明け暮れ 我が家 お出かけ

樹下美術館をビジネスモデルに卒業制作 プレゼン力。

2022年11月28日(月曜日)

昨日孫の一人が東京から抗原検査を済ませてやってきて一泊した。
来春大学卒業にあたり、デザイン科の卒業制作「樹下美術館」をまとめるためだった。夏には私の話を思ったより真剣に聴いて帰り、このたびはそのプレゼンのための資料(50数ページに製本)作成が目的。

彼女は昨夕から私が用意した美術館の細々した写真ファイルを取捨選択し文を考え、予め割り付けてあるpcに向かうと徹夜した。
学んだデザインやビジネス理論を基盤に樹下美術館をモデルとして取り上げ、その評価と展望を卒業課題(制作)としたことが、ようやく私にも飲み込めてきた。
新たなビジネス理論に基づく事業は、SGDsなどの概念と並んで、社会と個人の維持成長や幸福が強く加味されたものでなければならないことも、あらためて知った次第。

猫の絵が得意だった子が4年間の学生生活のほぼ3年をコロナ禍の東京で過ごす。
だがこのたび、私が初めて耳にするCSVという語法や事業に於けるDXのトレンドなどを自然に口にするのを聞いて、教育機関としての大学と若き日の柔軟な脳がもたらす成長作用にあらためて驚かされる。

本番はこの先。
恐らく冊子化した資料とともに講堂の大スクリーンを用いて行う樹下美術館のプレゼンが卒業試験になるのであろう。
プレゼン力、、、今どきの大学生は、今どき故に大変なんだ、と思った。

どのようにまとまり、どう評価されるのか少々心配で興味もある。

夜更けて急に腕が痛みはじめ、今夕五回目のワクチンをしたことを思い出した。
色々な意味で時代が変化している。

久し振りの方達。

2022年11月26日(土曜日)

日中温かだった土曜日、何度かカフェがいっぱいになった。
本日は久し振りの方や懐かしいお顔に会えた日でもあった。

かって美術館を手伝って頂いた方がご長男と一緒に見えた。

 

お連れしたワンちゃん。12才というがなんとも可愛い(飼い主撮影)。

その昔の来館で芝生を走り回っていた幼い日のご長男。来春医学部を卒業されるとは月日の何と早いことか。
コロナ禍の授業の大変さは同情とともに激励して余りある。

その後久し振りのA氏ご夫婦が見えた。お変わり無く元気でつもる話に時の経つのを忘れた。

再会を約束して後何度も通っている朝日池に行った。

この時間の写真は青みを帯びるときと赤味の時がある。
ホワイトバランスの調整でも変わるのだろうか。
帰る頃、北西の空に稲妻が光り雨が当たりお天気が変わった。


シューベルト「セレナーデ(白鳥の歌から)」

陀羅尼(だらに)八幡宮参り フカミ美術でお茶。

2022年11月23日(水曜日)

本日雨降りの勤労感謝の日。
かねて訪ねてみたいと思っていた髙田北本町の「陀羅尼八幡宮」にお参りに行った。初めて伺う八幡宮は先日までライトアップされていたというモミジはいまだ紅葉の盛り。古木、若木が鮮やかに色を競っていた。

 

 

 

本殿のほか子安神社、御輿殿、明治初期の学校、
縁を求めて集まった多くの石祠などが整然と佇んでいた。

 

真っ白な「しで」も初々しく爽やかな神殿。

 

清々しく並ぶ石祠。

 

裏手にモミジの苗{実生苗かも知れない)があった。
成長を祈るように根元にチップが盛ってある。

八幡宮は生命の健やかな生成を祈る場所に相応しく生き生きとした雰囲気を漂わせていた。ご当主と地域の皆さまの心入れの賜ものであろうと思った。

帰路、上越教育大学前の「フカミ美術」に寄った。二階のお茶室で呈茶があり一服頂いた、

荒壁の造形的な空間。

穏やかなお点前で美味しく頂いた。

フカミ美術はこの地に出て25年だという。当初からお世話になったが、今日を迎えられたことへの畏敬を禁じ得ない。
本日お点前された方は、私の亡き茶の師のもとで同期だった人を教えておられることを知って驚き、また嬉しく思った。

先週末の上京。

2022年11月14日(月曜日)

先週土曜日に上京し友人達と会食した。およそ25年、年末に3組の夫婦で集まっていたが今夏Aが亡くなった。コロナのため19 年11月以来ほぼ3年振りとなった食事は夫人にお声を掛けて偲ぶ会になった。

