2025年1月8日

京都滋賀の旅 最終日は延暦寺。

2025年1月8日(水曜日)

4泊5日の京都滋賀旅行は本日延暦寺を参拝して終わる。この日は延暦寺のみなのでいつもより遅く出発した。

初めて来て色々お世話になった山科駅。

この度はケータイにSuicaを入れてきた。初めのうちは不慣れだったが、次第にさっさと改札出来るようになった。ちなみに全部で13回の改札、4670円を電車代に使った。
一方タクシーは12000円ほど乗っている。がめつく言うと二人とも昼食を摂らない分およそ2600×4日=9200円を節約できているので、一定分タクシーの埋め合わせにはなっている。

比叡山ケーブルカー坂本駅。
京阪電駅からバスで10:30ころ到着。

昭和2年に建てられた駅舎は国の有形文化財に登録されている。

縦長の窓や灯り
が文化財的。

窓外にはうっすらと雪。

時々現れる晴れた琵琶湖を眺めながら11分で延暦寺駅に到着。

ベンチの雪。

鐘楼のある階段上から見た
改修中の根本中堂。

護摩祈願が行われる根本中堂は2026年まで10年がかりで大改修中。受付で二人分の祈祷を申し込む。ともに「家内安全」と「健康祈願」にした。間もなく暗い堂内で20人分ほどの護摩祈祷が始まった。
私達はやや高い所の椅子に並んで座る。不動明王を祀った祭壇の前に僧が座り読経を始める。こちらから見えないが6、7人の若い僧が堂内に居て経を唱和する。
祭壇に小さな火が灯され、僧は経を唱えながら絶え間なく印を結び法具を操る様子。大勢の僧の唱和が堂内に響き荘厳な雰囲気になってくる。前段は辺りを清め、不動明王をたたえながら呼び寄せる儀式と思われた。
読経の響きが高まると護摩の火は一段と大きく立ち上り明王が現れたらしい。
祈願を申し込んだ者の県と名、祈願内容が読み上げられていく。終盤、私達一人一人の祈祷になった。祈願を書いた護摩木が焚かれあらためて炎が立ち上った。唱和のなか何とも言えぬ有り難みがこみ上げ胸が熱くなる。終わってお札とお守りを一式もらい暗い堂から出た。妻は目を赤くして感動したと言った。

護摩供養
延暦寺ホームページから。
まさにこのように見えていました。

外でずっと梵鐘が鳴り続けている。祈祷を終えて鐘楼へ行くと次々に参拝者が撞いていた。

  お年寄りがお孫さんとおぼしき人と
撞くと、拍手が起きた。

私達も列に並んで撞いた。

さて以下は中学二年生の秋に行った関西修学旅行における延暦寺・根本中堂の写真です。
当持は二眼レフが大流行。みな親にせがんだカメラをぶら下げて歩いた。私は父に連れられ柏崎のカメラやさんで買って貰った。

如何にも山中の寺院に見える。
周囲は狭いが正面はどうだったのだろう。

根本中堂は大きくて恐らく二眼レフには入りきらなかったのであろう、右手に回って斜めから撮っている。

比叡山を占める延暦寺は150余の堂塔があるといい世界文化遺産になっている。他にも魅力的な所があったが、護摩祈祷を受けたあと鐘を一つ撞くと晴ればれとしてしまい、他所を見ることなく下山することにした。

早いか遅いか、長いか短いか、歳月はどちらも合っている。修学旅行から70年近く経ったが、振り返ってただ一言“何とか生きて来ました、本当に有り難うございました”としか言えない。

足を揃えたらと言われて
撮ってもらった。

 

敦賀駅で。
新幹線が逞しく見えた。

私達の旅行は不思議と買った切符よりも早く帰ることになる。このたびも買い換えた。

どっとお腹が空いたので京都で買ったお弁当を車中で食べ、帰宅すると延暦寺のお札を並べて妻作のはりはりとお蕎麦を食べた。

はりはり。

祈祷と祈願のお札、それとお守り。
運転、作業、健康にいっそう気を付けけよう。

 濃茶を練って旅行の無事に感謝。
石山寺で求めた井筒製のお菓子が美味しい。

旅行中は慌ただしい晦日にも拘わらず、2日もお付き合い頂いたAさんご夫婦には感謝に堪えません。お陰様で何倍も楽しい旅になりました。どうかお元気で、またお会い致しましょう。私達も身体に気を付けその日を楽しみに致します。

何日も長々と書き連ねて失礼致しました。今年もどうか宜しくお願い致します。

本日は終日風と共にみぞれが降り辺りは再び白くなっています。今後の二日間寒波の再来です。

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