西国の人 4 早よ出んかい

2010年11月8日(月曜日)

 10年振りにお会いしたM先生はお変わりなく元気だった。長身の先生は教養人の穏やかさの中に信念の骨格をにじませる人だ。また人をとても大切にされる姿勢は、故郷を遠く離れた人ならではなのか。このあたりに広島県出身者は自分くらいしかいなかったとも仰った。温かい西国から一人雪降る越後へ、寂しい夜も悔しい昼もあったことだろう。

 

 当夜、芝居の同窓会はせっかくの大参集にもかかわらず、ある人間のせいで方向も見えない散漫な時間となった。それでM先生に広島県人のことや、新潟県の田舎にある旧吉川高等学校に赴任された訳などを耳を澄ましてお聞きした。

 

 ご自分が広島におられた50年も前の当時は、学校を出て家に居ると「まだ居たんか、早よ出んかい」、と言われたという。出るのは国内ばかりではない、明治から第二次大戦まで、西国の人達、特に広島県民の海外移住は沖縄、熊本、福岡などを離して断然トップだ。彼らはアメリカ(ハワイやロスアンジェルス)、ブラジル、カナダ、ペルー、アルゼンチンそのほか広く世界へ飛び出している。

 

 そして当日驚いたことに、「実は私はハワイ生まれなのです」と先生は仰った。太平洋戦争前夜、ご一家は渡ったハワイから故国へ戻る決断をされたという。帰国後の終戦まぎわ、故郷・広島で被爆を体験をされ、後に広島大学をお出になると1000キロを一飛びして当地に赴任された。

 大学の卒業に際し、日本では珍しい高等学校の醸造科が旧吉川高等学校に設置されると聞いて、即決されたと聞いた。当夜のM先生は、明らかに果敢で独特な広島県人のほぼ全てを備えて座っておられたことになる。幸せな時間だった。

 

 気の大きさ、果敢さ、何が西国人を、そして広島県民をそうさせるのだろう。広島に関してはその昔、瀬戸内海ばかりでなく、海さえあれば国外へも出て行ったいわゆる海賊・村上水軍の気風が残っているのでは、と先生は仰った。

 

 「まだ居たんか、早よ出んかい」はM先生にお聞きした言葉だ。そしてこのたびノーベル化学賞の受賞者、根岸英一先生は「若者よもっと海外へ出よ」と強調された。
 さらに日本のノーベル賞受賞者18人のほとんどが東海以西、西国の人だとあらためて知って、ある種愕然とした。

 海と鳥

 拙ノートは西国の人 3 の続きです。いずれ5へ続けてみようと思います。

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