2021年12月

小島正芳先生ご出演「良寛さんの修行時代 ~円通寺と諸国行脚」

2021年12月31日(金曜日)

数日来の荒天で文字通り正月寒波。
夜空にヒュウヒュウ鳴る風切り音と雪がバタバタと窓を打つ音がする。果たして明日元旦はどのようなことになっているやら。昨年並みのドカ雪だけは許してもらいたい。

さて午前中、知人の知らせでNSTテレビの放映「良寛さんの修業時代 ~円通寺と諸国行脚~」を観た。解説は樹下美術館でお世話になっている全国良寛会会長の小島正芳先生だった。

 

中央に小島正芳先生。
手前に真保恵理アナウンサーと書家の泉田祐子さん。

岡山県玉島の円通寺に於ける長年の修業後、国仙和尚から授かった良寛の悟りを認める「印可の偈(いんかのげ)」が紹介された。

印可の偈
詩のようだと語られた印可状。

師は良寛に
“愚かに見えるお前が求めた道は深く広く、自然に身を任せる心境は他者の理解を越えている”と讃え、偈と共に一本の杖を授けた。
杖は身を支えかつ方向を示す拠り所となるものだった。何と麗しい子弟関係だろう。

越後と異なり、玉島では雪も無く年が明ければ梅が咲き、その先には桜が待っている。故郷で人間関係に辛酸をなめた良寛さんにはそれだけで幸せだったことだろう。あとはひたすら厳しい修行に励んだことが想像される。

全て詳らかではないようだが、その後の旅について自筆資料と共に様子が紹介された。

旅日記の一節。
端整で上品、
乞食の長道中とは思われない美しい文字。

お知らせ頂いたAさん、大晦日にとても良い放映でした。
有り難うございました。

本日の絵でバックを描いてみたところ、イメージが浮かんできた。
正月には絵画だけでなく村上春樹の「海辺のカフカ」を読んでみたい。ノルウエイの森は一回で終了とさせてもらった。

正月休み一日目。

2021年12月30日(木曜日)

12月30日は正月休みの一日目。画材の追加で髙田は大嶋画廊へ行ったほか、終日小さなキャンバスに絵付けをした。

 

机を二つ使ってチョコマカと行っている。
古い絵の具は蓋が開かなかったり、溶けなかったりで
使えないものが多い。

 

全面黄色に下塗りしたものの中から乾いたのを色別にさらに下塗り。
本日は10ヶ済んだ。
この先乾かしながら濃淡、影、バックを細かに進めるつもり。
時間は掛かっても、雑にならないよう気を付けながら。

一気に寒くなり寒波も来たが、仕事場など近隣の積雪はあっても数センチ程度。

近隣。

 

寒さと共に食卓も変わった。

 

鍋焼きうどん。

 

ぶり大根

 

ギンナン

 

剥きました。

 

弟が育てた豚肉とジャガイモなど。

 

麻婆茄子

 

黒豆の時期になった。

今年もあと一日。
年越し、正月へと淡々と過ぎるが晴れ間が見られそうもないのが残念。

本日仕事納め 野鳥の群 果たして新型コロナはどうなるのか。

2021年12月29日(水曜日)

色々あった一年の仕事が本日で一応終わった。
検査とワクチンで新型コロナに神経を使い、在宅で8名、施設で1名の方の看取りがあった。
本日の最終日は僅かの方が来られたのみで、予定の30分前に終了とさせて頂いた。

昼休みに田に野鳥を見に行った。
先日のカワラヒワの飛翔がピンぼけだったので、もう少しうまく撮りたいというのが目的。

 

数カ所でスズメ、カワラヒワ、アトリの各群、あるいは混合した群を見た。
上掲の写真でAはアトリ、Kはカワラヒワです。

先日よりピントが合ってきた飛翔。
翼が黄色がカワラヒワ、首が赤いのがアトリ。
形が似ていて、モニターで大きくしないとよく区別できない。

ところで今後の新型コロナ。
せっかく国内全体が減少したところへオミクロン株が世界中で拡大し、あたかもターミネーターの如き有様。この株は感染力が強い一方、今のところ罹患者の重症度はやや低めといわれる。
症状が軽めで強力な感染力という様式により、我が国でも未曾有の拡大が懸念される。このことは際限なく増殖したいウイルスにとって、願ってもないパターンであろう。
あくまでも想像だが新型コロナは最終形に近づいたのか。一方でそろそろ有効な抗ウイルス薬が実用化され、コロナ禍が新たなフェーズに入る事を期待したい。
果たしてどうなるのだろう、いつまでも同じ繰り返しという訳には行くまい。

白鳥雪田に入る。

2021年12月28日(火曜日)

禅語に「白馬入蘆花(白馬蘆花に入る」)がある。中国から入った禅の書「碧巌録(へきがんろく)」にある言葉だという。
白馬が白い芦原に入ると互いは明確に存在しながら一体となって溶け合う。禅では生死、清濁など相対する有様も同じように捉えようとする。
このことは一定のイメージは出来るものの、禅が欲するような理解はなかなか難しい。

ところで白馬ではないが、白鳥ならいま近隣にいる。
雪が降るまでの田で白く際立っていた白鳥。それが本日雪の田では近づかなければ分からないほど雪田と溶け合っていた。

 

黒いくちばしと足が見え、動くと居るのがはっきりする。
日射しが強ければ影が出来るので分かりやすい。
しかし本日のように曇りだと影もわずかで区別が付きにくくなる。

 

若鳥の灰色はある種幽玄で、その上表情はとても優しい。
来年は真っ白になって飛来するのだろう。

雪中の野鳥 白い恋人たち 悲しみの昨今。

2021年12月27日(月曜日)

寒波が来ている。
山陰地方や琵琶湖が影響する滋賀県は相当降られた様子。
“数年に一度の”と形容されたものの、当地はいまのところ昨年のドカ雪のようではない。仕事場の上越市大潟区は本日日中の積雪は10センチあったかどうか。

