医療・保健・福祉・新型コロナウイルス

もうインフルエンザ、流行の始まりなのか?

2019年10月2日(水曜日)

熱風で菜園の野菜を枯らした17号台風の後、今週末に18号到来の知らせが伝えられている。

ところで、まだ日中25度を越える日も珍しくない昨今、先週末から数人のインフルエンザ(疑いを含め)の方を診た。
既感染の方周辺から次々生じた四人の発熱者のうち、お二人のテストがA型プラス、他のお二人に疑いを診断した。それぞれの方は発熱前日にだるさや喉の違和感と咳が共通してみられていた。
感染は高齢者ばかりではなく、成人も含まれている。まだ予防意識が低くワクチンが先のこの時期、意表を突く発症に戸惑いを禁じ得ない。

調べてみると東京都内419カ所のインフルエンザ定点報告機関における9月16日から9月22日の報告数が、流行開始の目安となる定点当たり平均1.0人をすでに超え、1,06人になったという報告があった。
例年より二か月早い流行の兆しであり、まさかである。

 年次別の年間感染者数のグラフ(東京都感染情報センターの資料)
定点報告1医療機関あたりの件数。
左の赤い点が今季(2019年9月中~下旬)のマーク、
右上はその部分拡大で確かに例年と異なる。

報告平均と実数から、流行といってもよい状況が窺われる。

 

流行の報道(9月30日のFNNプライムのホームページから)。
例年より二か月以上早い流行と伝えている。

現象が一過性なのか、信頼出来るトレンドなのか判然としない。だが佐賀、宮崎、東京などですでに合計5716人が届けられ、当地でも見られることから偶然ではなさそうだ。

現在、南半球は冬の終わり。まだインフルエンザの流行期に相当している。
近年ますます盛んな南北の往来が原因の一つではないかと指摘され、まさかのラグビーワールドカップの関与も云々されているようだ。
いずれにしても念のため日常のこまめな手洗い、咳エチケット、疲労回避をいっそう心がけたいところ。
このところ不足が問題のワクチン、果たして今年の備蓄は大丈夫だろうか、少々緊張が走る。

昨日はお点前 今日はゴルフ 怖い熱中症。

2019年8月4日(日曜日)

毎週土曜日午後、陶齋親子展にちなんだ呈茶を拙茶室で行っている。
昨日三回目の茶席を無事終えた。
これまで23人のお客様をお迎えし、残り3回にも予約が入っている。さして宣伝をしていないが毎回参加を頂き有り難いと思っている。

 

 

先週から小生が点前を担当し、ようやく緊張がほぐれてきた。

 

 

昨日三組五人のお客様。お抹茶をお飲み頂いた後、茶杓と薄茶器拝見の様子。

 

茶室の西の窓。

 

本日長野県は信濃ゴルフ倶楽部で5組のコンペがあった。ダブルペリア方式で争い、98の成績にも拘わらず沢山ハンディが付いて幸運にも優勝した。このところ100を切れるようになり、喜んでいる次第。

 

飯綱山が随所に顔を出す変化に富んだ美しいコースだった。

 

 

コース内の道すがら見たオオバギボウシとキキョウ。
30数年前吉川区で自生と思われる一本のキキョウを見た。
その昔妙高カントリーの路傍にも咲いていたと聞いたことがある。
自生のキキョウなどもう見ることはない、と思っていたが、
本日出合って一瞬胸が一杯になった。

現在開催中の全英オープンで若干20才の渋野日向子が昨日同組の選手を逆転し、2打差をつけて首位に立った。ワンプレーごとに拍手や称賛が贈られている。本日は最終日、果たして首位を守って優勝できるだろうか。

海外で頑張っている人は多い。
比べて何かとぎくしゃくする外交。互いの国は果たしてちゃんとしたプロフェッションが確立されているのだろうか。合意に向けてやりとりや取引の手管が仕事なのに、互いに攻撃と批難に終始するばかり。遠くの国とは蜜月、隣国とは喧嘩。こどもじみていて情け無く涙が出てくる。
うんざりするような尊大と優越の争い。少しくらい良いプレーをして若干20才の選手のように拍手称賛を受けることが出来ないものだろうか。

