2025年1月

京都、滋賀の旅 2日目の京都。

2025年1月3日(金曜日)

京都滋賀の旅、2日目京都です。宿の山科近辺から勧修寺、随心院、長岡京へ飛んで粟生光明寺、戻って智積院、涉成園、京都庵an、清水寺、八坂庚申堂を回るてんこ盛りの予定、ダメなら中止も交えた予定で朝早めに出発。

初めに庭を観たかった勧修寺が年末のため閉門ということで小野小町の随心院へ。
更衣として宮仕えをした歌人小町は死後平安時代後期にはすでに美女、恋多き女として語られ始めたらしい。当院は小町が住んだ山科区小野にあることなどから小野小町ゆかりの寺院として今日に到っている。

 

 

 

金剛菩薩と薬師如来。

 

 

上掲は百人一首九番目、古今集から採られた小町の歌碑。

“花の色は 移りにけりな いたずらに 我が身世にふる ながめせしまに”。つまるところ春の長雨をぼんやり眺めている間にも私は老いていく、という心境を歌っている。恋多き絶世の美人ならではの嘆きかもしれない。

上品でどこかなまめかしい随心院を後にJR東海道線の電車で長岡京へ。ここでは時代劇の斬り合いシーンで好んでロケされている西山浄土宗総本山「粟生(あわお)光明寺」の石段を観ることが目的。

 

 

粟生光明寺の幅広い石段。
時代劇俳優が颯爽と
殺陣を行うシーンジが浮かぶ。

東京の寺院であるはずの階段ロケがここでよく行われている。長岡京はタケノコでも有名らしい。全国的に名を知られた筍料理の店があるというのでいつか連休などに来てみたい。
JR東海道本線で京都駅へ。駅の最も奥まったところに関空行き特急「はるか」専用ホームがあった。老いも若きも行き交う人の殆どが外国人なので異国にいる感じ。

 

何て可愛い電車。

近くの庵anで行われる舞妓さんによる抹茶のお点前体験に参加するため烏丸通りへ。

コンパクトデジカメの充電ケーブルを忘れて来ているのでヨドバシカメラで買った。上掲写真の椅子に座り、飲み物を求め一服、烏丸通りを上る。

 

スケールの大きさに
驚かされる東本願寺の御影堂門。

午後1時に始まる舞妓さんとお抹茶体験場所に向かう。東本願寺の近くだったので時間通り着いたがあいにく舞妓さんの都合がつかないため中止になったと知らされた。とても残念だったがお坊さんも教師も舞妓さんも忙しい年の瀬は仕方がないのか。

早々に勧修寺と舞妓体験の予定が飛んで、午後は東福寺又は智積院→清水寺→八坂庚申堂→夕食のコースになった。出来るだけ清水寺に近ずくため智積(ちしゃく)院へ。

真言宗智山派、智積院参道と本殿。

清々しや
華やかな五色幕。

五色幕の色は釈迦の身体を表し、緑(青)は髪、黄は体、赤は血液、白は歯、紫(黒)は袈裟を表しているという。

境内の木にカシラダカ。

 

境内の智積院会館のカフェで再度一服。
良く点てられたお抹茶だった。

京都に来るたび清水寺に寄った。しかし智積院で乗ったタクシー運転士さんは「今日は清水寺には近づけない」と言い、行ける所まで行ってみましょうということになった。
やっと七味屋本舗の角まで何とか来たが、その向こうは人であふれかえっていた。

通りはぎゅうぎゅう詰め、
ここで清水寺を諦める。

本日三つめの訪問中止。懐かしの八坂庚申堂へ三年坂を下る。

 

天台宗金剛寺境内の庚申堂は入り口に「日本最初 庚申尊」と彫られた碑がある。お堂は2019年2月、庚申信仰への興味から寄った所で、以来5年が経っている。お堂は「光る君へ」で取り上げられ、映えをねらって訪ねる若者たちの様子も変わり無いけれど、私は年を取り少しくお目出度くなっているのが分かる。

きれいなくくり猿に願い事を書いて写真のように奉納する。「生きがいを見つけられますように」「頭が良くなりますように」「成長できますように」などと書かれている。我が幸せより真剣に書いた若者たちの幸せを祈った。

さて、てんこ盛りの予定のうち三つを達成できなかった京都2日目。お陰で夕食の6時まで余裕が生まれた。八坂神社前から祇園花見小路へ出て時間まで一帯を散策した。

花見小路は混雑していたが裏の通りは静かだった。何時か来てみたい食べ物屋さんをなどを見つけては夢を膨らませた。

いつしか食事の時間が近づく。

四条通りを渡り向こうの花見小路へ。
入ってすぐの中華「青冥(ちんみん)」が食事処。
小ぶりなビルの5F にある。

食事は中華で相客は大津に住んでいらっしゃる大手企業の要人。かって上越市に赴任された4年間、ご夫婦と親しくお付き合いさせて頂いた。去られた後も樹下美術館を訪ねて頂いたりメールを交換したり親交が続いた。


