明け暮れ 我が家 お出かけ

過日DVDで観た大映映画「婦系図(おんなけいず) 湯島の白梅」 運転免許証更新。

2021年2月4日(木曜日)

去る1月24日にDVDの1955年制作映画「婦人(おんな)系図湯島の白梅」を観たことを書いた。
それまで物語を読んだことも観たこともなく、伝わる「別れろ切れろは芸者の時にいう言葉」のセリフがどんな場面で述べられるのかなど興味深く観た。

あらすじとして、
ドイツ語辞典編纂に取り組む教授の愛弟子・早瀬主税(鶴田浩二)は将来を嘱望されている。彼はもと柳橋の芸者だったお蔦と密かにつましい所帯を持っていた。ある日お蔦はスリが起こした事件に巻き込まれ新聞沙汰になり、二人の仲が明るみになる。恩義のある教授の知るところとなり叱責され、世間のさらし者の身となった主税。ある晩新婚の仕度に勤しむお蔦を近くの湯島境内に誘い、“死んだ気になって言う”と述べて、お蔦に別れてくれと告げる。

以下2枚は美しい山本富士子のお蔦。

以下は主税が別れを切り出す湯島天満宮(湯島天神)の場面。

いっそ死んでくれと言って、と嘆くお蔦。

 

湯島天神の場面はセットだとしたら造作の美術は素晴らしい。
一昨年訪ねて見た通りに渡り廊下も出てくる。

さて、
「別れろ切れろ云々」は、映画で以下のように別の言い方だった。
「切れるの別れるのってものはね、芸者の時に言うものなのよ」、「死ねと言われればいつでもはいと言います」と続けられた。

そもそも泉鏡花の小説「婦系図」に湯島天神の場面は無く、後に芝居向きの台本として鏡花自身によって書かれたものらしい。
湯島という場所は、一帯に多くの大学や学問所がある文教的な場所であると同時に歓楽街もあった。そこにおける学問と恋、義理と人情、身分と世間などの劇的な要素が絡んだ物語は、身近なものとして広く受け入れられたと考えられる。

次は映画の場面を背景に歌われる鶴田浩二の「湯島の白梅」です。

 

二人は別れ、主税は郷里へ帰り塾を開き、残されたお蔦は病に伏す。臨終間近となったお蔦の床に悪かったと言って教授が駆けつける。教授もかって同じ道を歩んだことがあったのだ。教授の電報で容態を知った主税は間に合わなかったが、変わり果てたお蔦の枕元に添えられた白梅がひっそりと咲いている。

湯島の白梅は新派の芝居で有名で、映画も数本あり同名の歌も多くの人に歌われている。冒頭の聞き慣れた台詞はある歌手の歌に挿入されたセリフで、それが常套句として拡がったようだ。

昨年正月はまだコロナ騒ぎは無く、年末の鎌倉行きの前日湯島天神を訪ねブログに書いた。鎌倉では行く先々の社寺で見事な梅林を見た。いずれも蕾で、春近づいたら是非花を見たいと思い、行程を予約していた所コロナになった。今となっては湯島も鎌倉も夢のまた夢のように覚える。
昨年の鎌倉行きです。鎌倉その2 その3

本日午後ある方から誕生日祝いのお菓子と本を頂き、寒い日にあって心温った。
後で運転免許証の書き換えで直江津へ行った。時節がら書き換えはいつも寒く、しばしば雪がもさもさと降り、駐車に苦労した。本日行ったのは新しく移動した場所で、駐車場は立体。スタッフはとても多かったものの不慣れな私は何かと戸惑った。

雪のなか小林古径記念美術館の後期展示を観た 本日は誕生日。

2021年2月1日(月曜日)

昨日日曜日は南掘で白鳥を見た後小林古径記念美術館を訪ねた。
昨年10月新規開館して始まった企画展「上越 美術のチカラ 展」は今年になって後期展示が始まっている。

 

