2020年6月

明日7月1日から通常の営業ですが、油断は出来ません。

2020年6月30日(火曜日)

このところ空は梅雨らしさを増し、私の好きな6月が本日で終わります。
終わるものあれば始まるものもある、という道理。明日7月1日から樹下美術館は通常業務に移行する予定です。

6月いっぱいの開館時間は午後1時~5時まで、 カフェのメニューは飲み物とケーキのみでした。
これを
開館時間午前10時から午後5時まで
カフェメニュ-:ホットサンドイッチ、ベーグルサンド、トーストの軽食をお出し出来ます。

思えば
●コロナの燃え盛りの兆しによって3月14日、翌日に迫っていた開館の延期を決めました。
●4月16日全国緊急事態宣言。これにより三密を逃れ、盛んに野山を歩きました(大潟水と森公園、茶臼山の道、五智公園、大池憩いの森、茶臼山公園など)。
●5月15日新潟県など緊急事態宣言解除で、5月25日に6月1日から午後のみ開館を決定し、一ヶ月が経ちました。

ようやく明日から例年通りの営業ですが、まだ大都市周辺を主に新型コロナウイルス流行は安定感はみられません。
むしろこの所の新規報告は、事態が本格化する3月下旬よりも多いという事実がみられます。
そのため樹下美術館は、玄関扉と屋根排煙孔の開放、カフェの窓開放(雨天は閉鎖)で大気の新鮮保持を図るほか、感染対策のいっそうこまやかな励行を心がけるつもりです。

 

 

緑深い庭と周囲の水田は大気浄化の働きをしているのではないでしょうか。

ところで、
今月第4日曜日(7月26日)の呈茶につきまして、
一回目午後1時から、二回目2時半から、1回5名様までのお客様をで迎えする予定です。
ご希望の方は美術館の窓口か、☎025-530-4155でお問い合わせ下さい。

10年ほど前から、〝長生きをすれば良いことがある〟と皆様に真剣に話すようになりました。コロナ禍を経験しながら、果たしてこれは良いことか、と考えてしまいます。
しかし周囲も自分も大変ですが、日々取り組みを続けながら、これもまた幸せのうちかもしれない、と思い直すようにしている次第です。

新型コロナウイルス対応につきまして今後とも皆様とご一緒に頑張りましょう。

拙自作絵本「森のトマト畑」を美術館で販売しています。

2020年6月29日(月曜日)

37年前、子供達のために自画自作しました粗末な絵本「森のトマト畑」。

今春、以下のように当ブログで紹介させていただきました。
トマト畑その1
トマト畑その2

1983年当時、文は原稿用紙に書いたものをそのままコピーし、そこにコピーした絵を挟んでホッチキスで留めました。
今春、小学校に上がる孫のためにパソコンで文を活字にしたものを作り、周囲にも数作差し上げました。
すると少々の好評を頂戴しましたので、新たにこしらえ、樹下美術館で販売してみましたところ、ぽつぽつと出るようになりました。

その後手書きだった表紙題字を活字にしたり、横位置の絵はその下に文を載せるなど体裁を変え、しばらくこの形でお出ししてみようと考えていますので本日紹介させて頂きました。

 

昔ながらの手書きの題字による表紙。

 

 

それを冊子に。

 

 

その後題字を活字するなど手直し。

 

これを増刷。

 

以下のように横位置の絵は小さくして下に文を付け、縦位置のものは一枚そのまま挟みました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

〝森の空き地に夢にまで見たトマトがなっている。集まった動物たちの喜んだこと。
美味しいまっ赤な実は、それが太陽であろうと、野菜であろうと、もうどちらでも良かったのです。
幸福な動物たちを見て、カラスは安心して村へと帰りました〟

 

このたびは以下のあとがきと奥付を付けました。

あとがき
この冊子は昭和五十八年(一九八三年)ころに作り、こどもたちや知人に差し上げました。このたび絵はそのままに、文を少し手直し致しました。まことに拙く、申し分けありません。
著者

小さな奥付

ホッチキスで留め、製本テープで背当てをした24ページの冊子。
文・絵とも家庭用コピー機で刷っていますので特に絵はコストが掛かってしまいます。
申し分けありませんが、一冊700円(税込み)にさせて頂いています。

宜しければご来館の際に、お手に取ってみていただければ有り難く思います。

雨上がりの庭に百合が咲き、雨蛙と沢蟹が現れる どうなる新型コロナウイルス。

2020年6月26日(金曜日)

たっぷり降った雨は夕刻に上がってきた。
仕事を終えて美術館に戻ると青空が現れ、白い雲が清々しかった。

 

 

 

 

雨にせかされるように百合が咲き始めた。

 

 

身長2センチほどのアマガエルが石で休んでいる。

 

