明け暮れ 我が家 お出かけ

東京からの人を交えて。

2022年6月27日(月曜日)

東京から久し振りの方が来られた。諸事万端に造詣深く良い人づきあいをされている。

地元の相客は性格が全く異なるものの、好ましいものへ眼が利いているところ、良いお仲間を持っておられる所が共通している。
狭い世間しか無い私にはいずれも羨ましいお二人なのでご一緒は楽しかった。

 

昨日のお道具を出し普段着の妻がお点前をして
気楽なお茶を飲んだ。

左:前田正博さん、右:鈴木秀昭さんのお茶碗。
素晴らしくて、近いうちにバチが当たりそうな気がしてくる。

 

齋藤三郎の小壺を薄茶器に見立てた器。
お茶に親しまれる人は自ずと手付きが違う。

夕刻は皆でお寿司を食べた。

お造り。

茄子の味噌田楽。

カッパ巻き。

美味しそうな魚を尻目に私の体は茄子、胡瓜の野菜を喜んだ。文学、映画、音楽、食べ物、青春時代、人間、、、私が知らない楽しい話を沢山聴けた良い時間だった。酒を飲まないので妻を乗せて帰ることが何となく張り合い。

恵みを恵まれる 机を見て自分を診断。

2022年6月8日(水曜日)

晴れたり曇ったりの本日。
私だけでは無く多くの人が本日「寒い」と言い、あるいはしばしば「特に今年は寒い」とも仰った。

「今年はおかしい」と毎年のように言われるお天気。「順調」と褒められることなどめったに無いので可哀想と言えば可哀想でもある。
今のところ「寒い」と評されているが、真夏には「暑くて変だ」とか「寒くておかしい」などと言われるような気がする。

今日も寒かったがこの程度なら作物には良いらしい。

今夕の四ツ屋浜。日没してから茜が拡がった。

今季最後と仰って頂いたタケノコ。
今どきこんなに大きなものが何処で獲れるのだろう。

昔一緒に演劇をした人から届いたキス。太っていて味も香も良かった。

タケノコ料理。ワラビなども頂き物。

寒い気象が続いているが山海のものは良く育っているようだ。その恵みを折々に皆さまから恵んで頂く一方で、私は何を恵み、お返し出来るのだろうかと考えてしまう。

その私と言えば、

自分の居場所。

最近机がごちゃごちゃと片づかない。
ここでpcをいじり、絵を描き時には食事をする。昔から一般論として“鬱になると片付けが上手くできなくなる”という概念を持っているので、時々俯瞰するように机を眺めて自分を診断する。このところ未処理のままの書類も多く、大丈夫かなと疑っている。

昨日北越の小京都、加茂市を訪ねた。

2022年5月22日(日曜日)

去る5月1日、かねて新潟日報おとなプラスで見た加茂山公園を訪ねた事を書いた。その折、時間切れでリス園を見られなかったことと、付近の風情が良かったことから妻を誘って再訪したいと思っていた。

そこで午後,、知人が加わって念願を果たした。曇の空とはいえ、風景の隅々を見ることが出来るので悪くは無かった。

加茂山公園入り口は水辺の風景。

 リス園のそばにあった松岡譲揮毫による民謡「加茂松坂」の歌碑。

 

念願のリス園で童心に返る。

帰りは園内の静かな山道を回る。
このくらいの坂道はこどもも楽しめる。

下った所のレトロな建物は民俗資料館だった。

博物館で加茂一帯が織物、木工(桐ダンスなど)、和紙など
創意工夫の物作りで栄えたことが良く分かる。

やはり新潟日報おとなプラスで知った加茂駅付近の
カフェ「ピノキオ」で食事時間まで小休止。

市街地をくまなく明るい雁木風の側路が続き、
車も店先に楽々駐車できるようになっている。

お目当ての「山重(やまじゅう)」へ。
如何にも手入れ良い創業200年、国指定の文化財。

玄関と部屋に爽やかな岩田正巳の絵が架かり、床の花も心こもっていた。

 

以下山重のひととき。

先付けの一つに「鯛昆布〆うるい和え 味噌酢仕立て」。

白魚真丈(しんじょ)の椀物。

温物の鯛あら炊き。
生生姜、ごぼう、木の芽のあしらいがまことに麗しい。

青豆ごはんのあとのメロンまで十品、小京都の心こもった料理を堪能した。

 

この時勢なかなか遠くへ足が向かない。
たまたま新聞で知った新潟県加茂市は車で1時間少々。
まだ二度目だが、普段あまり縁が無い県央の街は「北越の小京都」と称するだけあって旅情と安堵のもてなしを漂わせる風だった。
お陰様で本日午後のひとときを貴重なハレの時間にしてもらった。

