2023年11月
11月末日、木村茶道美術館の皆さま。
今日で11月が終わる。早い遅いは言うまいと思うけれどもやはり早い。今年も樹下美術館は12月15日で終わり、冬休みに入る。
本日午後柏崎市の木村茶道美術館からスタッフの皆さま6名が寄って下さった。同美術館は今日が今年度の最終日で、別の組が本日分を担当されているとお聞きした。
私ごとだが、昭和62年だったか、あるお茶人と同館を訪ね、その人が所作よく茶を服する様子に魅せられてお茶を習い始めたきさつがある。茶道の新米でも実践に木村茶道美術館は全くもって絶好、いやそれ以上はるかに意義ある場所で、何度も通うようになった。
同美術館茶室ではビギナーも未経験の者にも丁寧な説明とともに、見どころある書画から茶器、茶碗、菓子器、釜はじめ茶杓(ちゃしゃく)や香合などにいたるまで一級品の茶道具を揃えてお茶を点てて下さる。
湯が沸く音、注がれる湯水や茶の音、あるいは動作の衣擦れや呼吸などをも耳にして茶が点てらる時間に身を任せる。そしてお菓子を食べ心込められた熱いお茶を、世と我が身の清濁を併せ、ある意味万感こめて服する。
時も味わいもほどよく過ぎる貴重な時間、それがお茶というものではないだろうか。
本日ご来館の一同は「一年間、やはり疲れました」と仰り、皆さまと一緒に和気藹々のひとときを過ごさせてもらった。
本日ご来館の皆さま誠に有り難うございました。
大いに荒れた日。
午後から夕方そして夜へと風雨が強まり荒れた空が続いた火曜日。9月から始まった7回目のコロナワクチン接種が本日終わった。途中からインフルエンザワクチンも加わりそれなりに忙しい二か月半だった。
年寄りの小院でも毎日のようにコロナ陽性の方がみえる。全体に症状は軽くなっていて5類移行は順当だったのではないだろうか。
三日前に打った私のコロナワクチンは接種部位の痛みがこれまでよりも軽く、助かっている。
午後所用で外出したついでに田んぼへ出てから美術館に寄った。
強風のためほくほく線電車は超低速でそろりそろりと上って行った。何度か書いたが今年は刈った跡に生える二番穂の勢いが良く、あたかも刈り入れ時のように田んぼ一面が鮮やかな黄色に染まっている。
以下は美術館カフェでもかかる「枯葉と雨に歌えば」を一緒にしたコーラスです。
レイコニフ合唱団のコーラス。
もう60年も前の録音。
夜ブログを書いていると大いにアラレが降り、雷が鳴り繰り返し短い停電があった。これも今どきの年中行事で、これからが本番。暖冬らしいのだが数年前のように短期間でケタ外れなドカ雪だけは止めてもらいたい。
雪囲いが終わり車は冬タイヤになった。
気持ち良く晴れた日曜日 賢治のこころの本の一節 エナガとコハクチョウ
昨日の悪天候とは打って変わりよく晴れた日曜日。昨日の仕事終了時、コロナワクチンが1本残っていた。これどうしたの、とスタッフに聞くと、先生のですという。
私の場合、全てのコロナワクチン接種は熱は出ず倦怠感もほとんどないが接種部位の痛みが数週間続く。
昼近くに打ち昨夕から始まった左上腕の痛みで寝る向きを決めるのに苦労した。
本日昼少し前に美術館へ出てると寒かったが風は無く良く陽が射していた。スタッフにサラダの大盛りを作ってもらい田んぼのベンチで朝昼兼用のサンドイッチと果物を食べた。
私の食事と読んだ本「宮沢賢治のこころ」。司修(つかさおさむ)さんの章「詩は童話、童話は詩」を読んだ。司さんの本は時空が多様に変化するが、脈絡が丁寧なのでほかの人の章より興味深くまた読みやすい。
賢治が妹とし子の臨終を詠んだ「永訣の朝(抄)」は胸が潰れる思いがする。これまで多くの人を看取ったり経過を看たので臨終の切実は分かる。
