社会・政治・環境

頂いたギンナンが混ぜご飯に 原発と県知事選。

2016年10月15日(土曜日)

雲を見ることもなく晴れわたった土曜日だった。
本日殆どのお客様が男性だった、と聞いた。
美術館に、カフェに男性、きっと様になっていたことでし
ょう。

明日日曜日は当館には珍しく50名近く団体さんの予約
が入っている。
半数ずつ一時間を置いて来館され、作品鑑賞のあとカフェ
に入られるということ。
絵画ホールに8名様用のテーブルを出してお茶のサービ
スをする予定。

1
↑美術館裏手の農道。草がセーターに着替えたようだ。

2
↑その路傍でひときわ明るく咲いているミゾソバ。
小さなお菓子のようだ。

3
↑日暮れ時、庭の落ち葉を掃き終えると大きな月が明るい。
明日が満月らしい。

4
↑昨夜頂き、妻が剥いていたギンナンが混ぜご飯になった。
頂いた生姜は味噌漬けになって向こうに、恥ずかしながら
左はスズキのムニエル、汁椀は鶏肉とカブのすまし汁で
した。

さて明日は新潟県知事選挙の投票日。
知事おろしと新聞の同調、終盤に於ける知事を巡る不可
解な動勢、心ない中傷、、、今夜の澄んだ月と反対に選
挙は汚濁の印象を深めた。

最大イシューと考えている原発は、一旦ことが起これば
広大な周辺地域で故郷を捨てさせる底知れぬ破壊力を
有している。

軽々に安全の担保を言うほど、原発の恐ろしさへの無理
解が露呈する。

事故に備えてヨウ素剤を手許に置かなければならない生
活など歴史的暗黒であり、事あれば離郷の止む無きなど、
何と無慈悲な施策であろう。

40年間真面目に納税してきた結果がこれだとは、涙が出
てくる。

もともと新潟県は穏やかで海山川田園に恵まれ、創造的
工芸、技術の盛んな県だった。
人々が安心して励み暮らせ、喜んで人が集まる県であるこ
とを心から祈り願っている。

昔の秋今の秋 ほおずきの鉢 突然の知事選撤退。

2016年8月31日(水曜日)

秋来ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞおどろかれぬる

読み人藤原敏行の時代(平安時代)の
暦(旧歴)は今の新暦よりもおよそ一ヶ
月前(早く)に相当している。

つまり秋は現代の8月には始まっている
ことになり、昔人はかすかに秋が来た
ことを、その頃の風の音で感じる、と歌っ
ている。
台風シーズンの始まる頃であり、風の
音はその予兆を指していたのだろう。

これが樹下美術館であれば、8月頃から
庭は花が減り、やつれを見せるようにな
る。
昔の人は暑い盛りのそんな眺めも「秋」と
と認識した。

良くしたもので、昔から見れば一月遅れだ
が、今日8月31日に、「ああ明日から秋か、
それにしても暑いなあ」などと自然に思うよ
うになるのが人間の便利なところだ。

160831秋きむと、、
↑今月初め近くの「コメリ」で求めたほおずき。
樹下美術館のほおずきはこんなに沢山実を
つけることは無い。
もっと涼しくなったら鉢から庭へ移したい。

ちなみに浅草寺のほおずき市のはとても立
派な鉢らしい。
一度見に行って一鉢買っみたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ところで10月の新潟県知事選挙に出馬を
表明していた泉田知事が昨日突然それを
取り下げて撤退した。

原発再稼働に慎重な知事から整然とした
論理と生活者目線が伝わり、大変だろうが
このまま頑張って欲しいと期待していた

翻意には新聞社を巻き込む大きな力が働
いたと想像され、原発に潜む底知れぬ暗
黒をあらためて知らされる思いがした。

知事とは医療や個人的なことで
数回立ち話をしたことがあり、
親しみを覚えていたので余計に残念だ。

アオスジアゲハのブルー 昆虫の無個性。

2016年8月24日(水曜日)

