2021年9月15日

どうでも良いことかもしれませんが 咲いて笑みこぼれては笑む萩の花。

2021年9月15日(水曜日)

時代により言葉は変わる。
名詞の短縮がはなばなしく行われる一方、ちょっとした助詞や接続詞の類も変わるようだ。
恐らく昭和では馴染みが薄かった後者の例をいくつか挙げてみました。

・~といった (例)宅配いった方法で→宅配などの方法で
場所、方法、事情の例えで、「など」が加味される。

・~ことから  (例)感染拡大していることから→感染拡大しているため(ので)
理由を述べるのに用いられる。行政の通知文から始まったように思う。堅い上から目線のため、一般では通用しそうにない。

・~だったり~だったり  (例)秀吉だったり信長だったりが→秀吉信長が
比較的若い世代の説明や感想によく登場する。以前は「」で足りていたので聞いているとまだろっこしい。

・~の方は    (例)結果の方は数日後に→結果数日後に
今春久し振りに行政の説明会にリモートで参加たところ、あまりに多く「~の方」が付けられるので驚いた。

・~とは思う    (例)良い思う →良い思う
いつのころから多くなった。無難や穏便を意識しての表現だろう。
「とは思う」を聞くと(だがしかし,,,)が連想され、「本当はどうなの」とモヤモヤする。
私達は聖人君子ではないのだから、自分なりに「と思う」と言えば良いのに、もう無理なのか。気の使いすぎ、窮屈の中の曖昧、不思議な世の中になった。

以上、文脈次第では妥当な場合もあると考えられますが、たまたま気になるものを挙げました。

名詞は痛々しいほど短縮されますが、上掲の言葉はみな長くなっている点も不思議です。
時代の進化洗練を願いながら、はたしてどうなのか。それでも良いとは思う、このごろです。

 

家の萩が盛りになりました。
「萩がこぼれる」を聞くと、「笑みがこぼれる」を連想します。
満開になったら再度載せてみます。

萩は古来日本で最も愛された花で、万葉集では梅よりも多く140余首もあるといいます。日本人は秋を最も愛したそうで、萩はそれを象徴する花ですね。

花言葉は内気、思案、柔軟な精神、などと記載されています。しかし私が見る限りとても丈夫で、こまやかで、時に大らか、さらに華やかな印象さえあります。
ころころと銀色の露を乗せた風情も格別です。しかし季節が進み葉が黄色になるころはさすがに無残を隠せず、早めに切りそろえるようにしています。

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