花鳥・庭・生き物

クリスマスローズを切った。

2020年5月9日(土曜日)

2月中旬から順次咲き始めたクリスマスローズ。およそ三か月、休館の庭で静かに咲き続けていましたが、受粉も終わり色あせてきました。株が力を保つよう本日花を切りました。

 

卒業した花を積んで記念撮影。

 

水盤の水を替え花の一部を入れました。

残りはほかの水盤に入れ、仕事場の待合室にも飾りました。クリスマスローズを器に生けた場合、終わった花の方が長持ちするようであり、いつまでも楽しめる花だなあと感心しています。

星になったツツジ トラックをねぎらう満月。

2020年5月7日(木曜日)

随分と日が長くなった。
日長の夕刻、芝生に肥料を撒いた。良く伸びているがかなりムラがあり、この先どうなるか少々心配。

去る4月25日のヤシオツツジ。

 

以下は落花した今夕の花。さして傷むことなく芝に散らばっていた。

 

花は星の形になって寝そべり、
名残惜しそうに暮れる空を見上げていた。

拙歌)
木に咲きて風にも咲きぬ躑躅花 落花の後は地にてまた咲く

施肥の後、ふと見ると大きな月が山の端から昇っている。

 

裏手にまわると田に写っていた。

拙歌)
高速を行き交うトラックねぎらへるコロナの春の丸き月かな

5月の満月をフラワームーンというらしい。今夜はそれに当たるそうだ。
たまたま見上げたら昇ったばかりの大きな月が見えた。
空と田、二つの月の間の高速道路を次々にトラックが走り去る。忙しいドライバーさんたちは満月を見ているだろうか。

蝶の飛翔 夕刻のさえずり 改憲はしないで。

2020年5月3日(日曜日)

昨日日中、庭へ出るとアゲハが飛んでいた。お天気も良く活発だ。素早くてファインダーが追いつかず、当てずっぽうにカメラを向けてシャッターを押すと何枚かに写っていた。
眺めている時と違い、写真で見る生き物たちはとても賢そうに見える。蝶は、吹き付ける風の中、高尚にも紙のように軽い身体をコントロールして飛び回るだけに、あなどれない表情が覗える。

 

 

さて本日日中は本を読んで過ごし、夕刻美術館の庭に出た。隣の田んぼに水が入ってきた。これから夏に向けて素晴らしい季節が始まる。

 

降るかなと思った空が踏みとどまった。

 

暮れる石垣の下に釣り鐘水仙(ツチガネズイセン)がひっそりと咲いていた。

 

その花のすぐ右で一輪残った椿が「お話しましょう」と声を掛けている。

 

庭ではちょこちょこゴルフボールを打ちながら過ごした。様々な鳥たちが遠近の木立で鳴いている。
私たちも、一日無事に終わった時、夕方みんなで歌を歌うような動物であったなら、戦争など起きなかったかもしれない。

首相がまた改憲をしたい、と述べていた。ただの一行の改憲であっても、国民が厳しく二分されるのは明らかである。改憲は議論では済まない。議論で済むならとっくに終わっている。個人が大事にして生きてきた信条、価値観、あるいは性格なども関係しかねない問題を、議論などと言って今さら揺さぶらないでもらいたい。

45年間せいいっぱい仕事し納税してきた今日、いまさら「あなたは間違っている」などとは絶対に言われたくない。昔から憲法は国民が安心して生き、喜んで働くための支えだと、ずっと思っている。

給餌するシジュウカラの力強い飛翔。

2020年5月2日(土曜日)

本日午前診療後、午後から連休になった。
空は五月晴れに相応しく清々しく晴れた。気温は上昇し、信じがたい事に午後1時すぎの髙田で30,7度もあった模様。そのころ美術館のベンチにいたが、さわやかな風が吹きつけ快適であり、後に30,7度を知って驚いた次第。

ベンチから水田の向こうに見える高速道路はトラックは目立つものの、乗用車はとても少なく思われた。

一昨日は庭の灯りにシジュウカラが営巣していることを書かせて頂いた。その折西よりから写真を撮ったのを、本日は反対からレンズを向けてみた。

以下巣に入る所を並べてみました。

まず巣に入るところ。

 

 

 

 

 

 

 

以下は出るところ。

 

 

 

 

 

くちばしにヒナのフンをくわえている。
巣を清潔に保つため時折中から持ち出す。

 

 

出入りを撮ってみると、愛らしい小鳥のイメージというより、筋肉とバネによる逞しい野性動物の印象を受ける。渾身の餌運びは以前のコムクドリで見ていたが、本日のシジュウカラも同じこと、親の必死さが伝わる。

