花鳥・庭・生き物

寒波の日の上下浜 コハクチョウの若鳥に観られる表情のようなもの。

2024年12月22日(日曜日)

強い寒波と報じられている本日、冷たい風が吹いたものの雪は降らなかった。

上下浜の海は荒れ、遠くの雲の下に冷たくて重い気流が入り込み雲は歪んでいた。そこでは雨やミゾレが降っていたのではなかろうか。

上下浜からは白鳥たちが来ている場所が近い。昨日コハクチョウの若鳥を書いた。黒みを帯びていることや墨絵のように幽玄な風合いを記した。本日その若鳥を中心に撮るため田に向かった。

以下は数は多くないが特に若いコハクチョウに注目しました。

くちばしがしっかり黒と黄色になっている成長(親鳥、あるいは年長の兄姉)たち。一方若鳥はその色合いがはっきりしません。それよりも彼らには「微笑」や「賢さ」、「可愛さ」を思わせる一種表情があるように見えます。

若鳥の表情らしきものはくちばしが長いこと、僅かに上がる口角がはっきり見られること、眼のふちに細く淡い白線があることなどが顔に表情に似た印象を与えていると思われました。

以下の写真にもそのことが伺われます。

年長者の素っ気ない顔。
鳥類の野性どおりに無表情。

若鳥の「微笑」や「賢さ」「可愛さ」を伺わせる顔は固定され、「感情」を反映しているとは考えられず、成長過程において親たちの愛情に訴える幼さの名残と考えました。
一方成鳥の黒一色で無表情な眼などは外部に対して表情を隠しつつ観察し、自己防衛に備えるよう進化したのではないかと思われます。

保育園?

ある一隅に5羽の若鳥が集まり、周囲を成鳥が囲むようにしている集団がありました。若鳥といえどもまだ幼さを残している一群のために年長の家族が見守りをしているのかもしれません。

若鳥の羽ばたき。
親たちに劣らず立派に見えました。

寒空の下、車から撮影するのは楽しい時間でした。ただ一つ、若鳥のくちばしの先が黒みと赤みの二通りがあり、その違いが分かりません。雌雄の違いでしょうか、宿題です。
追加です、若鳥の口箸の色の違いは、同じ個体が成長するに従い赤味~黒へ変化し、その上部で黄色が固定するまでの課程が現れているように感じられますが、如何でしょうか。あくまでも印象です。

本日妻は2枚の障子を張り替えをしました。その昔母存命の折、床屋から帰った私に「頭の張り替えをしたね」と言っていました。

久し振りに白鳥の群を見に行った 若鳥の魅力 大雪だけはご勘弁。

2024年12月21日(土曜日)

この一両日は降雪が無かったが雪は殆ど消えることはなかった。午後新潟市からA氏が訪ねてこられ年末の挨拶をした。その後新柿線を柿崎方面へ走り白鳥を探した。そう遠くない田んぼに数百羽の群がいて写真を撮った。

久し振りのコハクチョウ。

 

黒い色が残る若鳥。

黒みがかった若鳥は魅力的だ。気のせいか渡りのシーズンが進むほど若鳥の数が増えるような気がする。体力が要る数千キロを飛ぶために、今年早く生まれ十分成長した順から飛来するのではないだろうか。彼らはこちらにいる間ずっと黒みのままのようなので、遅くなるほど若鳥が増えるのではないかと考えている。

微妙なモノクロ模様は墨絵の幽玄を思わせ、しかもそれが若いというから一種神秘性を帯び不思議な魅力がある。

これから増える若鳥とともに、間もなくやってくるはずのハクガンは一体どんな規模で現れるだろう。
深夜に近い現在、雷が鳴りにアラレが家を叩き始めた。再び寒波のようだ。
大雪になればねぐらと餌場が閉ざされ、彼らは雪の少ない土地を求めて遠距離の漂流を余儀なくされる。せっかくだからどうかどうか少なめにお願いしたい。

本阿弥光甫のお茶碗で飲みたくて木村茶道美術館を再訪。

2024年11月28日(木曜日)