ところで昨日は朝から次々熱中症の患者さんが来院し点滴が必要だった。場所が間に合わず最後の方は地続きの自宅居間を使った。
屋根職人さん、トマト畑のバイトの方、疲労が続く主婦、畑と釣りが日課の方などだった。食欲減退、吐き気、頭痛、強い倦怠等が共通の症状。しかも突然ではなく、数日次第にだるくなり、もう駄目、という経過が共通していた。亜急性熱中症という概念が必要かもしれない。

「水を飲んでも肥るんです」。

2019年7月9日(火曜日)

①肥満はさまざまな点で健康を損ねる原因になる。
特に中高年で重要な課題だが、若年でも決して無視出来ない。
重篤な例で、ニュースで知ったマラソン中の芸能人の心筋梗塞や食後の突然死はいずれも著しい肥満の人だった。あるいはどうしてもコンビニを素通り出来ない超肥満の若者がトイレで突然死したケースに接したこともあった。
中高年では、ゴルフ場の昼食後、胸を押さえて真っ青になって倒れ、救急搬送された銀行員のケース、救急車の到着以前に死亡された退職直後の方、早朝の救急車に同乗し強心剤を打ちながらかろうじて病院へ到着した老人、いずれも肥満されていた。
このような最悪アクシデントは他人事ではなく、一線を越えた肥満は影響を足し算しながら身体を確実にむしばむ。

②ひごろ事業所健診の結果表を見る機会がある。
表の頭に身長体重比・BMIがあり、それだけで、続く項目にどれくらいチェックが入るか、およそ見当が付く。
BMIが25以上の人ではウエストに始まり肝機能、血糖値あるいはHbA1-c、脂質代謝の四項目にしばしばチェックが付く。高血圧も少なからずあり、目を凝らしてデータを見ていかなければならない。一方肥満の無いBMI22前後の人では、およそ最後までチェックが無い人が多く、あってもわずかでありく両者の明暗ははっきりしている。

③寿命は延伸し、2008年に始まった特定健診(メタボ健診)の意義はますます重要であり、メタボは決して死語ではない。
健診の事後指導などで、「まず運動そして食事」という見出しを目にする。しかし私は意識づけからしてまず何よりも食事だと思っている。
如何に熱心に運動をしてアウトプット(出)の増加を図っても、食事のインプット(入り)側をコントロールしない限り、代謝は改善されない。またそのことが納得されない限り、減食と体重改善は容易に実を結ばない。
さらに運動は個人の身体条件や能力によって、誰でも決まった分量を実行できるとは限らない。また運動だけで体重を減らそうとすると、体を壊すほどの量をこなさなければならず、日常としてはやはり無理がある。
一方食事は理にかない、誰にでも公平に出来、すぐにでも始めることが出来る。
食品会社の健康アピール記事は、およそ運動が強調されていて、やや辛い。
肥満者やⅡ型糖尿病の人ではまず食事。運動は身体能力に見合う取り組みにより、食事の効果を補完するものとして重要という認識で良いと思う。
これが自然な流れであり、単純にメタボ改善=運動ではない。

④さて日頃、
「食事を正すため少し加減しましょう」と言って、肥満の方に減食のニュアンスを伝えると、多くの場合、
「えっ、食事減らすんですか、私余計に食べていません」と始まり、説明が進むに従い、
「ご飯なんかこどもの茶碗一杯です」と手で茶碗の大きさが示され、往々最後に、
「私、水を飲むだけで肥る体質なんです」というホームランが飛び出す。
本当は多く食べるから、喉がかわいてよく水を飲み、食べたことを忘れるか省略して、「水をのんだだけで肥る」と仰る場合がほとんどなのだ。

