明後日の開館に備えて齋藤三郎&倉石隆の展示 小鳥がよく来るようになった。

2021年3月13日(土曜日)

世の中は、コロナ中心に回っているようになり、まことに様変わりした生活を強いられている。
昨年12月20日来の冬期休館も何かとコロナに気を奪われ続け、感染状況とワクチンの動向、検査受託の可否などに悩まされ続けた。

コロナにかこつける訳ではないが、昨年12月20日からの冬期休館は誠にあっという間に過ぎた。
今月に入り、豪雪でひどく荒れた庭の掃除と展示の準備で何度もスタッフに来てもらっている。本日ほぼ展示を終了し、明日最後の見直しをすることになった。

 

絵画スペース。
賑やかですが倉石隆のテーマ「自画像と自己投影像」に沿って8点全て架けました。

正面を見ている「みつめる」を除き、作者は自身を様々な姿に変えて描いている。情け無い姿、ピエロ、壊れた人形、空腹、悶々たる様など色々だ。無いのは自画自賛だけだで、その姿勢こそ氏の美学そのもののような気がする。
恥ずかしさ、恐縮、、、かって無言の俳優のような倉石氏にお会いした際、精一杯お顔に現れていたのがそれだった。

芸術家は作品すべてに狙いを持って作る。それがどれだけ私達に伝わるかは常に微妙だ。だが一点、観る人が作者にどれだけ“親しみを覚えるか”は肝心なことであろう。
特に亡き作家ともなれば、作品の前だけでもよい、なにがしかの関係、よしんば親しみの感情などが動くなら、幸福な出会いに違いない。
額の中で悩み恥ずかしがる倉石隆氏への同情、軽蔑、尊敬でもなんでも構わない。それらから親しみを感じてもらうだけで天国の氏は喜ぶのだと思う。

 

本日の陶芸ホール。
今年の展示は「齋藤三郎の絵と書」。
齋藤三郎大好きな良寛の人、小島正芳先生が楽しい企画を考えて下さった。

私は父が買ってくる齋藤三郎に親しんだ小学生の頃から、器の字、特に底にしたためられた署名は魅力的だった。そもそも家中で、作品は勿論だが、署名まで今度はどんなだろう、と皆で器をひっくり返しては眺めた。その味わい、早さ、太さに細さ、踊り加減、、、色があっても無くても喜んだ。
このたびは折々の三郎氏の心境が現れる絵付け作品と、文字が施された器、書また手紙類を展示した。抜群の手筋に加え筆あるいはペンの何たるかを熟知し、人を惹きつける品のある美しい文字が現れる。加えて昭和20年代中頃の手紙類からは、高い教養とともに懸命な制作と生活への傾注が滲むのである。

展示に関係したご講演を全国良寛会会長・小島正芳芳先生にお願いした。氏の学生時代の貴重な恩師・齋藤三郎にまつわる第二回目講演をどうかお楽しみください。

さて急に小鳥たちが来るようになりました。

 

敏捷なシジュウカラ。
今年も庭のどこかに巣を作るのでしょうか。

カワラヒワは見合い写真のように撮れた。
ただし既に「つがい」になっているようでした。

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