永訣の朝(抄)で、とし子は喘ぎながら「あめゆじゆとてちてけんじゃ」と何度か言う。あめゆじは雨雪(雨雪→みぞれ?)ではないかと思ったが(後段にそう説明もあった)、「とてちてけんじや」」は見当が付かなかった。
司氏の説明に「取ってきてくれますか」とあった。とし子は外に降るみぞれを取ってきてと喘ぎながら頼んでいるのだ。額にあてたいのか、あるいは食べたいと言ったのかもしれない。
病気は恐ろしいもので、しばしば病に苦しむ人を容赦なく高熱が襲う。熱は面倒だが一方で「うなされる」「意識朦朧となる」などの現象が生じ、臨終では通常耐えられない苦しみを緩和しているように見えることがある。
多くの看取りからもう一つ、高熱は臨終において体力の消耗を早め、結果として苦しみを短縮する働きがみられることもあった。
そんな訳で熱など好ましからざる事象は因果関係はともかく、ある場合においては苦しみの緩和や短縮に働くことがあるというのも不思議なことだ。
ちなみに賢治はとし子が息を引き取ると押し入れに頭を突っ込んで号泣したそうです、と書かれていた。ちなみに私は父の時も母の時も、辺り構わず恥ずかしいくらい泣いた。
食事と本の後、腕は痛かったが隣の空き地でゴルフボールを打ち、後に大池いこいの森へ向かった。
あわよくばエナガがきてくれればと待ったが中々現れない。待ちくたびれて少し移動すると、チーチー、シーシーとあたりに声がしてシジュウカラと一緒に何羽も現れた。
パッパッと素早く動くのでカメラはなかなか間に合わない。
何とか数枚は撮れたので美術館に戻りハーブ茶を飲みながらモニタを見た。すると私のメラを見たある男性に話し掛けられた。
その人は風景は雲が大事ですね、エナガですかシジュウカラと仲良しですね、などと本当に良いことを仰り、ひとときご一緒した。
頃合いを見て朝日池へ。しょっちゅう通っているので恥ずかしいが、短い期間しかないので通うほかない。
いつか動画にして鳴き声もつけてお出ししてみたい。
新潟市「にむらや菓子舗」で茶話会。
良寛研究家で全国良寛会会長をされている小島正芳先生から新潟市は寺尾の「にむらや菓子舗」において、良寛さんと齋藤三郎の作品を中心にして集う「良寛茶話会」の知らせが届いていた。
「晩秋のひと時 良寛様をしのんで 一碗差し上げたく存じます」と知らされていた。
世の中は便利で、初めて伺う新潟市寺尾の店もナビが親切に案内してくれる。午後1時の席に丁度良く着いた。
掛け物の図。岡山県玉島(現倉敷市)円通寺に向かう国仙和尚と良寛さんの図。右下に描かれた和尚に従う良寛さんが初々しい。
掛け物の書は良寛さんの扇面。端整な和歌「王我所轉(わがそでは)」に添えられた成書の出典ページ。あふれる悲しみにも品格。良寛に現れる無二の品格は壮絶過酷な人生と修行で到達した境地であろう。
齋藤三郎の秋草文の鉄絵水指。蓋を幾分沈ませ耳まで付いた何とも良い寸法。初めて目にする形状だった。
晩秋の虹のように華やかな色の輪を重ねた蓋置き。おっとりした形状の椿の香合も愛らしかった。
お茶会ではなく「茶話会」としたところが和やかだった。
10人は座れそうな大きなテーブルを6人で囲んだ。テーブルの真ん中に「船板」が置かれ、良寛さんが好きだったという石榴(ざくろ)が七個盛られていた。
海中で洗いざらしになった板が「何でも引き受けてくれそう」で欲しくて仕方無かった。
三浦小平二の青磁のお茶碗で飲ませてもらった。滑らかな泡立ち、美味しいお茶。