シジュウカラが庭の灯りに営巣 カワラヒワとスズメ 蕗を採った妻。

2020年4月30日(木曜日)

温暖だった木曜日、運動不足の解消にと午後、美術館の庭に出た。するとシジュウカラがしきりに警戒音を発している。近くに巣があるのではと思った。

 

ツーピー、ジュジュジュジュッ、ジュジュジュジュッと激しく鳴く。

付近に巣がありそうな場所が二カ所あった。その一つが庭灯だ。以前のブログを見ると2016年4月24日に、庭の西側の灯りに空いた穴で営巣したシジュウカラの記事がある。
今居る場所は家のアプローチで、脇に同じ形の灯りがある。今年はこれを使うのかと想像し、離れて腰を下ろしてカメラを向けた。

するとやってきた。

 

 

灯りの下方に丸い穴が空いている。

 

 

入った。

 

 

再びやって来る。

 

 

今度は赤い虫をくわえている。

 

 

飛び立つ姿は格好良い。

以前の営巣はヘビやネズミがいるかもしれない雑木林の地上近く。当時何故ここにと非常に不思議だった。この度は道路から家に出入りするアプローチのすぐ横で、公道も近い。
人の気配がある分、こちらの方が卵やヒナを襲う動物を避けられそうだ。過日テレビで、思わぬ所に巣を作るシジュウカラのことを放映していた。郵便受けや伏せた植木鉢での子育てに驚いた。

本日餌が運ばれても巣からヒナの鳴き声は聞こえなかった。生まれたばかりか、あるいは抱卵している親鳥に餌を運ぶようなこともあるのか、巣は静かだった。これからはそーっと通り、いずれチーチーと聞こえるであろうヒナの声を楽しみに、沢山の巣立ちを期待したい。

 

シジュウカラを待っている間、カワラヒワが近くの枝にやって来た。

 

表情がやや穏やかなので雌か。
毛づくろいをしてみせた。

 

餌台にスズメが一羽。

 

妻が農道に面した場所から蕗を採ってきた。

今冬は雪が無く暖かったため、早くからモグラが庭で大騒ぎしている。お陰で沢山植えたチューリップの球根が9割がた食べられ、哀れにも枯れてしまった。茎を引っ張ると球根が無く、スポッと抜けるのである。こんなことは初めてであり、とても驚いている。芝生にも入っているらしく、軟らかそうな場所を踏みつけ、全体に撒水した。

いつも学童の自然観察日記風な記事ばかりで、美術館館長らしくないブログだなあ、と思っています。どうかお許し下さい。

昭和の日の休日 先へ進む花 懸命に酸素を運ぶトラック。

2020年4月29日(水曜日)

連休初日となる本日休日は昭和の日、ということだった。
昭和時代の期間は実質62年と14日になるという。私が生まれたのはその四分の一ほどの前期に相当する期間だから、遠い時代の出生者ということになる。

自分が中学校に入学した時、今の私の年令に相当する人は明治9年生まれだ。何とグラハム・ベルが電話を発明した年らしい。
だから今年中学へ入った孫の一人にして見れば、私などは(私にすれば)、もはやはるか歴史上の世代に属していることになろう。
あらためて昭和、なかんずく自分は古いと感ずる。

だが現在、ノスタルジーなど許さぬとばかり強力なウイルスに囲まれてしまった。昨年の今ごろ、いや今年の正月に、だれが今日を予想しただろう。

困惑の日々にあって、以下は本日午後の樹下美術館の庭です。
八重咲きイチリンソウ、黄花ホウチャクソウ、白ヤマブキ、エビネ。
私たちの混乱を傍目に、「お先に」とばかり咲き誇っていました。

 

 

 

 

 

 

 

風で落ちたか、たぶんジュウカラの巣。
新しい巣をちゃんと造ったのだろうか。
忙しい鳥がこんなに手の混んだ物を作るとは。

 

ベンチに座ると高速道路をトラックが忙しく往来していました。
行き交うトラックは呼吸困難の国を救おうと、懸命に酸素を運んでいるように見えました。

森のトマト畑 その2 日曜日の外気。

2020年4月19日(日曜日)

太陽のかけらを取ってくると言って飛び立ったカラスは挑戦に失敗。かわりに美味しいトマトを持って帰って謝ろう、と決心するくだりまで、前回トマト畑その1に掲載致しました。本日は続きです。

5 まちにまった太陽
ぐっすりねむった次の朝、カラスはトマトをくわえると森をめざしてとび立ちました。山こえ川をこえてとびます。ようやく動物たちの森が見えてきました。
「もうすぐだ」