昨日加茂市の加茂山公園を訪ねた。

2022年5月1日(日曜日)

4月中旬の新潟日報おとなプラス紙に「彫刻の森」が取り上げられた加茂市、加茂山公園。
内容から公園の風趣の良さが伝わり、昨日土曜日午後やや遅かったが出かけた。

県央に縁の薄い身。走ると加茂市は案外遠かった。だが遠い分旅気分がよぎり短時間の滞在ながら楽しめた。

 

市の東部の加茂山一帯が広大な公園になっている。
入園して間もなく噴水に出る。

坂道を上りはじめ右側の最初に「Silent Languageⅴ」
(作者・安田明長)

 

子どもたちを中心に若い人の姿が多く、雰囲気に活気がある。
いえ川の鯉のぼりのせいか、通りも人と車があふれていた。

 

「風のしらべ」(作者・松永勉)

 

「転 90-S」(作者・山西俊彦)

 

「楕円 ⅱ(電車ごっこ)」(作者・荻野耕一)

 

リス園の外観
リスは訪問の目的のひとつだったが4時終了で見られなかった。
ぜひまた訪ねて見てみたい。

「イリュージョン(作者・山里和典)」

 

「森の詩(作者・藤巻秀正)」

 

帰り道右側最後の「GEN」(作者・今溝訓)

 

公園の順路の脇に青海神社へ上る石段。

 

茶店の一つ。

 

神社の鳥居を望む。

さて短い時間だったが新緑眩しい公園を楽しく歩いた。花は終わっていたが5万本という椿が迷路のように整備され、幾つか茶店があった。清々しい晴れ間に誘われ園内は多くの人の姿があった。賑わいのほか静かな道もあり、さまざまに楽しめるようになっていた。

16点の彫刻作品が雪椿園と児童公園周辺に設置されている。それぞれの作品は環境調和が意識され、個性的だが分かりやすく親しめた。このような場合、あまり周囲との調和、同調を意識すると逆に環境に飲み込まれてしまい冴えなくなる、という結果が懸念され、そのような作品も一、二あった。

始まりはふるさと創世事業の1億円を原資に公募したという。野外彫刻は建物が要らないうえ環境と管理に配慮すれば作品はより生きる。当公園の環境は十分であり、新聞によればたゆまぬ管理が継続されているという。
成立に非常に多くの手間が掛かったと考えられるが、ふるさと創成事業の成功例ではないかと思った。

歩きながら、ここはどこかに似てるぞ、と思っていたところ、「北越の小京都」という看板。ああなるほど、と思った。
雰囲気は一部東山界隈を彷彿とさせるし、加茂川(あちらは鴨川)もあれば近くにこぎれいな料亭もあるようだ。リスも見たいのでこの度結婚式出席で叶わなかった妻を誘って是非とも再訪したい。

米山水源CC、朝日池のヤマザクラ 樹下美術館の花。

2022年4月21日(木曜日)

午後お休みの本日、近隣の米山水源CCでハーフラウンドした。
よく一緒する方が仕事のため一人で回った。ゴルフは一打一打考えたり、何かを思ったり、辺りを眺めたり、一人でもそれなりに楽しめる。いえ世間はそうしようと思えば大抵の事は一人でも楽しめるようになっていると思う。

本日は朝日池周囲のヤマザクラが満開で、曇り空ながら風も無く良い日だった。

フナ釣りで小学生の頃から親しんだ朝日池とヤマザクラ。
今ごろは乗っ込みの時期で良く釣れた。

18番ホール途中に見事な桜。
ヤマザクラの一種であろう。

午後一人回るコースに山桜愉しからずや赤きカートで

 

昨年から試しにメモしているグリーン上のライン。
本日赤で追加した。
使ったことが無いがいずれコンペで参考にしてみたい。

会員だとハーフラウンドが2500円少々なのでリーズナブルだと思う。

最後に樹下美術館のヤマザクラとジューンベリーそして満開のミツバツツジです。

手前のジューンベリーは白く淡く、春の雪のようです。

本日はゴルフ 知らない人に声を掛けられる かってキャディーさんにも

2022年4月3日(日曜日)

本日おおむね晴れたが北西の冷たい風が吹いた。そんな日曜日、F氏夫妻とゴルフをした。

昨夏心臓発作を起こしJ病院で救命された。
退院に際してゴルフは出来ますか、とお世話になった先生に尋ねたところ、「大いにやって下さい」という返事。どんなに嬉しかった事か。心機能の維持増進とストレス緩和に積極的に勧められるということだった。

 

