2024年3月

楽しい初ゴルフ 紅麹、健康食品(機能性食品)、水原一平氏は。

2024年3月31日(日曜日)

日は射していたが気温が上がらなかった本日日曜日、米山水源CCで今年の初ゴルフ。親しくして頂いている同業ご夫婦とご一緒だった。


フェアウエーではトップばかり、ドライバーはあらぬ方へ飛び、時には真横に打ち出すなど散々で、短いアプローチは何度もシャンク。滅茶苦茶なゴルフを終始「真剣」に行った。
プレーは不味くとも、ゴルフを始めたばかりの20代のころに「若返った」ようで、そう悪い気がしなかった。昼食に美味しいチャンポンを食べると、後半には幾分調子が戻って来た。

地震の体験を話し紅麹のことも触れた。紅麹では私のところに当該の商品袋を持参され、三ヶ月飲みましたと仰られ、検査中の方がいる。ようやく大規模な健康食品の見直しが行われると言うことだが、様々な合成成分や薬剤成分が入ったものを「安心のお化粧」を施して「食品」と名乗らせるのは果たしてどうなのだろう。

その世界で「血圧高め」、「血糖値高め」とくくられる人々は曖昧な「健康食品(特定機能性食品)」の消費者ではなく、ちゃんとした責任関係で結ばれる「医療」で治療するほうjがよほど真っ当だと考えられる。

変わてもう一つ、違法賭博の問題で渦中にある水原一平氏の行方が、一部で泳いでいる如くいろいろ言われる。門外漢であるが、氏は韓国内で早々に出頭し厳重に保護され、正式な捜査ルートに従って帰米、米国当局に身を委ねているのではないだろうか。

氏にとって身を隠し潜伏するなどは何の意味もないだろうし、可能な訳が無い。

館内のノートから スマホのレンズ機能 クリスマスローズ。

2024年3月30日(土曜日)

コロナが5類になった昨年からカフェなどで再開しました感想ノート。時々ハングルで書かれる方がいましたが、読めずにいました。
ところがスタッフの一人がスマホのレンズアプリを用いて一瞬にして日本語訳が画面に現れるの見てびっくりしました。
その機能は私のスマホにもあり、試したところちゃんと出るではありませんか。

知らなかったのは私だけ、英語は勿論ハングル、中国語はじめイボなどという知らない言葉も入れて100数10の言語が可能らしく今後楽しみにしたいと思いました。

真ん中にハングル。

“美味しくいただきました。またお姉さんと一緒に来たいです。有り難うございました。”と書かれているようでした。

例年半年ごとにノートに残された文をまとめてホームページ「お声」欄に掲載させて頂いていますが、時に応じて本欄にも書かせて頂いています。
以下最近のメモから一部を掲載させて頂きました。

妻のご機嫌取りに来ました。すてきな時間でとても心地良かったです。また来ます。
↑いいですね。ほっこりします。冬が終わり、オープンするのを楽しみにしていました。雨でもすてき。音楽も店員さんも優しく良い時間を過ごせました。最近はつらいことばかりで、父、21年一緒にいた愛猫がいなくなってしまって。でも前向きに自分で自分の機嫌をとらなきゃ。なので、ここの存在に感謝します。ありがとうございます。
とても心地良い空間でした!東京にも出店して下さい。特に南大沢をススメます。
私はカレーを食べたぞ!カレーが美味しすぎた。またカレーを食べに来たいと思います。

お客様同士の反応、辛いときの訪問、好評なカレーetc。そして東京出店希望にはびっくりでした。
開館2週間ですが、上掲ほかノートも好調のようです。今後もどうか宜しくお願い申し上げます。

本日は温かな土曜日。あちこちで
クリスマスローズが盛りを迎えました。

上越市大潟区の特養「しおさいの里」の配置医師を終える。

2024年3月27日(水曜日)

異様な寒さに「冬のしっぽ」などと揶揄していた三月も間もなく終わる。そんな月末の本日は、配置医師として平成12年から一時期中断を挟んで週一お世話になった特別養護老人ホーム「しおさいの里」の最終回診日だった。