昼休みに柿崎のホームセンターへプリンターのインクを買いに行った。
車を降りるとチュンチュンと賑やかなスズメの鳴き声。センターの三角柱を連ねたような屋根にスズメが沢山いた。そこは風雪を避けるのに誠に良い具合に見えた。

 

 

 

主として今年生まれた若鳥のようだ。
北から渡りをしている途中か、一帯に居ついている群かは分からない。

 

近くの田に降りて落ち穂や二番穂などを食べている。

 

帰路大潟区の田んぼでカワラヒワの一群に出合った。
明るい黄色の羽根が印象的。
(よくピントが合わず残念)

野鳥にとって厳しい季節であろう。毛で覆われているとはいうが、翼の付け根の下などには少々皮膚が露出する部分がある。羽ばたいているときや吹かれているときなどは寒くないのだろうか。

 


音楽はフランス、グルノーブルの冬季五輪の記録映画「白い恋人たち」のテーマ曲。
勝ち負けにまったく関係なくひたすら選手たちを撮った。
映像は以前にも出しました映画「個人教授」です。

1968年のグルノーブル大会の後、札幌五輪が開催され、誰が活躍したか忘れたがよくテレビで観た。なぜかナディヒというスイスの女性選手のことを覚えている。

さて以下は当時のザ・ピーナッツ「白い恋人たち」です。


ボサノバにフルートは如何にも当時の趣き。

昔の曲は失恋を歌ったものが多い。
“忘れはしない愛し合ったあの幸せ”と結んでいるが、いまどきこんな風ではそうそう聴いてもらえないかもしれない。
現代は昔より一般に失恋や悲恋が少なくなったのか。それとも昔は一日中失恋の歌を聴けるほどマインドが強かったものか。

もし前者なら社会が優しくなり悲しみが減っているといえる。
だが優しさには相応の強さが必要だ。果たしてどうなのだろう。

先ず始まった小さな3Dキャンバスの油彩。

2021年12月26日(日曜日)

来年を云々すると鬼が笑うと言われます。
鬼に叱られるより笑われる方が良い、という解釈も出来るかもしれません。それで言わせて頂くと、来年秋、恐らく9月~11月の間、樹下美術館で拙い私の作品展をするつもりで仕度を始めているところです。

10×10×3,5×3,7センチの3Dの小さなキャンバスから手を付けていて、今まで3種類の椿の下絵を描きました。正面のほか上下左右の5面を使うことになりますので花を中心に置き葉を脇の4面に散らす構図になります。

今回はサムホール用に描いたヤブツバキの下花を用いました。

 

3D用に下絵を展開させます。
脇の部分にも葉が来て全体も収まり良いように変えます。
決まったら輪郭線をトレーシングペーパーに写し取ります。

 

キャンバスです。
多少細密的に描きたいのでジェッソを塗り、
三種のサンドペーパーを掛けて表面を滑らかにしています。

 

下絵をキャンバスに転写するためチャコペーパーを置きます。

 

上にトレーシングペパーの輪郭線を乗せテープで要所を止め、
ボールペンで輪郭線を強くなぞります。

 

チャコで写した線を鉛筆でなぞります。
写真では4個のキャンバスに転写しています。
一部葉の位置を変えました。

 

現在以下の2種の椿についても同様の作業を終え、おつゆ描きと称する下地を塗り上げたところです。

 

ヤブツバキ

 

西王母

西王母の下地塗りです。
果たしてこの色で良いのか否か分かりませんが、
素人の私の場合とにかくやってみるしかないのです。

30個の下地塗り後乾かしています。
時間が許せばもう20個は足したいところです。

二種の椿は3Dより大きなサムホールサイズ(227×158㎜:はがき2枚少々のサイズ)のキャンバスにも描く予定です。最大10号の風景と静物も一応想定しています(果たして出来るのか未定ですが)。

前回2014年、遊心堂さんの作品展で描いた3D作品を20個、サムホール15枚ほどの油彩を展示販売しました所幸運にも完売しました。私の場合作品は販売し、少しでも美術館の運営を助けたい目的がありますので、買って頂けるよう真剣に取り組まなければなりません。

前回の準備期間はわずか6ヶ月でした。この度は10ヶ月を見ることが出来、少々早めに手を付けられて良かったと思っているところです。

ところで今夏、丈夫と自負していた自分でしたが、突然心筋梗塞に襲われました。来年早々に3回目のコロナワクチンが始まります。絵の制作は十分ペース配分を考慮して取り組みたいと考えている次第です。

大雪前夜の年末。

2021年12月25日(土曜日)

今年最後の週末土曜日、午前中の外来に少し変わった雰囲気を感じた。
寒いから、あるいは押し詰まってきたからは例年通り。しかし今年は正月が大雪になりそうだ、オミクロン株が拡がってきた、の二つが加わり、常よりも年末の慌ただしさと不安が増しているようなのだ。

そんな中、三日間発熱が治まらない大人に行うコロナとインフルエンザの抗原検査があると思えば珍しくこどもたちが来る。感染性胃腸炎の流行と遠い地域の学校クラスターが受診を促しているように感じられた。
そんなこんなで午前中はずっと落ち着かず、ふと心臓に重圧を感じては肝心な自分は大丈夫かと少々心配した。

1時間ほどの午睡で体が休まり、暗くなって年賀状のプリントのためインクを買いに出た。
車のキーを押すと「メリークリスマス」と車がアナウンスした。途中で可愛いイルミネーションの家を見たとき、これで十分クリスマスは味わったと思った。

 

今夜の外。雪はまだ数センチ、これから降るのだろう。

カードが入ってなかったカメラ 齋藤三郎の5枚一組「草花文陶板」。

2021年12月24日(金曜日)