長きに亘った国上山(ぐがみやま)の五合庵を去った晩年の良寛は、旧和島村島崎の木村家に移り厚い支援を受け貞信尼との交流が始まるなど重要な時期にあたっている。本日の茶話会に木村家の方がお見えになったとお聞きした。
過日小林古径記念美術館でお会いした時もそうだったが、一段とすっきりお元気な小島先生。良寛の精神と芸術の研究に心身を捧げ、忙しく全国を説いて回られる先生は現代の良寛さんのようだ。
先生、お招き頂き有り難うございました。にむらやのおかみさん、お世話になりました。
二日続きの好天も明日から荒れ模様らしい。
荒海の光は何かの救い。
本日午後在宅訪問の帰路海の方角の雲の濃淡が気になり、仕事場も近いので四ツ屋浜に寄った。走っている国道を折れて数十秒で日本海が現れる。
すると東の方向に驚くほど大きな光.。天使の階段というのだろうか、明るい光芒が見えた。
残念ながらここでポケットカメラのバッテリーが切れた。
仕事場が近いのでとって返し普段のカメラに変えて戻ると光芒は消え、代わりに海上に鮮やかな虹。
荒々しい海で強い光や鮮やかな虹を見るとわだかまりや疲れが消えて、ふと気が楽になる。
爽やかに晴れた日曜日、開院20周年記念のコンサートがあった。
本日よく晴れた日曜日、午後3時からA先生の所で開院20周年の記念コンサートがあった。
ピアノ小松園子さん、バイオリン腰高多恵さん、フルート田中志都さんによるトリオアンサンブルだった。
院内を待合室中心に広く工夫され立派なホールに設えられ、100人近い入場者さんで一杯だった。
プログラムはショパン、モーツアルト、ビゼー、チャイコフスキー、久石譲etc、ガーシュインのメドレーほか初耳の曲もあり、終始楽しい音楽会だった。
ツィゴイネルワイゼン、熊蜂の飛行、モンティのチャルダッシュなどテクニカルな曲の熱演、モーツアルト「フィガロの結婚」はエレガントに、チャイコフスキー「眠れる森の美女」のワルツのオリエンタリズム、ニューシネマパラダイスで交錯するバイオリンとフルートのスリリングな和音、ガーシュインはラプソディインブルー、アイガットリズム、ス・ワンダフルなどがちりばめられ、みな心ゆくまで楽しみました。
プログラム
チラシ、当日のプログラムとも美しく、選曲バリエーションが素晴らしく、安定したピアノのリードにバイオリン、フルートの熱演は高い天井に響き、本当にブラボーでした。
色々と忙しいお支度は大変だったことでしょう。
A先生ご夫妻、スタッフの皆さま、20周年お目出度うございます。お陰様でとても良い日曜日でした。
「生誕140年 小林古径の世界 」 朝日池、コハクチョウのねぐら入り。
上越市立小林古径記念美術館で10月21日から始まっている「生誕140年 小林古径の世界」は明日で終わる。本日出かけたところ5章に分けられた一級品揃いの充実した内容で来館者も多く高揚した気持で回った。
お忙しい笹川副館長さんがほぼ一緒して下さり繊細かつ多様な線、空間と構成など日本画の、なかんずく古径のエッセンスに触れることが出来有り難かった。
展覧会図録を買い忘れたので明日再訪し全国主要な美術館の収蔵作品を網羅した貴重な展覧会をもう一度脳裡に収めたい。
古径記念美術館への往路、稲田橋を見る。つかの間の晴れ間、強風に洗われる空の色と雲が良かった。
入場券
まだ明るかったので地元大潟区の朝日池へねぐら入りする白鳥を見に寄った。
湖面はせいぜい15~20分で真っ暗になる。何とか写せるのはISO感度のおかげ。
朝日池の白鳥はさらに数を増しているように見受けられた。
本日西日本は当地以上の厳しい寒さに見舞われたようで広島市などの降雪風景がニュースで報じられた。今冬は暖冬、厳冬どちらだろう?