本日の米山水源CC。雪解けの水を湛えた朝日池。
つい一月前まで雁、鴨、白鳥など渡り鳥のねぐらだった。

前回から小さなスウイングで強くヒットするフォームを、昔のようにやや大き目のスウイングで振り抜くように変えてみたら、打点が安定し真っ直ぐ、時には7~8ヤード遠く飛ぶようになった。
病んだうえ歳を取ったのに、ゴルフが良くなった?それが本物ならば何とも嬉しい。

本日コースは混み合い、ティーング・エリアで待っているとしばしば後ろの組が追いついてきた。あるホールに居ると、追いついた組の一人が近づいて来て、「軽く振って真っ直ぐ飛びますね」と声を掛けられた。
知らない人に声を掛けられるとは恥ずかしいことだが、悪い気はしなかった。

ところでかって20代後半ころ、ゴルフ中妙なことで声を掛けられた。
千葉県のゴルフ場で自分のキャディーさんからだった。あるホールで前の組と一緒に待っていると彼女が近づいて来て、
「お客さんのお尻、丸くて可愛いですね」と言ったのだ。
当時、腰回りがピッタリで裾が広いベルボトムのパンタロンパンツが大流行し、ゴルフでもそれを履いた。体重は46キロほどで今よりさらに細かったが、お尻のことなど考えた事もなかった。

さらに先に進み長く待たされたホールでのこと、キャディーさんがまた寄ってきて、
「触ってもいいですか」と言った。
こんな事があるものかと思ったが、恥ずかしそうな感じを見て「いいですよ」と言った。
すると体を近づけ、素早く2回ほど撫でてからぎゅっと握って手を放した。

その後キャディーさんは何事もなかったように振る舞ったが、私はドキドキしてプレイに集中できず、お尻を触られたことしか思い出せなくなった。

木曜午後の断り書き ぐにゃぐにゃになったトンプン 妹。

2022年3月17日(木曜日)
午後お休みの木曜日。
木曜日のブログは殆どこのような書き出しで始まっている。その日の記事は鳥を撮ったり庭仕事や海岸の散歩が多いので、こう書かないと遊んでばかりいるように取られるかも、、、と今更ながらの自己弁護。この年になれば何をしようと誰も文句は言わないと思いつつ、意地だか見栄を張ってしまう。悲しい性というほかない。本日午後は寒かった。
夕方閉館前に来館者さんの足が止まったのを見て庭に施肥をした。それもとうに時期を過ぎてぐにゃぐにゃになったトンプンの処理を兼ねて肥料が効いていない一角にくべた。

樹木だけの場所。
小さなスコップで何十カ所も穴を掘ってはベチャ、ベチャと臭いトンプンをくべ、上から土をかけた。こんなに濃い肥やしで果たして良いのだろうかと思ったが、痩せた砂地なので良いことにした。


ミッシェル・ルグランの曲、エディ・ヒギンズのピアノ。
「You Must Beieve in Spring」

おひな様の発表会、受験の付き添い、見舞い、葬式、、、。寒さが残る季節にふと私よりも先に亡くなった妹を思い出す。

「小さな村の物語イタリア」、疲れたらやっている仕事を変えてみる。

2022年2月14日(月曜日)

BS日テレで放映している「小さな村物語 イタリア」を土曜夕食時によく観ている。漁村、農村、山村の穏やかな風景と暮らしが紹介される。

石やモルタルの建物、石畳の坂道など風景に異国情緒が漂う。代々の土地への愛着と手仕事、家族の様子などもこころ温まる。
物の少ないスッキリ整った生活をみていると、この国の人達の「消費」はどうなっているのだろう、といつも考えさせられる。

代々質の良い品を大事に使い、将来の大切な何かのために貯金をしているのだろうか。働く年配の両親を定期的に訪ねる若い夫婦、後を継ごうとする若者もよく登場し、土地と家族への愛着の強さに感心する。

さて先週末は畑に精を出す老夫婦の暮らしだった。そのなかでおばあさんが呟いた。
「仕事に疲れた時は、やっている事を変えてみると良いんだよ」。かって姑から聞いた言葉だという。
これは確かに色々用事が混んでいるとき、あるいは庭仕事にも向いている言葉だと思った。

昨日日曜日の私は、前もってあれもしたい、これもしなければ、と五つも六つも予定があった。
介護向け書類と紹介状が三通、重要な手紙一通、絵の作製、絵筆を買う用事、購入作品の撮影、美術館の告知制作などなど。折角の日曜日だというのに考えただけで頭痛がしそうだった。

絵は西王母15枚の花を濃く着色した。その後の作品撮影の途中で、イタリアのおばあさんを思い出し、車を走らせ髙田の大嶋画廊へ絵筆を買いに行った。まだ腰まである髙田の雪に驚いた。