暮れてからの食事、気丈に振る舞われる夫人を交え昔話や近況を話したが、Aの姿が無いこと知っては愕然とした。

 

11月12日土曜日、久し振りの東京駅。

3時半ころチェックインしたホテルから日比谷公会堂が良く見えた。
公会堂は1969年オスカー・ピーターソントリオとエラ・フィッツジェラルドの公演を聴きに一度だけ入ったことがある場所。このたび食事前の散歩に寄ることにして、妻と日比谷公園を初めて歩いてみた。

今は廃墟?の日比谷公会堂。エラの時はここから入ったのか。
1947年の黒澤明監督映画「素晴らしき日曜日」で
貧乏な恋人二人は公会堂の入り口まで来てお金が足りず、
コンサートを聴くのを諦める。

 


お金の無い映画の二人は散々な日曜を過ごし、野外音楽堂で
“貧しい私達に拍手を励ましを”とスクリーンから訴える。
二人には「ヒアシンス」という名の喫茶店を開店する夢がある。

 

絵画的な先週末の公園。
黄色のツワブキの花と樹木の黄でいっぱい。

当公園は明治36年開業、日本初の洋風公演。
鶴の噴水は東京美術学校の二人の作家によって制作されたという。

公園の膨大さ、至る所のベンチ、多くの若者や家族連れ、随所のツワブキの植栽など驚くことが多かった。クリスマスローズが集められている場所も多々あったので来春の花期は再訪し樹下美術館のクリスマスローズと比べてみたい。

 

公園の帰りの交差点。

食事はKが選んだ三度目の有楽町のレストラン。

ウェイティングルームのグラス類と向こうにワイエスの絵。
店にはユトリロ、ブラジリエなどの本画が掛けられている。

 

キンキ、クエ、アオリイカと温菜のオードブル。

魚料理でオマール海老、を肉は鴨を選んだ。いずれも幹事をしたKが分量を少なくと伝えてあったため残すこと無くみな美味しく食べた。

半ばを過ぎてチーズのワゴン。
臭味の強いエポワスとTVで観ていたロックフォールを取った。
ワインは貴腐ワインに変わった。

デザートのケーキ。
果物のコンポートにしてエスプレッソを飲んだ。

食事を終えた後の支払いで、Kはスタッフたちに私達を紹介した。素晴らしいサービスを提供する彼らは、上越なら知っている、蔵めぐりで岩の原葡萄園へ行ったとにこやかに話した。

一年一度の貴重な食事のあと皆で少し歩きA夫人と別れた。年末で賑わう雑踏に消えた夫人の後ろ姿の突然の哀しさは筆舌に尽くしがたい。

 

翌13日日曜日、これまでしばしば美術館に行っていたのを、混雑を嫌って神宮外苑のイチョウ並木を歩くことにした。
初めて見る紅葉のイチョウ並木はとても混んでいた(仕方ありません)。

 

樹木も路上もイチョウで真っ黄色。
ヨーロッパ風の身なりを好むKはこのような風景が似合う。

 

風が吹くと盛大に葉が散る。

 

新国立競技場のそばでタクシーを拾いホテルに戻ってK夫婦と別れ、上野動物園に行った。

 

こどもたちで一杯。

 

何かをこらえているうちに頭がおかしくなってしまったような
シロクマ。
高い塀のあちらこちらに空いた小さなガラス窓から観る。

ツルが突然大声で鳴き出しケージ内を飛び回る。

 

まさにツルの一声、騒ぎに人が集まる。

いくつかのパートに別れていた園内のうち半分も回らなかった。
奥の方でひたすら行ったり来たりを繰り返すシロクマやトラ、落ち着かないタンチョウヅル、広くも無い檻でじっとしているだけの大型猛禽類などなど、、、。
楽しい動物園のイメージとは裏腹に、およそ狭いケージに閉じ込められている動物たちが可哀想で、妻と私は全てを観る事ができなかった。動物たちは毛並み色つやも悪くみな病んでいるような印象を受けた。

65才以上300円。小学生以下と都内中学生は無料と入園料は安いが、観るほどに心が重くなり、特にこどもたちにこのような形で動物を見せるのは良くないと、怒りさえ覚えた。動物を生き生きと見せる先進的な取り組みが見られる時代に、一体どうしたことだろう。