駐車場は広くあいている。
だが先の豪雪の凄まさを窺うことが出来る。

ちょうど宮崎館長さんが顔を出され、ご親切にも案内してくださった。
疲れずに観られる丁度良い作品数。全て力作であり、必ずどこかに見所があってみな楽しめる。各展示場所の明暗も面白いとあらためて感じた。

以下展示のごく一部です。

 

初めて観た古径作「作榊原康政檄文染筆之図」(部分)。
髪の毛の何分の一という繊細な線は一種凄味でもあろう。
激しい表情が多い歴史画で、人物達の品の良い顔立ちに作者の骨頂。
藩主康政が織田家を裏切った秀吉を非難する檄文を書く有名な場面だという。
春香という雅号が見えたが、古径以前の号であり、貴重な初期作品。

 

古径「柿」
穏やかな柿が二つ。安定感のある輪郭線が魅力的だった。

 

筑波進(1937~)「現代世相考」。
饗宴の廃墟にかすむように消える階段。
繁栄の中に伝えるべき実相を見つけるのは難しい課題。
が、希望が無いわけではない、と述べているようでもあった。
重いテーマだが、緻密で美しく感じた。

 

大口満(1955~)「新雪の漁師小屋」。
朽ちた小屋を新雪が優しく覆う。去った時代と人への鎮魂であろう。
小屋の壁の赤い色に、かって燃やされた命が表象されているようだ。

 

雪がそのまま見える明るいガラスの回廊。
雪によって斎藤真一の瞽女やガレ作品がしみじみと冴える。

 

雪中踏ん張る掘川紀夫作「テンセグリティ」。

 

陶磁器作品が並ぶ古径邸画室。
三角に組まれた入り口の雪除けが効いている。
豪雪のただ中は本当に大変なことだったと思う。

 

画室玄関に生けられた春の花。
青磁の器も素晴らしく、春の息吹を感じさせるもてなしが嬉しい。

 

 

陶芸クラフト運動を先駆けた内田邦夫の茶器。
過去の貴重な作家の認知は公的美術館の大切な仕事。

江戸末~明治・大正・昭和の越陳人や深林人、仙堂などの山水画は郷土作家ならではのシンパシーを感じ、穏やかでほっとさせられる。

 

雪中の古径邸。
緩やかにカーブがついたむくりの屋根にあらためて眼が行った。

 

明るい長廊は雪の重圧をかわしていっそう価値を発揮している。
市街地の雁木に共通する意義と眺め。

新規開館後の最初の冬をけた外れの豪雪に見舞われた美術館。十分に対策されていたと思われるが、厳しく試されたにちがいない。館長、スタッフの心配と除雪の苦労は想像するに余りあるが、乗り越えられほっとされたことだろう。

上越ゆかりの作家達の展示。
ここに生まれ育った人、やって来た人、それぞれの作品が大雪の中でチカラをみなぎらせている。忍耐強く穏やかな人柄の底に秘められる情熱。厳冬に見た郷土の芸術家の作品は、ややもすると沈みがちな冬に力と明るさをもたらすものとして心に深く収まった。

 

雪中の西堀橋。
小雪のなか絵画的な眺めだった。

雪国の美術館とその作品を雪の季節に観るといっそう愛着を覚える。駐車場はきれいになっていて、多くの方に観て頂きたいなあと思った。

さて本日は誕生日。同じ誕生日の父の年を越えたことになり、過ぎた1年の無事に感謝し、父には申しわけ無い気持がよぎった。いつもながら親子して寒い日に生まれたものだと、思った。

 

バースデーケーキ。
カップに入ったシフォンケーキを美味しく食べた。
可愛い器はイギリスのミッド・ウインター社製のアンティークです。

同社の以下ザンベジは樹下美術館のカフェでお出ししています。

ザンベジシリーズのカップ&ソーサー。

風の大潟区、夕刻の風のニュースに小学校同級生のインタビュー。

2021年1月29日(金曜日)