本日はクリスマスイブ。
食卓の品、なかんずく昨日一緒に食事をした友人の奥方が焼いたパンなどを撮ったにも拘わらず、後で見たら“カードが入っていません”という表示が出ていました。
注意していれば“no card”のサインが出ているのですが、気づかないといくらでもシャッターが切れるのです。そそっかしい私にはたまにこのようおなことが起き、せっかく撮ったものがパー、ということがあるのです。
本日はそれがあった日でした。

それで食卓の代わりに、最近樹下美術館にやって来た齋藤三郎の作品を紹介させてください。

当館には生前父が購入したと考えられる齋藤三郎の古い陶板が一枚ありました。

表:横にすると太い縞模様、あるいは縦に見ると竹の文様に見える。
24,5×16,0センチ、厚さ1センチ少々で、志野の釉薬が掛かっている。

裏返してみると、

裏:殆ど釉薬の無い素地に近い面に富本憲吉の「竹林月夜」風な文様が描かれている。
私達子どもの仕業と思われる赤いインクが付いている。
表裏に絵が描かれた一種不思議な作品。
署名から制作年は昭和20年代後半~30年前後と考えられる。

このはっきりしない文様の陶板を何かの作品のテストピースかな、と考え、敢えて展示もしませんでした。

ところが過日、ある作品がやって来ました。

大きな箱が来た。「草花文陶板」とある。
(箱のサイズ:30,0×23,0×高さ19,0センチ)

 

中はレコ-ドケースの様に五つの仕切りがしてある。

それぞれの仕切りにうこん布に包まれた作品が入っていました。取り出した作品は最初に掲げた陶板と同じ様式でした。

以下に2枚ずつ上下に並べ、裏表を撮りました。

一枚目と二枚目の表 上:秋草、下:椿

ひっくり返します。

 それぞれの裏 上:石榴(ざくろ) 下:柳

三枚目と四枚目です。

 三枚目と四枚目の表 上:縦縞模様 下:竹林

ひっくり返します。

 

それぞれの裏 上:竹籠に撫子 下:萩

5枚目です。

表:横縞模様

 

裏:薄(すすき)

以上板状に陶土を伸ばし(たたら作り)、ざっくりとほどよい大きさ(24,5×16,0センチ)に切った陶板が5枚。それぞれ裏表に鉄絵で四季の草花や縞模様が描かれていました。
形の自由さ、5枚の数、風まで描かれた文様の風情からみて、飾るものではなく使うものだと考えました。これにあえ物と漬け物、あるいは五つほどの寿司など盛ったらどんなに美味しかろう、と想像しました。

いずれも表(仮に)は釉薬が掛かりすべすべしており、裏は素地がそのままで、ややざらざらしています。乗せる食べ物との相性で表裏を使い分けるように意図されているようなのです。こんなことは通常には無いアイディアです。

かって当館自宅で「陶齋の器で食事をする会」および「陶齋の器で寿司を食べる会」を催したことがありました。
今回作品を見て、是非ともそのような会を再び催し、陶板の裏表を使った料理を食べてみたいと思いました。

古くからある陶板がちゃんとしたシリーズの1枚だったことが分かり、齋藤三郎の才能にあらためて感嘆させられました。

ちなみにこの作品を見て私が琳派のようだ、と言いますと、傍らに居たA氏は与謝蕪村のようだ、と言われました。琳派であり蕪村でもあるのでしょうか。

作品をお出し頂いた方に深く感謝致します。

生きているアベノマスクもある 熊本のみかん 私の快気祝い。

2021年12月23日(木曜日)

月一回、あるお爺さんが外来に通って来られる。足が弱ったと仰りながら歩いて来院される。
実直なことにずっとアベノマスクをしてこられる。洗い洗いされているマスクはいっそう小さくなり、色褪せてほころびもみえる。

こんなに大切に使われている一方、配布元の政府には8000万枚も倉庫に余っていて、1100万枚が不良品。保管料だけで6億円も掛かっているらしい。
為政者の金銭感覚、内容、方法、、、、みな異常でいい加減だ。
事実は
“いい加減なことをしても、知らん顔していれば大丈夫です”という不思議な人がリーダーだった不思議な国の出来事というほかない。

 

このたび引き出しから出て来た4枚のアベノマスク。
前記のお爺さんに訊いて、ほしいと仰ったら差し上げよう。

 熊本の先輩から届いた柑橘は南国の色。
熊本地震の時、営む高齢者施設で足りないという米を60キロ送った。
助かったと言って、今でも御地の果物を送って下さる。

今夕、直江津の美味しいイタリアンで同業夫妻と食事した。私の快気祝いということだった。ほぼ同じ年、何から何まで真っ当で、頭が良く、そのうえ面白いお二人。快気祝いなどと過分で楽しい時間を誠に恐縮でした。

冬至カボチャ。

2021年12月22日(水曜日)

今日は冬至。これまであまり気にしたことが無かったのに、何故か今年はその日が近づくのを意識した。これも夏の病以後、以前より日にちや時間を気にするようになったせいかなと思っている。

そのような折、数日前に「冬至カボチャ」をネットで見た。妻に今年はそれを作ってみないか、と話したところ、やってみる、という返事。

今夕食にそれが出た。

カボチャの甘みを染みこませたようなアズキのうま味。
ネットのレシピを見て作ったという。

カボチャとアズキは牧区の親戚から頂いていたもの。お米も野菜も牧のものは美味しい。
心こもった野菜を有り難うございました。

少しずつ日が長くなり、昔から運気が上がると言われた冬至。これから冬本番だが、そのような言い伝えがあるだけで心が温まる。

嵐が去った海、久し振りのチドリとシーグラス 良い感じがしないコロナ 昨日北陸道の通行止め。

2021年12月20日(月曜日)

数日来の強風が緩んだ日、昼休みに柿崎海岸を歩いた。寒かったがいつもよりも多めに歩いた。
激しい波浪は落ち着き、珍しくチドリを目にし、形の良いシーグラスがあった。

 