もぞもぞと動いていたのは小さな蟹だった。後ろはゴルフボール。

 雨上がる樹下の小庭に百合香り小さき蛙と蟹の現る。

当分降ったり止んだり、時に陽が射したりするらしい。

 

新型コロナウイルス禍は表向き自粛解除になったは良いが、一部でもやもやと感染が続いている。この状況下では厄介な次波を否定できないばかりか、ウイルスとの共生と呼べるほどの安定感はまだ先のような気がする。
ウイルスは夏場に弱まる、という見方もあった。しかし米国の勢いを見る限り、果たしてどうなのか、見通せないのが現状ではないだろうか。

夏場とコロナウイルスの事とともに、自粛解禁の影響も現れる7月の動向が気になる。

何十年ぶりに一人で午後のゴルフをした。

2020年6月25日(木曜日)

日中ずっと曇り空だったお天気は夕刻からポツリポツリと始まり、間もなく本降りなった。
カラ梅雨気味の空が続いたので恵みの雨である。

そんな日の午後のお天気は曇り空。仕事休みだったので近くのゴルフ場に電話をして、一人で半ラウンド出来るか尋ねてみた。すぐにでも出来ます、と言う返事で1時30分からスタートさせてもらった。
午後のハーフを一人で回るのは何十年ぶりであり、こんな贅沢をしてもいいものか、と少々気が引けた。

薄暮料金という設定があり、ビジターで4650円は昔よりも随分安くなっていた。およそ1時間半、広い場所で気兼ねなく過ごせたのは幸運だった。

 

このカートに乗って回った。

仕事場から10分も掛からずに着いてしまう米山水源ゴルフ場。運営会社に変遷はあったが、50年以上前の開業当初から長く親しんだ。
ここにゴルフ場ができると、それまでテニスをしていた父やその友人たちは一斉にゴルフを始めた。今みな故人になったが、熱中振りは大変なものだった。

ただ今23時を過ぎた。
雨は力強い音を立てて降っている。森羅万象、この先の豪雨に洪水、さらに先の酷暑についてはどうか手加減をしてもらいたい。ましてコロナに於いておや。

倉石隆が挿絵した「人形使いのポーレ」から高校時代の授業を思い出した。

2020年6月24日(水曜日)

今年の倉石隆展示の挿絵本に「人形使いのポーレ」がある。
文庫本よりも一回りは大きいだけの本ながら、ハードカバーが付いている。じっとこちらを見ているこどもの表情が気になって読んでみた。展示中なので夜に持ち出し、昼には返して読んだ。

著者はドイツの作家・詩人テオドール・シュトルムと言う人だった。
町の少年と旅回りの人形使い一家の少女との物語は、幼少の出会いから青年期の再会を経て、結婚とその後の人生が描かれる。

波乱のあらすじはともかく、著者の名の響き、機械職人を目指す青年の旅と結婚などから、高校時代の恩師の授業を思い出した。
先生は私の担任で、地理と数学を教え、特に地理は印象深かった。
〝いいか、ドイツとフランスの国境地帯の広大な森林はシュヴァルツ・ヴァルトと言うんだ。ドイツ語でシュヴァルツは黒、ヴァルトは森、つまり黒い森という意味なんだ〟というような話をされた。

ある日、〝いいか、ドイツの文学史にはシュトゥルム・ウント・ドラングという時代があるんだ。ゲーテやシラーの時代で、疾風怒濤の時代と言うんだ〟という主旨を話された。
※疾風怒濤:Sturm und Drang:ドイツ語では嵐と衝動。
その折、〝いいか、青年期も一般に疾風怒濤の時代と呼ばれている。理想と現実、善と悪、愛や恋など大人への過渡期の経験は嵐のようなものなのだ〟という主旨が続いたと思う。
さらに、
〝いいか、みんなもにもそんな時期が始まっているんだ〟というようなことが述べられ、何か励ましを受けた記憶が淡く残っている。その折、〝ドイツでは職人をめざす人は青年期になると、修業の旅に出るんだ、というようなことも聴いたように残る。
先生は何かと話の頭に「いいか」と仰った。

卒業後の私にも何かしらの波乱があり、不安の中でこれが疾風怒濤なのか、と先生の授業を思い出すことがあった。
さて「人形使いのポーレ」です。

本の表紙 学習研究社版
インターネットの古書サイトで求めました。

 

 

人形劇はゲーテの作品を上演するなど本格的。
劇に夢中になった町の少年は特に道化の人形が気に入り、ある日楽屋に忍び込みそれをいじったあげく大事な部分を壊してしまう。
家にも帰れず、事情を知った一座の少女と大きな箱に入って眠る。一座はダメージを受けるが双方の親たちに叱られたうえ、許される。

 