先週の日曜日に柏崎の木村茶道美術館を訪ねた事を3回にわたって書かせて頂いた。お席の晩秋の趣き、駐車場の事、郊外の野道などを記した。その折、当日お正客に出された本阿弥光甫(号:空中)のお茶碗があまりにも素晴らしく、年内にもう一度伺い是非ともそのお茶碗で飲んでみたいと書いた。

帰宅して光甫の素晴らしさを妻に伝え、もう一度行くが一緒に行かないかと話した。本日休診の日、風強くあいにくの空だったが二人で出かけた。

不思議な事だがライトアップは終わったのに園内の紅葉は前回よりも鮮やかだった。

お正客になれれば空中の茶碗で飲めると踏んで時刻を計って到着した。だが順番通りにならず目指す茶碗に当たらなかった。しかし有り難い事にスタッフさんは私も飲めるよう配慮して下さった。

最上屋製のお菓子「初霜」
リアルだが美味しい。

赤楽と名付けられてはいるがカテゴリを越える素晴らしい茶碗。しみじみとした風情、ひたすらデリケーで美しいとしか言いようがない。思わず空中とはどんな人だったのかよぎった所、「私はここにいます」と茶碗が答えている気がした。
当初から人気で美術館のポスターになっているが、長年の使用により変化が進み実用の限界に来ているという。それで今年限りで仕舞う予定と説明された。

ああそれならなお再来して良かった。願いがあれば諦めてはいけない、本当に今日来られて幸運だった。
出されたお茶を服す。柔らかでほどよく熱い。大切な茶碗にしっかり両手を添える。碗は思ったより歯ごたえがあった。名残を惜しんで五口で飲んだ。お別れなのでもっとしっかり吸い切りをすれば良かったと思った。手にしている間、茶碗は身を固くして少し緊張しているように感じ、意外に大きいと思った。

上掲は前回撮影し忘れていた宗旦の花入れ。詫びに徹した人らしくひたすら簡易。だが長く愛された年月の重みが現れている。ミソハギの紅葉とハマギクが時を惜しんでいた。

以下帰路の園内。秋は詰まりに詰まり、木々と落ち葉は渾身の鮮やかさだった。

 帰りの福浦八景はひどく荒れていた。

荒れるのもご馳走のうちか。

 美術館に帰るとスタッフが
ホットサンドを作っていた。

新潟からお見えのお客様、ホットサンドは如何だったでしょうか、お寄り頂き有り難うございました。

柏崎、上越、晩秋の野道 斎京まさ子さんの本。

2024年11月26日(火曜日)

24日日曜日に訪ねた柏崎は木村茶道美術館。二服のお茶を美味しく飲んだあと同市米山台の西方面へと向かった。そこから県道鯨波宮川線に抜ける林道でかってエナガを撮影したことがあり、くねくねした道の春秋も気に入っているため寄り道をした次第。
残念ながら目指す鳥の姿は無かったが、落ち葉の道で赤い木の実などを観ながら車を降りては歩き、戻ってはまた走るを繰り返した。

熟れたガマズミの実。
鳥でなくても食べたくなる。

アケビ。

キヌガサソウに似たクルマバハグマ。
よく見るが名を覚えられない。

陽に映えるモミジ。

以下は樹下美術館付近の道で見た赤い実です。

ヒヨドリジョウゴ。

マユミ。
樹下美術館にも自生している。

ノイバラ。

この日の午前はかなり降った。午後は上がり時々明るい陽が射し赤い実や紅葉は晩秋の野に映えた。

ところで上掲のクルマバハグマの名が中々分からなかった。ネットや本で色々調べるが出てくるのはキヌガサソウばかり。検索を色々変え、偶々一つだけヒットたので助った。そんな中、ひょっこり本棚から現れた一冊の本があった。

著者は上越市のお茶人斎京まさ子さん。四季折々の野草の写真集だが、写真、文とも隅々神経が行き届いている。花は花器の風情と相俟ってまことに麗しく、これだけで茶のエッセンスに触れる事が出来そうだった。

「頸城野 雪が育む花」 著者斎京まさ子
新潟日報事業社2014年12月2日発行。

晩秋の部の最後に以下の俳句があり文が附記されていた。

めぐり来て また問答の 萩薄   まさ子

 紅葉の季節も過ぎ、晩秋ともなれば枯れ野に木の実、草の実が鮮やかである。色とりどりの木の実が点々と、葉の落ちた梢を彩る。実の形や色を頼りに、木の名前を思い出しながら歩く。冬を間近に控えた、華やぎと寂しさが同居する山も好きである。

