社会・政治・環境

梅と畑 朝日池「宮の袖」 進化 最後は女性 安心・安全の愚

2011年4月14日(木曜日)

 畑の梅1 

 

畑の梅を見る 

一作日の雨の日、畑道の行き当たりにある梅を見た。今日は晴れて、周りで仕事をする人達がいた。生活には色々な形があろうが、ここで過ごされる人の時間を羨ましく思った。

 

ところでこのすぐ向こうに朝日池の入り江の一つ「宮の袖」がある。中学時代のある曇りの日、こんな日は大きな鯉が釣れると聞いて、一人で「宮の袖」へ行った。

 

宮の袖は足場が悪いうえ濃い雑木に糸が絡む。さらに降りだした雨に濡れて苦労した。一、二匹大きなフナを釣ったような記憶はあるが、その日一人の大人が浮かぶ。

 

私の並びの少し向こうで釣っていた人がその大人だ。はじめから蓑傘(みのかさ)をまとって非常に格好良く見えた。ガボッと水音がするとヒュンヒュン糸鳴りがして大きな魚を何度も釣り上げた。雨降りでとうとう仕舞った自分、しかし格好良い大人と居たことに満足して帰った。

 

さてここへ来てふと思う。
雨中に蓑傘、こんな服装はもう見られない。そして今放射線防護服。比べるのは酷だが、これも進化だと本気で言う若い人は多いはず。何かと強い現実肯定、自分が生きている間のスパンで損得を考えたがる男の癖。

 

世代ギャップはどうしょうもないが、この先の主だったことは、母性を内包する女性に任せるのがいいのかもしれない(但し男の悪い面だけを備えたような女性もいるので注意が必要か)。

 

 

このたびの重要な国家的会議の委員に如何にもという男性が並ぶ(梅原猛氏は別格、この人に愛想を尽かされたらお終いかも)。しかもインタビューではさっそく「安心・安全」などとキレの悪い言葉が遣われる。安心と安全は趣意が異るがかぶることも多い。まず何が安心で何が安全なのか言ってほしい。

 

その前に、安心で安全なまちづくりや暮らしは目標として言うまでもないこと。それを得意げに話す。軽くて野暮な言葉は介護保険の行政用語からたちまち広がったと思う。明晰な現場はともかく、立場が上ほど政治家ほどよく遣った。子どもじみた言葉に進化でなく人間の減退を感じていた。 

 

馬鹿にされているようで、これを遣う人をあまり好きになれない。しかし今でも会った途端に“安全・安心”と言う人がいて悩まされる。

こちらこそどうか宜しくお願いいたします。

2011年4月10日(日曜日)

 新潟県上越市には福島県南相馬市や双葉町から、東京電力福島第一原子力発電所の事故によって約200人の方が集団で避難されているということです。ほかにこのたびの震災で被災地からご親族などを頼って上越市に来られている方も少くないと聞いています。

 

 先日は大潟区内に身を寄せられたお年寄りを往診しました。90才を過ぎたお顔に固い緊張が見られ、ここまでの厳しい過程が読み取られました。これからの安心にむけて精一杯させて頂きたいと思いました。

 

雇用促進住宅 車が沢山あった今日の雇用促進住宅(上越市大潟区雁子浜)

 

 ところで大潟区雁子浜(がんごはま)には30戸の雇用促進住宅が二棟あります。昨日、当住宅に福島県から集団避難されていた児童・生徒さんのおよそ半数(約30人)がご家族と入居されました。当面、大潟小学校と同中学校へ通うためということです。 

 

大潟区は昭和30年代に始まった帝国石油による開発で、秋田県を中心に多くの皆さんが移住され交わった経験があります。さらに上記住宅に隣接する鵜の浜温泉にはもてなしの気風が定着しています。

 

故郷を遠くにされた皆様はさぞ淋しさやご不便はあると思いますが、少しでも当区で安心してお過ごし頂きたいと願っています。

 