仲良くなった少女は次の町へと去って行く。
少年は永遠の別れを実感する。

12年後、成長した主人公は機械職人になるべく旅に出る。旅先で住み込んだ親方のもとで腕を磨き認められる。ある日、惨めな境遇の女性に出会うと、幼い日に出遭った一座の少女だった。この下りでやはり高校時代の授業が蘇った。職人になるための修業の旅が如実に語られている。

小さな一冊は、ドイツの作家シュトルムの名と青年の旅から、若き日の授業が蘇った。
テオドール・シュトルムは1817年生まれと出ている。私の高祖父・玄作は1818年生まれなので同時代の人ということになる。産業革命を経てもドイツでは職人の修業制度が残り、日本の玄作じいさんは幕末の京都で、志士たちによる大規模な襲撃事件を見聞している。

小さな本でしたが興味深い一冊でした。
本にはもう一つ「みずうみ」が収められ、こちらの方が有名らしいので読みたいと思っています。
老化した頭脳はなにかと昔を思い出させ、一方で本は少年少女向けが読みやすいのです。

山崎先生、今でもこんなにして当時の授業を思い出すことがあります。

つゆ空のナデシコ、小さな柿の実、あんこロールのケーキ、新たな椅子テーブルの席。

2020年6月22日(月曜日)

日照も雲も無い一様の曇り空。27度はあったのに肌寒く感じた日。

 

美術館で満開のカワラナデシコ。
曇り空に向かって笑っている。

先日ホタルブクロを掲載した際、ネジバナとカワラナデシの三種は、もとから自生していた植物と書いた。
昭和3,40年代まで頸城、大潟、柿崎一帯に続く砂丘の松林には当たり前のように咲いていた。

 

2018年5月に植えた柿の苗が初めて実をつけた。首のあたりだった苗はすでに私の身長をかなり越えている。
沢山なっているが、剪定をして数を減らすと美味しくなるというので、三分の一くらいにした。
まだ一辺が1,5㎝くらいですが、甘柿なので秋が楽しみ。

 

裏庭にコンクリートを打ち、新しく設えた椅子とテーブル。
カフェやベンチからは見えず、はなれのような一角。
ここでお茶とケーキがオーダー出来ます。

 

本日午後ここでお茶を飲んだ。

 

今年からロールケーキにあんこを掛けるメニューを始めた。
昨年末鎌倉に行った際、喫茶店で出されたのが大変美味しく、
今年妻があんこを作りメニューに加えた。そこそこオーダーがあるらしい。
厳選したあずきを用い、塩を加えずこしらえている。
カップは同じく今年から加わったマイセンです。

ロールケーキ&あんことポット珈琲で900円です。
ポットには約2杯分のコーヒーないし紅茶が入ります。

宜しければこの席でお試しください。

婚活、メスに比しまだ気力が足りないように見えたキジのオス。

2020年6月21日(日曜日)

樹下美術館の裏は水田で、周囲の一部に雑木林が残っているので、時々一帯にキジが現れる。
彼らは鋭くケンケンと鳴いて、バタバタッと音を立てて羽を震わせる。
メスを求めるオスの行為である(あるいは縄張りを宣言しているとも)。

つい先日、庭の近くでケンケンが聞こえた。出ていくと私を認めたオスが向こうへ立ち去っていった。

近くにメスがいるかも知れないと思い、身を隠すようにしていると戻って来た。
どんどんやってくる。
目を凝らすとすぐ手前にメスが伏すようにじっとしていた。

 

丸の中にメス。頭を下げている。

以前見たハクセキレイの求愛では、オスがじっとしているメスにおじぎをしながら一方的に近づいて行った。
このキジの場合、両者はともに近寄った。

 

メスは身をかがめて近づいていく。

 

すれ違いざま、振り返ってちらりとオスを見るメス。
メスの眼光に押されたのか、オスは一瞬たじろぎ身を反らせたように見えた。

 

オスの前で毛繕いの動作をするメス。
誘っているのだと思った。

 

鳥たちの求愛では、積極的なオスに対して、当初メスは逃げたり無視をする素振りを見せることが多い。だがこのメスは自分からオスに近づき、視線を投げかけ、そばで毛繕いなどを行い、積極的ともとれる動作をした。二羽はすでに顔馴染みなのかも知れない。

 

かって典型的と考えられるオスの求愛行為を見たことがあった。
その時のオスはメスの前に出て、行く手を塞ぐようにしながら体を膨らませ,,,尾羽を振るわせて広げる動作をを繰り返した。いわゆるディスプレイだ。

 

しかるにこのオスはメスの後に従うばかりで、ディスプレイをしない。
逆にメスはオスの前を左右に移動して自分をアピールし、リードしている風だった。

 

メスが田んぼに降りようとする。

 

すぐあぜ道に戻るメス。

 

 

直後オスがメスの背後からマウントし、交尾したかに見える。

 

 

すぐさま身をかわして先を歩くメス。

 

向こうのあぜ道へ出る。

 

