聴老(お年寄り&昔の話)
かって認知症だった人、晩年の「ありがとう」は「すき」と書かれた。
本日は寒い日となった。午後の在宅回診時の車の外気温は9度を示していた。雪の目安になる米山にはまだ雪が無く平地の初雪ももう少し先の模様。
午後のひととき風が止んでいたのでシーグラスを探しながら柿崎海岸を歩いた。まだ波浪が強くシーグラスが含まれるような砂利自体が少なかった。
寒い日に温かい話を一つ。
ある方は長年遠隔地で働き、定年後久し振りに実家の母を訪ねた。帰るなり認知症になっていた母に「あなただれ?」と言われて強いショックを受けた。しかし一旦帰る別れ際「嫁さんに宜しく」という言葉を聞き、まだ望みがあると思った。
その後毎月1週間から10日ほど滞在しては母を看た。あえて外出を試みスーパーや公園など様々な場所へ一緒に行った。旧知との出会いや買い物を喜ぶうち周囲への関心が広がり、表情と反応が豊かになるのが分かった。
必要を感じ勉強して介護福祉士(ヘルパ-)の免許を取った。年とともに認知症は改善されたが、身体の衰えに従って下の世話から食事や入浴、移動、受診などの介護量が多くなった。それでも一貫して外出を心がけた。
寝たきりとなった最晩年のとある日、お礼を書きたいから紙を用意してと言われた。「ありがとう」と書くつもりらしかったが用意出来た紙は長さが足りなかった。
短い紙に書かれたのは「すき」の二文字だった。
思いつけも無い言葉に驚いたが「ありがとう」よりもずっと嬉しかった。
以上はお聴きした話の概要です。
ありがとうが心の言葉なら好きは感情であろう。お母さんの「好き」には「ありがとう」も含まれていたことだろうし、せがれさんも全く同じだったにちがいない。自分が好きで無ければ相手も好きにはなってくれない。
心と感情の満足。人間関係にこれほどの幸福があるだろうか。
短い紙しかなくて本当に良かった。
母亡き後、その方は地域の茶の間や外出、送迎の支援を仕事にしていると仰った。
米は美味しい 取り残される人々 国を愛するために。
早いもので新米は最後に刈り取られたコシヒカリとなった。私どもはまだ「月あかり」を食べている最中で終わればコシヒカリになる。新米は確かに美味しいのだが、今夏に食べていた新潟県産の古米は不作で品質は非常に悪かったにも拘わらず常に美味しかった。米の品質は格段に進歩しているのではないだろうか。
思い出すのは戦後の困難期で、小学校の昼食時間は切ない光景が見られていた。昭和20年代後半になっても貧しいお弁当を見られまいと左腕で囲むように隠し、顔を近づけて食べる子は少なくなかった(ある意味一般的だった)。まだ良い方だった私のは、かたくあんと目刺しが数本横たわっている「めざし弁当」が普通だった。
食べ物にうるさかった弟はそれが不満で、「目刺し弁当は臭い、早くのり弁を作れ」と盛んに母に催促した。
ところで数人の生徒は昼食時、教室からいなくなることがよくあった。家に帰って食べると聞き、さして不思議に思わなかった。だが後年になり果たして家で食べていたのか、何も食べずに戻って来たのでは?とふと思った。昭和50年に開業した際、そのような人の家に何度か往診をしたが、その時家財道具らしいものは殆ど無く、昼食のことは聞けなかった。
本日東京からの来館者さんと夕食を一緒した。妻より若い方だったが、昔話になると貧しい時代の食事が話題に上った。彼は「ととちゃぶ」と「水めし」を話した。
前者は食事時になると大口を開けて水道水をガブ飲みし、終わるやベルトでお腹をぎゅっと締め上げ空腹に耐える方法で、後者は古くなった飯を水で洗ってすえた匂いを消して食べるというものだった。
「水めし」は聞いて事があるやに思うが「ととちゃぶ」は初耳だった。
いずれも人づての話題らしかったのだが、都会の愛隣地区などに伝わっていたものかもしれない。
かってのブログに「残飯屋」のことを上げている。明治時代のある時期では布団まで借りて暮らす人々がいたという。今日そのような時代とは訣別しているはずであるが、「こども食堂」や「能登の困難」はいま同時進行の事実であり、明治の暗い影に匹敵しよう。飽食とともにあるこれら現実に対して、新たな政権には是非手応えある取り組みをお願いしたい。
トリクルダウンなどは無効なのでなんとしても直接当事者に光を当ててもらいたい。
他人(ひと)の不幸は自分の不幸、不幸で国を愛せるだろうか。
ドボルザーク作曲
「わが母の教えたまいし歌」
午後から降った雨 天気予報には心身の健康チェックの意味がある?
