2020年11月4日

小島正芳先生の講演会が近付いた 昨日文化の日の良寛の里行き。

2020年11月4日(水曜日)

当館で月1回最終日曜日に催していたお茶会。
コロナ禍の中、7月から始めましたが、10月で無事4回終え今月が最終月となりました。

ある月の会で床の間に掛けた伝良寛とされる漢詩をご覧になったお客様の機転から、全国良寛会会長・小島正芳先生とご縁が出来、その後のやり取りによって本書は、良寛五合庵時代初期の真蹟であることが判りました。

小島先生は新潟大学時代、髙田の芸能科で齋藤三郎の講義を受けて以来、氏に心酔されコレクションもされておられます。このたびのご縁により、来たる11月7日に「齋藤三郎と良寛さん」の講演をして頂くことになりました。
良寛を敬愛し、よくその話をしていたという齋藤三郎。長年におよぶ第一線の良寛研究者、小島先生。 当日どのような話を聴けるのか、とても楽しみです。

ところで、昨日文化の日のこと。
すっかり寝過ごしたと慌てて茶の間に出ると、今日は祝日と妻から告げられ、地獄で仏の心地がした。
この日は終日季節風が吹き荒れ、夜は雨も加わり、いよいよ今どきの空模様が続いた。

何も予定を決めてなかった祝日、午前は柿崎海岸を歩き、昼は本を読み軽い食事をした。その後思い立ち長岡市島崎の「良寛の里わしま」へ車を走らせた。
お目当ては良寛の里美術館。かって25年ほど前に初めて訪ねて以来何度か足を運んだ。
田園に囲まれた一帯の丘陵地は良寛の仮寓地国上山や最晩年の地島崎に近く、如何にも良寛の里の風情が漂う。

 

良寛の代表作やゆかり深い親族や親交者の作品が
静かなたたずまいの中で澄んだ気品を漂わせている。
(当然ながら展示室は撮影出来ません)

秋の足は速い。この地への訪問の目的はもう一つ、旧和島村篭田の「椿の森」熊野神社に寄ることだった。当地は古くは水運の要地で、境内の見事な椿林によって「椿の森」と呼ばれていたらしい。

良寛の姪が神社の神官家に嫁いでいて、良寛はたびたび家を訪ねている。
祭では白塗りをして踊ったと伝えられている。
椿の森入り口近くに設置された「幾千の和」
過日柏崎市のドナルドキーンセンターで写真を見た実物。
今井翔太・今井駿哉兄弟作によるトレーラーに描かれた壁画。
社殿と良寛、貞心尼の座像に椿が散らされている。

 

暮れかかる一帯の風景。

良寛さんには、子供たちとの野遊びなどに関した詩文やのどかなエピソードが多数残っている。ただ上掲のような風景を見ると、1日の乞食托鉢を終え、暮れるなか一人山へ家路を急ぐ禅師の姿がぼんやり浮かぶ。

昔から私にはこの眼で見てみたい人が二人いる。会いたいのではなく、一人歩いているのを遠くから見てみたいのである。
二人のうちの一人はキリスト、もう一人は良寛だった。
実際には会えないのは分かっているので勝手にイメージするしかない。
粗末ななりをして一人夕暮れを歩く姿を、ぼんやりした光が包んでいる、そんな様子が浮かぶのである。
もう一人、これは実際に会って話を聞きたい人が居て、1818年生まれの高祖父・玄作爺さんです。
どんな顔をしていたの?父母はどんな人でしたか?どうやって医者になったの?本当に高野長英を匿ったの?本当にドンドの池の洗濯女を妻にしたの?旅した当時の京都は?信州でどんな人達と合っていたの?

出来ればこの眼で見てみたい、あるいは会って見たい人。
皆さんはどんな人でしょうか。

以下はわずかですが、所蔵する良寛様関連の本です。

 上下の写真のそれぞれ一番上に、小島先生の近著を載せました。

中に齋藤三郎の兄・齋藤泰全和尚の著「良寛の生涯」(編者齋藤謹也 昭和63年洞門教材社発行)があります。
多くは読んでいた頃から2,30年ほど経ちました。この機会を得て、再読すべき年になったと思っています。

●コロナ禍で講演会の参加数を減らしましたため、申し込みが予定いっぱいになりました。
小島先生にはお聴きしたいお話が沢山ありますので、来年もと念願しています。
実現出来た時は皆様にもどうか宜しくお願い申し上げます。

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