美しいページをめくりながら四季移ろう自然への敬いにも似た愛しみを感じないわけにはいかない。厳しいお茶修行を積まれたお人柄が滲む素晴らしい一冊だと思った。

かってまさ子さんから以下の香合を頂いている。

齋藤三郎作 拍子木香合。

晩秋、驚くほど当たる天気予報のゴルフ 朝日池のコハクチョウ。

2024年11月21日(木曜日)

本日休診の木曜日、ゴルフに行った。予報は晴れのち傘のマークが出ていた。8:56のスタート時から空は澄み、風も無く冬間近のこの時期とは思われない好天だった。

 

米山水源ゴルフ場の一部は朝日池に面している。青空、雲、湖沼そして澄んだ大気は美しく、心身の栄養になった。

但し後半最後のホールあたりから次第に雲が垂れ込め、いっときパラパラ始まった。

それにしても天気予報は驚くほど当たる。この日も午後から崩れてくると報じられていた通りになった。様々な指標を演算のうえ実際の雲の動きを重ねるのだから、専門家は手に取るように把握できるのだろう。

空は夕刻に向かって落ち着き、暗くなる頃朝日池へ白鳥たちの様子を観に行った。

10月なかばから飛来しているコハクチョウ。これまで隣の鵜の池をねぐらにしていたが、本日夕刻は朝日池に沢山降りていた。数日続いた風雨によって枯れ蓮が減り水面が拡大したのでサイズが大きいこちらに移ったのでは。

ゴルフは失敗も少なくないが良いショットもあったので来年また続けたい。

再び良寛椿の苗。

2024年11月15日(金曜日)

今年正月、京都、倉敷、髙松を巡り最終日には良寛修行の地である倉敷市玉島の円通寺を訪ねた。
当日時間が詰まっていたが親切に円通寺へと案内して頂き、帰りは新倉敷駅まで送って頂いたのが新潟県ご出身の早川正弘氏だった。

氏は同地に於ける良寛さんの顕彰に尽力され、円通寺境内の覚樹庵(かくじゅあん)に長年咲き続けたすえ、樹勢が衰えた白椿を「良寛椿」として挿し木で蘇らせる運動をされている。成果は実り、円通寺公園の広い一角に「良寛椿の森」として多くの苗木が植樹され管理されるようになった。

春になると氏から良寛椿の苗が届けられ、喜んで美術館の庭に植えた

植えた日の「良寛椿」

植えて半年経ったが苗はじっとしているばかり。成長が止まっているのは夏の長い暑さのせいなのか、ずっと心配していた。
そんな折、昨日倉敷から早川氏が来館された。ご自分のふる里である当県和島村へ赴く途中お寄り下さり、わざわざ5本の良寛椿の苗木を持参された。

良寛椿の苗木。

早川氏は和島で福祉活動にも関係され、折々遠隔を往復されている。短い滞在時間だったがお聞きした高齢者や認知症の方の接遇の話はとても感銘深かった。

11月は中ばになりました。明日は晴れるようですが当地らしく寒い日、荒れる日へと移る時期です。仕事の方はインフルエンザワクチンと一部コロナワクチンに押されるような忙しい日もあり、本日はそんな日でした。“来週は荒れるから今日来ました”と仰る方たちからこの先のお天気を聞かされた次第です。

1本の木にキンカンとカラタチの実が。

2024年11月13日(水曜日)

医院の庭にキンカンを植えている。木はアゲハ蝶の好物で、好んで産み付けられた卵から孵った幼虫が新しい葉を食べるので中々大きくなれなかった。
それが一昨年ころから食害を越えて成長しはじめ、私の身長よりずっと高くなった。すると今春、木に白い上品な花を沢山付けた。