⑤本日、ある患者さんが、某病院で診察を待っている間、カーテンの向こうから聞こえた話として次のような事を仰った。
そこでは肥満に関してまさに上掲のようなやり取りがされていたらしい。
そこでついに“水だけで肥る云々”のホームランが出て、医師は次ぎのように対応したという。
“えっ、本当ですか、それは非常に珍しい、本当なら凄いことです”
“丁度いま空いている病室があります。できれば直ぐに入院して調べさせてくれませんか。今からそれををご主人に電話してもらえますか”
と。
「凄い先生だなあ、と思いましたよ。大体水だけで肥るなんてのも、変な話ですよね」と、くだんの患者さんは笑いをこらえ仰った。
私自身、「水だけで肥る」に対して、“本当ならば確実にノーベル賞の研究対象になります”と言ったことが過去何度がある。
それに比べれば、先の医師は良くもリアルに話を進めたものだと感心した。
しかしこのように一種否定的な対応だけだと、さすが「水だけで云々」は仰らなくなるが、肥満是正の本番はそれから先であろう。

⑥かように減食の提案はまず必死の抵抗に出合う。
それだけ食事、なかんずく満腹あるいは肥満レベルの摂食は、その人の幸福に強く結びついていると言える。
このような場合、いくら診断基準や疾病リスクを持ち出しても、軽い脅しにしか聞こえないのではないだろうか。
だが、「先生、少し脅かしてください」
3,40年前の糖尿病指導会でたびたび行政保健婦(当時)に言われた。
脅しはともかく、疾病のメカニズムと合併症の脅威を説き、摂取カロリーの話を何度もしたが、成果は判然としなかった。
指導会の前段で保健婦さんたちの話を聴いたことがある。
だが彼女たちの体型がひと目で分かる肥満だったので、殆どの場合講話はアハハ、オホホの笑い話にしかならなかった。

⑦その後「肥満は体質」と粘る人たちに対して、私は以下のように過食と身体の限界、そして健康と幸福を話すようになった。
“食事が幸福の時間であり、少しでも多く食べたいというのはよく分かる”
“ずっとそれが続けられるなら、一番良いかもしれない”

“だが、残念ながら私たちの体には限界があり、年取るに従って一層それがはっきりしてくる。
胃腸、あるいは膵臓や肝臓、何より大事な心臓などの内臓、さらに血液や神経までがどんな量の食事にも耐えられるという訳ではない”
“あなたの内臓や血液は、
「もう少し食事を減らしてください。私辛いんです」と言って、必死に我慢していることが考えられます。
食べたいのはお口だけで、大切な体はもう勘弁して、といっているように思います。
内臓や血液は声を出せないため、黙ってあなたの食事に耐え、もしかしたら食事のたびに辛くて泣いているかもしれません。
自分の人生を支え幸福に暮らすため、これから健康は最も大事になるのではないでしょうか。
その健康を一生懸命支える内臓や血液に我慢をさせたり、泣かせていて本当に良いのでしょうか。
今まで十分に食べてきたのだから、そろそろ変えてみるのはどうでしょう。
これまであなたを支えた内蔵にありがとう、と言い、これからはそれをいたわり、大事にします、という風に考えてみましょう”

“老後は長くなりました。
しかし、我慢していた体が、ある日突然大病を起こし救急車が来る、あるいは後遺症で生活が一変することは十分に考えられます。
体に負担を強いるより、一割で良いから野菜以外の食品を全体に減らし、間食はこれまでの半分にして明日に回してみませんか”
“そもそもスーパーで余計に買わないことから始めたいですね”

“体重が減るのは足腰や心臓にも良く、動きは今より軽くなるはずです。
満腹より健康が一番と考えて、これから少し方向転換してみましょう”
「体はそのことを待っているはずです」