数値や症状が心配だった方を病院に紹介すると確定診断がついて入院され、何人か不安定な方たちが不思議と落ち着きはじめ、ほっとしつつ最後の出務を終えた。

医務室を出てエレベーター前に来ると園長はじめスタッフが20人近く集まってきて、園長が挨拶し婦長から花束を渡された。

思えばここにくるきっかけとなった介護保険制度のはじまりのころ、悲惨とも言うべき在宅高齢者の状況と処遇の行き詰まりを強く感じていた。
働きながら世話するお嫁さんの悪口を窓を開けて大声で近所に訴えるおばあさん。しゃがんだ便器にはまり出れなくなったお年寄りの寝床は大便だらけで、半身には褥瘡が連なっていた。

介護保険は準備が出来たところから内容が担保される真っさらな制度だったので医師会を通して粘り強く自治体に働きかけ、県から人が来てヒアリングも受けた。テーマが現行の自治体保健婦→新たなケアマネージャー誕生の可否と課題だったことは懐かしくも象徴的な制度要点だった。

理解が必要な当時の首長や団体の要人達は「介護保険の世話にならないよう普段から体を鍛えればよい」「昔から町内には恵まれない人が一定数いたが世間でなんとかしてきた」という考え方が一般で、その後に「先ずは景気を良くすることが大事だ」が加えられた。
同じ話に対して時には眼から涙を飛ばして「何時か皆さんもその時が来る、今からでないと間に合わない」と言って制度の重要性を訴えた。
介護保険が始まり10年、15年経つと、そのように仰っていた人々は新たに生まれた「ケアマネ」をキーに動く制度の中で無事在宅や施設で過ごされ生涯を終えられた。

それにしても私のあとを継いでくださる若い医師の気持を本当に有り難いと思う。どうか「看取り」などでは特に他の配置医師たちと協力しあい、自らの身体と仕事、なにより家庭を大切にされて続けて欲しい。

偉そうに言うわけではないが「終わり良ければ全て良し」。高齢者福祉は国の最終基盤であろう。
厳しい現場とスケジュールに追われる看護・介護のスタッフの皆さんには、どうか止めずに頑張って頂きたいと心から願っている。そのために地域の施設同士がもう一度強くまとまり、交渉力を高めることは今一度必要ではないだろうか。

 頂いた心尽くしの花束。

何か急に年をとったように感じながら家に帰ったが妻が入れてくれたお茶とケーキを食べて一息ついた。

「しおさいの里」の皆さま、本当に有り難うございました。

お話とお茶会 寒さが方向転換 庚申待ちの大河ドラマ。

2024年3月24日(日曜日)

さすがの寒さもS氏の言う通り彼岸を過ぎたら変わり、本日は温かだった。そんな日髙田仲町の「百年料亭 宇喜世」でフカミ美術主催の「お話と茶席」の会があった。

心づくしの食事の前、長野県須坂市「豪商の館 田中本家博物館」から来越された田中家12代当主田中宏和氏が話をされた。苦労の末商いを拡張し須坂藩を支えた田中家。20人分のお膳が8セットも必要だった豪商の生活と藩と浮沈を共にし荒波を乗り切った勤勉な信州人の骨頂は一種カルチャーショックだった。

茶席は二席で最初は井上宗皋(そうこう)先生の濃茶席から。味わいを高めるお軸とお道具類は重厚、一方お花の春蘭、炉縁の赤味と先生の応答に春の明るさが漂っていた。

向こうから古薩摩の茶入れ、
珠光青磁、左入の黒楽、木米のお茶碗。

次は佐藤宗佳先生の薄茶席。点茶盤によるお点前で私達は椅子に座る立礼(りゅうれい)だった。

席主さんが好きだと仰った七宝の杓立てと建水の青は、ようやく現れた青空の色だった。二席で頂いたお茶とお菓子はとても美味しく席主さんの人柄が表れた温かなお席だった。

 

そして今夕の大河ドラマ「光る君へ」は道長の結婚ばなしが「庚申待ち」の夜長とともに様々繰り広げられた。

庚申の夜、
道長の結婚に沈むまひろ。

まずドラマに庚申待ちが登場してびっくりした。当時から中国伝来の道教思想の一つとして、身体に密かに住む虫が60日に1回庚申の日の真夜中、就寝中の体から抜け出して天に昇り、自分がいた人の悪行を天帝に告げるという信心が始まっていた。これを防ぐため人々は夜遅くまで寝ずに過ごした「庚申待ち」の習慣。
後に庶民に広く浸透した行事は当初僧や貴族から広まったと聞いていたが、登場人物たちが自身の問題を抱えながら様々にその夜を過ごすのを観て、ああこんな場面があったのか、と興味深かった。

