社会・政治・環境

2月生まれ 健康な首都であれ。 

2014年1月22日(水曜日)

2月になると誕生日が来る。家ではすぐ下の弟も姉も父も2月生まれ、特に父とは誕生日も一緒という2月ぶりだった。

日頃、皆様のカルテで同月生まれの方を見ると、なんとなくシンパシーが沸く。

特に暖房のない時代の生まれでは、お互い湯船の中で震えていただろう、と。

チューリップの花束今年も新潟市のお茶の方からチューリップが届いた。寒空の下、心身温まる。

バレンタイン昼休みに妙高市の孫が寄った。早いバレンタインです、ということだった。
誕生日はともかく、寒さの真っ最中はちょっとしたことで心温まる。

 

夜半に追加です:突然の都知事選挙が始まる。大規模な原発を抱える新潟県民の一人として関心を持たざるをえない。
精神・哲学・姿勢といった目に見えないが深い課題が争点となるとは、さすが東京だと思った。

この機会に、日本が世界一健康な首都を持っている国であることを示してほしい。

都寿司のばら寿司 穏やかな柿崎海岸 遊べど尽きぬ子ども時代。

2013年12月26日(木曜日)

昨日今年の美術館を終了して本日午前中に撤収作業があった。私は診療所だったので妻たちによって順調に行われた。

昼食は作業を終えたスタッフと近くの都寿司でばら寿司をたべた。やさしく美味しく作ってあり、熱いお茶も有り難かった。

都寿司都寿司の電話 025-354-2185 昼食のずけ丼も美味しい。

午後の定期休診で柿崎海岸をゆっくり歩いた。ペンダント用のシーグラスを探したり写真を撮ったり千鳥を見たりした。

柿崎地上を浄化する海は清潔だ。

その海を放射能で汚す事は 神を汚すに似た行為に感じられる。 海だけは汚さないでと心から願っている。神や自然や人間にどこまでも寛容を求めるのは、甘えに見える。

 

さて、冬とは思われないお天気が続いていてキツネにだまされているようだ。
キツネといえば、その昔子どもの頃、近所の遊び仲間と当地の松林にキノコ採りに行った時のこと。
当時の松林は広大で、私たちは道に迷った。

仲間の一人が、この中に人間に化けたキツネがいると言い出した。
彼は木の枝を拾うと、尻尾を出せ、と言って皆を追いかけ尻を叩いた。
すると誰かが、おまえこそキツネだろう、と彼を追いかけた。
しまいに皆で手に手に棒を持って叩き合い、最後は笑い転げた。

そんな自分がいつしか老人になっている。
だが遊べど尽きぬ子ども時代はどこかで続いている。

穏やかな日 政治の危うさ 海外で夢見すぎは失敗のもと。

2013年11月30日(土曜日)

本日日中の空は穏やかだった。四ツ屋浜の枯れ草も静かで、もっぱら背を温めている風だった。

彼らの従順さは動物には真似できない。

 

穏やかな四ツ屋浜午後まだ明るい時間の四ツ屋浜。

樹下美術館の夕雲樹下美術館は冬木立にあかね雲。

暮れた樹下美術館閉館後の美術館。金沢市からのお客さんなどでカフェはほぼ満席だった。

本日夕刻、九州出身の従兄弟が何十年振りに寄ってくれた。某メーカーのファイナンス畑の人で、アメリカとシンガポールなどの海外が長かった。

話は興味深く,子どもたちが身につけたインターナショナル感覚と日本的マナーの組み合わせは世界最強ではないか、と思った。

また日本の政治を危機的状況と危惧。なにより選挙における投票率の低さは世界的にも異常、と語気を強めた。

そして帰り際、海外に於ける日本企業の幕引きも幾つか手がけたが、失敗の根に「情緒的あるいは夢の見すぎ」ときっぱり。

家族を大切にされ知的で人なつこい人は、まだまだ忙しいらしい。

東北楽天ゴールデンイーグルス、優勝おめでとう! 民の底力。

2013年11月3日(日曜日)

東北楽天ゴールデンイーグルス、優勝おめでとう!