オスに視線を送るメス。オスは無視するように横を向いてしまう。
さきほどの交尾は上手く行かなかったのか、すねているようなオス。

 

オスは毛繕いを始める。何か興ざめした感じを受けた。

この後、先の方で再びやりとりを始めた。
私には用事があり、やや覇気の足りないオスを気にしながら去った。

ちなみに以下は2016年に見たオスの求愛。この時のオスもメスも複雑な行動をしたように思われた。

2016年の一場面。体を大きく膨らませ、広げた尾羽を振るわせメスの気を惹くオス。彼はとても積極的だった。

 

昨日見たオス。先日と同じ個体であろう。まだ独身の雰囲気だった。

私は好き勝手な印象で語っているだけだが、キジたちには自分たちなりの情熱や衝動、あるいは都合や楽しみがあるのだろう。
秋になると子供を沢山連れたメスが樹下美術館の庭に入ってくることがある。

私が何も知らないだけ、彼らなりに上手くやっているに違い無い。

庭にテーブルと椅子を新たに置いた。

2020年6月19日(金曜日)

雨の日をまじえて良い気候が続いています。

開館から当館には水田に面した裏庭に丸テーブルとベンチを置いたデッキがありました。
このたび、この席の右方10メートルほどの所にもうひと場所三人が座る席を作りました。

今年はコロナのせいで開館が遅れ、その間庭仕事に精を出すことができました。
その折、休憩の時にお茶を飲んだ場所があり、ここに席があれば、と話していました。

 

開館以来、皆様に愛されているデッキ。

 

5月下旬、椅子を置き、感じをみてみたところです。
田んぼと庭が見えて、とても良かったのです。

 

その場所(右の白矢印の所)にコンクリートを打ってもらいました。

 

コンクリートの養生が終わり、本日午後、Mホームセンターで目星を付けていた鉄製のテーブル・椅子のセットを購入しました。

 

 

 

テーブルと椅子の座面がモザイク模様。想像以上に良い感じになりました。

今後この席はご自由にお使い下さい。
座るだけで構いませんし、飲食の場合は飲み物、ケーキ」のサービスだけにさせて頂きます。

席へは現在のベンチの方からお回り下さい。
今後飛び石を置いて芝生からも入れるようにするつもりです。
従来のベンチも今まで同様にお使いください。

倉石隆の本、展示以外の挿絵。

2020年6月18日(木曜日)

現在展示中の倉石隆の「挿絵・表紙」展

早々に展示の本をめくってもいいですか、と質問を受けました。
どうぞ、と言いたいところですが、これもコロナウイルスへの対応で、大変に申し分けありませんが、手を触れずにご覧になるだけ、にさせて頂いています。

そこで本日は、現在展示されているページ以外の挿絵をわずかですが、展示の一部から紹介させていただきました。
展示用具の留め具などが写っているものもありますが、お許し下さい。

 

「幸せの王子」 1970年
オスカー・ワイルド著

 

「黒森へ」  1981年
大嶽洋子著

 

「森の少女」 1982年
椋鳩十著

 

 

「人形使いのポーレ」 1969年
シュトルム・テオダル著/望月市恵訳

 

「十五少年漂流記」 1968年
ベルヌ著/辻 昶訳

 

「宝島」 1971年
スチーブンソン著/著西村孝次訳

 

「小公子」  1969年
バーネット著/立花えりか文

 

「下北半島の風」 1972年
小田嶽夫著

 

 

「美しいおくりもの」
オー・ヘンリー著/茨木のり子訳

 

「ふしぎな玉」 1980年
椋鳩十著

 

「罪と罰」 1969年
ドストエフスキー著/中村融訳

 

「カラマゾフの兄弟」 1970年
ドストエフスキー著/中山省三訳

物語に沿ってイマジネーションを深める挿絵。場面の情景と情感にリアリティを、あるいはそれ以上に劇的な効果が求められたに違いありません。
生涯人物画に取り組み人間を探求した倉石隆。
鉛筆画、ペン画、油彩、版画的手法などさまざまな手技を駆使し、懸命に取り組み訴えた図版には、倉石隆ならではの生命感が横溢しています。

梅雨の晴れ間の庭。

2020年6月17日(水曜日)

本日は今は盛りの花を掲載いたしました。
良い気候のもと色の贅を尽くして咲く花は見応えがあります。

 

開館時から咲いている青い額アジサイ。
樹下美術館のアジサイはほぼ全て額アジサイ(ヤマアジサイ系)です。

 

その左隣の青いアジサイ。

 

その少し先にベニガク。
今年も可憐に色を深めています。

 

そのまた先に薄いピンクのアジサイ・。

 

 

 

上2枚は青いアジサイの一角で。

 

西の庭の足元の花。

 

ノリウツギの白さは格別。

 

一昨年のアスチルベと今年からのサルビアが足元に仲良く並ぶ。

 