昨晩遅くから予報通りに強風が吹き出した。
海沿いの上越市大潟区は風が強く、特に冬期間は猛烈だ。雪は風に飛ばされ、また海に近いため僅に気温が高いこともあり、積雪は内陸部より少なめに推移する。
今冬の豪雪で多くの地域で積雪が2メートルを越え、所によって3メートルにも達したが、大潟区は177センチにとどまっていた。

本日夕刻のローカルニュースは冬型の嵐による風を取り上げる局があった。大潟区の国道8号線にレポーターが立ち強風を伝えた。画面がインタビューに変わると、ある男性が映った。スタンドと車輌工場を営む小学時代の同級生Y君だった。とても元気にしっかりと応えた。

参加していた小学時代の分校同級会は3年前を最後に開かれていない。
風と寒さの中、防寒服を着て話す画面いっぱいのY君の顔をみて、嬉しく励みになった。

いつか訪ねたい春の由利の鳥海山。

2021年1月22日(金曜日)

現在通っているお宅の玄関に鳥海山の大きなモノクロ写真が掛かっている。

真っ白な雪を頂いた大らかな山容は見事で、近景の松が空間の大きさを際立たせ、風景に祝福を与えている。構図、露出、ピント、みな素晴らしく、知り合いの素人の撮影と仰ったがとてもそうとは思われない。
お宅の主は若い時まで秋田県は旧由利郡(現由利本庄市)におられ、この風景を身近にされたという。崇高な霊山の写真は長く家の守り神になっているのではないだろうか。

お宅を訪問するたびに写真を眺めるが、いくら見ても飽きることがない。それどころかこの場所を訪ねたいと思うようになった。
サイトで見る鳥海山の中でも特にこの眺めは素晴らしく、コロナさえなければ今春など訪問が実現していたかもしれない。

 

見れば見るほど素晴らしい。

開業以来45年の間に海外旅行は未経験、国内もごく僅かしかなかった。ようやくこの数年で九州と奈良・京都、そして一昨年は鎌倉を妻とともに訪ねることが出来た。だが少しずつ旅を楽しみたいと考えていたところコロナになった。

いま前線でコロナと戦っている医療者を思えば誠に身が縮む思いであり、旅どころではない。
いつかコロナが晴れて前線が解放され、国内が明るくなったら由利を訪ねて鳥海山を見たいと思う。
山の名は鳥と海。
いずれも私が好きなもので、とても良い名前だ。

上越市大潟区は小さな区 田や林を走る在宅訪問 超高齢者で無視できない食事の負荷。

2021年1月19日(火曜日)

ようやく道路が落ち着いたので今月も在宅訪問をすることになった(看護師に催促もされて)。

医院がある旧大潟町は平成7年の大合併でそのまま区になったが、面積は16キロ㎡少々と大変小さい。四角にすれば4キロ四方しかないのだ。
その区を北から順に(海から順に)県道浜線、国道8号線、JR信越線、北陸高速道が東西に横切っている。
小さな町を道路や線路が忙しく通過しているのだが、海辺や雑木林(昔は松林)が何とか残っているので、一定の自然に触れることが出来る。

本日の訪問は三軒で、二軒が町うち、一軒は田んぼのある集落だった。水田地の集落へ行くのは林や田を走るので清々しく気持ちが和らぐ。

以下本日、帰路の写真です。

 

両側の田は深い雪の中。
向こうの雲間から青空が覗き明日はお天気になりそう。

 

さらに進むと向こうに高速道路が見える。

 

 林を横切るとJRの高架橋に出る。
ちょうど電車が来たので車から降りて撮った。
豪雪で何日も運休していた電車が足取り良く通過した。

 

