霊廟には中国の要人も訪れていて、日中の長い絆に触れることになる。想像以上に広い伽藍を歩いていると、天平の修行僧たちの明るい歓声が聞こてくるような気持ちがよぎる。
続いて最期の訪問場所、薬師寺へ。
昭和56年再興の西塔。
伽藍はただ美しいとしか言いようがなく、冬であることを忘れた。
休憩所に薬師如来の台座のレプリカが展示されていた(人物はレプリカではありません)。
裏側に回ると力神の下に白虎と青龍が浮き彫りされている。
この彫刻を拓本に採った風炉先屏風が樹下美術館にこれまたある。
長く実物を見たいと思っていたが、この度レプリカで見ることが出来た(金堂のこの二面は裏側にあるため上手く観察出来ない)。
昭和50年代後半だったか、新潟三越で薬師寺展があった。その時売り出されていた風炉先屏風(ふろさきびょうぶ)。売り上げは多分薬師寺復興に資されたはず。今まで自信がなかったが、ようやくこの目で台座を確認し、晴れて説明できるようになった。
最期に北のはずれ、通りに面した所で何本もの梅を見た。
この度の旅行で最も良い開花に出合った。
午後3時半ころに近鉄奈良駅でタクシーさんとお別れした。何事においても含蓄ある話をされる方で、とても楽しませて頂いた。
近鉄特急で京都駅へ。中学時代の修学旅行以来3度目の奈良行きが終わった。
到着した京都で1時間近く時間があり、駅ビルを楽しんだ。
昨年の九州旅行で初めて見てすっかり好きになった駅ビル。
前は西の高い所へ行き、このたびは東側へと上ってみた。
京都に続き、ようやく奈良を終了しました。わずか二泊三日の旅行でしたが、長々と連ねて恐縮しています。
このたび奈良では色々考えさせられましたが、薬師信仰の厚さから、病が如何に恐れられていたかを思いしらされました。
帰り来て遠き仏をおぼゆれば み影にそひし薬師白梅
また当時庶民はこの壮大な寺仏を参詣し拝観できたのでしょうか、と興福寺で運転手さんに尋ねてみた。
「とんでもない。不比等の権勢」と返された。
およそ文化は時間を掛けて上から下へと流れて広がる。
では今日我々は上にどんな文化を戴いているのだろう。
後からでないと分からないものなら、今見えないのも事実のうちか。
それとも超情報化時代、今見えなければ本当に何もないのか。
翌日追加:興福寺から東大寺への道すがら、変わった窓の建物がありました。
旧奈良県物産陳列所(奈良国立博物館仏教美術資料研究センター)。
明治後期、関野貞による設計で、国の重要文化財にも指定されているということです。斗栱を用い、瓦を葺き、蛙股(かえるまた)や高欄などの和の様式にイスラム風の窓をあしらうなど、大変凝った建物でした。
ここのことは予め調べていましたが、京都の本願寺伝導院の窓とともに目の当たりに出来て幸運な事でした。
“遊ぶ”と“稼ぐ”。
強い寒波が来ていてとても寒い。今年の不思議な事には、寒い割に大して降らず、今朝もも5センチばかりの雪がふんわりと積もっただけだった。
ところで昨日は多くの方が今冬運動不足をかこっていることを書かせて頂いた。それが本日来られた方は、犬がいるので寒いけれど結構歩いています、と仰った。確かにその通りであり、付け加えなければならない。
一方本日、「毎日遊んでばっかりです」、と仰る方がいた。但しこの場合の“遊ぶ”は、仕事をせず何かにうち興じる、という意味ではない。
往々にして皆さんは何もしないで“怠ける”ことを“遊ぶ”、と仰る。この言い方は他でも同じだろうか。開業当初、それを豪遊のことかと思い、お金持ちがいるんだなあ、と感心していた。
似たことで反語に近いものにも出合った。“稼ぐ”である。
「おまん、そんなに稼ぎなさんな」。
開業した最初の冬のこと、仕事を終えて暗くなった駐車場の雪掻きをしている時に言われた。声を掛けたのは通りがかった同級生だった。
それを聞いた時、自分はさほど金儲けに熱心ではないのに、誤解されているのかと思い、とても気になった。
後で“働き過ぎないように”という、いたわりだと分かるまで何ヶ月もかかった。
いずれも標準語だが一般的な意味を少し変えて使われている。聞きようによっては、大人の言葉づかいのように伝わる。子供や中高生時代には知らなかったので、帰郷して初めて聞いた時には少々うろたえた。
朝日池に集まるバードウオッチャー クリスマスローズ、ふきのとう、ルッコラ、夕暮れの海。
大雪の年でも、2月になると穏やかな晴れ間が訪れる。大抵一日だけで、長くは続かないが、日射しに強さがこもり、春遠からじを覚える。
昼食を摂ってから朝日池に向かったものの、白鳥もハクガンも居なかった。
でも池の堰堤にはずらりとバードウオッチャーの車が並んでいる。全国とは言えないが、新潟はじめ長野、群馬の隣県、関東、関西の車もある。付近の森にいるらしいオジロワシの出番を待ってい人も居るようだ。
例年集まる沢山の車。良いお天気なので、お仲間同士、鳥を待っている間も楽しいことだろう。
午後訪問診療をしたお宅でフキノトウを戴いた。右側の小さなのは私が樹下美術館の庭で取ったもの。
ほとんどよその人に採られるので、小さな残り物を有り難がってる。
お宅からルッコラも頂戴していた。うっとりするような早春の色だ。
夕刻の四ツ屋浜。こんな海をみていると、もう春と言ってもいいのかな、と思ってしまう。
樹下美術館の冬期休館は半分を過ぎた。例年ここまで来ると急に開館までの足が速くなる。
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