現場で、私はざっとこのような話をさせてもらうようになった。
私の気持ちではなく、患者さんの体の気持ちを比喩化して話しいるつもり。
時間があって一気に話すこともあれば、何度か分けて話すことや、繰り返すこともある。
このようにしてから、
最初に語気を強めて反発していた人が、最後に“ありがとうございました”、と礼を仰る人が出るようになった。
肥満は体質、と言いつつ、多くの人は出来れば減食して痩せたいと願っているのではないかと思う。
お礼を仰る人は、話の内容よりもこちらの熱意に納得されたのかもしれない。

⑧一ヶ月前、むくみがあり、会話と動きがつらい80半ばの肥満した老人に、利尿剤の注射をして減食、減塩の話をした。
本日診てみると下腿のむくみがほとんど取れ、なにより表情が豊かになり、明るい目をされていた。
6キロ減らしましたよ、とはっきりした口調でご本人が仰った。
全然元気になりました、と傍らの娘さん。
バランスよく毎食、野菜以外の一割を意識して減らせば(実際は3~5パーセント前後でも)、身長153㎝、60キロ超の体重は一ヶ月で5~6キロは問題無く減る。
なにより意識の変革が大切であり、この方は、もう一段確実に減らせると期待している。

⑩食事の課題を省いて血圧高めの人に、血糖値が高めの人に、と謳う商品を勧める広告が氾濫している。
食事をそのままにして、薬の数と量を増やすのが治療だと考えている人も少なくない。
開業を始めて来年は50年、しがない老医の限界をまことに申しわけない、と常に思っている。
ただ、食事とタバコ、それにアルコールの三点だけは、まず丁寧にお話ししなければと考える昨今なのです。

幼少のカルテにとても驚かれたお父さん。

2019年5月27日(月曜日)

先日40代のお父さんが来院された。
診察室に入ってこられると、
「あー、びっくりした。私のカルテがあるですか、びっくりしたー」と盛んに目をまるくされている。
出ていたカルテを見ると、初診が昭和52年11月と記入されている。
生後9ヶ月で初診されたことになり、当時いわばまだ赤ちゃんである。

「ばあちゃんによく連れられて来ましたよ」と仰る。
後でカルテの中身をみると最期の受診は昭和59年10月、7年間に64回受診されていた。
ほとんどが日常的な疾患で、確かによくこられている。
私は当時のお顔など思い出せないが、ご本人はおばあちゃんとの来院をぼんやり覚えておられるらしい。

初診年月日を見て、
「9ヶ月か、、、」と遠くをみるような表情をされている。
「うちでは昔のカルテも出るようにしています」
「そうですか、ああ、びっくりした-」

診察を終えて、処置に回り、そこで看護師さんにも、びっくりした、と仰っている。
幼少のカルテに出会い、これほど驚かれる方も珍しい。
最期に「先生は変わりないですね」と仰った。
昔の私はどんな風だったのか思い出せないが、このような一言は何より嬉しい。

 

初診が生後9ヶ月、終診が7才の35年前のカルテ。
この方の初診当時私は35才だった。そのことに気がつき、今度は私が驚いた。

今や多くが電子媒体になった診療記録。
書物やお金、あるいは書類などは次第に電子化され、現物が希少になってくる。そのような中で、自分の幼少に関する古ぼけた突然のカルテは情感を揺さぶるのだろう。

 

昨日の上越市大潟区は土底浜の夕暮れ。

昨日の熱風のあと雨に恵まれた庭 保育園の健診。

2019年5月21日(火曜日)

一昨日、昨日と強い風が吹き、特に昨日は南気で庭の草木は散々だった。
その後昨夜から風が収まるとしっかり雨も降ったため、植物たちには点滴を受けたように一息ついている風だった。
しかし何かしら影響を受けているのも事実。この先風については6月半ばまで穏やかであり、自身旺盛に成長する期間でもあり、ゆっくり修正、回復するのではないだろうか。

 

昨日のカシワバアジサイ(上)と本日の様子(下)。

 

昨日の柿の苗(上)と本日の苗(下)
葉に少々の疲労が見える。

 