かなり涼しかった午前、それでも午後次第に暑さが
戻った一日。
その午後の外出の際、私道でアオスジアゲハが羽ば
たいては路上に降り、また羽ばたいていた。

わずかな水たまりを探しているようだった。
この蝶をちゃんと写したことがなく、本日何度も路上に止
まってくれたので撮れた。

アオスジアゲハ
飛ぶとブルーがより華やかに見えるが、撮るのは難しい。

個性が見当たらないのにみな満足しているように見える。
幸福か否かを別にしてこの一点は昆虫に敵わない。

花鳥は死して害なるものを一切残さない。
人間は有害の極みである核燃料
を放置的に残す。
私は共犯者みたいなものですから、
恥ずかしくも悲しい罪悪を感じるのです。

赤ちゃん、こどもの成長、自然。

2016年7月10日(日曜日)

選挙の日、投票の帰りにすれ違った若い女性は初めての
投票、と言って手を振った。
子供時代、ワクチンでいつもワアワア泣き叫んでいた人だ。

この人とそのお子さんの幸福のために投票するのだと思った。

それはまた50年100年、そのずっとずっと先までの幸福。

つまり可愛い赤ちゃん、こどもの成長、清々しい自然。
3つの健やかな永遠のために何を選べばいいのか、
自分の先は長くはないが、感じたり考えたりしていきたい。

IMG_4732本日美術館近くの合歓。

つゆの合間の過ごしやすい日だった。

強風の憲法記念日。

2016年5月3日(火曜日)

5月3日は憲法記念日の祝日。
貴重な記念日だったが当地は瞬間風速20メートルを越す強風
に見舞われた。
しかも南寄りの風だったので草花はおろか植えられたばかりの
作物の苗にも最悪だった。
一部の草花はぐったりしてしまい、明日雨降りの予報ながら散
水した。

田植え後の水田が強風に見舞われると植えた稻が浮いてくるら
しい。
当地は田起こしが始まったところだったので難を逃れたと思う。

 

160503悪風の日
↑本日強風の美術館裏の田んぼ。

ところで本日来館されたご家族が憲法の話をされた。
以前は改憲止む無しの方だったが本日はこのままで良い趣旨を
述べられた。

このままで良しは私もその一人。
憲法が発布された昭和22年の自分は6才だった。
暗く貧しい時代、発布が周囲にもたらした「明るさ」と「希望」の感
覚は子供心も打ち、今日まで脳髄に染みこんでいる。

一部不満の人はあったことはうなずけるが、多くは新憲法に奮い
立たされ、働き、家族を支えたように思う。

厳しい人生で個人が豊かで良い子が育つ国へ。
憲法には真の幸福を反映する唯一無二の絶対価値が漂っている。
これ以上無い最上位の国の規範(理念)でありほかに何をか望もう。

あらためて膨大な戦争犠牲者の方々が思い出される。
憲法、なかんずく第九条は米国よりも、この方達によってもたらさ
れた尊い魂の遺産ではないのだろうか。

_MG_9703

拙歌)
強風の庭に一輪香りたつ 花は牡丹かはた憲法

熊本で米が足りないとは 水盤にメジロやアトリ。

2016年4月18日(月曜日)

学生時代ずっと部活で一緒だった一年上の先輩が熊本市にいる。
当時下宿を訪ねたりしたが、もう50年近くお会いしてない。
躊躇の末今夕お電話した。

電話口の声は昔と変わらず、お元気だったのが嬉しかった。
だが仕事場と家の建物は無事だったものの、室内はめちゃめちゃ
になった、といい、ようやく今日から仕事を再開したところと仰った。

何が不足ですか、とお尋ねした所答えは意外だった。
「米だよ、米が無いんだ」
普段何でもありそうな裕福なイメージの熊本県で米が足りないと
は。
福祉施設も営んでいるため特に深刻らしい。
新潟県民として黙っているわけには行かない、今夜至急60キロ
を手配した。

交通の混乱が想像されるが、どうか一刻も早く着いてほしい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

嵐が明けた本日昼、美術館の水場でメジロ、ツグミ、アトリを見た。

1
↑実はメジロをみたのは今年初めて。本当に目が可愛い。
目白押しはこの鳥がびっしり群がっている様子から来ているという。

 

2
↑水浴びは大変無邪気に見える。

 

