ほくほく線電車&乗り物

非常に新鮮なE129系電車。

2014年12月10日(水曜日)

本日午後、信越線・土底浜駅の踏切待ちで、見たことが無い電車がさっそうと通過して停車した。
駅駐車場に入り、出発して行く電車を二枚撮った。
JR東・新潟支社で今秋から一部導入が始まった真新しいE129系車両だと後で知った。
目にしたのは直江津までの試験走行車だったのか。

プラチナ系の地に黄色とオレンジのラインが気が利いていた。
ブルーや緑が目立った当地のJR車両が一転して暖かな色使いになった。
そのラインが前後で翼のように跳ねているのも元気だ。

E129系a

E129系電車b通勤用か、2両編成で去って行く車両は実に軽やかで新鮮、かつ愛らしかった。

消費電力は従来の半分、車内照明はLED。
車内はユニバーサルデザインが採用されているという。
幸せな感じがあり乗ってみたい。
直江津の信越本線を中心に走ると考えられるが、いつからだろう。

雨のトワイライト 美しい光。 

2014年11月29日(土曜日)

次々にやってくる週末。
自分の一日はちょっとした一本の映画よりも早く過ぎているようだ。

昨日本日ともよく雨が降ったが非常に温かった。
インフルエンザのワクチン接種は終盤に入ったが、一方で著しい寒暖差からか長引く風邪が絶えない。
そんな折り、早くもインフルエンザによって学級閉鎖となったという高校生が見えた。

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午後、仕事場のカーポートの屋根でナニワイバラが腰ほどの高さにまで繁茂しているので、
屋根に上がり、大きく伸びる沢山のシュートを伐採した。
トゲの海に入るようであり、切った枝を引っ張り出すのは容易でなかった。

バラの手入れのあと、美術館にこられた知人ご夫婦とお茶を飲んだ。
悪口のカケラ一つ言わないお二人との話は爽やかで、時の経つのを忘れた。

 ペンダントライト暗くなって雨が激しく窓を打った。
真珠をばらまいたような雨粒のガラス窓に室内のペンダントライトが写る
窓外の庭、ガラスに付いたしずく、ガラスに写る室内のライト、ガラスに写る室内の額に写ったライト、
4つもの場?が一度に見える不思議な時間だった。

 宵闇のはくたか閉館のあとほくほく線高架橋へ。暗くてだめだと思いながら下りはくたか19号を撮ってみました。
左下の光は雨に濡れた農道。
ああ「銀河ステーション!」のアナウンスが聞こえてこないかなあ。

明日日曜日の日中は晴れる模様。間もなく今年の閉館、皆様のお越しを心待ち致してます。

上質の天一美術館 目の当たりにした谷川岳。

2014年11月23日(日曜日)

2週間前に妻の母の容態が変調し、月末の東京一泊における同級生との会食をキャンセルしていた。
嘔吐と肺炎だったが、幸い持ち直しに向かった。

そんな折り、美術館カフェの常連さんから水上の「天一美術館」の話を聞いた。
内容に強く惹かれた。
せっかくの連休、母の小康をみて急いで切符を手配し晩秋の各駅停車メインの日帰り旅となった。

訪ねた美術館は東京の老舗「銀座 天一」の創業者がそのコレクションを展示して1997年10月に開館している。

岸田劉生の充実した麗子像、さらに佐伯祐三の彌智子像と藤田嗣治の少女像の豊かな色彩に胸躍り、川喜多北半泥子の上品な侘びの陶芸に目を奪われ、小品ながらルオーやルノアールの油彩に驚きを禁じ得なかった。

吉村順三最後の設計となる爽快な建物と落ち着いた展示室、そしてロケーションの良さは聞いていた以上だった。
質を重視して選び抜かれた作品群は見る者の心を耕しかつ癒やされた。