だが不思議な事に花は木の一部分にだけ咲いた。清潔な白い花を気に入り、今年4月23日のブログに写真とともにキンカンの花として掲載した。

キンカンとして載せたカラタチの花。

ところで今秋、りキンカンの実が沢山付いたのだがその一部がおかしかった。

この部分の実は確かにキンカン。
枝にはトゲが無い。

その反対側に大きな
黄色の実がいくつもなっている。

樹の下に実が落ちている。
ピンポン球よりも大きい。

最初はこのキンカンは何かのせいで一部に大きな実をつけるのだろうかと思った。しかし一つの木に二通りの実など実際にあるものだろうか、不思議だった。

この日、草刈りや雪囲いでお世話になっているAさんが庭にいた。Aさんもおかしな木だなと思っていたと言い、寄ると一つをもいでがぶりとかじった。
イヤ、こりゃダメだ!と言うなりペッ、ペッと吐き出した。これはキンカンではありませんね、接ぎ木かも知れないぞと言う。

根の部分を見ると確かに微妙に色あいが異なる2本の木がくっついている。

右の木は左のよりも白っぽい。

大きな実がなる枝には
鋭いトゲ。

ああこのトゲなら見たことがある。今年の正月旅行の際、倉敷の大原美術館の通りの垣根にあったのと同じではないか。その時調べたらたしかカラタチだったはず。そのトゲだらけの垣根の中で、こともあろうにエナガがさえずりながらピョンピョン跳び回っていたではないか。
A氏にこの実はカラタチですねと言った。すると♪カラタチのトゲは痛いよ♪という歌がありますもんね、と口ずさまれた。

根は下図のように、元はAのカラタチを台としてBにキンカンを穂として接がれているようだった。また黄色の実がなる枝にだけトゲがあり、キンカンの実がなる枝にはないことも確かめられ、それぞれの性質に合っていた。

調べると、ミカンを中心に柑橘類は丈夫なカラタチを台に若い枝を穂として接いで増やすと出ていた。この方法だとタネの少ない品種を得たり、旺盛に成長し病虫害に強い木が出来るとも書いてあった。時には1本のカラタチに何十種もの柑橘類を接ぐ場合もあるらしい。

今日まで接ぎ木と知らず、良く調べもせずに木全体をキンカンと思い込んでいた。そのうえカラタチの白い花を見ながらキンカンは美しい花を咲かすとブログにも書き皆さまには申しわけ無いことをしたと謝りたい。

あらためて思うにこの木の生産者は接合した後カラタチを切り忘れたか、2種の木を楽しめるように仕立たのかもしれないい。

本日夕食後、妻にこの話をすると“実は私も、大きなキンカンがなっていると思って食べてみた”と言った。
妻はどんな顔をして吐き出したのだろう。A氏が試したようようにカラタチは熟しても酸っぱくて食べられないとあった。


「からたちの花」
北原白秋作詞、山田耕筰作曲。

この歌には花とともに実もトゲも垣根も歌われている。倉敷で見たのも垣根だったが、私たちの一帯ではまだ見たとこが無い。

恥ずかしながら家にキンカンとカラタチの2種の柑橘類があったことになる。植えてから5,6年は経っている。温暖な地方の木がこの雪国で育っていることを幸運としたい。

来たる11月7日からラッセル・ジョケラさんの展示会 晩秋の花 近隣のコハクチョウ

2024年10月31日(木曜日)

今年最後の催事は「ラッセル・ジョケラ オリジナル オーダーメイド家具展」です。妙高市在住、当地で親しまれるジョケラ氏のオリジナルな家具と人気のクリスマス向き「アーサツリー」なども展示されます、どうかご覧下さい。
絵画ホールを中心に一部陶芸ホールにも置き、倉石隆、齋藤三郎作品はそのままにして温かな展示会を期待しています。

“ジョケラさんの自己紹介
1963年に、アメリカのカリフォルニア州、サリナス
という所で生まれました。
母は佐世保出身の日本人、父はフィンランド系ア
メリカ人です。
父は学校の教師をしていました。
フィンランドからアメリカに移住してきた祖父母は、
農業やクリスマスツリーのモミの木を育てたりして
いました。
私も十五年間この小さなクリスマスツリーを作って
います(笑)。
シアトルのカレッジで芸術学と英語学を専攻してい
ました。その後シアトルの日系会社で、インテリア
デザインと住宅施工の仕事をしていく中で、より木
工のことを深めたくて住宅内装や木製の船づくり、
オーダーメイド家具、美術館とオフィスのインテリア
を手がけました”