9回裏田中投手の登板は心底緊張を強いられた。球場、TV観戦のファン、みな一緒だったに違いない。

私は仙台、宮城県に少なからぬ縁がある。義理の弟一家は仙台市に住んでいて妹の墓は同市郊外にある。息子一家も仙台市内で弟たちは南三陸町。テレビ中継に出た南三陸町のさんさん商店街では買い物もした。震災以後の東北でこんな快挙は初めてのこと、最後は涙が止まらなくなった。

今まで本当に大変だったが、今日だけは心から〝東北おめでとう〟と大きな声で言いたい。

祝優勝

今夜強く感じたのは「民の底力」だ。野球がこれだけ盛り上げる。人気取りばかりが目立つ官に無駄はないのか、不思議だがそんなことをひしひし感じた。

過日、初代サントリー美術館の支配人で現サントリー文化財団専務理事のI氏が樹下美術館を訪ねて下さった。
「私立同士互いにがんばりましょう」とは、弱小・樹下美術館には何ともったいない激励だったことか。

ところでお客様ということでは、どういうわけか横浜の方々が時たまお見えになる。本日は5人のグループが寄って下さった。先日は金沢のグループ、そして長岡市や村上市、新潟市のお茶人の皆様が続けて来館された。いずれもわざわざ足を延ばして下さっている。

そして上越は自然と文化と町並みが素晴らしい、と口々に仰る。下越などに行くと同じようなことを突然言われることがある。
小さいだけが取り柄の民・樹下美術館にとって、それはとても有り難いことだ。

それにしても今夜は東北楽天ゴールデンイーグルス、本当におめでとうございました、桁違いですが樹下美術館も頑張ります。
何かとても嬉しい。

「良心と責任のオリンピック」

2013年9月9日(月曜日)

2020年のオリンピック開催都市が東京に決まった。悪条件の中でよく決まったと思った。ブラジルを経て7年などあっという間だろう。

およそ50年前の学生時代、東京に居て同時進行的にオリンピックを経験した。当時の都内はひたすら突貫突貫の日々だった。それに較べ、今日大津波と原発事故が加わり明らかに事情が変わった。国土から漏出した海洋の放射能汚染という前代未聞の敏感な問題の中、よく承認されたものだと思う。

45年間の医者の日常からいうと、家に重病で苦しむ家族がいるのに、祭りだ祭りだとおみこしを担ぐ図式には到底なじめない。。

オリンピックはスポーツの祭典である。しかしこのたびは国際的にも深刻課題となった原発事故を含む震災復興をもう一つの輪として実直に取り組むことが要求される。
実現の可否は「日本の良心と責任意識」に掛かっていよう。

国の良心や責任意識を世界に示すチャンスなど滅多に無い。しかしそれは世界が期待し、開催地決定のカギにもなったものかもしれない。

福島の復旧と復興は支援などという曖昧なものから名実ともに厳格な国家事業となった。
初めからしてして当然であろう。現地と世界を裏切るわけには行かない。

今日の雲今日の樹下美術館上空の雲。朝夕だけでなく日中も涼しくなった。

猛暑が落ち着いて ローランサンの薄紅色の雲。

2013年7月18日(木曜日)

このところ暑さが一段落している。Yahoo!天気で見る限り、関東甲信越10県の,向こう一週間に猛暑日が見当たらない。上越市高田の最高気温も27~29℃と出ていた。

今夏は早くに猛暑が来たが、8月など中から先はさほどでない、という予報を聞いたことがあった。今のところそんな具合になりつつあるがどうなるだろう。

ところで原発再稼働のベクトルは猛暑を背景に機運が高まったかに見えた。しかし当県の柏崎刈羽は世界一の規模であり、中越沖地震の洗礼も受けている。次元とわけが並みでない、慎重の上にも慎重姿勢が求められる。

