2024年9月

水盤は「お鳥さまの公衆浴場」 敬老の日の花束。

2024年9月16日(月曜日)

祝日の本日思いのほか晴天に恵まれたが暑さは相変わらずだった。カフェから見える水盤は鳥たちに大人気で、あたかも「お鳥様の公衆浴場」と化した感がある。それというのも毎朝スタッフが水を替えているのが人気の理由らしい。

何度もやって来るヒヨドリは
水浴びが大好き。

大きいのが来ました。

 カラスです。
カラスの行水の通り
すぐに出ます。

一方何度もやって来ては
大騒ぎのヒヨドリたち。

右の三羽がやっていたようです。
直後回りを向いて警戒?
上で雀が待っている。

向こうはシジュウカラ、
手前はヒヨドリ。

鳥たちの水浴びはある種必死の様相がある。上品にポチャポチャでなくバシャバシャと激しくやって慌てて上がる。普段用心深い彼らにすれば水浴びはスキだらけの時間である。なので瞬間的にアドレナリンを出し、エイヤッ!とばかり決死の覚悟で行うのではないか。

その昔、怪我した雀のヒナを育てていたある日、突然水の器の中に飛び込みバシャバシャやったのを見てそう感じた。夢中の羽ばたきの後、いかにも慌てて水から出るや何事も無かったような表情で周囲を見る。5枚目の写真にそれが現れていないだろうか。

敬老の日の花束。
花の難しい時期にセンス良く
とてもすっきり選ばれていました。

本日敬老の日だったとは。お目出度うと言うのも、、、という親族。でも心こもったお花でした。
有り難うございました。

午後から降った雨 天気予報には心身の健康チェックの意味がある?

2024年9月15日(日曜日)

午前は曇り、午後からポツリと当たるや一時かなり激しく降った日。
お陰でむっとする暑さでぐったりしていた庭(人間も)が息を吹き返すきっかけとなる誠に良い雨だった。

今にも降り出しそうな
午後一時頃の北西の空。

たちまち
米山・尾神も雲に覆われる。

急に降り出した雨の中、
美術館でお帰りのお客様。

雨を歓迎している庭。

明日はほぼ終日曇りのマーク。本日より少しだけ気温は下がる模様。

ところで天気のことばかり気にしていると、在りし日の父母を思い出す。
老いるに従い両親は熱心にテレビの天気予報を観た。特別予定も無いのにどうして予報ばかり観るのだろうと若い私は思っていた。しかしいま二人のようにお天気がとても気になる。
穿ってみれば、晴れても降っても明日のこと(天気)を案じるのは、明日への漠たる希望となにかしらの元気がある証しかもしれない。それで言うと、テレビが頻繁に提供する天気予報には「心と体の健康チェック」という隠れた意味があるように思われる。

新潟市から小島正芳先生が来館されました。

2024年9月12日(木曜日)

本日上越市髙田の最高気温が31,2度、湿度68%でかなりの暑さでした。かって暑さに対して不快指数という言葉がよくアナウンスされました。
気温と湿度で計算される数式やグラフがあり、数値が80~85は「暑くて汗が出る」、85~は「暑くてたまらない」とあります。このページで仮に本日の最高気温31度、湿度68%を入れると指数が82,6と出て、これは汗が出て、かつ不快に近い数字のようです。

個人差や風の有無や強弱で不快には差がありそうなので指標はあまり用いられなくなったと考えられますが、そう外れている訳でも無さそうでした。それにしても髙田の最高気温が8時57分という早い時間とは変わった日だったと思いました。

さてそんな日のお昼近く新潟市から良寛研究家・全国良寛会会長さんの小島正芳先生が来館されました。
先生には平成20年秋のご講演以来、毎年お話をして頂ききました。今年も来たる11月3日(日曜日)に講演会が行われることになっています。
本日は演題、時間など以下のように決めさせて頂きました。

日時:11月3日 午後2:30からおよそ1時間半(途中休憩あり)。
演題:「良寛さんに学ぶ」
参加費お一人300円
一応60名様ほどのご参加を予定しております。
お申し込みはお電話025-530-4155 でお待ちしております。

昨年のWBC野球選手権で日本チームは劇的な優勝を飾り、そのときの栗山監督から賢くて良い人柄の印象が広く伝わりました。栗山氏は良寛さんの言葉に習い、何事も選手の側に立って考え、行動したと述べられました。そのこともあり、小島先生は実際栗山監督とお話をされたそうです。
この度の講演ではそのエピソードも交え、良寛の精神に親しみ学んだ人々のお話が予定されています。どうか振るってご参加ください。

小島正芳先生

本日樹下美術館から見た
夕雲。

本日先生は雀を詠んだ以下のような良寛さんの俳句を紹介されました。

秋日和千羽雀の羽音かな

良寛さんの時代の秋には千羽と称されるほどの雀の群が実際にいたと思われます。当時は貧しかったかも知れませんが自然も人情も濃かったに違いありません。
便利にはなりましたが何かと諍い攻撃に傾く一方悩みも多い現代。良寛の利他と寛容の心は今こそ貴重ではないでしょうか。