午前は曇り、午後からポツリと当たるや一時かなり激しく降った日。
お陰でむっとする暑さでぐったりしていた庭(人間も)が息を吹き返すきっかけとなる誠に良い雨だった。
明日はほぼ終日曇りのマーク。本日より少しだけ気温は下がる模様。
ところで天気のことばかり気にしていると、在りし日の父母を思い出す。
老いるに従い両親は熱心にテレビの天気予報を観た。特別予定も無いのにどうして予報ばかり観るのだろうと若い私は思っていた。しかしいま二人のようにお天気がとても気になる。
穿ってみれば、晴れても降っても明日のこと(天気)を案じるのは、明日への漠たる希望となにかしらの元気がある証しかもしれない。それで言うと、テレビが頻繁に提供する天気予報には「心と体の健康チェック」という隠れた意味があるように思われる。
新潟市から小島正芳先生が来館されました。
本日上越市髙田の最高気温が31,2度、湿度68%でかなりの暑さでした。かって暑さに対して不快指数という言葉がよくアナウンスされました。
気温と湿度で計算される数式やグラフがあり、数値が80~85は「暑くて汗が出る」、85~は「暑くてたまらない」とあります。このページで仮に本日の最高気温31度、湿度68%を入れると指数が82,6と出て、これは汗が出て、かつ不快に近い数字のようです。
個人差や風の有無や強弱で不快には差がありそうなので指標はあまり用いられなくなったと考えられますが、そう外れている訳でも無さそうでした。それにしても髙田の最高気温が8時57分という早い時間とは変わった日だったと思いました。
さてそんな日のお昼近く新潟市から良寛研究家・全国良寛会会長さんの小島正芳先生が来館されました。
先生には平成20年秋のご講演以来、毎年お話をして頂きました。今年も来たる11月3日(日曜日)に講演会が行われることになっています。
本日は演題、時間など以下のように決めさせて頂きました。
●日時:11月3日 午後2:30からおよそ1時間半(途中休憩あり)。
●演題:「良寛さんに学ぶ」
●参加費お一人300円
●一応60名様ほどのご参加を予定しております。
※お申し込みはお電話:025-530-4155 でお待ちしております。
昨年のWBC野球選手権で日本チームは劇的な優勝を飾り、そのときの栗山監督から賢くて良い人柄の印象が広く伝わりました。栗山氏は良寛さんの言葉に習い、何事も選手の側に立って考え、行動したと述べられました。そのこともあり、小島先生は実際栗山監督とお話をされたそうです。
この度の講演ではそのエピソードも交え、良寛の精神に親しみ学んだ人々のお話が予定されています。どうか振るってご参加ください。
小島正芳先生
本日先生は雀を詠んだ以下のような良寛さんの俳句を紹介されました。
秋日和千羽雀の羽音かな
良寛さんの時代の秋には千羽と称されるほどの雀の群が実際にいたと思われます。当時は貧しかったかも知れませんが自然も人情も濃かったに違いありません。
便利にはなりましたが何かと諍い攻撃に傾く一方悩みも多い現代。良寛の利他と寛容の心は今こそ貴重ではないでしょうか。
煙突女学校で労働組合の委員長に推された騒動 市長の学歴差別。
世の中には様々な学校がある。しかし「煙突女学校」という名は珍しい。かって在宅訪問先で60代半ばの女性Aさんが仰ったその名の実はいわゆる学校ではなく、富山県のある紡績工場のことで、社員がそう呼び一部に伝わったものだった。
名の由来はまず工場に印象的な高い煙突があったこと、入寮すると仕事のノウハウのほか一般教養から作法(茶道、華道など)の講座や楽しい催事、旅行などがあり、学校の雰囲気があったことが一番。そのため家庭の事情などで高校進学が出来なかった彼女達は、会社(寮)のことを「煙突女学校と呼ぶようになったらしい。