行程は、ほくほく線普通電車で犀潟駅8;16発→越後湯沢へ、次いで上越線普通で→水上着。
予約した駅前レンタカで→「天一美術館」→谷川岳ロープウエイ&リフトで→天神峠→水上駅へ。
帰路、上越線普通で水上→越後湯沢→貴重な「はくたか」で直江津19:49着だった。

着後念のため義母を診て帰宅した。

天一美術館入場券天一美術館の入場券。

谷川岳遠景谷川岳遠望。

 天神峠の展望台から天神峠の展望台(1502㍍)から。
谷川岳頂上の笠雲はいっそう山の厳しさを感じさせた。

帰りのはくたか復路、越後湯沢で乗車した「はくたか」

おまけは、湯沢中里スキー場の休憩施設
ブルートレインの休憩施設 ブルートレインが使われ、風景とマッチしていて良いアイディアだと思った。
手入れさえ良ければ古い物のほうが旅情があり、推奨できる典型ではないだろうか。

上掲4点の写真はいずれも妻の携帯(スマホということでした)を借りて撮りました。

長く話に聞いていた魔の山・谷川岳を間近に見ることが出来て感激しました。
鈍行主体の日帰りでしたが、風景を見たり本を読むのに丁度良いと思いました。
それにしましても清水トンネルの轟音のすごかったこと、こんなに物凄かったでしょうか。

また水上から下り長岡方面への普通列車が極端に少ないこと、
水上駅前の多くの食べ物屋さんや喫茶店は午後5時ころから終了すること、に注意が必要だと思いました。

最後ですが妻との旅行の食事は、たいてい飛び込みの店で美味しく満足して食べています。
昼食は天神平のレストハウスでカレー、夕食は水上駅前のラーメン屋さんでした。

飽きなかった頸城野、小春日和の午後。 

2014年11月22日(土曜日)

本日午前のみの仕事だが、インフルエンザと肺炎球菌のワクチン接種で終始忙しかった。

この数日まれに見る好天が続いていている。
小春日和の午後、自ずと頸城野の田に足が向く。

食餌する白鳥の群、空に雁行、遠くに妙高連山や米山、尾神岳、現れては去るほくほく線の電車、刻々代わる空の色、、。
夕刻にかけて写真を撮り、飽きることがなかった。

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13名残尽きないほくほく線特急「はくたか」。好天のなか多くの白鳥の前を走り去った。

14突然現れたJRの展望車付カーペット列車・ジョイフルトレイン「NO.DO.KA」。
貸し切りのイベント列車として走った模様。

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本日の田んぼで連日記載しました蜘蛛の糸が幾すじも空に向かってなびいているのを見ました。
さらに当事者であろう極めて小さな蜘蛛と、それが舞い上がっていくのも見ました。

予定がありますので、もう一日お天気が持ってくれれば有り難いところです。

夕刻のほくほく線 金色のたんぼと白鳥。

2014年11月20日(木曜日)

やっと晴れた晩秋の日、午後休診日だが施設のインフルエンザワクチンの接種があった。

それを終えて美術館のカフェへで、常連さんと沢山話した。

その後ほくほく線の電車を撮りに近くの田圃へ。
白鳥の群がいたので電車を入れようとするが中々難しい。

ところでよく見ると田圃は一面に細い蜘蛛の糸のようなものが掛かっていた。
落日が迫るとそれが金色に光った。

042普通列車と白鳥は相性が良さそう。

 115名残惜しいほくほく線特急「はくたか」と白鳥の群。

055刈り穂の田一面に非常に細い糸が張り巡らされていて、陽を浴びると光る。
蜘蛛の巣であろうか、獲物は何だろう、とにかく初めて目にした。

 164逆光の白鳥たちは波の上にいるようであるが、光っているのは蜘蛛の糸。

もう数日は晴れるらしく何より有り難い。

旧国鉄の美しい制帽。

2014年11月18日(火曜日)

