年の瀬にアルバムを考える。

2013年12月18日(水曜日)

在宅回りの訪問の時、高齢者さんがベッドでアルバムを開いていることがある。私は在りし日のモノクロ写真が好きなので、人様のアルバムでも一緒に眺めさせてもらう。

軍服のものなどは早めに飛ばされ、田植え時に皆して畦でおにぎりをほおばる写真などではこれは誰、それは誰々と教えてくださる。

警察官だった人やバスの運転手だった方のアルバムなども大変興味深かった。

さて先日のお宅で、私の為にとその方の兄さんが残したアルバムを用意して下さっていた。若き日の小生の叔父さんが写っているという。

020 - コピーB5ほどのアルバム。他でもこのように黒っぽい立派なアルバムを見た。戦前の流行だったのか。

 

022昭和12年、若き日の叔父さん。父より3つ下、ハンサムで優しい人だった。
逞しい人生を歩まれ、今から15年ほど前に90才近い年で亡くなられた。
写真は満州時代に入院中の戦友を訪ねた時のものらしい。
人様のアルバムで若い叔父さんと出会い、よけい好きになった。

さて私たちにとって、誰かの人生を、誕生から老後まで見ることはそう容易でない。年下で若くして亡くなった人の人生は誕生や幼年時代から知り得るが,、最晩年まで見切ることは中々難しい。
またその人が長年生きて亡くなられる場合、大抵年上の自分が先に倒れるので多くは叶わない。
親や子についてもしかりであり、他者の長い生涯を目の当たりにするのは、よほど元気で長生きしない限り実現しない。
(6つ年下の人が90才で亡くなるまでを見るには、自分は97才まで正気で生きていなければならない)

ただ幼年、若年、青春、新婚などの写真がある人が長生きされた時、生涯はよりリ近くリアルに感じるだろう。
しっかりしたアルバムを残された昔の人たちはその点で立派だ。

人生では親子はじめ人の距離や情愛は様々な事に影響される。
しかし単に写真が揃っているか否かで、親近感に差が生じる事はあり得るかもしれない。

この事では、ペットにおいて事情が異なりそうだ。大抵生まれたてから、長生きなら老衰まで共に暮らし生涯を目の当たりにする。
先日樹下美術館を訪ねられた犬の飼い主さんが、長生きされた愛犬の死を大変に悲しまれたのもなずける。

 

いつか私も乱雑な写真をちゃんとアルバムにした方が良いのか。
また一般に、写真以外でも聞いてくれる人がいるなら、上手に自分の昔話を話す(伝える)ことも良いことだろう。
晩年の母から、幼少や青春の話を何度も聞かされたが、そのことで母を深く好きになった。

何はともあれアルバムはどんな人生でも自らを完結させ得る唯一単純な手段であろう(当面誰も見てくれなくとも)。

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