このことについて2011年のブログに二度書いた。
煙突女学校
煙突女学校アルバムから
Aさんから話を聴いたのは2011年だった。100才近いお母さんを在宅で診ておられ、訪問時の何気ない会話から、専門語も口にされたのに感心し、ちなみに、と言ってお仕事や出身校を尋ねたのが始まりだった。
その時Aさんは、自分は主婦で、卒業は「煙突女学校」です」と笑いながら応じられた。その後お母さんのことで時々彼女とお会いすることがあり、さらにお聴きしたり、アルバムをお借りして書いたのが上掲2つのブログになった。
お母様は亡くなられているが、本日たまたまお見えになったYさんに「煙突女学校」から随分経ちましたね、と私から切り出した。するとああ恥ずかしい、と仰り、促されると次のような話を追加された。
15才で入社し17になった時、労働組合の委員長になってという話が持ち上がり、ほぼ決まりかけた。たった17才の中学校出、政治も経済も何も勉強してない自分には出来ない、そもそも皆を代表するような人間ではない。絶対にイヤだと断り、ついに富山県から家に帰ってきてしまった。
すると会社と組合の人が訪ねて来た。もう帰らないと言うと、分かりました、委員長はいいから、あと10年は会社にいてもらいたい、と言って帰った。親と相談して戻ることになったが、自分の代わりに委員長になった人には済まない気持でいっぱいだった。
再び務め始めたが7年後、結婚を機に会社を止めた。その10年間、色々なことがあったが、沢山勉強させてもらい、自分は「煙突女学校」の卒業生として今でも会社には感謝していると明るく仰った。
ちなみに「煙突女学校」をググると国立国会図書館サーチというサイトに「哀歓・想い出の煙突女学校/[東洋紡績神崎会編]という一冊が一件だけ載っていた。彼女の会社はそこだったのだろうか。
当節上越市長は学歴について差別的な発言をして問題になっている。
人は学歴では無い。学歴はあっても無くても1個人として存在価値があるうえ、だれしも社会に出てからさらに成長する。
かって外洋帆走ヨットのクルーに入れてもらった。仲間はとび職、自衛隊員、販売員、エンジン工などでいずれも高校出だった。みな賢く、体力があり、世相に敏感で勇敢、何かと私は恥ずかしかった。
また10数年前、最後の小学校の同窓会があったとき、昭和30年代に集団就職した中学校出の級友の話が一番面白かった。
笠原文右衞門(大川:だいせん)の墓碑移転などのニュース。
昨日のこと館内のノートに以下のような記載がありました。
“2年ほど前から館長のブログを読んでいる。遡って見いていると2016年5月に自分たちの墓の記事があって驚いた。今回先祖の墓や碑の仕舞いに当地を訪ねたが、それも終わりほっとし,念願の樹下美術館を訪ねた”という主旨が書かれていました。
墓と勝海舟が揮毫したという墓碑は幕末から維新期、当地域の文化、教育、基盤構築に大貢献をされた笠原文右衞門(大川:だいせん)のもので、大潟区蜘蛛カ池(くもがいけ)の瑞天寺にあります。
現地で寺院西につづく小高い観音山を登ると中腹にレンガ塀がほどこされ広い階段が付いた立派な墓所へと出ます。かって一度訪れたことがありましたが、二度目の2016年はさらに歳月を重ね、傷みが進行している様子を残念に思い,、三十三観音や他の墓碑などと共にに記載していました。
昨日の上越タイムス一面。
新聞によれば、地元の「郷土史友の会おおがた(小山將会長)はじめ有志の方々とも相談され、墓は近隣の寺に、墓碑は山を下りた瑞天寺境内に移設されということでした。