本日お年寄りのめまいで急な往診がありました。
処置を終えますと室内にとても姿の良い二つの帽子が目に留まりました。
お年寄りは長く旧国鉄に務められた方で、当時の制帽でした。

帽子の写真を撮らせて下さい、とお願いしてお借りしてきました。
手に取ると引き締まったデザインにしっかりした作りでほれぼれです。

二つの帽子撮影した二つの帽子。向こうは昭和30年代、手前は昭和50年代の貸与日付がある。

 徽章桐に動輪の重厚な帽章。

巨大組織でありながら「一家」と呼ばれた旧国鉄。
格好良い徽章と帽子はその家族のシンボルであり誉れでもあったのでしょう。

午後、外出から帰ると往診先の奥さんが薬を取りに見え、
「もう一つありますので先生にあげて下さい」と銀色徽章の制帽をもう一つ持ってこられたと聞きました。
随分具合が良くなったそうで安心し、頂いた帽子は大変恐縮しました。

頂いた帽子頂いた貴重な帽子。4型 昭和54年3月貸与とありました。
いずれも美しく大切に手入れされていました。

夕刻、帰った妻が嬉しそうにしている私を見て、かぶった写真を撮りましょうか、と言います。
写真はともかく庭仕事などで是非かぶってみたいと思っています。

旧国鉄の制帽をかぶれるなんて思いもよらぬこと、この冬またひと頑張りです。

ほくほく線特急「はくたか」 思い出は美しく。

2014年11月17日(月曜日)

昨日日曜日、くもり時々晴れ間があった日。
貴重な蓄音機プレーヤーをお貸し下さったA氏ご夫婦が見えてくださっていた。

樹下美術館を心から支援くださる方達が少しずつ増えていて力強く感じられて本当に有り難い。

昼食のあと久し振りにほくほく線の高架へ行ってはくたかを撮った。
あと4ヶ月の眺め、今後1,2回ははくたかに乗る予定があるがぜひ成就したい。

はくたか本日曇り空を背景に颯爽と現れた「はくたか」。
間もなくお別れとなる列車。それが「美しくて良かった」と思っている。

ところで来年3月北陸新幹線開業以後、ほくほく線には超快速列車が走行すると発表された。
「はくたか」に代わって直江津-越後湯沢を1時間で結ぶという。
「上京に際して北陸新幹線にするか、ほくほく線+上越新幹線か」はやや悩ましい問題。

私のような直江津以北の頸北地域に住む者でも、車で上越妙高駅まで行くと北陸新幹線には乗り換えなしのメリットがある。
但し問題は雪の季節であろう。

一泊(日帰りでも)して帰ったら、駐車場の車が雪に埋まっていないか、が心配の種なのです。
(タワー駐車、地下駐車などあれば少し安心なのですが)
冬場の上京は、やはりほくほく線超快速(愛称未定)→上越新幹線が無難なのか、、、。

さてその超快速列車の愛称が募集されていて、私もいくつか応募してみたいと思っている所です。

明日は良い日でありますように 「田舎」は貴重な観光資源。

2014年10月25日(土曜日)

明日日曜日は「陶齋の器でお寿司を食べる秋の会」最終回です。
陶齋の器で食事会は、昨年10月高田「京」さんの京懐石席から始まり、今年6月と10月は大潟区は都寿司さんのお寿司でした。

明日は新潟市から8名のご予約です。これまで9回述べ60余名様に参加参して頂きました。
器の数と部屋の都合により一回7,8席と小規模な催しですが、
当館にはこのくらいが丁度良く、今後も続けることに意味があろうと思っている次第です。

072今夕の茶室の丸障子にモミジの葉影。

071妻が行っていたお抹茶席のための灰作り。
私は拙いお点前係りですが、炭を置き釜を乗せる「風炉(ふろ)」の灰や五徳を整えるのはかなり大変な仕事です。


134米山の山影しか見えない時刻のほくほく線特急上り「はくたか」。

本日午後はくたかを撮っていると、東京から来たという若いサラリーマンさんとまたお会いしました。
田舎の農道に東京から若者が来ていることに驚きまた嬉しく思うのです。
本日の方には私の名刺をさしあげました。