南の奥からの眺め。手前は鳥たちが好きな場所です。
今年は多くの木の下枝を払い、庭の風通しを良くしました。

 

最後にホタルブクロ。ぎりぎり下から撮りました。
この花のほかカワラナデシコとネジバナの三種類は、
もとからこの土地に自生していました。

 

赤白のホタルブクロは、ここと思えばまたあちら式に毎年咲きます。

梅雨とはいえ晴れ間がほどよく現れ、,過ごしやすい気候で花共々喜んでいます。

一年生の下校。

2020年6月16日(火曜日)

昨日午後の在宅回りの折、信号待ちをする可愛い小学生を見た。
帽子もランドセルも黄色。体型や仕草、横顔はあどけなく、一年生だと思った。

入学式はじめ授業も不規則続き、児童生徒さんたちはもろにコロナの影響を受けた。わけても一年生は特別だったにちがいない。
ようやく通常の登校が始まっているが、不慣れなことだろう。

 

国道の信号は長い。すわって待つこどもたち。
大人に見守られる様子は、ひな鳥のようだ。

ウイルス禍は続く。
この子たちはコロナ世代などと呼ばれて生きて行くのだろうか。

クルーズ船、宴会、繁華街、ジム、等々、感染は大人の娯楽や習慣が主に拡げた。

罪も無くあどけない子供たちをみていると、可哀想な気がしてくる。

どうか子供らしい夢中さを発揮して、長く力強く生きてほしい。

雨降りの日に抹茶。

2020年6月14日(日曜日)

ほぼ終日雨に降られて肌寒かった日曜日。

 近隣の天ケ池(上越市大潟区)

 

 

抹茶飲む手許のマスクの白さかな

先客に習って私も抹茶を飲んだ。

開けた窓から雨を見ながら頂きました。

コロナ梅雨窓をひらいて服す茶の 湯気あたたかく胸に滲みたり

明日昼頃から晴れる予報が出ている。
毎年テッポウユリがひどく雨に打たれる。開花が近づいているが、沢山植えたので今年は是非控えめな降りにしてもらいたい。

東京で48人の新型コロナウイルスの新規感染者が報告された。
基準を設けても、突然のようにその上を行くウイルス。
私たちはまだ甘いのだろうか。いずれにしても東京の困難は、そのまま地方の困難につながっている。
経済や社会をぎゅうぎゅうと突いてくるウイルス。どこまで私たちを試せば気が済むのだろう。

大変なものを相手にしてしまった。

夕方に晴れ間 煮物。

2020年6月13日(土曜日)

朝方の雨は昼までに上がり、夕刻は曇り空から茜が射した。

梅雨ざむというのであろう、長袖が丁度良かった日、ぽつぽつぽつとお客様が来館された。
展示をご覧頂き、カフェにすわって下さった。

 

夕刻の頸城平野。山に霧が忍び込み穏やかな眺めだった。

 

 

何故か本日は煮物の写真を並べてみました。

 

つい最近、棒鱈(ボウダラ)が入った煮物。
(6月15日ミガキニシン→棒鱈に修正)
煮物は写真写りが良い。

 

若いころ、年寄り達はなぜ煮物を好むか、全く理解出来なかった。今その年寄りになるや訳も無くよく煮物を食べている。

 

 

本日は減らしたカフェの席がおよそいっぱいになりました。

雨上がりの午前の空と庭。

2020年6月12日(金曜日)

昨日は一日中畑と庭に恵みの雨が注ぎ、梅雨入りと報じられた。
しかるに一夜明けると日中晴れて、清々しい雲が浮かんだ。

 

、四ツ屋浜の北東の空。。

 

南の空にヴェール状の雲。

 

その後の樹下美術館の北東の空。
敏感そうな網目状の雲は間もなく曇り空に変わった。

 

庭がますます力強くなっている。カフェから見て左側から花を見ながら右回りに歩いた。

 

鳥が寄る水盤のあるところ。

 

以下額アジサイを主に花が盛りを迎えている。

 

上記の先左手に青いアジサイが数種。

 

 

一昨年植えたアスチルベ、今年のサルビア。

 

右に常緑のトクサが新芽を伸ばし始め、左のキンシバイの黄色が目を引く。

 

今年も可憐に咲いたクレナイアジサイ。
これからまっ赤になりルビー色に変わる。

 

歩いた西の庭を振り返る。右手のカシワバアジサイの花が膨らんできた。
左手前に今年植えたバラが可愛い。
ヒコバエを移植したカシワバアジサイは7,8年経ってすっかり定着。

 

上記の場所から上(北)を見る。

 

少し進んで振り返る。来年のバラはどんな風になるでしょう。

 