コロナの時代、動物園や公園にはより多くの人が集まろう。
動物園は世界に向けた都市の顔でもある。日比谷公園に比べて上野動物園ははるかに見劣りがする。オリンピックどころでは無かった、何を置いても1番に取り組む事業だった。

色々なことがあった24時間が過ぎ、K夫妻と来年夏の約束を一つして別れた。
私達は少なくとも一つ二つの病を抱えている。だから約束とは言え何となく心もと無さを禁じ得ない。

今週末、姿の無かったAは修業を終えた僧のようであり、Kは勉強をした詩人のようで、私はつまらない俗人だった。

 


マーラー「交響曲第五番よりアダージェット(第四楽章)」
Kが葬式に掛けてもらいたいというカラヤン指揮の音楽。

とても長くなりました。

今夜のルナ・ロッサ 赤い月。

2022年11月8日(火曜日)

今夜の満月は皆既月食、しかも天王星食も起きる貴重な空だった。

だが残念ながら予報も現実も雨降り。但し雲や予報から西、例えば糸魚川は晴れと出ていた。時間は十分にある、夕食を済ませると車を駆って高速道路を西へに向かった。私は尻が重いのか軽いのか、こんな時は特に分からなくなる。

名立や蓮台寺のサービスエリアはいずれもパラパラと降っている。親不知もダメでとうとう朝日ICまで来てしまった。
幸い雨は止んでいたのでこれ以上は止めにして降りた。勘を頼りに田舎道へ入り農道に出て見上げると高い雲間に赤い月が見えた。

今夜の皆既月食(20時すぎ)。
こんなにしてまで観たいのかと、自問はあったが、
来て良かった撮って良かったと思った。


リュシェンヌ・ドリールのシャンソン「ルナ・ロッサ(赤い月)」
“おお赤い月よ、夜の女王よ”と恋心を訴える
(サイトの歌詞から)。


ヴィック・ダモンがスペイン語をまじえて歌う「ルナ・ロッサ」
ヴィック・ダモンはフランク・シナトラに、声が良すぎるのが
欠点と言われたという話を昔読んだことがある。
良い声のどこが悪いのか、とシナトラに反発を覚えた。

テラ・ロッサはブラジルの赤い土、ルナ・ロッサは赤い月でシャンソンだと、高校時代の地理で恩師Y先生から教わった。Y先生は良い先生だった。

朝日の月は雲で見え隠れを繰り返し、天王星の食は観られなかったが心に残る異国の夜空だった。
※ネットで天王星食の写真を見たがとても小さくて、私には無理だと知った。

次回はここで降り入善のコスモホールでアンサンブル金沢を聴くことにしようと思った。

先週末の種々。

2022年11月7日(月曜日)

このところ土日のブログをさぼり、月曜に「先週末の種々」などとまとめて二日分を書くことが目立ってきた。週末は書くことが多くなる一方体を休ませたいのをその理由にしている次第。

さて先週金曜日にはシュターミッツ弦楽四重奏楽団&市村幸恵さんのコンサートがあった。翌土曜午後はクラシックファンのA氏が見え、前夜のコンサートが如何に素晴らしかったかを逐一語った。
内外の有名ピアニストを聴いている人が、何より市村さんのピアノを第一番に褒め、ピアノであんなに美しい音色を奏でる人は滅多にいないと絶賛する。
熱演の第一バイオリンかアンサンブルを褒めるのかと思ったのが、ピアノをまっ先に挙げたのには正直びっくりした。
たしかに当夜の市村さんの演奏には色や輝き、香りや感触などが漂うのを折々感じ、演奏は冴えていた。

当夜演奏直後、知人のB氏一人が控えめなブラボーをし、A氏が一人スタンドして喝采した。コロナで大声は控えられているが、感動に駆られてするスタンディングは演奏者と聴衆が感動と感謝を分かちあう優れたマナーだ。だが立つなり後ろの席から「立たないで、立たないで」と言う声がして、がっかりしたとA氏は嘆いた。

いつか上越でも演奏者の感情を遮る楽章ごとの拍手が控えられ、盛大なブラボーと大いなるスタンディングオベーションで終わるコンサートがあることを夢見ている。

さて週末の目撃です。

A氏のお土産髙田稲田の名物鯛焼き。

病癒えて再び来館されるようになったC子さん(89才)の靴。

翌日曜日は髙田方面へ二つの用事で行った。
先日あるお茶人から無地の木製の建水(湯水を捨てる器)にモミジの絵を描いてと頼まれていた。

数年前の茶会で桜の花びらを描いてと言われ、花を散らした意匠をアクリルガッシュ絵の具で描いた。今度のモミジは花びらとは違い簡単ではなさそうであり緊張し、大嶋画廊で足りない絵の具を求めた。

