小林古径記念美術館の「芸能科の記憶」展。

2022年11月18日(金曜日)

昨日、上越市の小林古径記念日館で開催中の「芸能科の記憶」、 学び舎から飛び立った作家たち展を観てきた。

上越地域と新潟大学教育学部髙田分校、なかんずく芸能科との関係や親しみには深いものがある。特に学校があった旧高田市はこじんまりした地方都市だが大学、それも芸能科(芸術科)を有していることに、ある種名誉や品格といった、どことなくスノッブな雰囲気を漂わせていたように思われる。

私事だが大学との距離の近さで言えば、姉、自分、弟の中学校は髙田分校の附属中学校で、校舎は本城(もとしろ)の大学芸能科と敷地を同じくしていた。また中高時代に世話になった髙田の下宿のあるじは西城の教育学部の事務職で、隣の部屋にはKさんという同校の学生さんがいた。

中学校に隣接するレンガ壁の音楽練習室から絶えず学生のピアノや声楽が聞こえ、学校給食は芸能科に隣接する厨房で作られたものを渡り廊下を通って当番が教室に運んだ。
めったに入る事が無かった芸能科合唱室は講堂のような作りで、卒業実習生の発表会を一回だけ聴いた。その時、卒後ジャズピアノの道を歩まれた飯吉馨(本名:信・まこと)さんのクラシック演奏を聴いた。

中学校校舎の東端は保健室で、その先は学生寮(公孫寮)に繋がっていた。寮は常に静かで近寄りがたく(昼間は誰もいないこともあり)、一方で何か秘密めいた雰囲気がいつも漂うのを感じていた。

ついでに言うと、高校一年生の時に校舎が火災に遭い、何ヶ月か西城(にししろ)の大学校舎を間借りしたこともあった。

 

以下このたびの展覧会会場の一部の様子です。

 

山ノ下堅一「大学祭ポスター」(シルクスクリーン)」
1974年11月15-19日、季節はちょうど今ごろの開催。
時間が止まったような懐かしい時代。

髙田分校芸能科は1982年に閉校になったが、展覧会は閉校後40周年を記念して多くの高名な教官および卒業生による全52名の展示で構成されている。
在学中の熱さ、卒後の我が道それぞれが一堂に会し、原点である教育を通して始まる芸術への情熱が、静かな館内いっぱいに溢れんばかりだった。

68年前、一緒に附属中学校へ入学した内山順一君(一嶽)は元気で、氏の書「酔月」はとても良かった。

樹下美術館が展示する齋藤三郎は同学で長く陶芸の講師を務め、自らの陶房を教室とするなど熱心な指導を行っている。当展覧会に大きな壷が展示されていた。

昭和29年(1954年)3月、教え子たちとの送別会。
後列左から3人目、齋藤三郎。

同展は12月18日(日曜日)まで開催です。とてもきれいに庭の紅葉がライトアップされていました。

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