所変われば人も変わる、福島県の皆様には皆様なりの文化があることでしょう。遠くと遠くが交わることは貴重なことにちがいありません。

 

“私たちの方こそどうか宜しくお願いいたします”

じゃね 宿題  北斗星 雨

2011年4月7日(木曜日)

 夕刻、二人の女の子の声が聞こえた。曲がり角の向こうとこちらで大きな声。

「じゃね!」

「じゃね、すぐ宿題するから、バイバイ!」

「私もする、バイバイ」

「あっ、理由はあの二つだよね」

「そう、あのふたつ、じゃね、バイバイ!」

「バイバイ!」

小学校の高学年のようだった。二つの理由のことは分からないが、なんとも可愛く頼もしかった。

この子達は、ガングロやひどい茶髪などは歴史で習うだけになることだろう。

 

北斗星 夜7時半ころの天頂に近い北東。北斗星と下方に北極星とこぐま座。
被災地の人も見ただろうか、澄んだ夜空だった。

 

患者さんたちの畑がはじまってそれぞれに忙しい。

そろそろ雨がほしいところだ。

しかし東京電力による被災地の雨は洗浄、浸透、濃縮、拡散など複雑な問題があるにちがいない。時期、時期で影響は変わるだろうが、出来れば雨についても伝えられるべきだと思う。

風評 人は心理・感情にもしたがう 月が謝っていた。

2011年4月5日(火曜日)

どんどん薄められるから大丈夫。

こんな風に毎日いわれながら

次第に恐ろしさにならされている。

事実も恐ろしいがこのことも怖い。

 

そして風評、しかし怖いものは怖い

人は物理だけでなく心理・感情にもしたがう。

ぶつからなくとも向かってくる車はよける。 

選べるなら原発の近くでは泳がないだろう

 

都合の悪いことを風評と呼ぶのは

ある意味人を軽く見ることにほかならない 

東電事故は“当分”いくら真剣に考えても

考えすぎることはないように思われる。

 

全てを実害として認め

国は財をしぼって救済・復興すべきだ。

 

きょうの月 
月が精一杯身を縮めて謝っているように見えた。

可哀想に誰かの替わりに、せっかくの清明を。

猫ちゃん  そして平和

2011年4月3日(日曜日)

少しお天気がでるようになった。

ボール遊びをしていると猫ちゃんが相手をしにきた。

しかしなんか集中しません。

猫ちゃん1 
よそ見ばかり。

猫ちゃん2 
やっぱりやっぱり。

猫ちゃん3 
ボールやーめた。

猫ちゃん4いい雰囲気ですね。

 

“猫ちゃん、ちょっと聞いて下さい” 

 

主な人間の一人、キュリー夫人は立派な人だったようです。

今やだれかは原子力で安全保障などと語ります。

悪賢くて立派に見えません。

主な人間は立派なのですが、、、。

 

だれかの安全保障は

主な人間の不安全保障になっていませんか。

100年後の世界などもうどうでもいいのでしょうか。

主な人間は立派なのですが、、、。

 

近々だれかが地球を食い尽くすのでしょうか。

今たらふく食えればそれでいいのでしょうか。

最後は自爆ですか。

主な人間は立派なのですが、、、。

 

神話の東北 失神した子ども 温かく着実に

2011年3月28日(月曜日)

  夜半過ぎ、仙台で二泊した妻が帰宅した。バス(仙台→新潟)と電車(新潟→柿崎)を乗り継いで“ただいま”と言って帰ってきた。

 

 どこか別の国から来たような印象。仙台に2家族、南三陸町に1家族、話を聞くと親たちはみな再出発に直面して大変そうだ。

 

小さな子どもたちはそれぞれに打ちのめし、喪失、怒りなど複雑なダメージを受けてる様子。 高学年の子ども達には、ある種挑戦の芽生えを感じたという。

 