2019年2月に訪ねた
京都八坂庚申堂
今夜紹介されていた。

偏りもあろうが主に地方では時折社寺や路傍に庚申塔を見る。京都、奈良の中心的な古都では少ないと聞いていたが2019年の旅行で“本家”と言っても良いような立派なお堂を両市で見て喜んだ。

今夕久し振りの近隣、
四ツ屋浜の夕陽。

あらためて春彼岸を思う。

2024年3月22日(金曜日)

1週間ほど前、当院に通われるS氏に三月の寒さを嘆き、一体この寒さは誰が決めているのだろう?と愚痴った。すると彼は「俺が決める」と笑いながら言い放った。
私より三つ若い彼とは子供時代よく遊んだ。年経て退職以来地域の役職やボランティアを積極的に引き受け、ハキハキとして真っ直ぐな性格は小学時代から変わりが無い。

その彼がこの寒さは自分が決める、という。「実際どうなの?」と訊ねると、「せいぜい彼岸まででしょう」と言う。
ああ彼岸というものがあったんだ、と暦を思い出した。
「そうだね、そうだね、彼岸というものがあったね、それまでだ、間違い無い」と私は喜んで相づちを打った。

するとその春彼岸20日は厳しい寒波となり翌21日はうっすら雪が積もった。だがこの両日の空は溜まりに溜まった寒さを滓(おり)を吐き出すようにして清算したのか。それが証拠に本日午後は見事な青空になったではないか。

昨日仕事場の水仙。

本日同じ水仙。

 本日株立ちのカエデが
抱えていた小さな残雪。

 本日午後の青空と
樹下美術館のコブシの蕾。

暑さ寒さも彼岸まで。長年それで来ていたのに今年の寒さは切りがなく、全く浮かばなかった。だがS氏はちゃんと頭に入れていて寒さを自分が決めると言った。

彼岸を忘れる寒さは年のせいか、まあいい、まあいい、と真っ青な空を見上げ、暦に従ったS氏を頼もしく思った。

悪天候の春彼岸 本「良寛の生涯と芸術-慈愛に満ちた心-」。

2024年3月21日(木曜日)

10日も前から昨日春のお彼岸と翌本日は悪天候と予報されていた。お彼岸と言えば穏やかな日和を一瞬思い浮かべるが両日は雪マーク付きの悪天候が知らされていた。

20日の昼の駐車場。
寒風の中お客様が見えていた。

 そして本日朝方から寒さがつのり仕事場では積雪がみられた。

仕事場の庭の水仙。

 昼前、いっとき陽が射して美術館の窓際で「良寛の生涯と芸術」を読んだ。

つかの間の日射し。

 何のマユだろう。
強靱な糸で編まれていた。

午後、ウィキペディアを書いてくれる方が見えご一緒した。優しいのに突破力のある人で作業がはかどった。

午後再び美術館でサラダを食べ本を読み、お客様と話しをした。

良寛の生涯と芸術」。
小島正芳著
令和6年1月1日考古堂書店発行

本著は本文500ページという大著ながら文、活字とも柔らかく非常に読みやすい。著者小島正芳氏は新潟大学教育学部書道科を卒業され新潟県立文書館や教職を歴任、この間50余年もの歳月を良寛研究に捧げされ,多数の論考、著作を重ねられている。

まだ60ページを過ぎたばかりだが、北前船と佐渡金山に向けて開けた港町出雲崎で要職を継ぐ名家に生まれた良寛。学問への勤しみの傍ら親子共々理不尽かつ激しい競争が繰り広げられる港町の勢力争いの惨さをまともに受け追い詰められ、ついに出家を決心する。

たまたま備中(岡山県)玉島円通寺の国仙和尚と巡り会い、いよいよ同寺での修行のため二人で旅立つ所まで読み進んだ。両親と別れ際の詩、特に母の場面は涙無くして読めない。

折々の発句、詩歌および関連資料や写真が次々掲載され、現実感を伴う波乱を追いながらいくらでも読めそうな気がする。生地の困難と出家、遠地への旅、修行と印可、長い行乞行脚、京都に於ける父の入水、帰郷、ふる里の人々と子らとの日々、晩年の貞信尼との恋、、、。

本書あとがきに「良寛の研究はやればやるほど更に深みが広がり、奥深い」とあった。ますますトゲトゲしく混迷し不確定化する時代。本著の「慈愛に満ちた心」をテーマに「良寛」がNHK大河ドラマで取り上げられるなら何と素晴らしいことかと思った。