悪天候の日 心に残った県水産海洋研究所所員のコメント。
しばしばザーザー降りビュービュー吹いた悪天候の金曜日。如何にも虹が掛かりそうな空だった。
虹と言えば過日14日の柿崎自動車学校における高齢者運転免許の更新講習がある。
座学の後、教習所のコースを回る実車講習の時、ある角を曲がると正面にまことに鮮やかな虹が出ていた。
写しても良いですかと聞いてみたい衝動を当然ながらこらえて終わったが、その時虹は消えていた。
これから先の悪天候ではよく虹を見る。本日在宅回りは3件あり、幸い猛烈な雨は止み雲間から陽が射したもののやはり虹は掛からなかった。
以下はその折の写真です。
あちこちの雲はみな悪相。
虹が見られなかった東の空。
さて過日のこと新潟県のニュースでサケの遡上が極端に少ない事が報じられていた。数えるほどしか獲れていないことが現場の映像を交えて知らされた。食用と採卵孵化の事業は大打撃を受けているようだ。
現在海水の高温化が原因してサケが沿岸に近づけず、そのため遡上も極端に少ないと新潟県水産海洋研究所員が話していた。
その人が最後に述べた次の短い一言が心に残った。
「私達も困っているが魚も困っていることでしょう」と言ったのだ。
このような問題では人間が被る影響のみクローズアップされる。しかしこの方は「魚も困っている」と付け加えた。
サケには異常に高い海水温はゾッとするほど嫌な事であろう。何より遡上産卵が出来なければ種の死活問題である。
ニュースは暗かったが魚の事情にも配慮された所員の心遣いが心に残った。
この数年谷根川(たんねがわ)の遡上を楽しみにしている。
今後本格的な寒気や潮流の変化で遅れている遡上が始まれば良いのだが。
読書「宮沢賢治のこころ」 柿崎海岸 来館したU君 田と朝日池の白鳥。
本日休診の木曜日は午前9時に起きて「宮沢賢治のこころ」という本を読んだ。本は先日の上京時に持参し往復の新幹線や夕食前などの時間に読んだ。
著述家や画家など6人の賢治ファンが書いた本文が150ページと比較的短く一通り読み終えていた。
しかし一読ではみな忘れてしまうので一旦読んだ本も2、3回また読むようにしている。
この度は画家・作家・装丁家・絵本作家の多彩な司修(つかさおさむ)さんの「詩は童話、童話は詩」のセクションの2回目を読み始めた。
氏は樹下美術館の画家倉石隆と同じ主体美術協会に所属されているご縁で2010年9月に当館で講演をして頂いている。
心の奥底に照らされる氏の物語は画家らしく複雑な遠近法のようであるが、時に伝聞から俯瞰、そして接写へと及び、そこから対象を突き破るように深く入っては飛ぶように出るなど不思議な次元や距離を体験させられる。
まだ二度目の途中なので何とも言えないが、賢治の本(特に詩は)は難しいのと司氏のところが面白いので繰り返し読もうと思っている。
さて10時を過ぎて柿崎海岸へ行った。柿崎は何十回どころではない、数百回も歩いたのではなかろうか。殆どテトラもなく砂浜が残っているので私には海と言えばここしかないという感じだ。
海岸は東西でかなり様子が異なる。たいてい真ん中辺より西を歩くが東側に比べて砂浜は広くシーグラスは多い。一方東側は西側より砂利が大きく砂浜の背の崖は高い。上掲写真は西側で、まばらな高齢の釣り人が一斉に帰るところだった。
3700歩あるいた後美術館に向け新井-柿崎線を走った。柿崎地区で白鳥の群を見た。
小さな群を見ていると次々にほかから降りてくる。白鳥といえば雪上で見る事がほとんどだが、今年は雪の無い黄色の刈り田にいる。稲には二番穂が沢山ついているので今年の水鳥はお腹いっぱい食べているのではなかろうか。
美術館に戻ると中高の同級生U君夫妻が顔を出してくれた。息子の中学時代の校長で世話になり、ほどよい加減で寄ってくれる。
氏は僧籍を有しているので、何故一向宗は一揆を起こしたのに浄土宗は無かったのかなどと無茶苦茶な質問を許してもらい、近いうちに食事を一緒にしようという話になった。