当館を訪問されたご遺族の慶子さんはシンガポール在住ということ、遠くで長年心配され今日を迎えてほっとされたにちがいありません。遠路本当にご苦労様でした。当館にもお寄り下さり誠に有り難うございました。
笠原大川は近郷近在の若者を教育し、あるいは新堀川掘削に成功し一帯の農業用水路を確立されました。不肖筆者の高祖父・玄作は大川に勧められ江戸で蘭学を学ぶことができました。
また大川の残した資料には、玄作が蛮社の獄事件で幕府に追われる高野長英を匿っている嫌疑があるので二人で出てくるよう促す役人からの緊迫した文書が残っているなど、私どもと浅からぬ縁がありました。
雨の日曜日、北海道の話、車の昔話。
よく雨が降った日曜日、午後は美術館でお顔馴染みの二人からそれぞれ北海道旅行(還暦祝い)の話と昔話などを聴いてくつろいだ。運河の街のお菓子やガラスの店、エスコンフィールドの楽しさなど北海道は外国の話のようだった。幸せにも夫婦でイタリア貴族のコスプレをされ、写真で初めて見るご主人の男前ぶりに驚かされた。
雨に濡れるアオハダの木。
雨の日の木肌が美しい。
もう一人のご主人は私が髙田に下宿していた中高時代、ご近所のとある集合住宅で過ごされたことがあったという。鮮明に記憶している大きく頑丈な住宅で、同級生の女子も住んでいた。
こちらは車の話だった。多分昭和30年前後、バス以外まだ自動車というものに乗る機会が無かったころ、学童たちは自動車に乗りたくて仕方が無かった。
そんな時代ご主人の身内がタクシーで退院することになったという。当日子供たちも病院へ行き、皆で一緒に退院の車に乗ったという。退院記念日が自動車記念日だったと言う出来事であろう。
ちなみに私の自動車記念日は小学校の帰り道、念願かなってあるアイスキャンディー屋さんの小さな丸い窓がある一種不思議な車に乗せてもらった。車は速く走ったが床に大きな穴が空いていて怖かったことの方を覚えいる。
後年床に穴が空いている車にもう1回乗った。昭和50年代初めのころ、ある二次会の帰りに代行を頼んだ。雪が降り始めた夜、後を走る代行の車がスリップして動けなくなり、頼まれて私はその車に移ってハンドルを握った。二人のスタッフが押して無事脱出したが代行の車の床、ペダルの手前に穴が空いていて雪の道が見えた。
晴れやかにも身内の退院日に皆と初めて乗った黒塗りであろう車に比べれば、私のは惨めなものであり、“さすが髙田育ち”の一語に尽きる。こちらのご主人も本物の侍の如き男前の人。
閉館して静かになった庭。
カフェのガラス越しです。
梅雨入りは例年より遅いと聞いている。晴れ間の庭はどんなだろう。
6月1日 夏は来ぬ 上品な世界。
本日6月1日、よく晴れて夏が始まる。殆どの年にこの日、卯の花の写真を掲げ「夏はきぬ」の動画を掲載してきた。本日また小生の大叔父・小山作之助作曲の「夏は来ぬ」を掲載させていただいた。
下のホトトギスの鳴き声と一緒に
曲をお聴きになってみてください。
後日追加です、爽やかな「夏は来ぬ」がありました。
明治期、斬新な作之助の曲調と対比的な佐々木信綱による大和調の詩もまた素晴らしい。数日前、ホトトギスが遠くでキョキョと鳴くのを聞いた。
果てしない世界で花や鳥、そして人や蛍もまた共に季節を揃えながら移ろって行く。ある面世界は洗練されている。
燕を撮ってみる 田植えの暖。
曇り空から昼には晴天となった本日、大気は清々しかったが寒さを感じた。美術館裏の田んぼに水が入り、代掻きが始まっている。
見ると燕が田の上を往き来している。彼らの飛翔は非常にスマートで、パタパタした羽ばたきなどはほとんど目に付かず、大変な早さでスイスイと飛ぶ。
