九州はともかく 血液型はいけない

2011年7月5日(火曜日)

松本復興担当大臣が辞職した。作家のような風貌、ジャズ好き、サッカーボールを蹴るパフォーマンス。この辺までは新鮮だったが、東北での言動は国家的メチャクチャだった。

一連のメチャクチャ振りをご本人は“やんちゃ”だけのことと思っているらしく、会見でB型ですけん、と仰っていた。やんちゃは九州の売りかもしれないが、血液型はいけないと思った。

論を待つことなく人の性格と血液型は無関係だ。しかし日本だけではないだろうか、プロフィールの多くに血液型が記される。科学の国と言いながら非科学から始まる悪弊。

如何なる職種、嗜好、性格、そのほかどんな集団にあってももA,B,AB,Oの割合は同じで、分母が多くなるほど明確となる。また血液型一致の代表選手である一卵性双生児における性格の違いほど見事なものはない。血液型と性格は無関係ゆえ当然そうなる。

この認識は科学であり知性と良識だが、関係ありはムチャでおとぎ話にもならない。

ああそれなのに、多くの人は私の血液型、彼の血液型、と言う。“B型だからやんちゃでも仕方ない”と国政の要人まで言う。なんとももったいない思い込みだろう。
人と人間関係の根本である性格のことで、意味不明な血液型を言うかぎり、日本は一流国になれるはずがない、まず笑われよう。

 

見渡せば、それを頼りに結婚したり離れたり、就職したり部署を決めたり決められたり。うまく合っているように見える場合があれば、それは偶然で一時のことでしかない。

 

人生の肝要は問題が起きたときの対応だ。その時、無意味な血液型にこだわったために、どれほど多くの誤りが生まれ、出口のない迷いが生じたことだろう。大臣の失敗と残念も深刻であり軽いものではない。

人はそれぞれに性格はある、しかし何度も言いますが相性も含め血液型とは全く関係ない。性格は学習によって融通可能であり、広い可能性を秘めた貴重な個人財産だ。

 

今後私たちはタバコや原発などからの脱却の中に、一刻も早く血液型を入れるべきだと思う。

さらに豊かな思慮と可能性をもって貴重な人生を生きるために。予算もいらない、自由なんだと想像するだけでいい。暗示の国から理性の国へ。

 

夕暮れ

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