さて去る11月6日の本欄で例年「朝日池」をねぐらとする白鳥が隣の「鵜の池」にいるのを不思議に思って書いた。しかるに本日夕刻に訪れた鵜の池はサギが並ぶだけだで白鳥の姿は無かった。
一方隣の朝日池では、
ゴルフ場のホテルの明かりが一部灯っていている。だがこれ以上遅くは暗くて撮影は無理だった。
一昨年から12月下旬の短い時期、ホテル全館に明かりが灯り、ある種絶景的な眺めが出現した。今年はどうなるだろう。ぜひとも再度まばゆい湖面を見てみたい。
それにしても鳥たちは鵜の池と朝日池をどのように使い分けているのだろうか。
週末の上京 イタリアン 永遠の都ローマ展 ピエタに涙。
先週末土曜日、上京し毎年集う同級生三組の夫婦による食事会に行った。年末が近づくとK夫婦と始めた食事会は間もなくN夫婦が加わり30回近く毎年続いている。昨年Nが亡くなったので昨年に続いて夫人が参加して5人の会食だった。
東京都心は来るたびに変わっているように感じられ、東京駅周辺は数年でさらにビルが林立し空が狭くなる。見るとビルとビルの間に新たな工事が進んでいるので、今後さらに建物のボリュームは大きくなり空は小さくなるにちがいない。
6時からの食事はKが選んだイタリアン。3時間近くも今昔を話し、N夫人に柔らかさが生まれていた。ホテルに帰ると深夜までラウンジで過ごした。アルコールを飲まなくなっているので食事時は水、ラウンジではノンアルのカクテルを飲んだ。
シェフが来て良く香るキノコなどの包み焼きを開いてくれる。氏はしばらく居てイタリア料理の状況などについて話してくれた(田舎あるいは家庭料理から今風の流行など)。
席のそばにあったフィギュア。
東京在住のN夫人と別れた後ホテルのラウンジで深夜まで時を惜しんだ。
ラウンジの眺め。
まるで巨大な光イベント。
翌日はお目当ての東京都美術館「永遠の都ローマ展」へ、。
展覧会パンフレット
撮影可能だった2点。
彫刻が多く会場の
ボリューム感は圧倒的。
以下同展の紹介分の一節です。
二千年を超える栄えある歴史と比類なき文化は、古代には最高神をまつる神殿がおかれ、現在はローマ市庁舎のあるカピトリーノの丘を中心に築かれました。その丘に建つカピトリーノ美術館は、世界的にもっとも古い美術館の一つに数えられます。同館のはじまりは、ルネサンス時代の教皇シクストゥス4世がローマ市民に4点の古代彫刻を寄贈したことにさかのぼります。
古代遺物やヴァチカンに由来する彫刻、またローマの名家からもたらされた絵画など、その多岐にわたる充実したコレクションは、古代ローマ帝国の栄光を礎に、ヨーロッパにおける政治、宗教、文化の中心地として発展したローマの歩みそのものにも重ねられます。
本展は、カピトリーノ美術館の所蔵品を中心に、建国から古代の栄光、教皇たちの時代から近代まで、約70点の彫刻、絵画、版画等を通じて、「永遠の都」と称されるローマの歴史と芸術を紹介します。
展覧会ではカピトリーノのヴィーナスに見られた上品な恥じらいは美しく、カエサル、コンスタンティヌス、アウグスティヌスなど歴史教科書で見た人物の突然でリアルな出現に戸惑った。古くはプトレマイオス王朝妃の像まであり、生き生きとした気品に魅了され人知れない作者のことを思った。
あまりに長大なローマの歴史は宗教の軋轢、民族の大移動、度重なる疫病、止まない紛争と戦争にひたすら揺さぶられる。その中で洗練された発想と熟練が必要な芸術がたゆみなく生み出され続ける。
同じ人間の出来事としてくらくらするような不思議を禁じ得なかった(他国、他民族からの尊崇という帝国に必要な要素があったにしても)。
彫刻が多く、館内一杯にあふれるヨーロッパの立体的なエッセンスに包まれると、次第に満足という気持になった。
上掲2点を遠くから。若い来館者さんがとても多い。都会の美術館で感じる事の一つに若い入場者の多さが挙げられる。彼らに混じると気持が高揚し楽しさが増す。当地でもそうあってほしいといつも願っている。
昼食は寿司を食べた。
食べながらK夫人が“かってフィレンツェでミケランジェロの「ピエタ」を見たが、その時のキリストに突然涙が出てきて止まらなくなった”と語った。