樹下美術館のカフェでドライカレーが新たなメニューになった。

2024年3月18日(月曜日)

本日も寒く午後車が示していた気温は6度だった。

ところで今年からカフェのメニューにドライカレーが入った。開館後4日経って8食の注文があったという。今まで軽食はパン類なのでお米メニューは初めて。宜しければお試しになってみてください。

ピクルスと野菜サラダそしてポットの珈琲また紅茶がつくセットで1200円です。

以下はメニュー表に掲載されたドライカレー。

本日はまた非常に寒かった。

近隣の雑木林の向こうの大きな雲。強風下でさまざまに姿を変えていた。何かプロレスラーのような表情です。
庭を巡ると風は強く頬が痛いほどだった。

寒い庭でクリスマスローズが
花盛りになっている。

明日午後から寒波が到来し一時雪が降りそうな予報。この予報は2週間も前からずっと出ていて、恐らくその通りになるのだろう。

天気予報はかなり先まで当たるのでとても感心させられる。悪天が予想される明後日は春分の日の祝日で初ゴルフを予約していた。本日申し分けないけれどキャンセルにさせてもらった。

2024年が開館 近隣の新しいフレンチで夕食。

2024年3月16日(土曜日)

本日2024年の開館日、風強かったが晴れて温かい初日になった。昨年12月16日以来の冬期休館、歳月は一段と早く、宿題も残しながら出発となった。

30人ほどのお客様は例年以上の初日。展示は面白く楽しいと言って頂き、カフェでは新顔のドライカレーもオーダーされた。
お客様とともに本年も無事過ぎるよう祈るような一日だった。午後仕事のためお会い出来なかったお客様、今年もどうか宜しくお願い致します。

開館に向けて何かと忙しかった妻と上下浜の「フォーブル」で食事した。今年1月、海が見える場所に開店したカジュアルなフレンチで、新鮮な食材が創意工夫され五感に美味しい夕食を堪能した。

 

18:30ころの店のベランダ。
暮れる海が見える。

豊かな山海の前菜。

カニが載ったリゾット。

久し振りにメインの魚、肉をこなしデザートまで年を忘れて美味しく食べた。潟町の仕事場から車ですぐの場所。地域が美味しくなるのは幸せなことだと思う。

本日2024年樹下美術館のスタート、皆さまには本年もどうか宜しくお願い申し上げます

今年の倉石隆の展示「兎に角生きる 展」の仕度が終わって。

2024年3月14日(木曜日)

開館して18年目の今年、倉石隆の展示準備が終わりました。

今年のテーマは「兎に角生きる」です。果たして作品がテーマに添っているか、倉石氏はそのつもりで描いたか、私には確固たるものがあるわけではありません。

ただ開館して17年が過ぎ、一種はたと気がついたのが、かなり多くの作品は尊大な(偉そうな)雰囲気や主張があるわけでは無く、氏の周辺で生活している人々の「普通さ」を一生懸命に描いているのではないかということでした。

人生になにがしか目的や目標はあろうと思われます。しかし知る限り、普段その日々は「兎に角生きる」の連続なのではないでしょうか。

大家が好んだ美人モデルや舞妓さんに踊り子さんなど鑑賞を伴う特別な対象とは異なり、ひごろ駅や街中で見かける人たちの「生活感」や「普通さ」を敢えて「肖像」として描こうとする。これは挑戦であり、一面容易な仕事ではなかったのではと思うのです。

現実にそれをする時、作者の技術もありますが、なにより自身が如何に真剣に周囲の人(自分を含め)を見てきたかが問われたのではないでしょうか。

 それぞれの年代を
精一杯「兎に角生きる」。

さあ出発のうぶ湯。
まずは兎に角生きる。

青春、壮年、
みな「兎に角生きる」。

時として人は「孤独」かもしれません。しかし作品を架け眺めますと、日々精一杯「兎に角生きる」点でみな一緒という「共通項」が浮かび「安心」が生まれるように感じました。

わずか12点の展示です。ご覧頂ければ有り難く存じます。

裏の桜に来ていたカワラヒワ。

本日午後、外は暖かく鳥たちの声が聞こえていました。温かくなると早速現れる小鳥たちは今まで何処にいたのでしょう。

春雨とは遠い冷たい雨 齋藤三郎作品の展示準備。

2024年3月12日(火曜日)