最後にカフェの窓から南西を見る。向こうは水田。

つい数ヶ月前は枯れ木に裸ん坊の眺めだった庭が、今や我が世の夏とばかり緑を湛えている。自然の営みの力強さは息を飲むばかりだ。

梅雨とはいえ、明日日中はおおむね晴れる予報が出ている。生き生きとした庭はいくら見ても飽きない。

明日夕刻の空は如何ばかりであろうか。降ったり晴れたり、しばらくまだ良い季節に続いて貰いたい。

本の展示用品 梅雨入り。

2020年6月11日(木曜日)

今年1年の倉石隆の絵画展示は「細長い絵と挿絵・表紙」です。
細長い絵は5点で、挿絵・表紙の本は21冊をお出ししています。

本は展示のほか資料として出すことがあり、かって挿絵原画展をしました時に7,8冊の展示をしました。このたびは21点ですから,スペースとして精一杯でした。
表紙だけ見せることが多い本の展示。
しかし中をお見せするのが、本のイメージが伝わりやすいと考え、開く方法で行ってきました。

このたびは数が多かったので、以前に使ったブックスタンドに加え、ネットで求めたアクリル製品を用い、以下のように展示をしていますので、載せてみました。

 

台の左右に可動する小さな支えが付いている。角度は後ろのスタンドを調整する。

 

 

後ろから見ています。厚い広辞苑を展示することも出来るそうです。

 

両脇から支える品物。

 

裏にはプラスチック板が十字にあしらわれ、台と背の働きをしている。
左右の留め具は金属棒で幅を調節するようになっている。

 

最もシンプルなアクリルの角棒によるペーパーウエイト。
簡単に開く本はこれで十分。

 

今回特に重宝した本の形をしたアクリル製品。

 

開いた本に載せるだけ。小型の本には大変便利だった。

このたび本の展示で困った事があった。
お客様から、ほかのページも見ていいか、という質問があったという。普通であれば、もちろんいいですよ、とお答えするところである。しかし、念のためコロナへの対応で、申し分けありませんが、展示をご覧になるだけに、とお返事したという。図書の閲覧といい、このような方面はどのように推移するのだろう。

 

さて本日は雨、梅雨に入ったらしい。涼しくしとしとと降った。

 

午後の駐車場の様子。

雨を待っていた庭。

 

以下は大潟区潟町の仕事場で咲いていた本日のバラ。

 

突然のレンズに薔薇の慌てたり

さすが6月の梅雨は静かです。
雨に洗われ、あたりは落ち着いた眺めになっていました。しずくで花はうつむいていましたが良い風情でした。

本日雨中のお客様、ご来館有り難うございました。

コロナ禍がもたらしつつある潮流。

2020年6月9日(火曜日)

昨日・上越ケーブルビジョンの取材があった。取材といってもローカルニュースの一つとして記者さんが取材された。色々聞かれ、またお答えして本番だった。

およそ四ヶ月続き、いまだクリアというわけには行かない新型コロナウイルス禍。
インタビューは、それによって美術館として何か変化があったか、期待される変化があるならどんな事かという質問に絞られた。
とても良い質問だったが、簡単に述べるのは難しい。

それに関して、過日ある女性が、〝コロナのため家に居る時間が非常に多くなり、何か新しい事をはじめなければと思った。考えついたのが、文化・芸術に親しむことだった。美術の本を読んだり美術館をたずねたりすることに決め、さっそくここへ来た〟と仰った、

〝きてみると想像以上に楽しく、美術に興味が湧いた〟と仰った。
確かに衣食足りた上、時間があるなら文化や芸術に親しむことは、とても有意義なことだと思う。
いや、衣食足りなくとも、我や貴方の生き方や心について、自然と私たちについて、先人の道や感性について、創造や造形の楽しさ、あるいは心と言葉について、幸福についてなどなど、星の数ほどのヴォリュームで、文化芸術は私たちを待っている。

量から質へ、外面から内面へ。
心を豊かにし、人の価値を高め、人生を幸福に導く文化芸術。
コロナの災禍を機に、このような面に親しむ機会が増えるなら素晴らしいことではないかと、思っている次第です。

 

今夕の樹下美術館のバラ「クリスティアーナ」
最後に頸城園芸で求めたバラで、9800円もしました。
喜びあふれる表情でした。
※マリアベールはカフェの正面近くへ移り、跡にクリスティアーが来たという次第です。

困難、試練、振り返り、思索、試行と再生、そして新たな価値観へ。コロナ禍は一過性ではないある種潮流を、じわりともたらしているように見えますが、如何でしょうか。

よくわかりませんが、この度の災禍は容赦の無い未曾有のインパクトを有しているのかもしれません。
文明や政治についても、今後、基本「善としての人間の原理」に沿ってみようという気運が生まれるなら、望外の潮流です。
反対にさらに〝既得者中心の利益〟へ向かうなら、それこそ最悪ですが、最先端の国、米国ではすでに両者の軋轢が現れているのでしょうか。