フィレンツェの「ピエタ」
ミケランジェによる四つのピエタの一つ。
(Kが送ってくれた写真から)
去る11月2日、美術作品を前に気を失う人のことを記し、10月22日には音楽会で涙を拭くスタッフのことを書いた。そして昨日はミケランジェロの作品に涙あふれたと話す人がいた。みな人間らしく素晴らしいことだと思う。
さて短くも長かった貴重な週末は十分に食べたので帰宅した夕食はカップヌードルで済ませた。
両日とも寒く本日月曜日は今期一番の寒さとなり、午後ミゾレが降り、燕温泉では積雪があった。
ニュースから 介護士さんの報酬。
日頃特養やグループホームに関係していると、介護職の給与はとても低く設定されているという話を耳にする。
すると過日のテレビニュースで「政府・与党が来年2月に同職の報酬を追加的に月6000円上げる」と報じていた。ようやく政府も深刻な問題に気づいたのか、しっかり対応してもらいたいと思った。
近年の介護職員の給与平均は全産業平均より7~8万円も下回っているうえ、23年度の賃上げ率は1,42%で、春闘の平均賃上げ率3,58%とも大きな隔たりがある。
結果として低賃金のために離職者は年々増加の一途をたどり、他産業への移動の流れが止まないらしい。
来年春には6年ぶりとなる介護報酬の改定があり、介護士さんへの6000円補助はそれまでのつなぎと考えられている。
彼らは多くの手間が必要な高齢者や障害者を一手に引き受けることで社会、家庭、ご本人の三者を支える。
毎日の観察と記録、移動、入浴や着替えに整容、食事、排泄、服薬などの世話から夜間や重症者のウオッチまでストレスに満ちた仕事に追われている。
いくらITやロボットが開発されても不安定な人々を相手に不意で深刻なリスクがつきまとう現場の助けにはならないだろう。
強いストレスと責任を負いながら社会と人生の急所を支える介護士さん。仕事は尊く、本改訂では立場と内容に見合った報酬体系が優先的に実現することを心から望みたい。
大池いこいの森でエナガとシジュウカラに出会う 熊やイノシシには出会いたくない。
本日はよく張れた休診の木曜日。午前は積み残しの書類を書き、午後は遅くなった朝食と残りの書類を持参して美術館へ。居あわせたお客様と気象などの話をし書類を書き隣の草地でゴルフボールを打った。
3時を過ぎたころエナガが撮れればと大池いこいの森へ出かけた。
「出会い大橋」を渡ってすぐの場所を往き来すると、運良くエナガがやってきた。
近くの枝に止まったエナガ。出来れば正面から撮りたかったのに、、、、残念。今日のエナガはすぐに行ってしまった。
その後シジュウカラが近くの松で熱心に餌を獲った。
大きくして見た写真では細い「松葉」に止まっている。あらためて小鳥の軽さを思った。
先の橋を渡った所に“イノシシが出る事があるため一人では注意して“と看板が出ている。イノシシは突進し、牙もあるので怖い。
以前は熊の出現もあったようだ。今年は奥へ入らず、橋を渡ってすぐの所で鳥を待つようにしている。それでも運がよければエナガはやてくるし過日はアカゲラも現れた。
自然公園といえどもやはり獸には出て欲しくないな。
夕食前に散髪をした。
美術作品を観て気を失うことがあるらしい その2「スタンダール症候群」
去る11月2日の当欄、NHKBS「フェルメールに魅せられて“史上最大の展覧会”の舞台裏」で展覧会関係者の一人が「かってフェルメールの作品を観て気を失った」と述べていた。そのことに関連してその昔スペインでゴヤの「裸のマハ」を見て失神した知人の話を当欄に書いた。
記した後、気になり「美術鑑賞 気絶」で検索してみた。すると真っ先に出るのが「スタンダール症候群」だった。「美術 失神」でも「アート 失神」あるいは「美術 気絶」もみなスタンダール症候群(以下 ス症候群)が真っ先だった。
だがそれはいずれも期待した“衝撃的な美に直面した時の精神反応”ではなかった。
由来は小説「赤と黒」の作家スタンダールが19世紀前半に初めてイタリアへ旅行した際、フィレンツェのサンタ・クローチェ聖堂で壮大なフレスコ画を見上げていた時、突然めまいと動揺に襲われしばらく呆然としてしまったということから来ていると記されていた。