二日前に一日だけ晴れ間を見たが元の木阿弥、本日もシトシトと冷たい雨が降り続いた。そういえば「春雨」というのもあった、と懐かしく思い出した。

春雨ならばこれほど冷たいはずがない。どこか甘やかで草花の芽や蕾に優しい風情があったではないか。ただ寒いだけなのは年のせいばかりではなかろう。

昨日から今年の展示に向けて作業を始めている。展示は雰囲気が大事でプランだけでは駄目、やはり置いてみなければ分からないのであっちへやったりこっちへ戻したり、キャプションを変えたり色々楽しく試行した。

絵画室にも出して「ばらこくたい」。

木瓜(ぼけ)と飛鉄(ひてつ)文の台など。

松とカボチャの花、百合、スギナなど。
松の鉢は箱に皇紀2600年(昭和15年)
と制作年が記された若い時代の作。

ザクロと柚子の台。

 

手前は四季折々の植物の陶板セット。
向こうは竹の水指と湯呑。

数えてみると文様(図案)は植物や風景および詩文などで48種、器の数は89品になりました。文様は人気だった椿だけで数十になりますが場所を取るので三つだけにして出来るだけ多くの展示を心がけました。

当館にしては賑々しい感じですが、どうか齋藤三郎の多様性をご覧下さい。いずれもう少し詳しくお知らせするつもりです。

この先倉石隆についてもお知らせして参ります。

厳しい寒さの日曜日。

2024年3月10日(日曜日)

本日も大変寒く美術館付近はいっとき白くなった。午前は開館に備え来館者さんにお配りする齋藤三郎と倉石隆の展示品説明文を書いた。
午後庭に行くと男性スタッフが分厚く積もった庭と路地の冬落ち葉を電動ブロワーで吹き払っていた。便利な道具があるもので、建物を囲む玉石の面倒な落ち葉もこれで取ったという。明日は晴れますので集めます、ということ。明日でなくとも開館まで晴れ間はあることだろう。

寒かったがそうとばかり言っていられず、ゴルフ練習場へ行き200球打った。年取ったのに練習すれば上手くなると考えているのは一種「業」のようなもので、年々下手になっているにも拘わらず「去年より上手くなりたい」と思うのはもうどうかしている。

帰って庭仕事。過日の秋葉区行きで求めた草花を植える土を造り予定場所に入れた。馴染ませて開館後植え付ける予定。これまで肥料が濃すぎたきらいがあるため肥料分は広く深くし、根が接する部分はあっさりと赤玉と鹿沼だけに変えてみた。

以下は庭の様子。

 2月17日の同じ花。

 南の日陰の残雪。
不思議な残り方。

 1月9日に取り替えた卓上メモが一杯になった。

カレンダーの裏側を使っているが、
このたびは小さめで交換が早い。

夕食は」カレイの煮付け。

それにしても本当に「三月は冬の尻尾」で、暖冬の後は「厳春」。風情もへったくれも無い寒さ。ゴルフと庭仕事は貼るホッカイロを使った。

「三月冬の尻尾」 ヴィヴァルディ「四季」の冬の楽章が3、2、1へ。

2024年3月9日(土曜日)

本日はせいぜい3~4℃で午後寒風が吹き雪が舞った。大抵の人は2月の方が温かかったと仰るようにこのところ空は荒れ模様です。これまで3月のことを「冬の後始末」と呼んできましたが本日「三月冬の尻尾」に変えました。かように昨今とても春とは言える気象ではありません。

そうは言えば午前中は日射しがありました。

今朝玄関にあった寒桜の枝。

時々玄関先に野菜や花が届き有り難いことと感謝しています。

午後から一転小雪が舞いいっとき辺りは白くなりました。

路傍の緑が一人春だと告げている。

今年2月5日に第3楽章、2月7日に第2楽章を掲載させてもらったヴィヴァルディ『四季」から「冬」。逆行でしたがようやく本日第1楽章を載せて終わりました。

リアルな冬もこれでお終いになればと願っていますが、まだ寒波は来るのではないでしょうか。

今年の開館15日までわずかとなりました。このところ開館準備のほか今年3月で週一通った特別養護老人ホームを止めることになり、後を継ぐ方に30人分ほどの情報提供書を書きましたので気ぜわしい期間でもありました。

