二人の杉 堀口大學と倉石隆

2010年1月22日(金曜日)

 以前倉石隆氏の油絵「杉林」を書かせていただいた。その後、昨年暮れに倉石氏の奥様とお話しする機会があった。そこでまた杉のことが出た。

 

 隆氏はこんな風に話されたことがあったという。「詩人はいいなあ、堀口大學さんのように杉は寂しいと言えて。おれたち画家が杉は寂しいと言ったらキザにしか聞こえない」、と。 倉石氏のぼやきには詩人と画家の感覚の共通とともに、方法の違いが語られていて興味深かかった。

 

 ところで、大學の「杉は寂しい」という言葉は詩集「雪国にて」にあった。昭和21年1月~7月末の作品による小冊の中にわずか二行の詩。戦争に負けて半年、火も湯も乏しい冬の叙情だった。

※ちなみにこの頃、4才前後の私は引き上げ船を待って惨めな家族とともに旧満州(現中国東北部)にいました。薄暗い大きなテントとぬかるみの日の配食が脳裏にあります。皆様はどうしておれらましたか、私事で恐縮でした。

 

 「杉の森」

  たださへさびしい杉の森

  まして山里 雪の中

 

 世界を駈け、スペインでマリー・ローランサンに恋した裕質の詩人はいまや雪の越後の山里に。細る体を雪よりつらい寂しさが襲う。しかし苦境に光明を見ようとする大學の意識は本書の後書きにも現れる。

 

雪国にて
雪国:昭和22年7月7日 柏書院発行。

あとがきの中段に次の文があった。「終戦後、詩興しきりに動き、わたくしは珍しく多作だった。外は雪、家は煤(スス)からなるこの白と黒との牢獄は、わたくしの肉体をさいなんだが、詩興をたすけるよすがとなった。」 妙高山麓関川の仮寓にて  堀口大学。

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