サンタクローチェ聖堂の壁画
(photo libraryより)
それに関して20世紀後半、イタリアの心理学者が同様の症状を起こす外国人観光客が多いことからスタンダールの例にちなんで「ス症候群」と命名したというものだった。
現象は、強いあるいは長時間の上向きによる後頭部の後屈(この場合仰向け)からくるもので、頸椎を通過するある動脈(椎骨動脈ついこつどうみゃく)が圧迫され脳循環が受ける影響によるというものだった。
しかし同じ状況で誰にでも症状が起きるとは限らない。脱水、疲労、解剖学的な個人差、代謝異常などが関係していることだろう。
また症候の命名者は”高揚した気分”なども付け加えているようであり、自律神経系の反応が加味されるのかも知れない。
ただ外国人に多いと記されるていることがやや不思議であり、また東大寺大仏殿ではどうなのか、さらに上向きの仕事がある技師や職人さんも気になるところだ。
いずれにしても強く上を向くのは要注意と、かって脳神経外科医からも聞いている。
このたびはほかであまり見つけられなかったが、美術、アートの衝撃によって失神することがもっとあるものか探してみたい。
「But Beautiful」
愛は喜びもあれば悲しみもある、笑いもあれば涙もある。だが美しいと歌われている。
朝日池に白鳥(コハクチョウ)は来るのだろうか。
本日は南気の風が吹き、当地大潟区の最高気温は27,3度にも上昇し夏日と報じられ、今どきこんな高温が見られるとは、この先暖冬なのか逆にひどい厳冬になるのか見当が付かない。
昨日夕刻は10月29日に続き白鳥を見るため当地大潟区は鵜の池へ行った。これまで鵜の池はシーズン終わりに西国から帰国する鳥の休憩地か、豪雪時の避難場所くらいにしか.見えていなかった。しかし過日の夕刻、朝日池は空で鵜の池にはすでに多くの鳥がいたのに驚いた。
昨日夕刻の鵜の池は以下の様にねぐら入りしたコハクチョウと降りてくるガン類で賑やかだった。
憩う白鳥。奥の○囲みでたまたま二羽がハートの形を作っている。
暗くなって続々ねぐら入りするガン類。
池の白鳥と降りる雁の鳴き声で
池は歓喜にあふれる。
さて朝日池と鵜の池は最も近い場所で僅か200メートル足らずの距離しかない。大きさは朝日池の方が倍ほど広く、これまで冬期の水鳥の飛来地として知られていた。それが今鳥たちは朝日池を避けて鵜の池をねぐらにしている。
去る10月29日の空っぽの朝日池。水量が少ないのと枯れ蓮がまだ多いため鳥が避けているのか。
上は昨年12月3日の朝日池。白鳥が見られ対岸の米山水源ゴルフ場ホテルの灯とともに賑やかだった。
この写真を撮った日、それにしても案外鳥の数が少ないな、と思っていたが、すでに一部の水鳥は隣の鵜の池に居たのかも知れない。
今冬果たして朝日池に鳥が戻るのか。そしてハクガンは来るのか、来るなら何時だろう。
好天の樹下美術館 大池いこいの森。
本日文化の日の祝日はよく晴れて温かでした。切れ目なく来館して頂き、外のベンチで休む方もいらっしゃいました。
午後の前庭。
前庭のベンチで。
田んぼ際のベンチで。
私と同年配のワンコさん。
お天気に誘われて午後遅く大池いこいの森へ行ってみました。
途中のコスモス。
ビジターセンター脇から橋を渡って対岸の森へ。
橋から西を見る。
お目当ての一つオヤマボクチ。
独特の表情は見飽きません。
イノシシが出ることがあると看板がありましたので奥へは行かないようにしました。
もう一つのお目当て
ツクバネウツギ。
コンパクトカメラで狙ったシジュウカラとエナガの群は高く素早くて上手く写せませんでした。ここは鳥たちの通り道のようでしたのでカメラを変えてまた来てみます。
上越市髙田で午後1時30分ころの27,5度が最高気温。向こう数日はまずまずのお天気のようです。
ご来館の皆さま、まことに有り難うございました。
美術作品を観て気を失うことがあるらしい 夕刻の施肥 夕食。