森でさいしょにカラスをみつけたのは小リスでした。とおくのカラスは、何か赤いものをくわえています。丸くピカピカ光っているではありませんか。


「太陽だ、カラス君が太陽をとってきたぞ!」
小リスはみんなに知らせました。動物たちはお山のてっぺんにかけつけます。
「やった、やったー!」

6つぶれた太陽
カラスはどんどん近づきます。トマトはまっ赤に光り、たしかに太陽のようでした。パタパタパタ。
カラスは、ついにみんなの上までやってきました。
「えらいぞカラス君!」、
「カラス君、やったね!」
みんなは、くちぐちにカラスをほめました。

「カアーッ!」、うれしくなったカラスは、思わず大きな声で鳴きました。
ポロリ、そのとき、口からトマトがおっこちたではありませんか。
ヒューッ!
「太陽が落ちてくるぞ、にげろ!」みんなはこかげにかくれました。

ベチャ!
へんな音がしてトマトはつぶれて地めんにとびちりました。
何がおきたのでしょう、びっくりした動物たちはとおくから見つめます。
「ゴメン、ゴメン」
カラスは空であやまっています。

いちばん早くうごいたのは小リスでした。そろりそろりとトマトに近づきます。


「クンクン、ちょっとまてよ、いいにおいがするぞ」
小リスがいうと、なかまたちがあつまりました。
ジュクジュク、ピカピカ、プーン、
太陽はとてもおいしそうです。
ごくり、ごくり、みんなののどがなっていました。
たまらず小りすがひとつまみ、ピチャピチャ食べはじめました。
「なんておいしいんだ!」

もう大変、いっせいにピチャピチャ、クチャクチャはじまりました。
あっというまにトマトをペロリ。
「太陽っておいしいね」
みんなの口は真っ赤っか。動物たちは、おたがいのかおを見て笑いました。
空でカラスがこまっていました。
それは太陽ではありません、トマトです、と言えなかったのです。

7 おいしかった太陽
それからというもの、動物たちは太陽のあじがわすれられません。夕方になるとお山のてっぺんに集まって、まっ赤な太陽をながめました。そして、
「もう一度おいしい太陽を食べたいね」と言いました。
夕陽(ゆうひ)はトマトそっくりでした。

森に秋が来て、しずかに雪がふりはじめ、みんなはあなぐらでねむりました。なんケ月かたって目をさますと大好きな春になりました。

8 森のトマト畑
ところで、森にはカミナリが落ちて山かじになった場所がありました。
じつは、トマトを食べたあと、そこでマーグじいさんがウンチをしていたのです。ウンチの中には、いくつかトマトのたねがまじっていました。
その中の一つから、なんとまあ、芽(め)が出ていました。

だれも気がつかなかったのですが、芽はすくすくと育ちました。
そして夏、赤くみごとな実が六つ、七つ、ついたではありませんか。

「太陽だ、こんなにたくさんある」、みつけたのはマーグじいさんでした。

とつぜん、カラスがおりてきました。
「それは太陽ではありません、トマトという野菜(やさい)です。マーグさん話を聞いてください」と、言いました。

じいさんは、しんけんにカラスの話を聞きました。
カラスは、太陽を取れなかったことをあやまりました。それから村の畑でトマトをもいできたこと、野菜は山火事(やまかじ)のばしょでよく育つこと、食べてウンチをすれば来年もまた芽が出ることなど、知っていることをぜんぶ言いました。

じいさんはみんなを呼びに行きました。
あつまった動物たちのよろこんだこと。
ゆめにまでみた太陽が、目の前にたくさんあるではありませんか。
食べようとするみんなに、じいさんが言いました。
「ちょっとまって」
それからカラスに聞いた話をみんなにしました。

「トマトというものだったのか」
カラスのしっぱいも、太陽とちがうということも、だれももんくをいいまんせん。
「わかったね、みんな。さあトマトを食べよう」
もうがまんができません。手に手にトマトをとると、むちゅうになって食べました。

みんなには、もう太陽でもトマトでもどちらでもよかったのです。
ああ、動物たちはなんとしあわせだったことでしょう。
見ていたカラスは安心して村へかえりました。

それからカラスから聞いたように、みんなは毎年トマトを食べては、あき地でウンチをしました。そして何年かすると、しだいにりっぱなトマト畑ができてきたのです。

もちろん動物たちはとても丈夫になりました。

どうでしたか、私がマーグじいさんから聞いたのは、こんな話でした。

 