今夜放送されたTVコマーシャルに〝ほどほどの安心なんてありませんから〟というキャッチがあった。あるハウジングのコマーシャルだった。確固たる安心概念が伝わり、賢明な会社だと思った。

このような言葉を述べるスマートな電力会社が無いのも淋しい。

 

四ツ屋浜の夕雲曇りの夕暮れも見所、今夕の四ツ屋浜。
やや暗いが、薄紅はマリー・ローランサンの絵によく使われる色を思わせる。

福島県の花が樹下美術館で咲こうとしていた。

2013年4月13日(土曜日)

本日夕刻、美術館隣接の庭の手入れをした。はびこる苔類を除き風で散乱した枯れ枝を処理して回った。

あるところで積もった落ち葉を除くと不意にシラネアオイのつぼみが現れた。沢山花芽が付いている。こんなところに大好きなシラネアオイがあったとは、一瞬戸惑った。
そういえば昨年晩秋、福島県は二本松市のあるお宅からスタッフが運んだのを植えたが、ここだったのだ。

二本松からシラネアオイ二本松市からのシラネアオイ。茎を沢山付けて立派な株になって芽を出している

持ち主であるスタッフの縁者は高齢のため上越市に引っ越されている。残された庭に沢山の山野草が放置されたままだったという。そこで花好きのスタッフご夫婦が二本松へとで掛けて行き、運んできて樹下美術館も分けてもらったといういきさつだった。

晩秋の時雨どきに慌ただしく植えたので場所を失念していた。それが思わぬ生き生きとした姿で現れて正直驚いた。
樹下美術館の庭は乾燥する砂地のためシラネアオイは辛いところだ。だが、このたびの場所は南側の水路にかかる雑木の下でやや湿潤している。福島の花は絶好の場所を得たのかもしれない。これからがとても楽しみだ。

 

ショウジョウバカマとイカリソウ近くにもう一株のシラネアオイととショウジョウバカマが芽を出している。
あまつさえイカリソウまで付いていて、どんな花が咲くのだろう、とても楽しみである。

花は福島第一から50㎞は離れている自主避難区域からやってきた。
樹下美術館での安住と増殖を願っている。

3:11は続く。

2013年3月12日(火曜日)

3:11大地震で新潟県内に福島県から避難を続けられている方々はまだ5800人にも及んでいる、と伝えるニュース。驚くべきことであろう。

2年を経て当県に移住を望んでいる方は四分の一、残り多くの方は、帰郷もふくめ今なお不安のまま明確な進路を決められないでいおられる。

 

ニュースには避難者数が減っていないこと、さらに昨年よりも深刻さが増したというインタビューもあった。
住、職、こどもたちのl進路等々、時には家族でも意見が分かれるという、、、長引くほど当然かもしれない。皆さんの現実と心は引き裂かれたままだ。風評被害と言って済ますことやイベントごとは何も役に立たない。

 

大災害の復興はいくつか大きく力強いステップが必要だ。今も被害者を漂わせているのは国が思い切った指針や施策を出さないでいるためであろう。

いったん汚染されれば混迷は長く続く、津波災害と原発災害のちがいだ。

 

現在の避難者の課題は全国くまなく原発が立地している日本全体の問題でもある。原発に安心や安全などあろうはずがない。

原発、県民投票条例案が否決されて。

2013年1月24日(木曜日)

上越市大潟区は信じがたいほどの無雪状態で冬の後半を迎えている。ただ明日から寒波と予報が伝えた。

 

さて昨年6月下旬から二ヶ月間にわたって柏崎刈羽原子力発電所の再稼働に関する県民投票条例の実現を目指す署名集めがあった。微力ながら自分も受任者となり皆様の貴重な一筆ずつを頂いた。
文字通り手弁当で行う僅か二ヶ月の署名活動。署名は捺印も必要としていた。それでも反応は全県下に及び、法定の4万筆を超える6万8千の意思表示は重かったはずである。

 