昨日の松の芽はほぼ横になり、北に向かってS字状に波打つ形に煽られていた。

本日の芽はS字からかぎ状(ステッキの柄のよう)になり、かつ立ち上がろうとしていた。
本来真っ直ぐ上に伸びていたのがこんなになった。この先どんな風になるのだろう。

 

全ての茎がうつぶせになっていた昨日のクリスマスローズ。

4本立ち上がり、4本の茎が折れていた。

 

午後から保育園の健診に行った。水鳥のヒナのような0~1才児、マイペースな3~4才児。それが年長さんになると、多くが私に対して自然なアイコンタクトを取るようになる。あまつさえ「○○です、宜しくお願いします」と言い、「有り難うございました」とも言う。
いつもながら障がいのあるお子さんに対して、みな優しい接し方をするのも安心だった。
3,40年前に比べ、保育士さんの数が格段に多いのには目を見張らされる。

深刻な当地の勤務医事情 近くにコハクチョウ、遠くにハクガン。

2019年2月3日(日曜日)

今週末にかけてある高齢者の方の腹部症状が思わしくなかった。病院はどこもインフルエンザなど冬期独特の忙しさ。何とか入医院を回避できれば、と綱渡り的な状況を禁じ得なかった。
昨日点滴を試み、今朝の往診では少しだけ水分が収まるかに見えた。しかし往診後まもなく全て嘔吐した、という知らせ。

柿崎病院さんに連絡を試みると、見せて下さい、という仏のような返事をもらった。本日日曜日の当直は院長だった。食べれないのと、検査も必要でしょうからと仰った。
昨日から年令を問わず重症の方たちに忙殺されている、とお聞きした。
眠る時間などまず無いに違いない。
おそらく殆ど休めずに、また明日の常勤に入るのであろう。
何かと良い事ずくめに伝えられる上越地方だが、医師不足による病院の事情は本当に深刻だ。
最も大切なことが最も深刻、これは紛れもない上越地方の真実。

院長の犠牲的な取り計らいで何とか昼から出かけることが出来た。
柿崎区の水田にコハクチョウの群が居た。院長に申し分けないと思いながら群を眺めた。

 

午後の数時間は良く晴れた。背景は米山。

 

用事で外出の妻が用意したサンドイッチを車中で食べる。

 

 

 

群に次々と白鳥が降りてきた。コハクチョウといえどもとても大きい。

 

 

カメラを覗いていると自分が舞い降りる錯覚におそわれる。

飽かず群を眺めた後、当地に飛来したというハクガンを探したが見つからなかった。
昨日の上越タイムスは150羽の再来を伝えている。
暮れる頃、大潟水と森公園を歩き、それから朝日池に寄った。

朝日池の遠くにハクガンが沢山居た。何羽いるのか、かなり多い。
相変わらす自分たちだけでまとまっている。
着いたばかりなので、日中食餌をせず休んでいたのだろうか。

一本の白い線のように見えるハクガンの群。

暮れているのとレンズサイズのため、これが精一杯。
遠目にも愛らしさと一種神々しさは変わらない。
忘れずに来てくれたこと、何かの思し召しか、有り難い。

冬の本州では秋田県の八郎潟と、当市の朝日池のみ往き来するという貴重なハクガン。今年また夕陽の水田で出合えれば幸運だ。

冬の看取り 柿崎は密蔵院護摩堂の天女像彫刻。

2019年1月17日(木曜日)

度々の寒波が報じられ、寒風が吹き付けているが仕事場の上越市大潟区は殆ど積雪が無い。

零下になる時間もある厳しい寒さの中、昨日から三件の看取りがありました。100才を越えた方、100才が近い方。ご家族による暖かな在宅介護のもとで、肺炎も無く静かな旅立ちをされました。

そんな本日は昨年秋、柿崎は米山薬師の別当寺密蔵院を訪ねた折に観た護摩堂の彫刻を掲載してみました。精緻に彫られている天女たちは麗しく気品があり素晴らしかったのです。市の案内によると、一度失われたお堂は文化11年から足かけ4年を掛けて作られ、彫刻の記載に浅草、茂右衞門 髙田、又吉 万吉、重五郎 とありました。浅草の彫刻師を頭に髙田の彫工たちが一緒になって完成させたのでしょう。