3月15日(金)から始まる今年の開館。倉石隆「兎に角生きる 展」、齋藤三郎「齋藤三郎の文様 展」、そしてカ「フェ」はじめ「庭」を今年もどうか宜しくお願い申し上げます。
開館前は毎年緊張します。どうか無事な一年でありますように。

先週末の新潟市秋葉区訪問その2 新潟県立植物園。

2024年3月5日(火曜日)

去る3月3日曜日の新潟市秋葉区へのお出かけ掲載は、本日新潟県立植物園となった。
皆様はお出かけになった方も多いと思われるが私はここも初めてだった。
いくつかの行きたい場所が隣り合うようにあるのは、荒天では特にとても助かった。

季節が良くなれば丘陵を背景に望まれる水場や芝生ののびのびとした風景を見てみたい。

大きなドームを有する植物園に期待が高まる。

入ってすぐの親子のコーナーでおとぎ話と植物をファンタジー風に展示。上掲は赤頭巾ちゃんのリンゴ。美女と野獣、ジャックと豆の木ほかがあしらわれ、光のトンネルを通ってエリアに入る。次回は「はなとしあわせ」ということでとても良いテーマだと思った。

高い岩から数本の滝が落下している。ドーム内を満たす水の音が館内の雰囲気を生き生きとさせる。

オオギバショウの葉と花を見上げる。
左側に立つものが花のようだ。

ソーセージの木。

ダリの絵の中にいるような気分。

ひそかに咲いていた蘭。

食虫植物「ウツボカズラ」。

ベトナム北部のカイドウツバキ。

白花ブーゲンビリア。

ニューギニアのツツジの一種。

ドーム内はエキゾチックな南国の森を思わせ、手軽な旅行気分を味わうことが出来た。

天井の様々な環境コントローラー。
光、温度、湿度、気流などを管理
しているらしい。

見事だったアザレアの展示。

アザレアは江戸時代から西洋ツツジとして人気になった。現在秋葉区は日本最大級の産地だそう。本来の開花時期は4月~5月だが冷蔵管理などによって秋から冬の鉢花として親しまれている。咲き揃ったバリエーションとボリュームは圧巻だった。

以下は最後に見た水中植物のセクション。

神秘的な緑と愛らしい
熱帯魚に心休まる。

交通の要地新津。旧新津、小須戸、白根は江戸時代から現代までヤブコウジ、ボタン、チューリップ、アザレアなど内外のブームと同調しつつ研究を重ね今日成果がが実を結んでいる。新潟県といえば米と相場が決まっているなか、雪国にあって花を選んだ先人の見識に驚かされた。

寒風と氷雨のなか出かけた秋葉区金津。一か所に集まっている美術館と植物館そしてフラワーランドを楽しませてもらった。

かねが.ね当植物館を勧めてくださったS氏に感謝いたします。

新津美館でかってお世話になった松沢寿重館長にお会いできたのも幸運でした。

先週末の新潟市秋葉区訪問その1 フラワーランド、新潟市新津美術館。

2024年3月4日(月曜日)

昨日日曜日、新潟市は秋葉区金津へ行った。同区の新潟市新津美術館を訪ねること、隣接するフラワーランドと向かいの県立植物園が目的だった。

かなり遠距離なので出来るだけ高速道路が良いのだが、ナビは予想に反しずっと手前の燕・三条インターで下りるように指示した。しかし過去の秋葉区行きに従い、距離は長くなるようだったが磐越道を走った。

懸案の三施設は丘陵地の入り口でお互いが隣り合うようにあり、私は初めての訪問だった。
近い順からまず花の街、秋葉区の新津フラワーランドに入った。

新潟県最大を自称する大きな施設。

沢山あった雪割草、1万円前後の高価なものが揃っていたが自分たちは千円ほどの3点を選んだ。それでもきれいなものがあった。

 驚くほど大きな実をつけたヤブコウジ。
見るだけにした。

黄色が美しい花が多く付いたクリスマスローズを2鉢と樹下美術館駐車場脇に植える予定で白梅の苗木1本を求めた。冷たい雨降りにも拘わらず館内は鮮やかな花々と人で賑やかだった。

続いてお隣の新潟市新津美術館へ、傘を差せないほど強風の空。

スケールの大きさに圧倒される。
一階のアトリウムは白色大理石の
造形的な階段だった。

 同館では「笹岡了一と新潟光風会の作家たち」展が1/20(土)~3/10(日)の間、開催されている。
以下いずれも展示されていた笹岡了一作品のごく一部です。撮影OKでした。

