社会・政治・環境

3:11は続く。

2013年3月12日(火曜日)

3:11大地震で新潟県内に福島県から避難を続けられている方々はまだ5800人にも及んでいる、と伝えるニュース。驚くべきことであろう。

2年を経て当県に移住を望んでいる方は四分の一、残り多くの方は、帰郷もふくめ今なお不安のまま明確な進路を決められないでいおられる。

 

ニュースには避難者数が減っていないこと、さらに昨年よりも深刻さが増したというインタビューもあった。
住、職、こどもたちのl進路等々、時には家族でも意見が分かれるという、、、長引くほど当然かもしれない。皆さんの現実と心は引き裂かれたままだ。風評被害と言って済ますことやイベントごとは何も役に立たない。

 

大災害の復興はいくつか大きく力強いステップが必要だ。今も被害者を漂わせているのは国が思い切った指針や施策を出さないでいるためであろう。

いったん汚染されれば混迷は長く続く、津波災害と原発災害のちがいだ。

 

現在の避難者の課題は全国くまなく原発が立地している日本全体の問題でもある。原発に安心や安全などあろうはずがない。

原発、県民投票条例案が否決されて。

2013年1月24日(木曜日)

上越市大潟区は信じがたいほどの無雪状態で冬の後半を迎えている。ただ明日から寒波と予報が伝えた。

 

さて昨年6月下旬から二ヶ月間にわたって柏崎刈羽原子力発電所の再稼働に関する県民投票条例の実現を目指す署名集めがあった。微力ながら自分も受任者となり皆様の貴重な一筆ずつを頂いた。
文字通り手弁当で行う僅か二ヶ月の署名活動。署名は捺印も必要としていた。それでも反応は全県下に及び、法定の4万筆を超える6万8千の意思表示は重かったはずである。

 

原発は一旦シビア事故となれば立地地元を越えて深刻な影響が拡大する。また平時静かであっても不安はぬぐえない。
条例が目指したものは、施設再稼働に関連した意向を聞くのに地元自治体だけにしないで広く県民も、というもので、まっとうな提案であった。
しかし昨日県議会が開かれ、知事が修正して提出した条例案およびある党の修正案も大多数の議員によって否決された。
多数党は議案を形式論に転嫁させ、意味・内容の議論という議会の責任を十分に果たさず終了した。あたかも裁判所のごとくであり、新潟県議会は遠く鈍く恐ろしい所だと思った。

 

すでに中越沖地震で影響を受けている発電所の課題は残る。一方経済構造に直結しているだけに関係者の生活不安は大きいと思われる。当原発の技術課題は会社が、稼働可否判断と補償は国が責任をもって対応すべきは論を待たない。しかしそれらの過程で中間を繋ぐ県議会は、なぜ当事者足りる全県民の意向と真摯に向き合おうとしないのだろうか。

 

私の仕事場はおよそ柏崎刈羽から30キロすれすれにある。やはり不安である。もっと近くの人を思えば胸が痛む。原発の安全性は人間の頭脳と技術の範囲だ。しかし自然現象と原発自身の人知を超える本質は人を不安にさせる。そもそも原子力発電所の安全性とはどんな概念だろう。

 

【安全な原発の成否とは次のような事かもしれない】

今後どうしても原発が必要ならば首都圏(あるいは大都市)に作ることを絶対条件にすべきだ。それにより問題が分かりやすく浮かぶ。
実際、多リスクの首都である、安全は基準を越えてとことん追求されるであろう。だが果たして万全というものが完成するだろうか。そして最も高いハードルが別にある。都民の意向であり、どんなものなのか想像もできない。

 

生産(経済活動)と生活はしばしば衝突する。しかし多くは工夫・妥協によって何とか均衡を保とうとする。そんな中で使用済み核燃料や廃炉を含め原子力発電だけは、住民の心身健康と創造的な生活に対して埋めがたい溝を生じせしめる。

 

国策、、、。昨日の県議会では何の響きも無くこの言葉が使われた。国の冠の前に善良勤勉な県民が無力のまま置かれるのは悲しいことだ。課題は流動し国策といえども生き物であろう。柔軟な部分を有してなければ現実に対して深刻なズレを免れない。