2019年に次いで2度目の
「青冥」のピータン。

先様は奥ゆかしくも楽しい常識人。最初のピータンを撮ったものの再会に夢中になり後の料理をすっかり撮り忘れた。このたびは忙しい時節を顧みず、私の方からお誘いして明日また二度目の会食をすることになっている。

食後地下鉄駅まで皆で歩き宿の山科へとご一緒させて頂いた。

すっかり更けた夜の祇園四条。
地下鉄入り口は明日に通じる明るさだった。

長くなりました。

年末は山科に4連泊して京都、滋賀へ。

2025年1月2日(木曜日)

正月2日目です。
皆さま、いかが新年をお迎えでしょうか。一帯の平野部は現在小雪で、樹下美術館周辺には積雪が見当たりません。

実は妻と私は年末12月28日午後にこちらを発ち京都および滋賀へ行き、1月1日夕刻に帰ってきました。予め当欄で予定をお知らせすることも可能でしたが、昨今の留守は物騒なのでブログは予め作成し、日時を指定して予定投稿による公開という形にさせて頂きました。

遅くなりましたが本日から何回かに分けて年末~元旦の旅日記を掲載させてください。
それでは一日目です。12月28日(土)午前の仕事を終えて上越妙高駅から北陸線に乗車しました。積雪が多ければ東京→東海道新幹線を考えなければなりませんでしたが、当面ドカ雪の予報はなく北陸新幹線とサンダーバードで往復してきました。

まず以下は上越妙高駅の一コマです。ホームで見た若いこの人は何をしているかお分かりでしょうか、お掃除ではありません。

長い棹の先についているのはマイクです。彼は駅のアナウンスやチャイムなど音のコレクター(マニア)でした。鮮明な録音を極めると場内を越えてスピーカーへより近づくことになるらしいのです
因みに、私はこの駅の発車メロディー「夏は来ぬ」の作曲者小山作之助の弟のひ孫です、と告げるとすげーなー、と感心してくれました。鉄道は本当に様々な趣味を産んでいて、時々放映される「鉄ちゃん」番組は面白いですね。

京都が近づき琵琶湖が見えると
急に異国の気分に変わる。

夕刻無事京都着。宿は駅の直前「京都山科 ホテル山楽」でした。同ホテルは朝食はありますが基本夕食は無く、駅周辺にあまたある店で摂るという初めて経験するシステムでした。

大正ロマン風のホテルロビー

ホテルが作成した食事処の地図で目星をつけ、暗くなってから散歩がてら出て、近くのお寿司屋さん「初美」で食べました。

お寿司はもちろん、特に
やなぎ鰈の焼魚は美味だった。

但し大晦日はホテルの夕食が可能ということ、楽しみにして予約しました。

今回は初日から同じ宿の4連泊を予定、生涯初めての試みでした。それにしても山科は2日目の京都、3日目の大津周辺と坂本、4日目の湖北と近江八幡、元旦の比叡山などいずれも移動や交通の手間が省け、大変便利な所だと思いました。

年末のため閉まるところなど予定外のこともありましたが、宜しければ次回京都以後もご覧頂ければ有り難く思います。

謹賀新年 年頭の意識目標。

2025年1月1日(水曜日)

今年また謹賀新年の日となりました。恙ない方もご不幸に見舞われた方も、万事塞翁が馬として、様々に新年をお迎えのことと存じます。
そしてまた幸も不幸も綯える縄の如し、だれ彼なくめぐり巡るのではないでしょうか。
そんな事を心のどこかに置いて、先ずは一つ年取ってしまったことを有り難いとして迎えるのが新年かもしれません。

かって亡き母は90を過ぎて明らかに変わり成長しました。自を守っていた固さが取れ、見栄も防御も消えて柔らな人格になりました。これは傍目にも気持ち良く、良く言えば知的な印象が表に現れているようでした。

一連の変化は私達が母を出来るだけ多く外に連れ出したり話をすることで変わってきたように思われました。結果として私達が変わったので母も変わったように思われました。

「人に対して不平不満を言うなら、まず自分に向かって言ってみる」。言い古されていますが、年頭に当たってあらためて今年の「意識目標」にしてみようと思いました。“人間いくつになっても成長できる”と言い聞かせながら。

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