この寺院は近隣の上下浜海岸や上下浜駅、楞巌寺とともに映画「ふみ子の海」のロケ地でもあります。

 

 

 

 

このたび亡くなられた方達は皆様大正のお生まれ。ご本人ご家族とも先の戦争の影響を濃く受けて苦労された世代だと、ある僧侶から聞いたことがあります。

心からご冥福をお祈り申し上げます。

本業も正月休み 迷走神経反射 田にスズメ、アトリ、コハクチョウ。

2018年12月29日(土曜日)

冷たい強風が吹いたものの日中積雪となることが無か
った土曜日。
診療所も本日午後から正月休みにさせてもらっている。
前日、膝が腫れて痛み、トイレも行けなくなった方は関
節に大量の水が溜まっていて、それを抜くと歩けるよう
になられた。
さらに数日前のこと、夕食中にショック症状を起こされ
たお年寄りはアドレナリンの注射で回復された。
いずれも往診だけで済んだ。

ところでお年寄り、特に超高齢の方では旺盛な食欲に任
せて食べていると急に青くなり、ぐったりされることが
時に起こる。
私の亡き母でも経験し心臓マッサージが必要だった。
食事に関係した消化器の過剰な負荷、あるいはかき込
みなどで迷走神経反射を生じ、まれに失神~心停止ま
で引き起こす。
身体の様々な負荷に対する対応閾値は年々下がる。
お年寄りの一見健康そうな食欲がアクシデントにつなが
ったことをこれまで何度も経験し、普段その事をお話し
ている。
※迷走神経反射はトイレ(排泄)で起きることもありま
す。
入り口(食事)と出口(排泄)で同じことが起こるのも
同一神経系の反応ゆえにほかなりません。

直前に問題を生じたが何とか年末まで来た。
折角のお休み、年賀状を済ませて午後鳥を観に出かけた。
今年秋は小鳥が極端に少ない、と色々な方に聞いていた。
私もそう思う。
樹下美術館の庭木や水盤も本当に淋しかった。
昨年の大雪がたたっているのかもしれない。

果たして冬は?

吉川区の水田でスズメの群に出合った。

1

 

 

2
二番穂というのだろうか、刈り取った後の小さな穂に群が
っていた。数百はいただろう、少し安心。

近くでアトリの群も見た。

 

3
30羽くらいの小さな群。アトリはよく数百以上、千羽にも
及ぶ群を作る。

 

4
暗くなる頃の頸城区のコハクチョウ。
間もなく5時になろうという時間で、ねぐら入りが迫って
いる。
こんな時間の群は急に落ち着かなくなる。
大きな群が一斉に整列するような行動を始めたのを見た事
があった。

内雁子に5時のチャイムが鳴るころ朝日池に着いた。
暗くなった空に、次々と雁が餌場の田んぼから帰ってくる。
水を払い終えた池が水位を回復し、水鳥が急に増えたので
ひと安心。

ハクガンは観なかった。
私の行動範囲は小さいので運が必要だ。

11月末日の診療 頂き物の食卓。

2018年11月30日(金曜日)

冷え込んだ日、インフルエンザのワクチン接種のピー
クでもあり忙しかった。
本日は一日の診療概要に触れてみました。

午前の外来中、高齢者さんの心不全兆候が知らされて
往診した。早い段階の連絡のため注射と薬の調整で済
み、まずは入院を免れた。
帰路、寒くて動けないという電話があった高齢者のお
宅に寄った。こちらは診察の結果、医療より福祉要件
と判断してケアマネさんに委ねることにした。