山おくのどこかに、このようなトマト畑があるかもしれませんね。

色々と突っ込みどころ満載の話だった事でしょう。陳謝をしながら感謝も致してます。

 

さて本日日曜日は暖かく、気持ち良い空に恵まれた。普段不健康と指摘される家ごもりが勧められているウイルス社会。安全なら健康維持のため出来れば戸外にも出たい。
その点、海、公園など田舎はあまり人に会わない良い場所がある。

本日昼近く、互いにマスクをして過日歩いた頸城区は大池いこいの森の湖畔を妻と歩いた。
一時間少々の間にランニングの若者が一人私たちを追い越し、一組の夫婦とすれ違い、外人さんのカップルが車から降りるのを見ただけだった。

途中でみた桜。

 

湖畔ちかくのあるお宅の庭。

 

何という名の木だろう、素晴らしい新緑。

 

ここの水はとても青々している。

 

昼食は湖畔の階段に座り、おにぎりとサンドイッチを分け、お茶を飲んだ。

 

美術館へ戻る途中、近くの農道一面にダイコンノハナ。

 

樹下美術館の西向きの庭。

 

南向きの庭。
庭の手入れをしたり、鳥を撮ったり二時間を過ごした。
ご夫婦が一組こられ庭を歩いて帰られた。

ヤマザクラに来たオナガ。

漠然とした恐怖に包まれながらお互いの疎外を温め合う、奇異な毎日。こんなことになってまったく言葉もない。
医療も激しい前線と、かえって暇をみている所に分かれている。私のところは後者だが、一人一人に非常に気を遣い、綱渡り感覚がつきまとう。当地は嵐の前の静けさを思わせ不気味でもある。

家では外気を入れ、清潔を保ち、運動と睡眠を心し、過剰な飲食による消耗を謹み、いざの場面に備えなければならない。

みんなが困っている、そのことをイメージしあう。
戦争よりまだいい、と仰ったおばあさんがいた。

蜘蛛ケ池天ケ池 苦しい人間社会と鮮やかな自然 全国へ緊急事態宣言。

2020年4月16日(木曜日)

上越市大潟区には大小六つの湖沼があり、南西よりに二つ蜘蛛ケ池と天ケ池(あまがいけ)が並んでいる。二つは県道と畑を挟んでわずか150メートルほどで隣り合っている。
在宅訪問などで頻繁に通るが、この通りでいつも清々しさを覚える。二つの池はよく雰囲気が似ていて仲の良い兄弟のようだ。

 

天ケ池

 

蜘蛛ケ池

 

水鳥が山桜の所に集まっている。

 

社会が新型コロナウイルスに苦しんでいる間に野は次々と花を咲かせ新緑の着替えをしている。今回ばかりは自分たちが惨めな分、自然はいっそう鮮やかで高尚に見える。

さて緊急事態宣言が全国へと拡大して出された。
残念ながら国の施策には気骨が感じられず、いつもながらピンと来るものがない。
これまで丹念に個々の感染経路を追って頑張ってきた新潟県。当初インタビューを受けるニュースの知事は戸惑いを隠せなかった。

自分としては当然必要なことは精一杯遵守して行きたい。
だがこの先、どこか実感の乏しい要請や宣言を聴き続ける事。それが一番苦痛かもしれない。

上越市柿崎区上下浜の桜 頸城区「大池いこいの森公園」 アオゲラ ここにいるのはあそこにいた子供 昔の人は強かった。

2020年4月14日(火曜日)

昨日は三密と私、裏千家茶道の淡交を長々と書いた。なんとかそれも終わり、本日ようやく一昨日日曜日の番がまわってきた。

数日前に柿崎区上下浜の方から、高速道路沿いの桜が見事ですよ、ぜひ見て、と言われていた。
一昨日午後、近くなので行ってみた。
実は毎年観ているのだが、今年山桜はドンピシャで見事だった。

ドライバーさんはひとときこの花に和まされるだろう。

 

桜を後に美術館の庭に寄り、上越市頸城区の大池憩いの森公園へ。
美術館から直線距離でおよそ6キロ、過日の頸城野の道の少し先にある。

当日はビジターセンターに駐車し、橋を渡った後右へ進む道を歩いた。
人気のない水辺の森で、花や鳥にレンズを向ける清々しい一時間半だった。

 

イワカガミとショウジョウバカマはスミレとともに春の野の主役。
色に濃淡の違いがあり見飽きない。

 

このような道を繰り返し上下し左右する。
次にどんな眺めが待っているのかときめく。
本日は初めてのルートを歩いた。

 

イカリソウ(トキワイカリソウ)。

 

歩みの一歩一歩ごとにカタクリ。

 