ジョーシン電気は帰路に寄った。今春求めたコンパクトカメラが突然スイッチが入らなくなったためだった。
それがカメラ売り場で充電ケーブルにつなぐと直ぐに動いた。家のソケットの差し込み不十分という他愛ない原因だった。落ち込んでいたのでほっとした。

以下は夕刻の大きな雲と月

大きく悠々とした積雲は魅力的。

東の空で陽をを浴びている雲の上に出た月。
明日皆既月食があり天王星食も起きるという。
18時過ぎから20時40分過ぎまで、お天気に恵まれるように。

皆既月食中に起きる惑星食は今後2235年まで見られないという。果たして写真に撮れるだろうか、この間だけでも晴れてほしい。

 昨夕食、佐渡のイチジクのサラダ。

祝日の大池いこいの森 愛車の点検。

2022年11月3日(木曜日)

本日文化の日。
祝日とも知らず普通通り目を醒まし、しばらく新聞などを読んだが中々仕事場から呼び出しがない。そう言えば祝日?と暦を見て休みを知った。
忘れていた休みに気がつくのは、目には見えない何よりのプレゼントになる。普通なら大急ぎでする朝食やひげそりを時間を掛けて行った。

日中晴れる予報どおりの晴天、11時ころ美術館に寄り昼食がわりにお茶を飲みラックのブルータスに目を通し、隣の草地でゴルフボールを打った。

 

木々は上手い具合に紅葉を進めている。
自らの色を鮮やかに変える大事業を騒ぐことなく行う。
私にはまったく叶わないこと。

その後近隣の県立公園「大池いこいの森」へ出かけた。

途中の標識で見た美しい蔦類の紅葉。

公園のビジターセンター前に落ちていたコナラの実。

時期が遅かったが目的の一つオヤマボクチと直ぐ出会う。
出あい大橋を渡り左折した湖畔側に沢山ある。

風情と愛嬌のツクバネ。
よく見ないと分からない。

終わった花を付けたままのツルリンドウの実。

ビオトープへ向かう道でカマキリがトンボを食べていた。
目玉と羽を残してほとんど食べ尽くし満足そう。
満腹のお腹が大きい。
直ぐそばで数羽のトンボが並んで休んでいた。

紅葉しているリンドウ。

 

出あい大橋を渡って帰ってくる。

 

この日の本番はこれから。
私は作秋車を買い換え、一年点検を迎えていた。だが知らされた予定を既に二回すっぽかし、ディーラーさんである新潟トヨペット上越店に大迷惑を掛けた。
本日はその三回目の予定日。
3時少し前に入ってと念を押されているので、死んでもちゃんと行かなければならない。店は損失を生じているはずなので、菓子折くらい持って行った方が良いのかと考えたが邪道に思われた。うんと早く行って待つのがその印になろう、兎に角早く行くことにした。

かなり早く着いた店でお茶を、と接客スタッフさんに言われミルクティーをもらった。彼女いわく、私の担当で上司のI氏によると、お客様は美術館をしていてブログを書いているということ。読んでみたところ面白かったので何年もさかのぼって見たと言われた。南三陸町の弟のことまで読んでいて、地震のとき自分もボランティアに行きたいと思っていたとも話した。

I氏は熱心にして下さるのに、私は何度も点検予定をホゴにした。さぞかし怒っているだろう、と想像していたが、美術館やブログのことを部下に話して下さっている。
なんと言うほとけ心、あらためてお詫びをし感謝する以外ない。

大池湖畔で一年目の新型カローラ4WDハイブリッドセダン。
狭い道も大丈夫で雪に強く、燃費と加速がとても良い。
外観では色とオプションのホイールを特に気に入っている。
購入当時、外車ですかと訊かれた。

寒かった日曜日のゴルフと食事。

2022年10月30日(日曜日)

本日赤倉カントリークラブで友人夫妻とゴルフをした。10月下旬の赤倉は寒かったが、美しい紅葉に囲まれて楽しく回った。

良くないショットの方が多いのは仕方がないことで、もう平気になった。

美しいコース。

以下歌と演奏の「Autumn Leaves」です。

 