原発は一旦シビア事故となれば立地地元を越えて深刻な影響が拡大する。また平時静かであっても不安はぬぐえない。
条例が目指したものは、施設再稼働に関連した意向を聞くのに地元自治体だけにしないで広く県民も、というもので、まっとうな提案であった。
しかし昨日県議会が開かれ、知事が修正して提出した条例案およびある党の修正案も大多数の議員によって否決された。
多数党は議案を形式論に転嫁させ、意味・内容の議論という議会の責任を十分に果たさず終了した。あたかも裁判所のごとくであり、新潟県議会は遠く鈍く恐ろしい所だと思った。

 

すでに中越沖地震で影響を受けている発電所の課題は残る。一方経済構造に直結しているだけに関係者の生活不安は大きいと思われる。当原発の技術課題は会社が、稼働可否判断と補償は国が責任をもって対応すべきは論を待たない。しかしそれらの過程で中間を繋ぐ県議会は、なぜ当事者足りる全県民の意向と真摯に向き合おうとしないのだろうか。

 

私の仕事場はおよそ柏崎刈羽から30キロすれすれにある。やはり不安である。もっと近くの人を思えば胸が痛む。原発の安全性は人間の頭脳と技術の範囲だ。しかし自然現象と原発自身の人知を超える本質は人を不安にさせる。そもそも原子力発電所の安全性とはどんな概念だろう。

 

【安全な原発の成否とは次のような事かもしれない】

今後どうしても原発が必要ならば首都圏(あるいは大都市)に作ることを絶対条件にすべきだ。それにより問題が分かりやすく浮かぶ。
実際、多リスクの首都である、安全は基準を越えてとことん追求されるであろう。だが果たして万全というものが完成するだろうか。そして最も高いハードルが別にある。都民の意向であり、どんなものなのか想像もできない。

 

生産(経済活動)と生活はしばしば衝突する。しかし多くは工夫・妥協によって何とか均衡を保とうとする。そんな中で使用済み核燃料や廃炉を含め原子力発電だけは、住民の心身健康と創造的な生活に対して埋めがたい溝を生じせしめる。

 

国策、、、。昨日の県議会では何の響きも無くこの言葉が使われた。国の冠の前に善良勤勉な県民が無力のまま置かれるのは悲しいことだ。課題は流動し国策といえども生き物であろう。柔軟な部分を有してなければ現実に対して深刻なズレを免れない。

 

不安の無い清澄な郷土、無力感の漂わない新潟県であることを心から思い願っている。

冬至の日 メガソーラー発電施設 太陽は二回目の出番。

2012年12月21日(金曜日)

うす曇りの一日。
特養ホームの出務を終えて帰り道となる樹下美術館に寄った。なおえつ茶屋のsecoさんがいらしていた。お元気で嬉しかった。

 

さて本日は冬至日ということ、南に寄った低い太陽がぼんやり見えていた。

 

冬の太陽午後二時半頃の太陽。

 

メガソーラー急ピッチで工事が進行する帝石トッピングプラントのメガソーラー発電施設
道路の目の前にあり親和的で知的な景観だ。

最大出力1メガワット(1000キロワット)以上の太陽光発電施設を

メガソーラーというそうだ。

 

美術館の帰り道に(株)帝石トッピングプラントの敷地がある。4万6千㎡の敷地内に建設され最大2メガワットの発電が可能だという。

 

上越タウンジャーナルによれば同じく上越市谷浜地区にも最大出力2,4メガワットのソーラー発電施設が来年中に完成する予定だ。

 

雪国でも可能なソーラー発電。上越地域はまだまだこれからだ。新潟県東部産業団地(阿賀野市)にはすでに2メガワットの施設があり、さらに15メガワットの県計画がある。
全国では50~100メガ級の発電所が各地に計画されている。着工から数ヶ月~半年など短期間で完成されるのもメガソーラーの特徴であろう。

 

命の誕生と生成が一回目の出番なら、いま命を救うために二回目の出番となった観の太陽。学問、企業努力とともに頑張ってください。

2024年11月
 12
3456789
10111213141516
17181920212223
24252627282930

▲ このページのTOPへ