ある場所にこのような花が小さな群落を作っていた。
うまく調べられなかったが、ジンチョウゲの仲間ではと見受けられた。
よく見るが花は初めて。名は何だろう、詳しい人に尋ねてみたい。
鼻を近づけるとかすかに甘い匂いがした。

 

可愛いチゴユリ(左)はみなうなだれて咲く。
そろって肩を落とし、がっかりしている様はおかしいくらい。
イワカガミ「元気だしなさいよ」
チゴユリ「それがダメなんです」

 大潟区の湖沼群と違い大池は深く青く満々としている。

 

谷あいのコブシは花数が少ない。
品の良いお嬢さんに見えなくもない。

 

この日はじめて大正山というてっぺんの展望場所へ登った。
遠く対岸に取水塔が見える。
〝小学三年生だったか、あそこの辺へ遠足に来たなあ〟
〝8才かあ、、、その時の私と今の自分をどう繋げれば良いのだろう〟
だれより知っているはずの自分にその答が浮かばない。

答のないまま、頭をモヤモヤさせて道を折り返した。

ほどなく頭上でピヨッ!ピヨッ!と声が響く。比較的大き鳥の影が二つ、木の枝高く見えた。

 

右の影に向けてシャッターを切るとモニターにこんなものが写っている。
ぎょっとするような姿は鳥?ケダモノ?トトロの親戚?

 

左にいたもう一羽がこれで、かなり大きな鳥だった。

帰って調べるとキツツキの仲間でアオゲラということだった。
最初の写真は、たまたま胸を膨らませた
タイミングだったために奇妙に写ったらしい。

 

前日のアカゲラに続いて今日は謎の鳥に遭った。
いずれも初めて見る鳥であり足取りが軽くなる。
いつしか8才の自分へのモヤモヤも取れていた。

ここにいる自分はあそこに遠足に来ていたあの子だ。
何があったか知らないが、あの子は今ここにいる。
それだけでいいんだ。

さて本日久し振りにある方の自宅を訪ねた。
大正13年生まれと記録紙に書かれている。
昭和24年に亡き妹を家で取り上げた助産婦さんだ。
その時彼女はわずか25才だったと気づきとても驚いた。

昔の人はみな強かった。

無念の休館中 直江津の五智公園を歩いた。

2020年4月12日(日曜日)

3月15日予定の開館日から間もなく一ヶ月が過ぎようとしている。広がる新興感染症をみるにつけ、残念だったが休みにして良かったと思っている。

詳細を把握している訳ではないが、首都をはじめ国内の美術館、博物館の少なからず数は休館になっている。
延期後の再開を4月中とした所はまず無理ではないだろうか。8月31日までを設定している所があり、この方が無難なのかと思案する。

公立や大企業と異なり、樹下美術館は三ちゃん経営も及ばぬ弱小で基盤は弱い。開館していたなら、ニュースに一喜一憂し、心安まる暇はなかったにちがいないと振り返っている。

それにしても齋藤三郎倉石隆とも今年の展示は面白く仕上がっていたはずと自負していた。無雪のおかげで庭はいつもより念入りに仕上がり、カフェはシェリーとマイセンセンを買い足し、妻は新たなメニューを考案して備えた。さらに新機軸の月1回の呈茶の準備は張り合いだった。

現在、暖かな日などは皆様のお顔を思い浮かべながら無念を噛みしめている。

昨11日(土)および本日日曜の週末は五智公園と頸城区の大池憩いの森公園を歩いた。上越市の現状なら健康のため外気と適度な運動は意義あろうと考えている次第。

以下昨日午後の五智公園散策から写真を掲載いたしました。

五智国分寺の三重の塔。

 

展望台へ向かう道での写真です。

 

傷みやすいユキツバキが一輪、しゃんと咲いていた。

 

オヤマボクチの枯れ花。
秋は女王様のように咲いているが、春の姿は過剰なほど悲劇的。

 

二メートル間隔どころか、どんどん先を行く妻。

 

どこを見てもイワカガミが眼に入る。

 

はじめて撮ったアカゲラ。

 

展望台から直江津と向こうに尾神岳を望む。

 

野山は下草、低木から緑が始まる。
大きな木立はまず彼らに日光を与えてから新緑を展開するつもり?

広大な公園は路傍の手入れが行き届き、陽を浴びた草花が情緒良く咲いている。

 

美術館へ帰ると餌台にスズメが沢山きている。
今冬は極めて温暖だった。
それで鳥たちは例年より数を減らさずに済んだのではないだろうか。

大池憩いの森の分は明日掲載させてください。

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