ようやく落ち着いた海。

 

チドリがいた。
近寄るとツツツと逃げ人の足跡のなかに入った。隠れているつもりらしい。

昨年からチドリを見ないか、見てもわずかに1,2羽だった。それが本日少なくとも5羽はいたので安心した。
もしかしたら一組のつがいが子を孵したのかもしれない。

 

一羽を撮っているとこちらを見る瞬間があった。
荒れすさぶ環境で生きているとは。

かって柿崎のチドリを母の化身のように感じていたが、本日それを殆ど忘れていた。どこかで続いていた母ロスが薄まったらしい。今夏、私自身が倒れ、母どころか自分ロスになりそこなったせいだと思う。

 

珍しくシーグラスを沢山見つけた。
ペンダントヘッドに出来そうなものが幾つもあった。

少しでも穏やかな日があるのは良い事だ。但し、新潟県のコロナ報告がくすぶっていること、オミクロン株が国内に伝播されていること、渋谷のごった返しの映像など、全体はあまり良い感じがしない。

昨日北陸道の中之島見附から先、新潟市内までが事故で閉鎖され、途中引き返した新潟行き。長い区間の通行止めは10数件の事故が発生したためと今朝の新聞に載っていた。
午前11時前から5時間にわたり通行止めになったという。大した雪でもないのに、、、。

新潟行きは県央から先の事故でUターン。

2021年12月19日(日曜日)

新潟市美術館で開催中の「生誕110年香月泰男展」は来年1月23日で終わる。
この先、厳冬へと入るため伸ばすほど新潟行きはきつくなる。そこで予報から雪はさほどで無いとみて本日午前新潟へ向かった。

米山まで雪はほとんどなく高速道路の路面もきれいに出ている。長岡もそれほどの積雪には見えなかったが、事故のため中之島見附から新潟東まで通行止めの知らせが出た。随分長い区間の閉鎖であり、事故は一件ではないようだった。

中之島見附の出口に向かって次第に渋滞、そこを出てから帰りの高速道路に入って帰宅した。

高速道路を下りて料金所へ向かう車の列。
{助手席の妻撮影)

降雪量が原因というより、スピードの出し過ぎ、あるいはタイヤの不備が幾つかの事故を引き起こしていたのかもしれない。。

雪国、なかんずく県都を隔てると、こんな風に文化からも遠くなる。
冬の余暇は何かしら籠もって行う活動に集中するのが良いのか。私の場合、いっそう絵の制作に励もうと思った。それにしても残念だった。

冴えない話題に代わって「ヴァーモントの月」を二つ載せました。

 


アンディ・ウイリアムスの「ヴァーモントの月」
画面でみんなは何をあぶっているのでしょう。

 


ジョニー・スミス(ギター)とスタン・ゲッツ(テナー・サックス)の
「ヴァーモントの月」(1952年演奏)。

この曲の主なテーマはめずらしく愛ではなく、ヴァーモント州の風景の素晴らしさです。ヴァーモントはアメリカ東海岸のカナダのすぐ近くの州のようです。

流れに写る月影、冬のスキートレイル、秋のカエデの落ち葉、春の草地、、、。
最後に“貴方と私とヴァーモントの月”で終わります。

一般に冬の歌としてよく取り上げられるようです。

強いと予報された寒波で当地上越市頸北部は初雪 多少ゆとりの年末。

2021年12月18日(土曜日)

テレビから今期一番の寒波が予報されていた週末土曜日。昨夜から激しく風が吹いたが雪は僅かで、胸を撫で下ろした。

午後のいっとき、すでに下絵を描いてあった10×10×3,7センチの小さな3Dキャンバス8枚に最初の色を塗った。何も知らないので油絵は教則本やYouTubeを眺めながらおっかなびっくり試みている次第(かって描いた方法をすっかり忘れている)。
全てが試行錯誤。油絵は上塗りが出来るので、出来れば楽しみながら行いたい。

昨夜来の降雪は、当地上越市の頸北部の初雪ではないだろうか。
その後、陽が射した時間に近隣を走った。

 

雲に見え隠れする尾神岳も大して降らなかったよう。

 

あちらこちらの田でマガンの群がみられた。
どうかハクガンにも来てもらいたい(出来れば沢山)。

 

田を回ってから上下浜に出た。
時々陽が射す海はひどく荒れている。

 

陽が射す方にカメラを向けた。
自分が監督ならこの一帯を映画に使いたいところ。

 

夜、先日のお客人から頂戴した香炉園の濃茶を練った。
本当に美味しかった。
お菓子は髙田は大山のお製。

例年、美術館は20日まで開館していた。今年はそれを15日までとして早めに閉めた。
そのせいか年末の推移に心なしか余裕が感じられる。皆様にはとてもご迷惑をお掛けしてしまったが、どうかお許しください。

来年3月15日(火曜日)、クリスマスローズ満開の開館はしっかり準備をして始めたいと思います。
(いつもつい怠けて過ごし、あっという間に開館になるのです)

昨日、長くお世話になったスタッフとささやかな送別会。

2021年12月17日(金曜日)

2007年6月開館の樹下美術館は今年で15年目を終えた。
開館当初、美術館の知識も皆無、5,6年先までは何とかイメージできたが、15年先は雲の中だった。それが見よう見まねで今日まで来れたのは、ひとえに寛容な皆様のお陰しかない。

ところで開館時、いや開館前から世話になったスタッフのHさんご夫婦が今年で退職することになった。昨夕はその送別の食事をした。もう一人、10年助けて頂いたスタッフのMさんがひと区切りとなり、一緒に大潟区のサブリーユで食卓を囲んだ。
コロナに配慮して各席は1メートル以上離してセットされ、関係する5人だけで静かに食事した。

食事中、自然と開館当時の話になった。
なかでも開館数ヶ月前の春、本日のH氏と二人で練馬区の倉石隆宅を訪ねたのは思い出深い。
残った絵画の搬出、ほかに絵筆、パイプ、エプロン、書籍など倉石氏の座右の品も次々車に積んだ。