P1000163 
 
P1000170 
妻が撮った写真
アーティストの一部は昨日までこのような光景を作品などと呼んでいたように思う。

 南三陸町の小学生である姪の一人はこう話したという。学校は町を見下ろす高台にある。

 津波が来て、先生は子どもたちが外を見ないように教室のカーテンを急いで引いた。しかし、そっと覗いた子どもがいて、あー、と叫けぶと気を失ったという。

 

 荒波に水没する我が町と子どもの感受性、胸が締め付けられる。親を失った子供たちも少なくない。辛い親、悲しむ子どもを無理矢理笑わせるようなことは慎重にしたほうがいい。

 

“私たちは一緒“は、はたして通じるだろうか。

現地の人は心身が裂けるほど疲労している。

“頑張れ”というのは加虐的であり耳障りな雑音かもしれない。

 温かく手応えある支援と、着実で夢いっぱいの復興計画が待たれる。

妻は仙台へ 大阪の救援車輌群 神話的な災害 

2011年3月26日(土曜日)

寒かった三月、今後の暦は三月までを冬と名付けては、と考えた。新潟市の拙作品展は厳しい環境の中で間もなく終わる。後半は圧倒的な震災によって作品展どころではなかった。

そんな中、お見えくださる方がいらっしゃて感謝している。午後会場を訪ねた。閑散としていたが、やむを得ない。

   給油

 道中では大阪、堺、なにわ、、、など大阪府ナンバ-の復旧車輌が多数給油していた。パーキングエリアの売店は休みと間違えるほど暗く節電してあった。
半分くらいの自販機に使用中止の張り紙。

 ところで私たちには宮城県に住んでいる親族が三組いる。昨日妻は大きな荷物を持って高速バスで仙台へ向かった。7時間はかかったようだ。二泊3日の強行軍、深いショックを受けないか心配だ。

 

          夕焼け
帰りの夕焼け。

毎日知る過酷な状況、神話とはこのようなことなのだろうか
神話から世界が生まれるとして
よい国づくりが始まることを祈りたい


昔の音楽を聞いてみた。
ジェームスディーンの写真とFausto Papettiの“小さな花”

現場は精神論なのか 復興でなく政治闘争なのか まったく泣きたくなる

2011年3月25日(金曜日)

 前回の左網膜剥離からおよそ10年がたっていた。このたびは新潟の作品展のために数点の花の絵のリメイク、そして被災地の弟の安否を知るため多くの時間をインターネットに費やした。眼にいいわけがなかった。

 

 今日の受診で眼圧と視力は保たれていると聞いて一安心だった。院長には眼底を丁寧にみていただいた。網膜の一部に軽微な変化はあるが経過をみていくことになった。やや心を軽くしてもらい100%患者となって帰ってきた。

 

 

 

 ところでついに原発災害で作業員3人が治療の必要な被ばくをした。汚染水による足の直接被ばくだった。全身を防護することなく短靴!しかも若年世代が含まれ、彼らの精子と将来にも問題を残した。水、若者、被ばく、心配したことがあまりに簡単に起きる。

 

 わずか3人と言うなかれ。今や課題は我が国の科学と哲学をかけたシンボリックな国家的マターだ。それがチェルノブイリでなければ何でもありとは、あまりにお粗末ではないだろうか。恥ずかしくて泣きたくなる。

 

 毎日スタジオには無数の学者・専門家がズラリと並ぶ。しかし福島の現場は学問も理性もへったくれも無い精神論でやっているように見える。作業員の美談など全くいらない、上が、学者がもっと命をかけるべきだ。情けなくて泣きたくなる。

 

 そしてメディアは政治的ノイズをますます濃くしている。一大復興なのに一大権力闘争の場になりさがった。被災者を、国民を犠牲にして何のつもりなのだろう、薄汚くてまた泣きたくなる。

 

 時間はかかっても仕方がない、文字通り一丸となって科学と誠意に徹すれば克服できる。それが日本の価値だったのではないだろうか。

 