「習作」(左)1931年と少女の習作(右)
優れたデッサン力は生来の賜物では
ないだろうか。

タイトルを見損ねた戦地のひとこま。
従軍した者でなければ描けない
転戦の合間に訪れた時間。
優れた構図の大作だった。

「纏足」
1946年 116,7×91,0㎝

「丘の村(ESPEJO」
1982年

笹岡了一氏は1907年(明治40年)生まれ。早く画業に勤しみ20才から38才まで繰り返し応召、頻回の戦場体験は生涯深く作品に反映されていると感じた。
氏は精力的な発表の傍ら日展審査員、日本美術家連盟委員を歴任、新聞小説ほか挿絵、美術書で活躍、他方後進と地域貢献に注力され、光風会館建設を主導されている。

79才の没年には600名が参列する流山市の合同葬が行われ、夫人によって163点の作品が新津市に寄贈され同館の中核である笹岡作品の礎になりました。

本日はこの辺でお終いにし.て次回新潟県立植物園を記載する予定です。
昨夜から今朝に掛けて雪が降り当地周辺では5~15センチは積もって除雪車が出ました。

文中誤記多く申し分けありません、視力が落ちていて近々受診を予定しています。

小学校の地域学習をされたKさんから。

2024年3月2日(土曜日)

先日大潟区土底浜のKさんが小学校の地域学習で大潟と棟方志功についてお話された。その折樹下美術館収蔵の棟方作品「米大舟頌」をお貸ししました。昨日無事終わりました、と返しにこられました。

一緒に頂いた当日の資料は1.棟方志功の紹介、2.昭和35年に大潟町小学校文化祭で棟方志功版業展が開催されたこと、3.郷土の芸能「米大舟」を見るため昭和25年大潟町渋柿浜「専念寺」さんに泊まられたこと、4.専念寺で志功が米山の絵を描いたこと、5.海岸を地域のファンと散歩したこと、6.志功が海岸を走り、同行していた写真家濱谷浩氏がその姿を撮影したこと、6.戦後大潟町土底浜に直木賞作家小山いと子さんが疎開されていて、棟方が表紙を担当していたこと、など分かりやすく図入りで作成されていました。

掛け軸の「米大舟頌」

頂いた資料によると、米大舟頌が掲載されている東方出版の書物には“昭和34年ニューヨークのロックフェラー財団に招かれた際この作品を名刺代わりに使用した”旨書かれていました。
なお大潟海岸を走る志功の写真は、青森市の棟方志功記念館入り口に掲げられているということです。

丁寧なK氏は御礼と言って風呂敷を下さいました。風呂敷は、「棟方志功作 龍胆(りんどう)柵 版画風呂敷 光徳寺」と書かれた箱に収められていました。

箱の外観。

大きくて丈夫そうな風呂敷。

棟方志功は先の大戦で昭和20年から26年まで足かけ7年、東京を離れ富山県福光町(現南栃市)の光徳寺へ疎開しています。躅飛山(ちょくひさん)高徳寺とその地を気に入り小庵「鯉雨画齋りうがさい」を建てて居住し、福光時代と呼ばれる貴重な期間を過ごしました。

風呂敷にはお気に入りの桑山と光徳寺が描かれ和歌がしたためられていました。

桑山も躅飛の院も秋ならむその裾やまの龍胆(りんどう)咲けるや

この和歌は「桑山も」の題で歌になり南砺市で歌われているようです。

それにしても昭和35年、大潟町小学校文化祭に棟方志功展が催され、22点の版画、4点のヤマト絵、3点の色紙、6点のふすま絵と屏風絵ほか書籍、色紙や手紙類など多数が出品されたことに驚かされます。大潟から直江津にかけて熱心なファンが大勢おられ、昔の方が地域に豊かな文化があったと言われれば今や一言も無く、何か申し訳ない気がします。

一方学校で懸命に児童に地域の話をされるKさんに頭が下がります。

さて話変わって食べ物です。以前から肉無しニンニク無しの餃子をネットで探していました。すると先日見つかって注文。昨夜早速頂きました。このような餃子は昭和30年代に母がよく造り、未だにそれ以上の餃子は無いと思っている次第です。

素朴で美味しかった餃子。
台湾産でした。
少々焼き過ぎでした。

髙松の讃岐うどんもそうでしたが、美味しさの要素に「素朴」が挙げられないでしょうか。“体に馴染む美味しさ”という感じですが、如何でしょう。

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