6月、患家の庭の実と路傍の花 あざみの歌。

2020年6月8日(月曜日)

本日は四つの在宅訪問があった。
新たな方がお一人、何十年も前に診ていた方だった。いろいろな所でお世話になり、あらためて在宅で再会することが時にある。この方は昔を覚えておられ、こまやかな感じがそのままで、ほっとした。

以下は何年も通っているお宅の庭の実。午後の庭陰に灯した明かりのようだった。

 

キンカン。
我が家のキンカンはまだ木が幼く、毎年アゲハの幼虫に丁寧に食べられる。
食べられてもある程度大きくなると食害の割合が減り、ちゃんと実を付けるようになるらしい。

 

ああ、もうビワが黄色になっている。
梅雨のころの黄色の実は、青々した大きな葉ととても調和が良い。
いかにも南国の植物の印象を受ける。

 

雑木林の路傍にアザミが沢山咲いている場所があった。

 


伊藤久男のあざみの歌。
ラジオ歌謡で昭和24年(1945)8月8日から放送されたという。

 

昔々、知的な感じの人がこの歌を口ずさんだ時、この人はこんな歌も知っているのかと、驚いた。
知らなかったその歌を初めて耳にした私は、恵まれている人にもいろいろなことがあるんだ、と胸が詰まった。

風通うベンチでお茶の美術館。

2020年6月7日(日曜日)

6月が一番良い季節と書いてはみたものの、自信があるわけではない。
庭や風景をいいなあと思うと、たまたま6月が多かった、という程度のことでもあろう。
5月も非常に良い日はあるが、風が強かったり、すぐに崩れたりで、6月ほど安定感は無い。

開館して1週間が過ぎ、お客様でンチに座られる方をよくお見受けしている。
本日海からの風が田んぼへ吹き抜けるベンチに、着物の方が座られお抹茶を飲まれた。

 

 

和装と水田の取り合わせは時代を越えている。
着物の色と植えたばかりの苗の色が全く一緒。

6月の草地と雲と夕暮れ、それに電車。

2020年6月6日(土曜日)

雨が降らず良い季候の日が続いている。
本日土曜日午後から曇り空が次第に明るくなり、雲が賑やかになった。

 

樹下美術館隣の草地は、一面にブタナの黄色い花がきれいだった。

同じ外来種でも花が小さなブタナは大きい金鶏ギクよりそれでも景色が良い。旺盛な繁殖力で随所の草地を我が物にしている。
日が経つにつれ花がしぼみ、白い穂(綿毛)に変わりつつあり、眺めとしては悪くない。。

 

近づいてみた。

 

さて陽が傾き始める頃、西の空に光のスジがクシ状に現れていた。
雲による光芒だと思っていたが、太陽から離れた所から始まっている。
するとスジ雲ということになるが、こんなに強いコントラストで直線的なのは初めて見る現象だった。どう説明されるのだろう、分からない事が多くて困る。

 

 

中層から高層までさ、まざまな風を反映して賑やかな雲。

 

大きな夕焼けのスポットライトの中からほくほく線の電車が現れる。
半円の夕焼けはたまに見ますが、不思議といえば不思議。

 

午後1時から5時までの四時間の営業ですが、ぽつぽつとお客様に来て頂き、展示をご覧になったり、風が通るカフェやベンチでお茶を飲んで頂きました。

皆様有り難うございました。

水浴びするシジュウカラの若鳥。

2020年6月4日(木曜日)

さすが長袖はかなわない、という暑い日。庭をいじるので出始めた蚊に用心して仕方無く長袖。

昨日セキレイの求愛でしたが、本日はシジュウカラの水浴びです。庭の水鉢に次々4羽が現れました。

集まったのはいずれも口ばしに黄色味が残る若鳥でした。
一昨日、親から給餌を受けていた兄弟姉妹でしょうか。
そうだとすると、もう自立?水浴びはいいとして自分で餌が獲れるのでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

モニターを見ながら撮っていましたが、親鳥は現れませんでした。
この子たちは本当に自立したのかもしれません。

一方親は再度身ごもり、二回目の産卵の備えに入ったことも考えられます。
巣作り、身ごもり、産卵、抱卵、孵化、餌運び、巣立ち、木立での給餌、子の自立、すかさず二度目の身ごもり。
何という親であり、子でしょう。

見ていると支配と服従もなく、組織だったものも、税金などもちろんありません。
厳しい自然に甘んじ、夏冬に耐え秋を楽しむ鳥たち。

可愛いので沢山出しました。
ちなみに、子達は親が教えなくても、自然に水浴びをするようになります。
数ヶ月後ほかのグループも入れて、十数羽で水浴びにくれば最高ですね

本日ご来館の皆様、まことに有り難うございました。
お陰様で樹下美術館としましては、順調なスタートだと思っています。
コロナウイルスに対しましても、気を使って頂き深く感謝しています。

