2024年3月2日

小学校の地域学習をされたKさんから。

2024年3月2日(土曜日)

先日大潟区土底浜のKさんが小学校の地域学習で大潟と棟方志功についてお話された。その折樹下美術館収蔵の棟方作品「米大舟頌」をお貸ししました。昨日無事終わりました、と返しにこられました。

一緒に頂いた当日の資料は1.棟方志功の紹介、2.昭和35年に大潟町小学校文化祭で棟方志功版業展が開催されたこと、3.郷土の芸能「米大舟」を見るため昭和25年大潟町渋柿浜「専念寺」さんに泊まられたこと、4.専念寺で志功が米山の絵を描いたこと、5.海岸を地域のファンと散歩したこと、6.志功が海岸を走り、同行していた写真家濱谷浩氏がその姿を撮影したこと、6.戦後大潟町土底浜に直木賞作家小山いと子さんが疎開されていて、棟方が表紙を担当していたこと、など分かりやすく図入りで作成されていました。

掛け軸の「米大舟頌」

頂いた資料によると、米大舟頌が掲載されている東方出版の書物には“昭和34年ニューヨークのロックフェラー財団に招かれた際この作品を名刺代わりに使用した”旨書かれていました。
なお大潟海岸を走る志功の写真は、青森市の棟方志功記念館入り口に掲げられているということです。

丁寧なK氏は御礼と言って風呂敷を下さいました。風呂敷は、「棟方志功作 龍胆(りんどう)柵 版画風呂敷 光徳寺」と書かれた箱に収められていました。

箱の外観。

大きくて丈夫そうな風呂敷。

棟方志功は先の大戦で昭和20年から26年まで足かけ7年、東京を離れ富山県福光町(現南栃市)の光徳寺へ疎開しています。躅飛山(ちょくひさん)高徳寺とその地を気に入り小庵「鯉雨画齋りうがさい」を建てて居住し、福光時代と呼ばれる貴重な期間を過ごしました。

風呂敷にはお気に入りの桑山と光徳寺が描かれ和歌がしたためられていました。

桑山も躅飛の院も秋ならむその裾やまの龍胆(りんどう)咲けるや

この和歌は「桑山も」の題で歌になり南砺市で歌われているようです。

それにしても昭和35年、大潟町小学校文化祭に棟方志功展が催され、22点の版画、4点のヤマト絵、3点の色紙、6点のふすま絵と屏風絵ほか書籍、色紙や手紙類など多数が出品されたことに驚かされます。大潟から直江津にかけて熱心なファンが大勢おられ、昔の方が地域に豊かな文化があったと言われれば今や一言も無く、何か申し訳ない気がします。

一方学校で懸命に児童に地域の話をされるKさんに頭が下がります。

さて話変わって食べ物です。以前から肉無しニンニク無しの餃子をネットで探していました。すると先日見つかって注文。昨夜早速頂きました。このような餃子は昭和30年代に母がよく造り、未だにそれ以上の餃子は無いと思っている次第です。

素朴で美味しかった餃子。
台湾産でした。
少々焼き過ぎでした。

髙松の讃岐うどんもそうでしたが、美味しさの要素に「素朴」が挙げられないでしょうか。“体に馴染む美味しさ”という感じですが、如何でしょう。

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