さて時々食事中や食後に失神していた方が食べ方を変えて以来すっかり症状がなくなった。超高齢になると食事はその都度、消化や循環、あるいは神経系にとって実は一大イベントに相当するようになる(自覚出来ないのが普通ですが)。
その結果、超高齢者は調子良く食べ続けて太り始める頃に、救急騒ぎが起きることが少なくない。
太るまで食べることと、騒ぎになって慌てること、どちらを選ぶか難しい。出来れば安全な生活が良いのではと考ているが、どうだろう。

明日は大寒。厳しく始まった冬、今後しばらく小康が期待できるのか。

昨日除雪された道を走ってみた 本日の美術館 ハワイアン音楽への始まり。

2021年1月17日(日曜日)

今回の豪雪が始まって以来、地域の幹線道路なのに中々除雪が進まなかった県道「浜線」。
多くの人が徒歩を余儀なくされ、これが昔ながらの移動、と否応もなく感じた。

その浜線も昨日除雪されほぼ普段の通行に戻った。
土曜日午後、ずっと家に居たが主要な道路が開いたので、暮れてから浜線、国道8号線、新柿線を走ってみた。
まだ幾分狭いのですれ違いは双方でスピードを落として走る。だが黒々とした道路はやはり心強かった。

 

ようやくきれになった昨夕の浜線。

 

 

咲く夕暮れ、新柿線は内雁子の「朝日池むら市場」。
日ぐれて閉まっていたが、イルミネーションに誘われて駐車場へ入った。

 

店の前に並ぶパンジーのプランター。
サクラソウとパンジーは、雪があろうと春を待たずに咲きはじめる。
豪雪に花、心使いが嬉しい。

本日の樹下美術館。雪の中で踏ん張っているのだがやはり寂しそうだ。

 

さて前回学生時代にハワイアンバンド部に所属したことを書いた。一旦書くと何を言われても構わないという気にもなった。

それで本日、私達がテーマ曲に借用していた「Na Lei O Hawaii」を載せてみました。曲名はハワイの花飾り(レイ)、という意味でしょうか。

 


当時第一人者、バッキ-白片の「ナ・レイ・オ・ハワイ」。
どんなグループも自分たちのテーマ曲をみな愛している。
2小節目の頭のディミニッシュコードの響きが気に入っていました。

幕が開く、あるいはバンドが入れ替わる、、、。
間髪入れずに澄んだスチールギターが、続いて一斉にベース、ギター、ウクレレ、ヴィブラフォンが鳴る。場内は主にスピーカー音が響きますがステージはほぼ生の音に包まれます。立ち上がる音の立体に、毎回何とも言えない緊張と爽やかさを覚えました。

ハワイアンと言えば、結核を患った高校時代、肺機能維持のためにと、いい加減なことを言ってウクレレを買ってもらいました。本当は、当時ラジオからしばしば聞こえた軽快なエセル中田の「カイマナ・ヒラ」が気に入ってしまい、どうしてもウクレレがほしくなったからでした。

 


1958年の音源で「カイマナ・ヒラ」。

教則本を求め、寺町の下宿で「カイマナ・ヒラ」はじめ、「アロハ・オエ」「Beyond The Leef(珊瑚礁の彼方に)」「小さな竹の橋の下で」などを弾いて歌ったのが始まりでした。日常が制限され、服薬と毎週の注射が続いた生活をウクレレに支えてもらったと、振り返っています。

半年の休学を含めて4年がかりで高校を卒業すると病は癒えました。重かった空の雲が晴れた東京の学生生活。勉強とともにテニスと音楽、二つの部活も熱心に取り組みました。

晴天の日、6日振りの在宅訪問 学生時代の部活ハワイアン。

2021年1月15日(金曜日)

本日はよく晴れた。
今月の在宅回りは急用でない人は休もう、と看護師と話していた。
しかるに午前中、家の周囲が除雪されていますので来て下さい、という電話があった。T字の県道の一つが除雪され、車を出せるようになったので是非も無くお寄りした。

お宅の周囲と道路からのアプローチは広くしっかり除雪されている。
92才のお爺さんが、俺がやると言ってスコップを握ったらしい。力が余ってお隣のも片付けたという。
人様にありがとう、と言われるとつい喜んでやってしまうのです、と娘さんの話。

