木村茶道美術館の涼風。

2023年7月24日(月曜日)

過日の暑い日柏崎市の木村茶道美術館を訪ねた。

暑さの中の庭。かすかな流れの音を聞き赤欄干の橋に癒やされる。

庭を上り受付を済ませ待合で竹のベンチに腰掛けて順番を待つ。

待合の床に掛かった大津絵「雷と太鼓」の図。江戸時代初め頃から始まった滋賀県大津で土産、お守りなどとして売られた署名無き絵図。大きな目小さな鼻、あどけない手つきなど雷は可愛いく描かれている。
特に古いものは味い深い民藝として後世に於いても人気を拍した。上掲は雷を盛大に鳴らしていた所、勢いあまって海中に雷太鼓を落としてしまい慌てて吊り上げようとしている図。人気のモチーフの一つだというがユーモラスな図柄には油断を戒める意味もあったらしい。

さて本席です。
写真はありませんが、床の掛け軸は本邦では極めて希とされる南宗の画家馬逵(ばき)の作と伝わる「雪景山水」。遠くの山と近景の人物の間に精緻で壮大な気宇が漂うのを感じさせる。茶席では夏にあえて雪をテーマとした道具を用い、暑さを凌ぐ事を趣向の一つとすることがある。

床の花は矢筈薄(ヤハズススキ)、白桔梗、秋海棠(シュウカイドウ)。花入(はないれ:花器)は桃山時代の絵唐津壺。壺は算盤(そろばん)球の形で、福をもたらすと伝わる蝙蝠(コウモリ)が鉄絵で二羽描かれている。唐津らしく地の色と蝙蝠の地味さ加減が絶妙で、フォルムの一種鋭さにより涼しさが伝わり名品だと思った。ちなみに蝙蝠は夏の季語。

お茶に先立って頂いたお菓子。

取り回されて一つだけ残った最上屋製の水菓子。器は二重蓮弁の形状をした中国明時代の古染め付け。弁を数えたところ16あった。

私に出されたお茶の茶碗は黒楽で五代宗入作「馬盥(ばだらい)」だった。浅く広い黒楽茶碗の見込み(底の部分)に緩やかに渦が施され、服するにしたがい緑のお茶がゆっくり渦巻きながら消えて行く様を目にした。

以下は風炉釜(ふろかま)。

亡き柏崎市の鋳物師(いものし)原益夫作の南蛮船を形取った風炉に帆に見立てた釜が掛かる。釜の両脇の鐶付き(かんつき:窯を持ち上げるための丸い金属輪を通す部分)は貝の形だった。

絵図を含め貴重な茶道具を終始分かりやすく説明して下さった学芸の方と、道具類を拝見に出して去られるお点前をされた方。

並べられたお道具の一部。茶を飲んだ黒楽茶碗は真ん中にある。手前は三代宗哲作「詩中次」の薄茶器(薄茶を入れる器)。碧巌録の禅詩がしたためられていたようだが内容を聞きのがした。期間中に是非とも再訪してお聞きしてみたい。茶杓は川上不白作「西王母」。西王母は椿であり、中国では美しい桃あるいは遠方の仙女であり、これも云われを逃してしまったので再訪は必至となった。

いずれにしても雷、雪景、蝙蝠、蓮、海(船、貝)、黒楽の平茶碗、、、。一貫した夏の涼さに繋がる趣向に感心し美味しい茶を飲み、外へ出ると暑さが和らぐのを感じた。

木村茶道美術館では第一級の茶道具が出され、手に取りそれでお茶まで飲ませてくれる。特別な人が特別な茶席でしか眼に出来そうもないお道具類。私達一般人がこれらに囲まれながらお茶を飲める場所と機会は滅多にあるものではない。

紅葉の名所としても親しまれているが、茶道をしない人も一度でいいから茶室に上がり、待合に腰掛け、ふんふんと説明を聴き、美味しいお茶を飲まれることを心からお勧めしたい。美術館も喜んで歓迎してくれると思う。

越後上布の商人たちが各地に出かけ吸収し広めた柏崎市の様々な文化。なかでも茶道文化は優れた茶人や鋳物師、塗り師など広い裾野を残した。それらを総合して伝え続ける木村茶道美術館の存在は日本広しといえども希有なことであろう。

施設を維持される同市と支える市民の皆さまに深い畏敬を覚え、それが近くにあることがとても嬉しい。

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