かっては燕を撮影たが、このところ何年も撮っていなかった。素早い燕を撮るのは結構大変だったことを思いだし、いままだ写せるだろうかと試みた。
遠くから素早く上下左右ジグザクにやって来る燕をファインダーで見ながら写すのはまず無理。そこで10メートルほど先にピントを合わせておき、ファインダーを覗かずに、やって来る鳥の動きに合わせてカメラを向け連続シャッターを押すという、いい加減な方法で行った。
多くは写っていなかったりピントが合っていないのだが何枚かはまあままという結果だった。
後でpcの鳥ファイルを見ると燕を撮ったのは2020年以来だと分かった。かっての写真はもっと沢山上手く写していて、やはり年だなと落胆したが、気を取り直しこの先また試みたいと思い直した。
ところで田の燕は遠くへ行ってしまうこともあるため待つ時間が生じる。それもあり農道で風に吹かれて立ち続けるのは結構寒い。
切りを付けてカフェに入ると知っている方がおられ、ご一緒した。幼少に山間の農家で過ごされているので田植えのことなどを色々お聞きした。
田にいると冷える、とよく耳にしていたので、伺ってみると、「田植えでは時にワラを焚いて暖を取っていた」と仰った。はじめて聞く話だったが、やはり田は冷えるのだ。特に山の田は水が冷たく余計寒かったのではと思った。
この餃子の皮はご近所の方の手作り。この人は蕎麦、ラーメンなど麺類を大変美味しく作られる。このたびは餃子の皮だった。ちゃんとした厚みとなんとも言えない香りがあり、野菜いっぱいの妻の具も美味しく、今後の楽しみの一つになった。
年とともにまとまってくる。
年取って老けてる若く見えるは、ひごろよく話題になる。
体のことでは姿勢やシワそして表情などが相当し、身なりや趣味、活動が印象を左右するのかもしれない。
過日ある女性の生年月日を見ると昭和11年生まれとあった。
普段あまり話をしない静かなその人を、私より二つ三つ上かなと思っていたので八つと分かり、お若く見えますね、と言った。
すると、「そうですか、私みったくなしだけど、丈夫で入院したこともないんです。わーっ本当ですか、みったくなしは本当だから仕方ないけど、親に感謝しています」とたて続けに仰った。
みったくなしは、当地の方言で美しくない、醜い、という意味。普段寡黙な人が自分の容貌、健康、親への感謝を一気に話をされたので少々驚き、嬉しくもあった。
私自身もそうだが、年を取るに従い、あれこれ考えていた自他のことに段々とこだわりが無くなり、何となくそれらが単純化されてくるのを感じていた。
この方も悲喜色々あったかもしれないが 先のように少なくとも自分について、見方がまとまってきたのかなと、ふと思った。
まとまりは割り切りといった意味でもありましょう。
- 花頭窓、二十三夜塔、庚申塔、社寺
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- 館内のノート、今年後半の「お声」からその1。
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- 初雪?の日 最近のお客さん 買い物の日。
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- 時間を掛けて押す注射 ほぼ一年振りに替えた机上メモ。
- 昨日から一泊の上京。
- 大潟区公民館活動の方々の樹下美術館来訪、小山作之助係累の話をさせて頂いた。
- 本阿弥光甫のお茶碗で飲みたくて木村茶道美術館を再訪。
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