 

不安の無い清澄な郷土、無力感の漂わない新潟県であることを心から思い願っている。

冬至の日 メガソーラー発電施設 太陽は二回目の出番。

2012年12月21日(金曜日)

うす曇りの一日。
特養ホームの出務を終えて帰り道となる樹下美術館に寄った。なおえつ茶屋のsecoさんがいらしていた。お元気で嬉しかった。

 

さて本日は冬至日ということ、南に寄った低い太陽がぼんやり見えていた。

 

冬の太陽午後二時半頃の太陽。

 

メガソーラー急ピッチで工事が進行する帝石トッピングプラントのメガソーラー発電施設
道路の目の前にあり親和的で知的な景観だ。

最大出力1メガワット(1000キロワット)以上の太陽光発電施設を

メガソーラーというそうだ。

 

美術館の帰り道に(株)帝石トッピングプラントの敷地がある。4万6千㎡の敷地内に建設され最大2メガワットの発電が可能だという。

 

上越タウンジャーナルによれば同じく上越市谷浜地区にも最大出力2,4メガワットのソーラー発電施設が来年中に完成する予定だ。

 

雪国でも可能なソーラー発電。上越地域はまだまだこれからだ。新潟県東部産業団地(阿賀野市)にはすでに2メガワットの施設があり、さらに15メガワットの県計画がある。
全国では50~100メガ級の発電所が各地に計画されている。着工から数ヶ月~半年など短期間で完成されるのもメガソーラーの特徴であろう。

 

命の誕生と生成が一回目の出番なら、いま命を救うために二回目の出番となった観の太陽。学問、企業努力とともに頑張ってください。

嬉しい東京新聞、足温器と電気敷き毛布。

2012年12月20日(木曜日)

年を取って意見、見解などについてより感覚的になった。合う合わない、しっくりくる、こない、という風に。

 

それで、おそらく私が生まれた時から当家で取っていた中央の大手A新聞を止めた。上から目線、特定人物への忌避、原発事故の矮小化、など作為や誘導を感じ、ほとんど読まなくなっていた。

 

東京新聞すっきりして読みやすい。

 

その結果東京新聞にした。紙面に余分な感じがなくシャキッとしている。なにより真摯に伝えようとする気持ちが伝わる。

昔在京したころにこの新聞を取っていた。東京のこともよく分かるし、妻は「公平な感じがする」とも言った。
地元新聞店の取り継ぎがないので一日遅れの郵送。当面朝刊だけだが、一日遅れとも気にならない。

 

ところでこのところ足が冷える。本日は足温器と初めてとなる電気敷き毛布を買った。両方ともあっというほど安く、毛布は早く寝たいほど暖かい。

冬ばらの淋しき選挙を見送れり。

2012年12月16日(日曜日)

曇りの本日選挙があり、夕刻投票をしてきた。

帰宅すると黄色いばらが一輪、静かに世を忍ぶ様子だった。 

 

冬ばら

 冬ばらの淋しき選挙を見送れり

冬ばらの見送る淋しい選挙かな

俳句は難しい。

診療所と美術館の忘年会 身から絞り出される血税 超然たる品位の国として。

2012年12月15日(土曜日)

昨日に続いて雪が一段落している本日、診療所と樹下美術館の忘年会があった。忙しければ頑張り、暇なら耐える一年が終わる。

 

お世話になる人、支援して下さる人も参加して18人。抽選会、出し物、歌、センチュリーイカヤさんで三時間を過ごした。

 

シャベル三味線
女性スタッフ持参のシャベル三味線。
彼女の「シャンシャン馬道中」「十日町小唄」は秀逸だった。

 

シャベルが鳴って
ますますシャベルが冴える。

 

診療所も歌う
診療所スタッフが歌い。

 

美術館が歌う
当然美術館も負けなかった。 

 

拙宴会などをお出しして真に恐縮です。恥ずかしながら筆者は星降る街角でした。年に一度精一杯の全員参加、どうかお許し下さい。

 

明日は苦悩の選挙、しかしなんとか投票したい。

 