3
↑手前は何度か掲載しているツグミ、向こうはアトリのようだ。

 

4
↑今年1月に見たアトリの群。

以前は鳥のことなどさっぱり分からなかったが、ブログを書くようになって
次第に目が行くようになった。

 

東北の大災害から5年が経った。

2016年3月11日(金曜日)

本日は5年目の大震災の日だった。
当日も金曜日であり、夕刻近く当地もただならぬ揺れに見舞われた。
ゆさゆさ、ゆさゆさと不吉な揺れの後テレビは宮城、岩手県はじめ一帯の
前代未聞の大地震を告げた。

仙台市に妻の子と私の義理の弟が、南三陸町には弟が、それぞれ家庭を
持って住んでいた。
仙台市との電話は最初だけ繋がったが南三陸町の音信は最初から途絶した。
同地の姪たちはともに小学校に通っている。
テレビの映像は想像を絶するもので、津波が下校時間と重なっていたため
安否がとても気になった。

同夜遅く南三陸町が壊滅したという情報に接した。
災害が超巨大であることが次第に明らかになっている。

翌日夜、仙台の甥から電話があり、姪達はほぼ全員高台の学校に残り一
夜を明かして無事らしい、と電話があった。

数日後、インターネットの安否確認サイトを通して弟一家は全員無事らしい
ことが分かってきた。
サイトでそのことを知らせてくれたのはフォークシンガーの小室等さんと、
お仲間の歌手のネットワークであり、有りがた味は心に沁みた。

後日臨時に開設された公衆電話所から弟の声を聞いた。
自分の事より、町の防災庁舎の痛ましい犠牲は行政の怠慢と憤慨した。

三週間ほど経って妻が子供達を訪ねた。
あまりの惨状に帰ったあともしばらくショックをひきづっていた。

そしてかねて忌まわしかった原発が本当に事故を起した。
悪夢は地獄の出来事のようであり、異次元感覚を引き起こさせた。
失敗が広大な地域を汚染させ、十万を越える人に故郷を捨てさせる。

いつかこうなる予感はあったし、さらに先に絶望的な廃炉と廃棄が待っ
ている。
生活のために得体の知れない魔物を使い同居することをどうしても肯
定できない。

「他者とその犠牲を本気で心配する人」と、「風評としてお上に付く人」
事故は肝心な点で人が二通りに分かれることを示した。

人間はこんなに違うものかと実感するのは淋しいことだった。
願わくば両者は根底で繋がっていれば、と一縷の望みを託したい気持ち
だ。
幸福、不幸の根拠が互いに対極とはどういうことだろう。

政治は高い理想を掲げ、行政はその方法論を練る、願わくばそうあって
ほしい。
だが今日それは入り口から便利不便の現実論に後退して始まる
理想理念が漠然としたまま、いつしか政治は行政の代弁者の如く漫然
となる。

大災害ほど政治家の勇気や希望や慎みの言葉が期待されるものはない。
5年経ても現場の無念と必死が伝わるだけに、心打つ言葉が期待される。

ちらつく雪、クリスマスローズに袋。

2015年12月27日(日曜日)

雪がちらつき2~3℃まで下がったが積もるほどではなかった日曜日。
何度か掲載している一株のクリスマスローズが寒空の下、閉館の庭で満開になっている。

 

004春ならどんなにいいことだろう、しかしこれから雪が舞う庭では辛い。
花は雪や寒風にとても弱い。
いつどかっと降り出すかもしれぬ昨今、本日袋を被せた。

005ヤマブキの枝を支柱にして。

 

008ビニール袋を被せた。

さて終わって見ればいかにも奇妙な感じがする。
また余計なことをしないでほしい、と花が言っているようでもある。

一応本日はこうして、明日たいして降らなければ袋を外そう。
袋は雪が積もり出してからでも良いかもしれない。

様子を見ればいいのか手を加えるべきか、日常でしばしば出会う問題だ。
人にも花にもそれぞれ都合や訳があり、悩ましい。
ただ痛ましさはだけは何とか回避しなければならない。

今年のご来館有り難うございました ルーベン・ゴンザレス キューバの原発。

2015年12月25日(金曜日)