二年ほど前に心不全で病院の世話になった大柄なお爺さん。体重を減らしましょうと取り組み10キロは痩せた。以前は何かとゼーゼーしていたのにお隣の分まで除雪とは本当に驚いた。
でも無理は禁物、当分ひどい寒波はなさそうなのでしばらくは大事にしてもらいたい。
ベッドのおばあさんも毎日歩行を練習され、春の外出が待ち遠しいと仰った。
本日の温かな日射しが皆さんをいっそう明るく活気づけているように感じた。

 

手前は除雪された道。

 

突き当たった県道は本日もこの状態だった。
ザクザクとした不安定なデコボコ道は歩行も苦労し、まだ自家用車は無理。

 

活躍した除雪機。昨年は一度も出番がなかった。

 

歩いて来院された方が、生まれて初めて杖を使いましたと仰った。
例年以上に歩いたり除雪をしたりの今冬。運動不足で太りがちとなる冬の様子が少し異なっている。

 

 


真冬にハワイアン曲「Drifting And Dreaming」。
曲は“漂い夢見る”あるいは“ウトウトしながら夢見る”という意味でしょうか。

実は学生時代、私は部活でハワイアンバンドに所属していました。
懐かしいこの曲は、ウクレレ片手に声を張り上げてK君と歌っていました。担当は上のパートのコーラスで、楽器はウクレレとフル-ト、後年司会もさせられていました。先輩たちはモダンなハワイアンを目指し、熱心にコードを分析しアンサンブルやオブリガートを研究していました。K君のやわらかな良い声も忘れられません。

 

ついに長年の内緒、学生時代の実態を告白してしまいました。いつかコロナが終わり、生きながらえていたなら何枚かある当時の写真を掲載してみようと思っています。
それにしましても私を部活に誘ってくれ、ギターやベースを弾いたSが昨年亡くなったのは、今にして人生観が変わるほど悲しいことでした。

除雪車が来てお濃茶を飲んだ 本日のヒヨドリとスズメ ひもじい白鳥が県道を歩いたという。

2021年1月14日(木曜日)

本日午後仕事場から8号線に出る県道が除雪された。

 

最悪だった11日午前の様子。

 

雨によって減った昨日13日夕刻。まだ向こうで行き止まりになる。

 

本日、排雪トラックと一緒に待望の除雪車が来た。

 

きれいになった。
但し浜線はまだであり、明日になるのか。

ところであれだけ賑やかだったスズメたちが、本日は7,8羽に減っている。
どこへ行ったのだろう。
彼らは雪溶けで現れた木の芽も食べるようであり、ある程度餌が自由になったのか。あるいは渡りを行っていた一群で、空腹を満たした後再び旅の途に就いたのか。鳥と話できるなら聞いてみたいところ。

 

本日のヒヨドリ。
スズメが減って淋しそうに見えなくもない。明日スズメは来るだろうか。

 

道が切れたのを記念して夕食後甘納豆を口にし濃茶を服した。
(卓上で練りました)

本日来られた方が、白鳥が朝日池近くの県道を歩いていたと仰った。轢かないよう車はゆっくり後を走ったらしい。
豪雪によって白鳥や雁たちが飢えに直面しているのは容易に想像できる。道路に出たとて食べ物にはありつけるはずがない。
折角当地へ沢山飛来したというのにとても気の毒だ。

餌台に来たスズメ だれかに似ているヒヨドリ 道路除雪が止まっている。 

2021年1月12日(火曜日)

豪雪で飢餓が心配される鳥のために、昨日二階の手すりに小さな餌台を設えた。
さっそく夕刻にヒヨドリが来てパンくずをついばんだ。そして本日思った通りスズメがやってきた。

 

カーテン越しに見る朝のスズメたち。

餌台が小さいため雪上にも撒いた。

 