暑かった日、水浴びするスズメ。

2024年9月10日(火曜日)

9月とは言え本日上越市髙田の最高気温は35,8度、真夏の暑さだった。しかし一時のムッとする辛い暑さで無かったのがせめての救いでした。

さて前回に続いて本日も庭の水盤に来たスズメです。前回と異なり頻繁に水浴びを行っていました。

この暑さ。水を見れば
浴びたくなるのは分かります。

さて9月5日から始まっている「水彩画 高宮あけみ展」。お陰様でいつもよりご来館頂いており有り難く思っています。
ブログ上段の表紙も替えてみました。

予報ではこのようなお天気がしばらく続くようです。
一般に台風の被害は少なく済み、お米は豊作ということ、この先出回る新米が楽しみです。少し安くなるのでしょうか。

多くの雀が水盤に。

2024年9月7日(土曜日)

田は刈り取りが進み半数以上が終えているように見える。
農家に悪いが晩夏から初秋にかけてスズメたちはお腹いっぱいお米を食べ、やがて来る厳しい季節に備えた事だろう。
スズメについては害益両方の意見がある。稲を食するのは害だが稲虫などの害虫を食べるので益する面も指摘される。
いずれにしても十年十五年前に比べ半減と言っても良いくらい数を減らし続けるスズメは可哀想な生きものとして映る。

また彼らの寿命は2年前後と言われることもあり、スズメを見ると「がんばれ」と心で叫んでいる。

本日午後、樹下美術館にいると近頃珍しく十羽ほどの群が水盤に来ていた。殆どが嘴の根元が黄白色で今年生まれの若鳥だ。不思議に思うのだが親鳥たちはこの時期どこにいるのだろう。

また二年前後の寿命であれば春に生まれた個体と盛夏に生まれたものとでは、人間にすると30~40才ほどの年令差があることになり、同じ0才児でもオジサンと坊やが混じり合っていることにもなる。

 

 

 

スズメの愛らしさは丸い頭と
地味な羽色と頬の黒い斑点。
そして小鳥共通の細い足。

煙突女学校で労働組合の委員長に推された騒動 市長の学歴差別。

2024年9月6日(金曜日)

世の中には様々な学校がある。しかし「煙突女学校」という名は珍しい。かって在宅訪問先で60代半ばの女性Aさんが仰ったその名の実はいわゆる学校ではなく、富山県のある紡績工場のことで、社員がそう呼び一部に伝わったものだった。
名の由来はまず工場に印象的な高い煙突があったこと、入寮すると仕事のノウハウのほか一般教養から作法(茶道、華道など)や楽しい催事などがあり、学校の雰囲気があったことが一番。そのため家庭の事情などで高校進学が出来まかった彼女達は会社(寮)のことを「煙突女学校と呼んだらしい。

このことについて2011年のブログに二度書いた。
煙突女学校
煙突女学校アルバムから

Aさんから話を聴いたのは2011年だった。100才近いお母さんを在宅で診ておられ、訪問時の何気ない会話から、専門語も口にされたのに感心し、ちなみに、と言ってお仕事や出身校を尋ねたのが始まりだった。
その時Aさんは、自分は主婦で、卒業は「煙突女学校」です」と笑いながら応じられた。その後お母さんのことで時々彼女とお会いすることがあり、さらにお聴きしたり、アルバムをお借りして書いたのが上掲2つのブログになった。

お母様は亡くなられているが、本日たまたまお見えになったYさんに「煙突女学校」から随分経ちましたね、と私から切り出した。するとああ恥ずかしい、と仰り、促されると次のような話を追加された。

15才で入社して寮に入った。17になった時、労働組合の委員長になってという話が持ち上がり、ほぼ決まりかけた。たった17才の中学校出、政治も経済も何も勉強してない自分には出来ない、そもそも皆を代表するような人間ではない。絶対にイヤだと断り、ついに富山県から家に帰ってきてしまった。

すると会社と組合の人が訪ねて来た。もう帰らないと言うと、分かりました、委員長はいいから、あと10年は会社にいてもらいたい、と言って帰った。親と相談して戻ることになったが、自分の代わりに委員長になった人には済まない気持でいっぱいだった。

再び務め始めたが7年後、結婚を機に会社を止めた。その10年間、色々なことがあったが、沢山勉強させてもらい、自分は「煙突女学校」の卒業生として今でも会社には感謝していると明るく仰った。
ちなみに「煙突女学校」をググると国立国会図書館サーチというサイトに「哀歓・想い出の煙突女学校/[東洋紡績神崎会編]という一冊が一件だけ載っていた。彼女の会社はそこだったのだろうか。