先日のNHK-BSで「フェルメールに魅せられて“史上最大の展覧会”の舞台裏」が放映された。予告と途中からではあるが本放送を観た。その前半に主要な関係者が「かってフェルメールの作品を観て気を失った」と述べていた。
絵画作品を観て気を失う。普段耳にしないことだが、今から50年ほど前のこと、それと同じ事を言った人の話を聞いた。当時はまさか大げさな、という感想を抱いたが今回の放映の談話を聴いて、かって語られた話は本当だっのかと思い直した。
その人は東京大学出身の若い男性だった。旅行か仕事だったかでスペインに行った折りプラド美術館でゴヤの「裸のマハ」を観た瞬間、衝撃を受けて気絶した、と帰国後私の知りあいに話している。
音楽や美術には信じがたく素晴らしい作品は多い。だが鑑賞者にも感応性と言うのか上述した二人のように強く反応する人が希にいることも確かなようだ。
ただ極めて素晴らしい作品でもあまねく人を失神させる訳ではなく、倒れた人の感受性に加え作者、作品に対する深い尊崇などの個人史と、当日の体調などの複合的な側面があったのではないかと推測された。
満一ケガが無かったのかは案じられるところだった。
一方音楽と失神はかってよく聞き、ロックやグループサウンズのステージで倒れたり、若い女性客が失神するコンサートがたびたび知らされた。倒れるプレーヤーの詳細は分からないけれども、観客の失神は興奮と絶叫による過呼吸がもたらす反応のように見えていた。
確かに音楽は強い感情反応をもたらす。もしかしたら私が知らないだけで、クラシックコンサートではあまりの美しさや突然のティンパニーで、椅子に座っているため人知れず失神している人がいるかも知れない。
さて本日は昨日に続き暮れてから草花中心に施肥をした。クリスマスローズとアジサイはやや丁寧に、ホトトギスになどにはざっと行った。ホームセンターで求めた軽い用土にリン酸カリを含んだものを混ぜてくべた。来年の元気な庭を想って、もう一日、雪の前に残りの草木と芝生に遣りたい。
テレビで観た温野菜とイカの料理。
ご馳走様でした。
- 花頭窓、二十三夜塔、庚申塔、社寺
- 樹下だより
- 齋藤三郎(陶齋)
- 倉石隆
- 小山作之助・夏は来ぬ
- 聴老(お年寄り&昔の話)
- 医療・保健・福祉・新型コロナウイルス
- 花鳥・庭・生き物
- 空・海・気象
- 頸城野点景
- ほくほく線電車&乗り物
- 社会・政治・環境
- 明け暮れ 我が家 お出かけ
- 文化・美術・音楽・本・映画・スポーツ
- 食・飲・茶・器
- 拙(歌、句、文)
- こども
- 館長の作品。
- かって認知症だった人、晩年の「ありがとう」は「好き」だった。
- 妙高市はいもり池の近く「ギャラリー峨々」を訪ねた。樹下美術館も紅葉。
- 再び良寛椿の苗。
- 1本の木にキンカンとカラタチの実が。
- 秋晴れの日のゴルフ。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その3。
- 本日ジョケラさん初日。
- 明日からジョケラさんの展示会 高宮あけみ展のご来館有り難うございました。
- 別れ。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その2。
- 講演会「良寛さんに学ぶ」が無事終了した。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その1。
- 来たる11月7日からラッセル・ジョケラさんの展示会 晩秋の花 近隣のコハクチョウ
- 先週末の種々。
- 高田高等学校創立150周年の秋 いたくら桜園 近隣の秋。
- 「ラッセル・ジョケラ木工展」 可愛いお子さんとおじいちゃん。
- 本日今年最後の同業ゴルフ。
- 今夜のコンサート カッチーニの「アヴェ・マリア」。
- 信州は須坂で江戸時代の料理を食べる 満月、私達の奇跡。
- 失った1枚 栗。
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