縄張り意識が異常に強いヒヨドリ。
たいてい餌場ではこの鳥VSほかの鳥の構図になる。
風貌がだれかに似ている。トランプ氏だと分かって可笑しかった。

 

ヒヨドリは十分食べてしまうと、多少寛容になる。

 

スズメはどんどん増えて夕方は30羽ほどになった。
シジュウカラが一羽顔を見せたのも嬉しい。

 

枝で一息ついているスズメたち。

 

丸3日降り続いた大雪で周辺の道は車が通行不能のまま本日火曜日を迎えた。
10数人の方が受診され、20人ほどの方は本人に代わって健常なご家族や知人が処方箋をもらいに来られた。受診した方の中には、車が来る国道まで送ってもらいそこから徒歩、受信後降りたところでまた落ち合うなど工夫をされていた。

会社でも、交通事情で部分的に休みにしたところが多かったようだ。

かなり主要な生活道路で交通が回復していない。
明日はどうなるか分からないが、普段なら朝から耳にするはずの除雪車の音が、本日全く聞こえてこない。
数年来の小雪などから、除雪事業者数あるいは内容が減ってしまったのだろうか。あるいは多方面の除雪で手が回らないのか。

明日は施設出向の日で、場所は4キロ少々先にある。方法を考えなければ、、、。

除雪の日々 豪雪の鳥たち セレブはパーティーや演説ではなくさらに寄付を続けて コロナがあぶり出す時代の劣化。

2021年1月10日(日曜日)

昨日よりさらに降った本日、上越市ホームページの小さくて見にくい報告によれば、本日大潟区の積雪は155センチと載っている。但し24時間降雪は105センチとあり、猛烈な降りは浜雪というのだろう。

午前にカーポートの除雪をした。

二階からみた様子。驚きの昨日をさらに越えた。
矢印のところに車のお尻が見える。
雪は圧倒的な量になった。明日屋根の雪下ろしをしてもらえるようだ。
いずれにしても広く下をきれいにする必要がある。

 

その車の前の様子。矢印の所に県道がある。
手前は雪をかぶったフロント。

除雪一時間余、前を広げて県道に繋げた。

 

雪掻きは体を使うが、やった分だけ目に見えて結果が現れる。
しかし切りが無いので、やり過ぎないようにしなければならない。
申し分けない、妻の車は後回し。

その県道はこのような有様。
幸い消雪パイプがついているため、一台は通れる。
だがめったに車は来ない。

知り合いがその道に入って来た。頼まれごとをされる人で、後から後から忙しいという。除雪されていない生活道路もあるらしい。
先生も気を付けてと、凸凹道を走って行った。

雪掻きの時、コウコウと言って六羽の白鳥が東方へ飛んで行った、表情が見えるほど低空だった。空腹で高く飛べないのだろうと思った。
また暮れる頃、久し振りにスズメの鳴き声を聞いた。どこで何を食べているのやら、、、。

二階の手すりにパンくずを置いてみた。
時節柄鳥どころではないのだが。

 

さて雪のため地域は完璧な自粛生活になっている。その折の新潟市の成人式にはどれだけ参加があったのだろう。
これは感染があったか無かったかではなく、いまどき何をしたかの問題にほかならない。
一方ウイルスは快適に過ごしていることだろう。
何もしなくとも若者達が感染・増殖を引き受け、あちこちへ自由にばらまいてくれる。

そうかと思えば、高齢者の感染死亡は寿命だと、某漫画家の評論家が人を集めて演説している。
そのくらいの覚悟はできているので、他人が声を大にして言うことではない。
空腹のうえ撃たれて血の泡を吹きながら亡くなった大戦の若い兵士の願いに反して、時代はどうしようもなく劣化している。

もう一つ、セレブ達はおおっぴらなパーティーや演説ばかりではなく、さらに寄付を続けてもらいたい。

豪雪が加わったせいで沢山文句を言いました。

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