車のハンドルを握ったのは当時65才だった私。よくも複雑な都内を走ったものだと今更ながら思う。
車にナビが無く地図を頼りに走った。氏によればすんなり到着し、お宅の近くの小さなコンビニで昼食のお弁当を買って車中で食べた。
帰路も無事で、すでに舗装なった美術館の広い駐車場に戻って来た。

一方奥様には勤務表管理、パソコンや展示管理、庭の保守など大切な部分を広くお世話になった。万事几帳面に行って頂き、いくら感謝しても足りない。

また10年世話になったMさんはカフェの厨房をしっかり守備して頂いた。花好きで、庭の手入れも積極的に取り組まれ、とても助かった。

 

厳選された美味しい野菜に私は魚を、皆さんはお肉をメインにした。

思えば突然始まった樹下美術館の15年は、別世界の出来事のようであり、不思議なことに他のどの期間よりも長く濃く感じられる。決して楽では無かったが、このような経験が出来た事を幸運とし、今後さらに美術館と皆様を大切になければと思う。

Hさんご夫妻、Mさん、本当にご苦労様でした、心から感謝致してます。

お年寄りの元気 「空気ぐすり」。

2021年12月15日(水曜日)

50年前は60~70才代であれば長生きのうちとみなされていたと振り返られる。
近年は80~90へと上がった。出来ればあまり必死にならなくとも、そこそこの留意で到達するなら幸いであろう。

中には幾つか重い病を越えた後はじめて安定した生活に達せられる方もいる。また単に長生きだけでなく、認知症が無いか、あってもほどほどという点を望みたいところだ。

日常お元気な方達によくみられるのが、何かしら興ずるものがあることがその一つとして挙げられる。
以下比較的元気なお年寄りがされていることで、いささか意表を突かれたことなど挙げてみました。

●ゲーム

90代後半、この方のゲーム歴は3、40年と長い。
「お前のうちのばあちゃんは凄いな、負けるわ」
と遊びにくる孫の友達が口々に言ったそうだ。
ことごとくクリアするので実際叶わなかったらしい。

●ドリル
娘さんに添われて受診される90才を越えたおばあさん。
自歩され、元気なのは日々のドリルのせいかもしれない。国語は3年生、算数は2年生のものに黙々と取り組まれる。
終わって新しいものが届くのが楽しみだという。しゃきっとして明るく、自然な表情が素敵だ。

●空気ぐすり
90才なかばになられたお爺さんの話。
老人は地域事情や歴史に詳しく古文書などを読まれる。長年掛かりつける医師は少し若いがやはり90才代、お茶人で同じように古文書に興味をお持ちだ。

受診を兼ねた訪問は待ちに待った時間で、上がってお茶を飲みながらのひとときは至福の様子。
受診の日、老人は医師が喜びそうな話題を考え、医師は客を喜ばせようとお茶や掛け軸を用意して待っている。

ある日老人は一案を思いついた。
「空気ぐすり」。
その日、錠剤、散薬、水薬、軟膏、湿布など薬は色々あるが「空気ぐすり」というのはどうかと、老医に持ちかけた。先生も乗り気になり、二人で真剣にアイディアを巡らせた。
方法は風船で一致。診療所の空気を入れることにして、後は一生懸命効能を考えた。
結論は「長寿でも何でもとにかく良く効く」と詠う。一番大事なことは「効くと信じて吸うこと」の服用法が決まったらしい。

背を丸くした二人の老人の様子は仙境を思わせ、誠に幸福な光景として浮かぶ。
しかしこのような境地は一朝一夕に達するものではないのだろう。
それぞれ長年の様々な問題を越え、いつしかユーモアもにじみ今日へ到ったにちがいない。

“ともに話せる面白い話を考えて会う“
これは出来そうで中々出来ない。
「空気ぐすり」は傑作の一つではないだろうか。

さて本日で樹下美術館は今年の開館を終了しました。
美術館として先ずは1年無事に過ぎたことを皆様に心から感謝いたします。

この数日名残を惜しみ、お茶など毎日お寄りになった方が何人もいらっしゃいました。私達も本当に名残惜しいのです。
来年度の開館は3月15日です。

拙ブログはこれまで通り精一杯続けたいと考えています。どうか今後も宜しくお願い申し上げます。

都から気のおけない方が 「And I Love Her」。

2021年12月13日(月曜日)

どの程度続くのだろう、このところ続いているコロナの晴れ間。
そんな昨日東京から3年ぶりというお客様がお見えになった。例の海辺の丘のホテルにお泊まりになり、本日午後ご一緒しお茶を飲んだ。

茶道を習われた訳でもないのにお茶人や作家さんに愛されるA氏。共働きをされ、平らな考えに、普段着でほどの良い趣味人だ。知ったかぶり一つするわけでもなく、文学や絵画に通じ、尽きぬお茶の種々などを楽しくお話しした。

頂戴した小石川は香炉園のお茶。
棟方志功の包装紙を見るだけで美味しそう。

根本曠子さん作の切り貝鈿蒔絵(きりがいまきえ)のお菓子楊枝。
私には小さいからと仰り、妻に下さった。
鞘は根元さんのお母さんの着物から作られている。

お返しにと妻がこしらえたのっぺ汁。

 


「And I Love Her」
前回「ミッシェル」を載せたらこの曲も良く口ずさんだのを思い出した。
比較的コードが楽だったので(難しくしたらキリが無い)、
私にもギターが弾けた。

ビートルズは1966年に来日した。その時刻は雨模様だった気がする。
アルバイトで川崎駅から小さな病院に向かうタクシーの中で飛行場からの実況放送を聴いた。

昨夜「ノルウエイの森 上下」を読み終えた。

2021年12月11日(土曜日)