夕刻はゴルフの夫妻とラ ペントラッチャで食事した。

キノコやイカ、鯛や野菜などの美味しい料理を食べ、ちょっぴりワインを飲んだ。
デザートの風味あふれるケーキはキンボのエスプレッソで食べた。

 

この先、大潟区の大潟水と森公園と頸城区大池湖畔、二つの県立公園を歩き、あとは白鳥などの渡り鳥や荒れた日の虹が撮れれば、外出は十分ということになる。

週末土曜の午後の種々 新しい物と年寄りの愚痴。

2022年10月30日(日曜日)

寒くも温かくもない週末29日、午後美術館に寄りあるお茶人とお話した。
その際ちょっとした頼まれごとをお受けした。それが上手く出来たらブログに載せてみたいと思うが不安と楽しみが入り交じる内容だった。

例に漏れず、茶会はコロナによって開催はじめ、しつらえ、手順、作法の細部まで影響を受けた。
いまどきコロナが話題になればワクチン、症状、見通しなど話は尽きない。それでも健康で長生きするなら、いつかコロナも懐かしい昔話になるのかと話が進んだ。

たまたまカフェのお客様にお茶人のお弟子さんご家族が見え、帰りが重なり、いっとき玄関が賑やかだった。

仲良し二人組のお客様から頂いたハロウィンのお菓子。

また昔ばなしになるが、20数年前、ある会合があり二次会(死語?)のあと夜遅くホテルに向かうため六本木の通りを歩いた。その時奇妙な帽子をかぶり裾の長い風変わりな服を着た5,6人の集団とすれ違った。不思議な人達だったが、何年も経ってハロウィンだったらしいと思った。

美術館と仕事と年令のせいで、いつしか周辺のもろもろから遠ざかるようになった。それでもお客様を通して、今は何々ということが伝わり、なるほど、とおすそ分けさせてもらい、気持が旬になることがある。

話変わって本日美術館の後、電気量販店に行きプリンタを買った。今様の不思議として、何か買い物をすると、○○の特典がついたカードにしませんか、と誘われる。
この日、調べていた機種の在庫があり助かったものの、支払い後に新しいカードを中ば自動的に、古いのは使えなくなると半ば強制的?に作らされた。

自分では分単位に動いたり休んだりしているつもりの生活の中で、(店の都合で?)新たなカードのために20分も費やすのはしんどかった。また、買ったビジネスタイプというプリンタは重く、店員さんに車まで運んでもらった。

家に帰ってセットにとりかかる。
ややこしそうなので自信は無いが「取説」を見ながら進めた。インクはカセットでなく4色のボトル。ほか色々カチッと音がするまで押したり、テープを引っ張ったり剥がしたり、なんとかセット。
次ぎにパソコンと繋ぎCD-ROMを入れてセットアップした。
今や取説もCD-ROも古かろう。新旧の機種交替に関わるインストールは良いとして,途中○○の登録を、○○の会員に、と余計な案内が誘ってきて、惑わされては時間を取られた。

あれこれジグザクやって何とかセットアップを完了、試し刷りまでたどり着き、用事の写真を数枚プリントした時はふーっとため息が出た。

ところで今日、時代の動向にちゃんと付いて行く柔軟な世代の人が羨ましい。
30年前にありもしなかった方法論が等しく生活基盤として取って代わる昨今、少なくとも私はさまざまな場面でもどかしさや不快を拷問を受けるように実感する。

老人と言われてももそこそこ社会の一員として労働し買い物をし、わずかながら社会貢献をしているつもり。しかし新たな仕組みが辛いと言うと時代遅れ、年のせい、不勉強などと言われて気が萎える。

心臓カテーテル手術は確かな進化だが、社会システムとしてITは全て本当に進化なのだろうか、人の精神はみな異常なく機能しているのだろうか。実は多くは誰かの金儲けの都合ではないのか?などと考えてはモヤモヤしてしまう。

少なくとも高齢者には未だかって無いストレスフルな時代になっていると考えるが、皆さんはどう思われるでしょうか。

年寄りの愚痴と言われれば、その通りと言うほかないのですが。

入院の種々 輝くスタッフ愚かな自分。

2022年10月23日(日曜日)

【点滴したままの着替え】
さて入院一日目、用意された病衣に着替えると直ちに点滴が始まった。二泊三日の入院期間中、点滴に繋がれたままの生活を送ることになる。
スタンドを引っ張って衣類などを片付け、本を読みトイレ、自販機に行った。