午後は障がいのある方と寝たきり高齢者さんのワクチン
に回った。
ほかに福祉施設から痔核と脱肛の報告があった高齢者
の方を往診したが、薬剤の処方で済んだ。
最後は衰弱が見られている超高齢者の方に点滴のほか
定期で訪問しているお宅に寄って外回りを終了した。
夕刻は診療のほか子供さんたちはじめ10数名の方にワ
クチン接種の要件があった。
4,5年前に、ちょっとした工夫によって痛みの少ない注
射法を思いつき、以来実施している。
お子さん達の火が点くような泣きわめきが緩和され、幾
分楽になった。

年令を考えれば本業を減らしたいところだが、簡単には
いかない。
時々患者さんから「先生もお大事に」と言われる。
有り難い言葉だと思っている。

 

3
本日牧区の親戚から届いた野菜。お餅も入っていた。
美味しい野菜とお米などいつも有り難うございます。

親戚、患者さん、美術館のお客様、色々と食べ物を頂戴す
る。
家族に止めろといわれ、見つかると叱られるので暗くなっ
てからそーと野菜を届けにこられるおばあさん、、、いつ
も本当に有り難う。
それらを妻が美味しく作るので喜んでいます。

 

1
サトイモもイカも頂き物。

 

 

2
頂き物のブロッコリー。

皆様、本当にご馳走様です。

健康寿命と笑み、外気やマスクのこと。

2018年9月17日(月曜日)

本日は敬老の日の振り替え休日だった。遅めに目ざめ
慌てたが、妻に祝日と聞かされ胸をなで下ろした。
“もう少し寝ていてもいいんだ”
こんな時、最も祝日の有り難みを感じる。

本日午後90代半ばのおばあさんがご家族とともに来
館された。耳が遠い方だったため筆談でお話した。
目が良く漢字もしっかり読まれる。
私が自分の事を書くと、「お医者さんですか、宜しくお
願いしますね」と目を細められた。
かろうじて歩けるんです、と娘さん。
かろうじてでもいい、外へ連れ出してもらえるのは他に
代えがたく素晴らしいことだ。
外気に当たることや地に立つあるいは歩くことは、それ
だけで新たな生気をその人に与える。

以下の写真は生前の拙母の一コマです。
80代後半から90代半ばまで、よく戸外に誘い、池の
ほとりや農道を歩いてもらい、時に持参したお茶を飲ん
だ。最後は車椅子になったが、移動や休憩は母子ともに
楽しかった。
当初連れ出してみて、正直こんなに元気や笑顔が残って
いたのか、と驚いた。

1
歩き始めたころ。

 

030321母坂田ココア楕円~1
どんなに年を取った老人でも、心からの笑みは観る者をも
幸せにするし、赤ちゃんのそれと同じく、何かをしてやり
たくなる、という不思議な力を持っている。
何も試さずに、沈黙や険悪の日常を過ごす事は真にもった
いない事だと思われる。

3

4

老後、良い介護者に恵まれれば在宅が勧められるのは、外
気接触への気配りが可能な点も大きい。
一方多くの老人介護施設には優れた点もあるが、いまだ外
出機会が極めて乏しく、課題のままになっている。

もう一点、現状では入所者さんと介護職員とのコミュニケー
ションが深まらないことも問題であろう。
原因の一つがマスク。
大きなマスクを着けた介護者がどんなに笑顔をみせても満
足な表情にはならず、相手の心に深くは触れ得ない。
表情はスキンシップと同様に素晴らしいコミュニケーション
法であるのに残念だ。
そのスキンシップさえ感染予防の観点からか、施設では控
えられてはいないだろうか。
およそ入所者さんの笑顔が乏しい事に、これらの複合による
影響を無視できまい。

5
2007年92才、開館直前の樹下美術館で。

かって区内に私などとても叶わないほど熱心に外出介護を
される方がいて大変感心させられた。
当時医師会長職や樹下美術館建設に忙殺されたが、母を構
うとストレスが解消され、また少しく幸福でもあった。
在宅介護は色々と困惑も多く、決して夢のようなものではな
い。
しかし終われば後悔よりも満足が残るという世界に思われる。

今後、人間に必要な笑みも「健康寿命」の指標として加えら
れる事を願っている。

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