「ああ、ええなー」
「ああ、いいなー」

テレビからも都会の人(若い人たちでも)が水田など田舎の風景を喜ぶのが伝わります。
上越市には美しい棚田や広大な水田と鄙びた村落があります。
誰もがほっとする風景ではないでしょうか。

上越市はどうしてこの貴重な「田舎」をアピールしないのでしょう、不思議です。
水田は農家の方が一生懸命に維持管理されていますし、特別な開発予算(本当はあればいいのですが)も要りません。
そして冬もまたいいと思うのです。

本日樹下美術館には横浜市から3回目というご夫婦と都内から若いカップルさんがお見えでした。
田圃や田舎のロケーションが良いと仰るのです。

深まる秋。

2014年10月23日(木曜日)

二日続きの雨が上がった本日午後の休診日。
秋は深まり陽は早くなった。

4数日前から妻が始めている栗の渋皮煮。アクを流していよいよ出来てきた。
来る日曜日、陶齋の器でお寿司の会に出る事と思われます。

2お客様が帰られ閉館まじかのカフェ。
夕陽が射して、壁の篠崎正喜さんの作品「午睡」とぴったりだった。

_MG_5373くびき駅の近く、ススキの盛り土を行くほくほく線特急「はくたか」。
はくたかを見ることが出来る期間は5ヶ月を切った。
本日も東京から来たという若いう鉄道ファンがやってきて立ち話が楽しかった。

SPコンサート
現在48名様にご予約頂いています。

連休初日 「はくたか」を撮りにきた東京と埼玉の若者。

2014年10月11日(土曜日)

トンネルの多いほくほく線は、くびき駅を出て直江津方面に向かうと一気に見晴らしがよくなる。

多くは高架線だが、くびき駅からしばらく盛土の部分がある。
稲田の黄金が終わり、いまススキが風情を漂わせている。

本日午後、そこへ行くと、くびき駅方面から線路沿いの農道を若者が歩いてきた。
あどけない顔は中高生だろうか、大きなリュックを背にカメラを下げ三脚を抱えている。

青空の「はくたか」を勇ましく撮ります、と言って先へテクテク歩いて行った。

すると今度は大学生か、メガネが似合う若者がやって来てここから撮りたいという。
たかだか数年という私と違って、長くはくたかを撮っているらしい。
失礼ですが、このような地方に時速160キロも出す特急が走るのは奇跡です、と目を輝かせた。

ちなみに午前中、六日町の坂戸山(650メートル近くあるらしい)から撮ったという写真をモニターで見せてくれた。
北越急行のカレンダーに良い写真があり、その撮影ポイントが分かったので撮ってきたという。
モニターには、水田地帯を横切る真っ白な「はくたか」が航空写真のように美しく収まっていた。

下りはくたかススキも良く似合うほくほく線くびき駅付近盛り土の「はくたか」。

遠景左下で先ほどの若者が撮影している。

上下二本の特急が行くとさっきの若者が戻って来た。
これからくびき駅から富山に向かい、夕焼けを撮って一泊、明日は金沢に行きます、と言って去った。

「よく歩きますね」と傍らの青年に言うと、
「私もそうですが、撮り鉄たちはみなよく歩きますよ」と言った。

時間が来たので先に失礼したが、
夕焼けの「はくたか」を撮り、自分も金沢に向かうということだった。

若者達はこんな風に身支度を整え時刻表を携えて、遠くからここへ来ていたんだ。
しかも彼らは概して一人で動いている印象があった。

一人は東京から、一人は埼玉からと言った。
ああなんていい青春だろう、旅情満点ではないか、嬉しい帰路だった。

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