さて慌ただしくしているうちに11月3日は文化の日の講演会「良寛さんに学ぶ」が目前となりました。晩秋の日に聖僧とい呼ばれる良寛さんのお話を全国良寛会会長・小島正芳先生からお聴き出来るのは幸せです。お陰様で予定した80人ほどの参加になり、感謝しております。

夏の長い暑さで庭の花は乏しくなっていたのですが、ここへきてホトトギスとリンドウや西王母椿が咲きはじめました。

話変わり、近隣にコハクチョウが沢山来ていると聞いたいましたので、午後から夕刻に見に行きました。

白鳥は昼間は朝早くから田んぼで食餌しますが、暗くなり始めるとねぐらの湖沼に入ります。現在鵜の池と朝日池をねぐらにしているようですが、本日は鵜の池には数百羽が来ました。

高田高等学校創立150周年の秋 いたくら桜園 近隣の秋。

2024年10月24日(木曜日)

今年は県立高田高等学校創立150周年に当たり、10月26日に式典と祝賀会が行われる。
それに関連して25日(金曜日)~27日(日曜日)の三日間、上越市本町の大島画廊で同校出身者のが開かれる。主宰者から卒業生である倉石隆作品と不肖小生作品を出品してと告げられていた。
倉石隆(倉石孝壽たかひさ、中40・昭和8年卒業)。

美術展のDM
旧職員の村山陽氏作品
「私の新学期」が用いられている。

マゴマゴしているうちに初日が明日に迫り、本日昼過ぎ画廊に2点を搬入した。一人一点ずつ物故者を入れておよそ50人の展覧会、会場は作品でいっぱいだった。

場内に展示でご苦労される上越美術協会 小関育也会長と髙田文化協会事務局長の宮崎俊英さんがいらっしゃって、あとは架けるまでに作業が進んでいた。
一渡り観て歩いたがジャンルの幅広さに大変驚いた。
当館からの倉石隆は「黄昏のピエロ」で、ひいき目もあるがあらためて氏の訴求力を感じた。
比べて私の「ほおずきと山芋の実」などは吹けば飛ぶようなもので、恥ずかしい限りだった。

会場の小関、宮崎両氏。
これから作品の壁掛け、
キャプション付けがある。

倉石隆「黄昏のピエロ」

明日から三日間、お暇を見てどうか大島画廊にお寄り下さい。

搬入の後、近隣のコスモスを観みに足を伸ばすうち、かって母がショートステイでお世話になった板倉区のいたくら桜園まで行った。

途中清里区の馬屋で見た
コスモス畑。

 

いたくら桜園付近の道。

懐かしい施設。

同施設は遠かったが母は窓外の風景が佐賀県の故郷に似ていると言ってここばかりお世話になった。送迎はもっぱら私の車で行った。当時上越地区の医師会長を仰せつかっていたが、不思議な事に母といる時間だけはそのストレスを忘れることができた。

桜園のそばのお宅の花。
ショートの間をみて施設に行き、
車椅子を押して近隣の花を見た。

もう遅いのか期待したほどコスモスを目にする事はなかった。帰路頸城区で今年初めて白鳥の群に出会った。

あちらこちらでモズの高鳴きが聞こえ、時節は晩秋となりいよいよ時雨れてくる。
そんな折、樹下美術館は11月3日に全国良寛会会長、小島正芳先生の講演会「良寛さんに学ぶ」があり、11月7日からラッセル・ジョケラさんの木工展が開かれる。外は荒れても樹下美術館だけは温かく居心地良くありたいと願っている次第です。

病気により高校を4年かけて卒業したこともあり、普段母校の行事などに疎い自分。この度ばかりは関係諸氏および我が倉石隆氏のためにも髙田高校150周年美術展、どうか宜しくお願い申し上げます。

信州は須坂で江戸時代の料理を食べる 満月、私達の奇跡。

2024年10月17日(木曜日)