珍しく穏やかな天気が三日も続いた。

僅かな北風によってうまく樹の周囲に散った美術館のモミジ。

さて先月16日あたりから読み始めた「ノルウエイの森 上下」を昨晩寝る前に読み終えた。

主要な人物たちは「緑」を除き心の病かその境界域のようなところで生き、何人かの若者が自殺した。

彼らはみな行きつ戻りつしながら、おしなべて自身を正直に的確に語る(時にはえぐるように)。
だが主人公「僕」は物語の展開について、ほとんど主体的に関与せず、およそ重要な人物(多くは女性)がリードし、それに感想を述べ承認し時に助言するだけである。このような関係は分析医の立場、あるいは狂言回し役が意識されたものかと、勝手に想像した。

「直子」の死後に行われた「僕」の痛々しい彷徨は、「直子」を救えなかった自身への罰あるいは一種のカタルシスであり、長い療養所生活から退所した「レイコさん」と交わることでさらに浄化されて終わる。
残った「緑」さんが気になるところだが、作者は「もういいでしょう」と言っているようにみえた。

“死者とは生前でのみ交わり語れる”はテーマの一つだったのでは、と思い、当たり前のようだが深いと感じた。

以上誠に独りよがりな読後感想でした。もっとちゃんと読まれた方には失礼だったことでしょう。
79才で初めて読んだ村上春樹。思ったより優しい文体で、もう一回読むつもりです。

赤と緑の表紙はクリスマスカラー。
良い時に読み終えた。

今夜はカツ丼でした。


「レイコ」さんがよくギターで弾き語った「ミッシェル」。

柿崎のフクラゲ、ワラサ釣り A氏のチャールズ・ワーグマンと初期伊万里 油断出来ない感染症。

2021年12月10日(金曜日)

本日風も無く穏やかな日。但し日射しは昨日より弱まった。
昼、穏やかな柿崎海岸を歩くのに出かけた。海岸道路に釣り人の車はあったが賑やかという訳ではなかった。

西に向かって歩くと大きな魚を釣った人と出合った。

フクラゲが一匹、それよりずっと大きなのが二匹。
大きいのはワラサと呼ぶのだろう、ブリの手前まで成長している。

4匹釣ったこの人はかなり若かった。
砂で汚しちゃってと仰った。
フクラゲもワラサも、今どきはとても美味しい。
投げ釣りでこれだけの釣果なら十分では。

この方達に出合った直後から釣り人が集まりはじめ、5,6人だったのが一気に増えた。

仲間同士、携帯で知らせ合うのか、あっと言う間だった。

来た時は空いていた道路が車で一杯。

 

さて海崎から美術館に戻ると同時にA氏が来られた。
何か持って来ましたね、と言うと、見て下さい、とニコニコしている。
最初にチャールズ・ワーグマンのスケッチ2点。2点一緒に横長の額に入っている。

米国の国旗を掲げた船。

二枚目はこの船の上陸後の様子。

魚でも買うのだろうか。一行が民家に移動する。

以下この絵の左右を拡大しました。

 左側に喜ぶこどもたち。

右側では船頭が休み、上陸した外国人が歩いている。

幕末から明治前半頃まで多くの画家が日本を訪ねている。動きの多い対象を撮影出来なかった当時のカメラに代わって素早くスケッチが出来るプロの画家たちだ。
英国人の画家ワーグマンは記者としても活躍。幕末~明治の出来事、風俗などを広く描き、ニュースや見聞録として本国へ送付、刊行されている。
仕事の傍ら日本人たちに絵画を教え、“日本で最初の洋画家”といわれる高橋由一(たかはしゆいち)は弟子の一人。
徳川慶喜と接見し慶喜を描いている。邦人と結婚、一児ををもうけた。

「Charles Wirgman(チャールズ・ワーグマン)」
没後100年記念刊行物
1990年神奈川県文化財協会出版

さてA氏が取り出したもう一点は初期万里の皿。

 花が一輪、簡潔で力強く描かれた染め付け。
大きな余白が花をさらに引き立てている。

ワーグマンの自筆画、初期伊万里皿ともに貴重だった。美大出のA氏は広く深く学ばれ趣味が良く眼力がある。時々見せてもらう品は魅力的で勉強になる。
A氏は珈琲を、私は抹茶を飲んだ。

話変わって本日の新潟県における新型コロナ届け出は16名。全国で減っているなか3番目に多い数字だった。新発田市の小学校でクラスターが発生している模様。
ここで止まってくれれば良いのだが、現在感染性胃腸炎が流行の真っ最中、やはり油断は出来ない。

穏やかな本日、田に見られた一面の蜘蛛の糸。

2021年12月9日(木曜日)

昼すぎ美術館に向って車を走らせると、細い蜘蛛の糸が一本ミラーにくっつき、ずっと風に揺れていた。
気温は高く、穏やかに晴れた本日はまさに小春日和。
車の蜘蛛の糸を見ながら、今日はアレの日では、と思った。

 

美術館の庭の所どころに蜘蛛の糸が引っかかっている。
アレの日に違いない。

それで田に向かった。

 

何枚かの田が一面に細い蜘蛛の糸に覆われ、それがふわふわと揺れていた。

 

 

ある農道のへりが白く光っている。
やはり蜘蛛の糸だ。

小春日和の日に、孵化した小さなクモが一斉に糸を吐き出し、糸と共に自らも風に乗って新たな天地を目指すことがあるらしい。2014年の11月下旬の穏やかな日、一面細い蜘蛛の糸に覆われた田を見て以来、この時期に何度か同じ光景を目にした
微細な生き物の微妙な行動は悪天候下は不向きのため、本日のような穏やかな日が選ばれるらしい。

糸が、ある場所一面に見られるのは、ほかから来てそこに降り立ったのではなく、糸を出したはよいが、うまく上昇気流に乗れず地上に貼り付いてしまったのではないか、と想像している。