当節上越市長は学歴について差別的な発言をして問題になっている。
人は学歴では無い。学歴はあっても無くても1個人として存在価値があるうえ、だれしも社会に出てからさらに成長する。

かって外洋帆走ヨットのクルーに入れてもらった。仲間はとび職、自衛隊員、販売員、エンジン工などでいずれも高校出だった。みな賢く、体力があり、世相に敏感で勇敢、何かと私は恥ずかしかった。
また10数年前、最後の小学校の同窓会があったとき、昭和30年代に集団就職した中学校出の級友の話が一番面白かった。

高宮さんご夫婦の水彩画展が始まって。

2024年9月5日(木曜日)

本日「透明水彩 高宮あけみ展」の初日を迎えた。この日私の循環器内科受診日だったので出だし時間の様子を見る事は出来なかった。
診察を終えて午後一時ころ美術館に着くと上越タイムスの記者さんが来られていて、あけみさんは熱心に取材されていた。知り合いの方、初めての方々、加えて高宮さんの地元横浜から生徒さんのご家族三人が遠路来館されるなど賑やかにして頂いた。

若い方たちにも丁寧に観て頂き感謝に堪えない。当地は1週間ほどお天気は良さそうで、かなり高温の予報が出ている。しかし朝夕は涼しく、影法師も少しずつ長くなり、温暖化と言えど秋は確実な歩みを進めている。いつしか文化芸術に親しむ雰囲気になって来るのも不思議な事だ。どうかお暇をみて高宮さんご夫婦の幸せな水彩画展をご覧ください。

本日はpc不具合の調整もあり、何かと慌ただしく過ぎて珍しく写真無しとなりました。

今後ともブログもまた宜しくお願い致します。

明日から「透明水彩 高宮あけみ展」。

2024年9月4日(水曜日)

本日空は澄み少しく暑かったが気持ち良い風が吹いた。そして「透明水彩 高宮あけみ展」の展示準備を終え明日の初日を迎えることになった。

昨年12月、ご友人と樹下美術館を訪ねられた高宮さん夫婦。あけみさんの水彩画と正明さん額装による企画展は遠隔からの打ち合わせや準備のための来館を重ね、いよいよ始まることになった。


風景、人物、生活、旅行などバリエーション豊かに表情豊かに並びました。同じ多摩美術大学出で神奈川県生まれと福島生まれのご夫婦が意見を交わながら生まれたであろう一点一点は明るさと湿潤がほどよく調和した幸福な作品に見えます。

会場の一隅にショップとして小品や絵はがきの販売コーナーを設けました。

額は正明さんが美術店の余剰品をリメイクされたり最初から自ら制作されるなどされ、作品にオリジナリティと温かな手作り感を与えています。

今年も美術の秋を迎えました。初秋のひと時、お暇をみてどうか樹下美術館をお訪ね下さい。

急に冷えた日 痛みの少ない高齢者の帯状疱疹。

2024年9月2日(月曜日)

本日は涼しいを越えて肌寒く、かと言って長袖もまだと考えられる日だった。車の車外気温は23℃を示していた。

23℃を示していた車。

本日雨の樹下美術館。

小さな診療所でも相変わらずコロナやその疑いの方は少なくない。また原因が判然としない高齢の発熱の方の往診先で、床ずれでしょうかと家族に言われて診ると極期の帯状疱疹だった。熱の原因と考えられ、高齢者の痛みへの鈍さをあらためて知らされた。

明日は再び暑くなる予報。私もまた何かと気を付けなければならない季節の変わり目となった。

高宮さんご夫婦の水彩画作品 昨日の夕焼 朝夕に幾分の涼しさ。

2024年9月1日(日曜日)

台風は風よりも水の害を残して消えたようだ。かって海辺で竜巻をみたことがあったが、陸地に上がるとほどけるように渦が消えた。台風といえどもその渦は陸地が苦手で、上陸すると少なくとも風は弱まる傾向があるのではないだろうか。
但し雨に関しては一旦形成された雨雲は衰えず、しばらく影響を及ぼすようだ。

本日は5日から始まる「透明水彩画 高宮あけみ展」に向けて届いている作品の確認と一部撮影をした。多摩美大出身のご主人・高宮正明さんによる手作りの額装が水彩画の親しさにマッチし感心させられています。

撮影した小品から。
額装はご主人。

この1週間の雨で庭の草は大いに伸びている。それで夕方雑草取りを始めるとキリがなくなり、かなり時間を費やした。草は取るだけきれいになるので始めると止まらない。しかし終えるとただ事では無いほど腰が痛かった。

終わって見た夕刻の空は日没後も赤く染まっていた。台風前後の空は時に劇的な色や形になる。

西頸城地方の夕焼け。

妙高連山。

本日陽光は強く残暑はきびしかった。それでもこのところ朝夕に幾分の涼しさを、水道に僅かながら冷たさを感じるようになった。

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