 最後に環境の放射線量は毎日変わる。情報開示を求めながら、振り回されると言って嘆くのは止めよう。科学は便利だが根気もいる。

 

最後の介護保険審査会 シェルブール  網膜剥離

2011年3月24日(木曜日)

資料が送られてきて、今年最後の介護保険審査会が来週で終わる。次年度中に70才になるので規定に甘えて今回を最後に委員を下ろさせていただくことにした。介護保険にはよく付き合ってきたと思う。

介護保険が産声を上げたのは平成12年度。その5年ほど前に突然、新潟県庁から何人かの役人さんが尋ねて来た。在宅医療や介護についてのヒアリングだった。色々聞かれた中で、保健婦さんの福祉マインドと介護技術を尋ねられた。あまりの急所に正直びっくりした。

来られた人達はみな若くよく勉強していた。何かが始まる気配を感じたが、まさか介護保険という壮大なシステムが想定されているとは思ってもみなかった。

昭和50年から総合病院の無い町での開業。忙しい外来のほかに往診用件が多く、在宅の看取りは当たり前だった。寒い部屋で糞尿にまみれ息子さんを待っていたおかあさん。一日中おかゆの手ナベ一個が枕元に置かれているだけのおじいさん。窓を開けて、お嫁さんの悪口を毎日叫ぶおばあさん、、、、。これでいいとはとても思われなかった。

欲を言ったらきりがないが、介護保険は世界に誇れる制度だと思っている。まがりなりにも理想が論じられた結果ではなかっただろうか。

 

シェルブールの雨傘:ピアノ・山田紗耶加さん

映画シェルブールの雨傘は

雪のガソリンスタンドと子どもの名前が切ない物語だった。

 今シェルブール一帯は原子力関連の施設を多く抱えていて、

別の意味で悲しい。

 ところで介護保険の前夜、福祉の事になると、以下のような話をよく耳にした。

 「福祉、福祉というけど、その前にまず経済をよくしないと」
「昔から地域には必ず気の毒な人たちが居たもんです、今さら騒がなくても」
「体を鍛えて介護保険などの世話にならないようにすることが大事です」

地域の慈善団体の長と、町の要人の話だった。
一番目の人は景気が良くても同じ事を言う。
奇異かもしれないが原子力発電のマターと福祉はどこか似ている。

不景気のアゲインストの中、ケアマネを育て社会のマインドを上げて
介護保険は頑張った。

数日前から右眼に網膜剥離の症状が出ている。

本日午後の眼科を予約した。

100発前後のレザーは覚悟しているが、手術だけは勘弁してもらいたい。

丈夫でもないのに、35年間病気を理由に仕事を休んだことがなかったので。

南三陸町から手紙 無視できない水汚染

2011年3月22日(火曜日)

南三陸町の拙弟から手紙が届いた。15日に出したというから一週間かかって着いたことになる。それにしてもこの段階で手紙が届くとは信じられない気持ちだ。一体どんなルートで来たのだろう。

彼の家は山あいにあったのでなんとか無事でいられた。清水を利用する簡易水道が使えて、薪を焚いて暖をとり風炉も入れるという。町で避難生活をされる方たちを交替で迎えているらしい。

届いた封書の切手 手紙には服用している薬の依頼が書かれていた。

共同の土葬を見守るご家族の氷る表情が胸に突き刺さる。

 ところで19日に心配した東電原発周囲の水と海水は、無視できないレベルで汚染されていると本日報じられた。一帯の農水産業や飲料水への長く深刻な影響が危惧される。

 また放射線は生殖器官を好んで標的にする。現場処理に赴く隊員の防護服はいっそう機密が厳重になるだろう。お子さんを作りたい若い隊員達を任務から外すか、著しい短時間などの配慮がされていることだろう。

 防護服の着用は相当つらいはず。現場に関して言えば、夏でなかったのがせめてもの救いではなかったか。重大な被ばく事故がさけられることを切に祈りたい。

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