良いご一家の話。

2025年4月10日(木曜日)

新学期が始まり小学一年生が横断歩道を渡る様子は何とも初々しい。
私は昭和23年、姉は21年に小学校に入った。入学の日姉が学校から持ち帰った教科書のあちこちはべったりと墨が塗られていたのを鮮明に覚えている。
戦後の一時期、新たな教科書が間に合わず戦前のものを用い、新制度にそぐわない部分は黒く塗られていた。お祝い気分だった姉はじめ家中ががっかりしていたのが蘇る。

ただ姉が買って貰った「下敷き」をきれいだと思った。初めて見た下敷きは、緑の丘の上に三角屋根の家とそこへ続く道が原色で描いてあった。簡単な図柄だったので真似てよく描いた。

ところで過日カフェでお会いした私と同年代の男性が語った教科書はそれどころではなかった。かつて父親の仕事で遠い西の地へと移られたご一家。お聴きした当持の話は逞しくも涙ぐましく、かつ微笑ましい戦後昭和のエピソードだった。

転地された時期は今ごろで小学校の教科書が間に合わなかった。そこで学校から借りると、字が得意な母が文字を写し、絵が得意だった父が挿絵を描いて何冊か教科書に代わるものを作ってくれたと聴いた。貧しい時代、遠くへ移られた皆さんの懸命な勤しみと時代ならではの灯下の幸せが浮かぶ。

その方は次のような話もされた。母は演歌が好きで上手かった。そんな母のために父は中古のアコーディオンを買ってきて独学で母の伴奏をはじめた。
両親の演奏を聴きながら自分も歌とアコーディオンを覚えた。アコーディオンは体力の無い小学生には重すぎたので仰向けに寝そべり、楽器をお腹に乗せて弾いた。

公園のベンチでもよく演奏したがある日通りかかった人が、坊や上手だね、と言ってお小遣いをくれた。家に帰って話すと父は、子供はいいな、私が弾いてもだれもそんなことをしてくれない、と嘆いた。

この方のご兄弟の何人かを知っているが、皆さん底のほうに明るさを秘めそれぞれ個性的。この日初めてお会いしたお兄さんも個性十分とお見受けした。
当館のお茶で、最初に字の話になった。すると居あわせた妹さんが「私は父親似で字が下手なんです」と仰った。
すかさずアコーディオンのお兄さんが
「それは違うよ、子供はどっち似ということはあり得ないさ、半分半分だ」
と、ぼそりと返された。
そこへ不遜にも私が入り、
「お兄さんは理系ですか、お話が科学的ですね」と言った。
「そうです、親子は半分半分。私は理科系で長く自動車のエンジンの仕事をしていました」と仰った。

面白い話をポツリポツリと語られるお兄さん。今では独学で覚えたチェロを子供達に教えているという。妹さんは絵画に関係され、この日皆さんは普段通りだったようだが亡き親御さんをはじめお話の人たちはみな一生懸命。内容もユニークで何て雰囲気の良いご一家なのだろうと思った。

2025年4月
 12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
27282930  

▲ このページのTOPへ