かって何人か農家の方にこのような現象のことを尋ねたが、皆さん知らないと仰った。
それで今のところ私としては「あれの日」と言うほかない。
今日はその日であり、明日も晴れるというので、再度見られるかも知れない。
当地で呼び名が無いだけで、実はかなりの人が知っていることかもしれません。

今年の師走はいっそう落ち着かない 三回目のワクチン接種 我が家のハリハリ漬け シルクロード第2部の再放送が終わった。

2021年12月8日(水曜日)

12月はやはり落ち着かず、後ろからぐいぐい押されている感覚がする。寒い外と暖かな室内の往き来も気ぜわしく、年末特有の仕度も免れず、ふとどこかへ行ってしまいたくなる。

さらにここへ来てインフルエンザのワクチン接種が薬液の不足で大変不規則に推移している。普段ひまでも、入れば遠くからも希望者が来て多忙を極める。
こんな風にワクチンと関係していると今夏の心臓発作がよぎり、ともすると恐怖心を否めない。

本日、新型コロナワクチン三回目の接種について希望日の確認書類が来た。私達は3月になる模様。
コロナ禍はついに三年目に入る。一部にこのようなスパンを予測していた向きもあったが、私には全くイメージ出来なかった。

 

22年のカレンダーにモネのスイレンが毎月見ることが出来るものがあり、
自室用にもらった。
今冬は絵を描く予定なのでモネを観て励みたい。

 

妻が作っているハリハリ漬け。

 

カズノコとスルメ、それに根布が入っている。
今年はカズノコが少し多すぎるようだ。
あるいは小さくても良い。
祖母→母→妻と受け継いだハリハリは食べ過ぎないようにしないと。

 

毎水曜日に観ていたNHK特集「シルクロード ~第2部~」。
再放送は、本日トルコからついにローマに入り第2部が終わった。
マルコポーロの東方見聞録に対して、
長い取材番組は「西方見聞録」と述べられていた。

 


懐かしいテーマ曲。

1部では父もまだ元気で、よくこの番組を観ていた。映像を通して、大昔でもないのに当時の世界は今よりもまだ平和だったことが、非常に遠いことのように伝わる。

白鳥と文房具の日曜日。

2021年12月5日(日曜日)

午後から夕刻にかけて空が明るくなった日曜日。
晴れ間を見てスーパーMへ行った。卓上マットがすっかり汚れてしまったので新調するため。

行きの田んぼで白鳥の群と出合った。うまい具合に二番穂が枯れている場所で一生懸命穂をしごいてた。きっと実はあるか無しかに違いなく、一日中食べなければならないのだろう。

 

黒ずんでいるのは若鳥。
真っ白は年上の仲間あるいは兄姉また親鳥。

 

柔らかく乾いた草が何とも言えず良い色。
鳥たちは嬉しかろう。
このような写真を絵はがきにしてショップに出したい。

先日に続き夕刻ふたたび朝日池に出向いた。
今回わずかに時刻が早目だったのと、望遠ズームにしたので幾分感度良く撮れた。

 

 

 

 

 

湖面広く鳥たちがいて、それぞれコウコウとかクワクワと思いっきり鳴いている。コーラスのように響く鳴き声は180度、いやそれ以上に広がって私を包み、なかば鳥の世界に入っているようだった。さらに闇が深くなるにつれ異次元的な不思議な感覚に陥り、ずっとそこに居続けたい気持さえした。

彼らの幸福の為(勿論私達も)に、昨冬のようなドカ雪だけは止めて頂きたい。昨年1月上旬からほぼ一ヶ月間、鳥たちはねぐらも餌も拒まれ、危機的な状況にさらされた。

さて卓上の1枚メモを始めて2年少々経った。取り替えは6回目か。この度はコロナのPCR検査と個別ワクチンの受け入れで相当メモった。
ボールペンで黒→赤と書き、その上に赤または黒の細目のマーカーで書く。年のせいでお茶や牛乳をこぼしてしまい、今回はとても汚れた。

 

2019年8月から初めた机上の1枚メモ。
ブログによれば前回2020年12月8日に取り替えている
まだ少し余白はあるがボロボロなので取り替えた。

  グリーンマットも新しくして、その上に終わった月のカレンダーを裏返して張り替える。
今度のは大きめなので頼もしい。

 

スーパーの入り口にずらりと手帳が並んでいたので買った。
今年は気分を変えてオレンジ色に。

美術館は今年の終了までちょうどあと十日。馴染みの方たちに、良いお年を、と挨拶した。

手回し蓄音機で古いレコードを聴く会」が無事終了した 可愛いイルミネーション。

2021年12月4日(土曜日)

本日午後3時から始まった「手回し蓄音機で古いレコードを聴く会」が無事終了した。
2014年から始まった会は今年8回目だった。

悪天候のなか、ほぼ予約通り31人のお客様が来場された。
密を避けて散らばって頂き、途中休憩を入れ前後45分ずつの会はほどよく進み、ほどよく終わった。

後半のクラシックを担当されたA氏には、レコードの持参と歌の訳詩のプリントを用意して頂いた。内容が分かるといっそう歌は心に沁みる。
前半の軽い音楽は私の担当。曲にまつわる思い出などを短く紹介させて頂いた。

荒れ模様の初冬の夕べを互いに親しく過ごした良い時間だった。ご来場の皆様、誠に有り難うございました。

 今夜大潟区で見たお宅。
可愛いイルミネーションからお宅の優しさが伝わる。
一目見て幸せな気持になりました。
車を止めて車中から撮りました。

カーナビがついた ノルウェイの森は下巻へ 美しい夕暮れの尾神岳と素晴らしい朝日池の夜の白鳥。

2021年12月2日(木曜日)