疲れたら休めば良いという話はだれにでも出来る。だが目先を変えることを明瞭に伝えたのはイタリアの小さな村の亡き姑さんである。
遠くの私にまで智恵を授けてくれて、有り難いと思った。結局この日、かなりの仕事が残って終わった。明日にしたらという妻の有り難い助言に従った次第。

 


「小さな村の物語 イタリア」のテーマ曲。

本日午後は三軒の在宅回りがあり、二軒カ所三回目のワクチンをした。
重い障害のある方を遠くの会場まで連れ出すのは大変である。在宅の接種は皆さんとても喜んでくださる。

本日午後は良く晴れ、そよ吹く風の寒さは和らいていた。

しかし明日は再び崩れるらしい。そうこうしながら間もなく三月になる。

 

今日は70代最後の日。

2022年1月31日(月曜日)

2012年2月2日に70代になったことをブログに書いていたが、本日その最後の日だった。
最後の晩に振り返ればひとつ夏の心臓発作の事件があったほか、仕事と樹下美術館が二本のレールのように私の前後に続いているのがはっきりわかる。
結婚のほうはレールではなく空気か霧・霞みのようなものがフワフワと私達を包んでいるような有様だ。

ところで10年前に三組の夫婦で会った大学時代の友人が、70を迎える時、「この先の10年で俺たち半分に減る」と予言した。
10年経ち私が死に損なったほか皆元気で予言は当たらなかった。出来れば今年年末あたり皆で食事をしてみたい。

生き死はともかく、晴れて80才になっても、手抜き出来ない予定が既に立っている。間もなく今年の美術館催事を発表をする時期が近づたこと、明日から3回目のコロナワクチンの個別接種が始まることである。節目の感慨にひたるヒマも無く、せかされるように明日が始まる。
だが明日の夜だけは、80才になったぞ!と言ってお酒をちょっぴり口にし、お抹茶を服したい。

遅くなったが、70代最後の今夜「THE LAST WALZ]を二つあげて明日を迎えたいと思う。

 


60年代発表のエンゲルベルト・フンパーディング
「ラスト・ワルツ」。

 


カラベリ楽団の「ラスト・ワルツ」

生まれてこのかどれだけ多くの人にお世話になったことだろう。数えたらキリが無いほどの失礼があったはずなので、この場を借りて、深くお詫びしたい。また強く影響を受けた人も沢山いたので心から感謝したい。

一筆ごとに試行錯誤の絵 母の面白い言葉。

2022年1月22日(土曜日)

一日中曇の土曜日。
午後は休みだが気がかりな人がいて午前に往診をした。一昨日から2本の連続点滴を足にしていて、今朝初めて眼を開け水を少し飲んだという。おもゆが行けそうなので今日は1本にして、エンシュアを試すことにした。上手く行ってくれと願っている。

午後ははっきりしない空のまま過ぎる。
鳥を止め、絵を引っ張り出して色々やった。
水彩の植物精密画はハイライト(光る部分)としてボードの白色を残し、乾かしながら周囲から薄く薄く加色し明るい所から影へ進んだ。
この分野の教則本を色々見たが肝心の所、特にグラデーションについて丁寧に書いてあるものは皆無で、自分で色々やってみるほかなかった。

この度は油彩で描いている。水彩より色が伸びるのでグラデ-ションは楽かなと宛にしていた。しかし筆で描いているのでタッチが出やすく自然なグラデーションは容易ではない。
2014年の作品展で30点ほどの小品を油彩で描いたが、初めてにも拘わらず何とか形になった。それに比べ、今回は絵の具が画面をツルツツ滑って落ち着かない。

キャンバスを磨き過ぎたのもあり、当然歳のせいも否めない。しかしこれが最後、始めたからには言い訳などを言ってはいられない。

 

三種類のモチーフを色々な書き方で試している。
色々出来るのは油彩の利点。

 

一筆一筆全てが試行錯誤。花の厚みと強さがまだ出てこない。
水彩の場合は苦労して、最後に急に絵が立ち上がってきた。
いつか調子が出れば良いのだが。
うまく行かない場合全て塗りつぶすことがあり、すでに何枚かそうした。

紙のパレットを用い、絵の具はほんの少量しか使わない。水彩の時はさらに少なかった。
生前、私のパレットの絵の具を見た母は
「キスの腹わたみたいだ」と言った。
どういう意味かと訊くと、
「ちょびりしかないから」と言い、
どうしてそんな言葉を知っているのかと思ったが
「だってそう言うだろうが」というのが答だった。

ある日床屋から帰った私を見て
「頭の張り替え」と言ったこともあった。生まれ故郷の佐賀県では普通の言葉だったのか。

SDGs? 東西南北、、、異文化は楽しくもある。

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