しばらくすると看護師が状態のチェックにやってきて、服が少し大きいようだからと小さめのを届けてくれた。だが私は高い点滴スタンドのバッグまで長いライン(チューブ)で繋がっている。着替えるにはどうすればいいのか。左袖からこの一式を抜かないと服を脱ぐことが出来ず、新しい服はその逆をしなければならない。一人で出来るだろうか。

着替えは難問だった。
まず自由な右袖を脱いでみた。左袖を通して服全体が点滴チューブにぶら下がるような形になる。次ぎは点滴を止め、ラインをバッグから外して袖から抜くのか。だがこれは露わになっている先端の針が服に接触するなど不潔を免れない。
では点滴チューブを抜かずにバッグごと袖を通せるか。見ると袖幅に余裕がありそうだった。バッグを台から外しチューブを伝って服の袖を移動、最後に袖からバッグを抜いて服を外した。

新たな服はこの逆を行った。だが一連のことは手品か曲芸のようで、万事神聖で合理的な病院に相応しい行為に似つかわしいとは言えなかった。看護師を呼ぶべきだったか。

実は翌日、点滴をしたまま検査着に着替える場面があった。この時は看護師がいて、まずコネクターの上部チューブと射入部それぞれの流下を止めてコネクターの連結を外し、露出した接合部をアルコール綿で消毒後、袖を通して脱いだ。その後新たな服に袖を通し、再び消毒しラインを繋ぎ着替えを終えた。

点滴をしながらの着替えはこれが正式であろう。遠い昔の勤務時代にはやっていたような気がした。眼前でよどみ無く行った一年目という看護師を敬意をもって見た。やはり誰かに来てもらうべきだった。

【あんかと電気毛布】
本ばかり読んで過ごしていた初日、夕方テレビを点けるとニュースは翌朝までの強い冷えを伝えた。大事な検査を控え、寒がりの自分には掛け物一枚では眠れない。

流しから熱い湯が出る。起きて傍らのペットボトルを空にして湯を満たしタオルにくるんだ。足元に置くとぽかぽかと気持良い。
これで眠れると目をつむった。
だが頭が冴えるので本を読む。
時は過ぎ看護師が預かった私の常備薬である睡眠導入剤を持って消灯を告げに来た。
ペットボトルの湯のことを話すと、湯たんぽがありますよ、入れましょうと仕度に帰った。すると今度は別の看護師が点滴チェックに現れ、あんかのことを話した。
彼は今夜の寒さは特別らしい、電気毛布があるからと、持って来てくれた。あんかの看護師には毛布の話をしました、という。
電気の掛け毛布は初めて。今度は眠れる、、、。

【不眠の原因】
しかしやはり寝付けなかった。緊張していたわけではなかったが、何故だろう。前年の入院では不眠など全くなかったのに。4時を回っても眠れず、室内が明るみを帯びたころ僅かの睡眠と短い夢を見ただけだった。
おかしい。
初めての電気毛布でもなかろう。あるいは前日午前中、腎臓の負担緩和を思って飲んだペットボトルの「生茶」のカフェインが影響したのか。

検査日の朝を迎えた。朝食を終え配られた薬を飲み、傍らのテーブルを見ると、なんと前夜もらった睡眠導入剤がそのまま置かれていた。
飲み忘れ、全く馬鹿げた原因だった。
夜間のペットボトルとあんかに続く電気毛布の一件に紛れてすっかり忘れていた。

何かの支障の原因が分かったとき、それを正せば問題は片付く。しかし不眠の原因が翌朝かわっても、薬を飲み直すわけには行かない。普段それほど効いていると感じない導入剤だが、こんな形で薬効を知るとは。

検査日朝7時ころの窓外。
駐車場はガランとしている。

9時にはスタッフ(手前)や患者さん(向こう)の車で埋まってくる。

病院スタッフ、なかんずく看護師さんたちは大変マメだ.。交替勤務で入れ替わり立ち替わり現れる。ドクターのオーダーを共有しチェックし検査に向けて齟齬なく対応する。
一方私はひとり怪しげな着替えをし、薬を飲み忘れ、寒がり、不眠に到る。輝かしい皆さんに比べ何と愚かしかいことか。

入院中の主な出来事は以上です、この先検査当日をもう少し書かせてください。

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