選ばれた方は大企業ばかりでない、私たちの「文字通りの血税」を震災復興と国民の健康・福祉・教育文化のため一円のムダ無く使っていただきたい。

 

大国の思惑が絡むえげつない近隣の挑発に簡単に乗せられることなく、超然たる品位の国として実直に歩むことを心から望みたい。

優しくも強い性、女性。

2012年11月27日(火曜日)

強い季節風が吹き荒れた一日。どこにいてもどーどーと海鳴りが聞こえていた。

 

そんなに日、意外にも女性の滋賀県知事が新しい政党を作った。震災以後、優しくも強い性を有する女性政治家が望まれるのでは、と思っていた。

 

荒海本日の荒海に青空。

 

カモメスリムなカモメは強風の風上へ、大きな曲線を描きながら向かっていく。

 

女性らしい有能な人であれば、あらがうばかりの男達に代わって平和のために女神の如く存在出来るかもしれない。

肌寒い一日 保育園の健診。

2012年10月12日(金曜日)

夜半に雨、そして肌寒い一日だった。暑い夏が恋しいくらい、という感想を聞いた。

 

午後は近くにある保育園の健診に行った。1~5才児まで70人近く診た。一人も欠席者がいないとは珍しく、胸がすーっとした。

 

・健診中、列の遠くからニコニコしてこちらを見ている三才児の幼女。前回は大泣きしてとうとう出来なかったという。虫の居所が悪かったのですね。小さな顔、クリクリした髪、娘の幼少に似ていた。

 

・福島から避難の園児は一時20人前後だった。一年半を過ぎて3人にまで減ったと聞いた。あらためて大変な事が起きていたのだと思った。皆さんの運命は様々に変えられたにちがいない。

 

秋のバラ
仕事場の秋バラ。

 

作品鑑賞会

秋の音楽会のお知らせ

9月23日(日曜日)の南三陸町、志津川。

2012年9月23日(日曜日)

本日9月23日(日曜日)は映像で繰り返し見た南三陸町志津川を回った。

  

銀行の跡銀行跡。

 

空疎の象徴ある種観光資源と化した惨劇の痕。

 
仮設商店街
仮設商店が集った場所。他所からの人が多く集まるように見えた。

 

仮設住宅コスモス咲く高台の仮設住宅。

 

棒掛け山間の田んぼ。棒がけによる稲干し風景に心がなごんだ。
ここのおそばは美味しかった。

 

終戦後の復興には「リンゴの唄」の歌声や混雑する列車など、子ども時代の思い出でさえ活気の背景がよぎる。

 

本日見て回った南三陸町の志津川はひっそりとして、全体に遠慮が漂うのを感じた。 

 

国を作り直すほどの事業が期待されるが、休日のせいか静かだった。元どうりにすれば済む事ではないので難しいにちがいない。もったいないほど美しい地勢、何代先も見据えて進めて欲しいと思った。

 

帰りは古川でレンタカーを返した。帰りの上越新幹線で駅弁を開くとほっとした。わずか一泊二日だったが長い旅をした感じがした。 

 

駅弁

秋の音楽会はチェンバロとリコーダーの夕べ。

2012年9月14日(金曜日)

再びの炎天となった一日でした。ニュースは連日、二大政党の党首選挙の話題一色となりました。

 

福島復興とゼロ原子力の美しい国への再生を、丁寧に実行される人を心から望みたいと思います。

 

さて樹下美術館では11月10日(土曜)の午後6時半から
イングリッシュ・スピネットタイプのチェンバロと
リコーダーのコンサート
を催します。

  秋のコンサートのお知らせ
(大きくしてご覧下さい)

 

チェンバロの実力者・加久間朋子さんは、作秋設立された日本チェンバロ協会の発起人の一人であり、運営委員をされています。今回は三回目の来演です。

このたびは気鋭のリコーダー奏者辺保さんとのアンサンブルとなりました。

ギターの飛び入りも期待されます。

 

 サブタイトルの16,17世紀イギリスは音楽も黄金時代。リコーダーは多様に花開きました。

さまざまなリコーダーとイングリッシュスピネットのチェンバロによるアンサンブルはとても楽しみです。 

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