鮫ケ尾城,景虎哀れ

2008年12月20日(土曜日)

 来年一月からNHK大河ドラマで「天地人」が始まります。昨年の「風林火山」に次いで上越市・春日山は重要な舞台となりました。相次いで新潟県が大河ドラマに登場するのは、二度の地震被災に対する激励の意味もあるのでしょうか。

 

 ドラマでは、三郎景虎ファンの一人として御館の乱(おたての乱)の扱いが気になります。謙信の養子の一人、喜平次景勝との確執は、小説ではさほど深く触れられていません。また放送でも本旨ではないので、多くは割かれないかもしれません。
北条氏の子として、幼少より相模、甲州で人質の定めを生きた三郎。ついには同盟によって越後春日山へと送られます。春日山城では謙信に庇護され養子となり、由緒の名を継いで景虎を名乗るまでになります。悲運を続けた景虎の心は開放されつつあったかに見えました。しかし謙信の急死によって景勝との間で御館の乱が起こります。情勢は次第に不利に傾き、最後に頼った鮫ケ尾城でも裏切られて果てます。三国一の美将と謳われた景虎の哀れは、もう一つのドラマではないでしょうか。(参照:上杉三郎景虎 近衛龍春著 角川春樹事務所発行 2001年4月8日第一刷など) 

   

 

 ところで上越ICから高速道路を西へ進むと右手に春日山城跡が見えます。その手前のJCTを妙高市に向かって左に折れ、約10キロでトンネルが二つ続く所があります。このあたりこそ景虎最後の地、鮫ケ尾城跡だと思われます。あっという間の距離ですが、春日山から続く一帯には彼の無念が漂う気配がします。ドラマの景虎役・玉山鉄二に哀愁があっていいとは、妻の感想です。ぜひ見たいと思います。(城跡の位置について一部修正をしました。09年2月7日)

 

 それにしても当時、春日山に登場した主だった人物たちが、ことごとく他所からやって来た武将だったのには驚かされます。そして全てが終わると、今度は景勝、兼続はじめ皆北へ東へと去って行きました。はたして上越の人々はこのような乱世をどう見ていたのでしょう。

 

   
天地人 火坂雅志著 日本放送出版協会
第4刷 2007年1月20日発行

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