本日木曜日午後はフリーの日、車にナビが来る日で、付けてもらいにディーラーへ行った。
13時半から作業の一時間半少々をホールで待った。

その間に介護保険の意見書を二通書き、残った時間はノルウェイの森を読んだ。本はいよいよ下巻。会話が多く読むのが楽で、一応64ページまで来た。

遠く人里離れた静謐な山地にある精神科施設。そこにいる直子を訪ねた「僕」の二泊三日が描かれる。二人のほかに少し年配のセラピスト?の女性が加わる。彼女らから心の問題や辛さを聴かされ、時に互いは体を求めあう。
それぞれに心を病む二人を残して帰京した「僕」は、上巻で知り合った同級生の一見奔放な「緑」に誘われる。

この先どのように展開するのだろう。
知的と思われる人物たちの行動にまとわりつく性の衝動と行為。登場人物は若いが、作者自身、まさに正しく若かったのだろう。読んではみたが何か回春剤でも服用するようで、一人気恥ずかしいが、折角だから読了したい。

カーナビが付き3時を回って出て美術館に帰った。
何人かのお客様と話をした後、いつものように田んぼへ出かけた。
ところで、私が夕方出かけるのは徘徊ではないのか、と以前書いた。如何に名付けようと認知症のそれと比べ、動機にさして違いは無さそうだ。
少なくともストレス緩和あるいは新たな何かの体験。もっと言えば生きていることの確認なのか。私はちゃんと戻れるので、今のところ良しとしてもらいたい。

ところで本日の夕刻は素晴らしかった。

 

素晴らしさの一つは尾神岳。赤く美しく夕陽に染まっていた。

 

次々とねぐらへ帰る白鳥。

彼らのねぐら「朝日池」に寄ると素晴らしい光景を目の当たりにした。

 

 

 

背景の建物は米山水源カントリークラブのホテル。

水鳥たちがこんな夜を過ごしているとは、なんて平和で幸福なんだろう。

ようやくノルウェイの森を読み始めた ディア・ハート。

2021年12月1日(水曜日)

樹下美術館では今春から三誌の文化系雑誌を定期購入してカフェにお出ししています。

一つが骨董、古美術の「目と眼」(目と眼社出版)。
一つが総合的な美術雑誌「芸術新潮」(新潮社)
そしてライフスタイル雑誌「BRUTUS:ブルータス(マガジンハウス社)です。

芸術新潮は昭和25年、目の眼は昭和52年、ブルータスは昭和55年の創刊です。バブルや経済ショックなど社会の荒波を越えて、文化系雑誌が刷新を重ねながら充実して維持されているのは、世の健康を物語り元気づけられます。

 

カフェのラックの「目の眼」、「芸術新潮」。

 

BRUTUS。
悩み多き1980年代、この雑誌にはお世話になりました。
服装や小物に食器、本やポストモダン思想から東急ハンズまで知りました。

これらの中で今年10月のブルータスは(上)(下)に分けて村上春樹の特集でした。
本日のブログは、縁の薄かった村上春樹の遅かりし個人的な入門編です。

実は氏の本のうち、「中国行きのスロウ・ボート」「海辺のカフカ」「ノルウエイの森」「意味がなければスイングはない」「村上ソングズ」「ポートレイト・イン・ジャズ」「セロニアスモンクの居た風景」などはちゃっかり書棚にあります。ジャズが好なので、とりあえずタイトルが気になるものだけ買っていたのです。

いずれもパラパラとめくっては終わり、
「年だから今さら読んでも間に合わない」。そんなことを理由に過ぎました。

ところがこのたびばかりは、カフェのブルータス二冊が、「村上春樹 上下」と書かれた表紙をこちらに向け、毎日睨みつけているではありませんか、毎日。
何となく根負けしてしまい、家の棚から「ノルウエイの森」を引っ張り出して、ついに読み始めたというわけです。

ビートルズの曲名と同じ、ぱっとみ意味不詳なタイトル。それが上下で600ページもあり、しかもケタはずれのベストセラーだという。
いざ手にすると、何が書いてあるのか、どんな文なのか、急に興味が湧きました。
読み進むにつれ面白く、ガソリンスタンドの洗車待ちも読みました。

左・赤い表紙の上巻 右・緑色の表紙で下巻。
赤と緑の表紙はクリスマスカラーらしい。

読み始めて丁度2週間、昨夜上巻が終わりました。
まだ上巻だけですが、映画化が意識されていたのでしょうか、場面の切り替わりが台本のようで少し気になりました。だが愛と性、生死、精神・心理とそのゆがみや困難、それらにおける人間の関係性などが詳細で、想像以上に深い本だと思いました。

さて、がらりと話変わりますが、作中、
主人公「僕」がクリスマスプレゼントとして、「直子」へ彼女の好きな「Dear Heart(ディア・ハート)」が入ったヘンリー・マンシーニのレコードをプレゼントするくだりがありました。
以前一度載せたことがありましたが、以下にYouTubeからその曲を借りました。

 


録音は1965年らしい。
小説中のプレゼントは1968年のクリスマス。

ところで私にもこの曲に拙い思い出があります。
若い若い時代、ある人と知り合ったときのこと。1960年代の正月、伊豆の見晴らしの良い山にあるその人の別荘に誘われました。彼女は先に行っていて、私はクラッチのバネが切れるようなオンボロのワーゲンに乗り、都内から向かいました。

伊豆では平野部を経てつづら折れになった草地の山道に入ると、かなりの急登。無事のぼれるか、冷や冷やしながらハンドルを握りました。
やっとの思いで到着すると、「あなたが登ってくるのをずっと見てた」とその人が言いました。

その晩、慣れない手つきで彼女が五目鍋を作り、私は持参したウクレレを弾き、手持ちのソングブックをⅠページずつ一緒に歌いました。私はディア・ハートを知らず、彼女は知っていました。良い曲だなと思いながら何度も歌いました。

ノルウェイの森の本が終わったらもう一度繰り返し、その後「海辺のカフカ」にするつもりです(あくまで予定」)。
なにごとも奥手なので人生の最後に忙しくなるのは仕方がありません。

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