曇り時々雨の本日12月25日、樹下美術館は2015年の営業を終了しました。
振り返りますと、昨年より20パーセントほど来館者様に恵まれましたこと心から感謝いたします。
増加に新幹線の恩恵は見当たらず、もっぱら皆様の口コミと一部サイトの寄与ではと思っています。

これまで年間お一人も見えない日が数日はありましたが、この二年間一日もありませんでした。
当館はもともと賑わう場所ではありませんが、
猛烈な雨嵐の日でもどなたかにお出で頂いたこと一種奇跡のように感謝しています。

本日の最終日は9名様のご来館でした。
ここ三日続けて名残のお茶のみに寄られた方がいらっしゃてとても感謝しています。

中高年の方々、お若いカップル、お一人様、幼いお子様連れ、車椅子の方々、、。、
読書、美術鑑賞、息抜き、癒やし、庭の見物、お仲間のおしゃべり、書類書き、観光の寄り道、、、、。
小さな樹下美術館を思い思いに使って頂きましたことを有り難く思っています。

今年は懸案の収蔵図録編集で、作家さんの大切な事実が幾つか分かりました。
また時代の盲点として残っていた作品も新たに加わりました。
長くご心配をお掛けしてますが、今ようやく迷うわずに最後の編集を行っています。

樹下美術館の過ぎた9年はあっという間でした。
10年目となる16年度の開館3月15日もあっという間にちがいありません。
今年のご来館まことに有り難うございました、来る年もどうか宜しくお願い申し上げます。

 


亡きキューバの名宝ルーベン・ゴンザレスのピアノで「Como siento yo」。
今ある物を大切にしてきたキューバ、ピアノも古そうですね。

緒に就いたキューバとアメリカの国交回復は、来年あたり是非大きく前進してほしい。
その節には原発の輸出入など絶対にせず、良きキューバの文化が継承されますように。
(ソ連の主導で開始された原発建設はカストロ首相の英断で中断されています)

酷暑の在宅周りで奇妙なスピード感 メガソーラーが頑張る。

2015年8月3日(月曜日)

このところの猛烈な暑さは当分続くらしい。
暑さを嘆いて交わす言葉に「すごい」、「特別」が付いている。
最低気温が先月半ばから格段に上がっていることも、厳しさに繋がっているにちがいない。

これでクーラーが無ければ室内でも熱中症・脱水症およびそれらの二次疾病の危険があり、一方で使用中のうたた寝による風邪、気管支炎も見られる。
在宅診療で訪ねたあるお宅にピカピカのクーラーが取り付けられていた。

在宅といえば本日は旧国道沿いの東西ほぼ一直線上の10㎞に4軒の訪問があった。
車のクーラーは効いているがガラス越しの直射はきつく、一方年のせいでともすると足もとは寒い。
同乗している看護師は暑がり屋さんであろうからコントロールが微妙だ。

この日の運転で、およそ同じスピードで走ったにも拘わらず妙な感覚を味わった。
1軒目のお宅に向かう時は、いつもより時間がかかると感じたが、帰りはすーと走った。
すーと走っているうちに2軒目が近づくと、スピードが落ちる感覚になる。
2軒目のお宅を辞した車はすーと走り出し、3軒目が近づくとなかなか着かないのである。

このゆがみは、特別暑い午後の疲れが心理的に反映しているのであろう。

最後のお宅は、通いはじめて6年目の105才の方だ。
食事以外はほぼ睡眠され、驚くことにデイサービスに行かれる。
暑くなりかけのころ調子が落ちて褥瘡が始まったが、懸命な介護とクーラーと栄養剤で縮小に向かっている。
ここのご主人の熱心な介護には頭がさがる。

お宅からの帰路、車は最後まですーっと走った。

015近くの国際石油開発帝石株式会社の「INPEXメガソーラー上越」。
80、000余㎡の敷地で最大4メガワットを発電、およそ1600世帯をまかなう出力がある。
工事は過去2回に分けて行われ、1回2メガワット分をほぼ1年で終えている。

INPEXの電気は地元東北電力へ売電されている。
日照りはクーラーの電力消費を促す一方、ソーラー発電力をアップさせてうまく回っているように見える。

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