夕刻にハクセキレイの求愛行動。

2020年6月3日(水曜日)

今夕ほくほく線の夕焼けをみるべく農道へ出かけると、車の前方で奇妙な動きするハクセキレイに出遭いました。

 

頭を上下させる動作を何度も繰り返す。

 

向かい側にうずくまっているハクセキレイがいる。
色調が薄いのでメス、濃い左の個体はオスであろう。

 

おじぎ動作を繰り返しながら、少しずつメスに向かって行く。

 

 

距離が縮まってきた。

 

3分ほどかけてここまできた。

 

オスが低く身構え飛びかかる寸前、メスが飛び立った。

 

今度は、先の場所で互いに追かけっこを始める。

 

時々二羽で飛び立ち、絡み合うような動作をするのがきれいだ。
しかしカメラに上手く収まらない。

 

ここここでは、メスが激しく鳴いてオスを追い反しているように見える。

 

この時のメスを大きくしてみました。大声で叫んでいるようだ。
結局二羽とも飛び去りましたが、ほかでまた始めるのかもしれません。

 

遅い時間の車中からの写真は上手く行きませんでした。
しかし話に聞いていたハクセキレイの求愛ディスプレイを初めて観ました。

繰り返されたおじぎのような動作は、挨拶に見えますが、餌を採る動作にも見えました。
〝僕はこのように熱心に餌を採るので、どうか宜しく〟と訴えていたのではないでしょうか。

熱心な求愛行動からこの鳥は、恋数え鳥、恋知り鳥とも呼ばれ、
日本書紀にイザナギ、イザナミは、子の作り方をセキレイの行動によって知ったと記されているようです。

本日は良い機会でしたが、暗くて残念でした。
鳥を観ている間に、お目当ての電車は通り過ぎて行きました。

清々しい風光のなかで。

2020年6月2日(火曜日)

本日ご来館いただいたお客さま、有り難うございました。足元、空とも良く、過ごしやすい日でした。

館内の展示はおおむね好評で喜んでいます。

以下は本昼の庭です。

 

 庭の良い場所に色新たに掘川紀夫さんのテンセグリティが爽やか。

 

樹木が成長し、ますます奥行きが深まった庭。

 

ご近所の方が竹垣を作って下さった。これまでは牧場の柵のようでした。
界隈の方たたちは本当に器用です。

 

咲き始めたガクアジサイ。

 

陶芸ホールの真裏に、テーブルと3客の椅子を置く予定です。
椅子を出してコンクリ-トを打つ広さをみたところです。
田んぼと庭がよく見える、一番良い場所かもしれません。
(この写真は一昨日の開館準備の日に撮りました)

 

木々の中からさかんにチーチーと鳥の鳴き声が聞こえました。
目を凝らすとシジュウカラの親子でした。
給餌をしながら巣立ったヒナ(矢印)に自立を促しているところです。

あの灯りの中で育ったヒナでしょうか。この時期、栄養たっぷりのヒナに比べ、重労働の親の方が小さく見えます。
いずれ水浴びにも訪れることでしょう。

お客様には、不安定な感染症を気遣いながら過ごして頂き、とても感謝しています。

当館にしては順調なスタート 高速道路沿いのウノハナとノイバラ。

2020年6月1日(月曜日)

東京が新型コロナウイルスに対する警戒水準を2に下げた。奇しくも樹下美術館はその日に開館となった。

毎年初日の入館者は少なく静かに始まる樹下美術館。今年は15人様の出発となった。制約の中での出発にしては、ほどよいことと思った。

 

さて本日美術館から仕事場への道で、高速道路の土手に咲く白い花に眼が止まった。
ウノハナとノイバラだった。みどり濃い草木の土手の至る所から波しぶきのよう咲く花に涼しさを覚えた。

以下はウノハナ。

 

びっしりと花がつくウノハナは、確かに垣根の花に相応しい。
樹下美術館にもあるが、わずか幅1メートルほど。

大叔父が作曲した「夏は来ぬ」。あの清々しくも高らかなメロディをくちずさみながら、仕事場へと戻った。

ウノハナに混じってノイバラが咲いていた。一帯に自生のものがあるので植栽されたのかどうか分からない。

 

 

見おとされがちだが、近づくと大変可愛い。

やや驚いたことに薄いピンクのものが一株あった。
園芸種といえるほどきれいだった。

 

本日開館でしたが、北九州の事などを考えれば、まだ油断はしないほうが良いようです。お客さまにはマスク、手消毒、椅子を離すなどお願いしていますが、皆様は自然に応じられたと聞き、有り難いこと、と思いました。

お越し頂いた皆様あり難うございました。

宮崎館長様と館員さま、いつも早々に有り難うございます。ご本有り難うございました、まもなくですね、ぜひ伺わせてください。

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