本日木曜日は休診日。10月にしてはやや暑さが戻った空だった。この日はかねて予定の長野県は須坂市の田中本家博物館で催される「江戸料理再現の食事会」に参加した。

今年6月2日に同博物館と普願寺で行われた茶会に伺っていたので須坂は二回目となった。前回、思ったより近いと感じたがこの度はさらに、短時間で着いた。

優しく熱心な同本家12代ご当主に迎えられ11時から待合の間でお話を聴いた。
地名の由来などから始まり魚の話題へと進んだ。日本海の魚を飛脚のごとく信州へ運び継ぎ、山中の氷室にヌカ保存して年中魚を欠かさなかったことに驚かされた。
さらに代々の塗り物の金銀盛り上げの見事さに感心し、江戸末期の文人、亀田鵬斎の書体について良寛との会合前後の顕著な変化を示す床の双幅も興味深かった。

漆器について説明を受ける。
手袋が配られ皆で触れてみた。

お話の後は食事の間へ。参加者さんは各組ごとにテーブルが用意されている。
盃、壺、吸い物、刺身、焼き物、太平、蓋茶碗、飯、漬け物、汁、番茶の順に振る舞われた。各膳の食材は丁寧に吟味され、器は江戸趣味満点でおのずと美味しと珍しさがつのる。

途中厨房の前を通ったところ、廊下全体に濃厚なダシの香りが漂い、日本食の真髄を実感した。
以下はお品書きで初めて目にした献立の「壺」と「太平」の料理です。

「壺」で出された料理。
蛸にあずきが掛かり
菊と青菜が添えられる。

料理の順番と器の形状から「壺」とは、向こう付け、特に筒向(つつむこう)に相当するのではないかと思った。早速出された海の物があずきで甘みを含み、見た目も良くとても美味しくかった。

朱の大きな蓋付碗の「太平」。

「太平」は焼き物の次ぎに出された。慈姑(クワイ)、家鴨、婦久羅(ふくらげ)煮浸し、擬製豆腐、鱈切身霰柚子、巻卵、菊餡、焼き茄子、氷蒟蒻(ひごんにゃく)、青菜が賑やかに盛られている。
用いられた器の欄に皆朱太平とあった。朱で大きく平たい蓋付きの碗で出され、肉料理のメインディッシュと考えられた。

膳が進み茸ご飯と汁、それに須坂丸茄子の味噌漬けが運ばれ、最後はお番茶と塩落雁で締めくくられた。

お番茶と塩落雁。

少し堅めの塩落雁をかじるように味わいながら番茶を服し、盛大な食事が終了した。
この日の料理は嘉永元年(1848年)10月、上田藩奉行 大平多喜治様ご接待時の再現だった。客、献立、器の詳細は分厚い「萬賄帖(よろずまかないちょう)」などに記されているという。帳面はこの後巡った博物館に展示されていた。

相客された東京のご夫婦はこの食事会は8回目とお聞きし驚いた。多くの人が支える博物館。やはり継続は力なりなのだ。

食後、案内された館内は展示物がすっかり替わっていた。構造にも変化が見られ、当博物館の意欲と収蔵品の豊かさに圧倒される。

入ってすぐ大きな薩摩焼の壺一対。

染め付け大鉢と盛りつけ料理の写真。

京焼きの一つである、
交趾焼(こうちやき)の風炉。
鳳凰が大胆に描かれていた。

博物館から庭に出ると、秋の草花が優しかった。

ホトトギス。

手前にムラサキシキブ、
向こうはウメモドキ。

講、食事、博物館鑑賞、リンゴジュースの飲み物一式で19000円の会費だった。

充実の時間を過ごすと再びリンゴ畑を抜けて帰路高速道路に入った。

色づきはじめたリンゴ畑。

博物館周辺の景観は江戸時代の風趣があり旅情を感じる。そこの屋敷で昔の料理をその時の器で食べる。
秋好日の意義深い体験であり、御地と越後は密接であったことを改めて知った一日だった。

さて本日は満月。しかし日中空は曇り、夕刻の雲は厚く、月は無理だろうと思っていた。だが帰って寄った美術館が終了し表に出ると東の雲間が輝き月が上った。

巨大な月が上る。
夜明けのような光景だった。

間もなく隠れた満月。

数時間後には真円になるはずだった大きな月。こんな月をこの目で見られるとは、私達と地球の出来事はまったく貴い奇跡にちがいない。本当に勿体ないことで、そろそろ軽々しく戦争などをするのを止めたらどうだろう。

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