森のトマト畑 その1。

2020年4月18日(土曜日)

新型コロナウイルス感染対応に準じ、なんとか休館中の樹下美術館。

お詫びのひとつとして、誠に恥ずかしいのですが1982~83年ころの自作「ばいきんきち」を掲載させて頂きました。
同じ頃もうひとつ「森のトマト畑」を書きましたので、本日懲りずにその前半を載せてみました。当時文は原稿用紙にボールペンで書き、絵は半紙に水彩を施しました。

長年経ち、一定の語句を添削しています。また表紙を替え、新たに後半の挿絵を用い、タイトルはパソコンで上書きしました。当時多くの漢字にルビをふり、一応小学校低学年の娘向けに書いていました。

 

1 はじめに
今日は、むかし私がお山を歩いていたときに見つけたトマト畑のことをお話しましょう。
あつい夏の日でした。わたしはとおい所にあるお山をあせをかきかき歩いていました。うすぐらいお山の森に小さな空き地がありました。
おどろいたことに、そこにまっ赤にじゅくしたトマトがたくさんなっていたのです。

あついひざし、かわいたのど。そのとき、がまんしきれず一つもいで食べたトマトのおいしかったこと。でもなぜ、こんな山のおくにりっぱなトマト畑などがあるのでしょう。私はわけが知りたくて森のおくへはいっていきました。

森にはいろいろな動物が住んでいました。動物たちはリスもクマもテンも、タヌキも野ネズミも、キツネもみなつやつやと毛なみが良く、とてもじょうぶそうでした。元気なのは、おいしいトマトを食べているせいにちがいない、と思いました。

私は動物たちに、どうしてこんなところにりっぱなトマト畑があるのか、わけを聞いてみました。
すると年よりクマのマーグじいさんが、「こちらへいらっしゃい」といって、じいさんお気に入りの木のあなぐらへつれて行きました。
「じつはあのトマト畑にはわけがあってのう、ひとつ聞いてみるかい」といって話してくれたのがこのお話です。

2 うすぐらい森
動物たちの森はむかしからひあたりが悪く、とてもくらかったのでした。そのためみんなはよく病気になりました。それで動物たちはもっとひあたりが良ければなあ、といつもねがっていました。

ある日、村からいちわのカラスが森にまよいこんできました。カラスはみんなから明るい森のねがいをきくと、
「それなら私が空をとんで、太陽のひとかけらをとってきて森を明るくしてあげましょう」といいました。
みんな大喜び。くちぐちに「カラス君、おねがいします」とたのみました。

3 がんばりカラス
雲ひとつないたいそう良いお天気の朝、
「では行ってきます」
動物たちにみおくられ、カラスは大空めがけいきおいよく飛び立ちました。

 


パタパタパタ、パタパタパタ、、、。カラスはいっしょうけんめいはばたきました。
でもとんでもとんでも、太陽は高い空の上。がんばりつづけたカラスでしたが、夕がたまでにようやく低い雲の下までしか行けきませんでした。

太陽はどんどんしずんでいきますし、羽もすっかりつかれてしまいました。とうとうカラスはあきらめて、地上にまいもどりました。

それからあくる日もあくる日も、カラスはとびたちましたが、うまくいきません。


そのころ森では、動物たちがなかなかかえってこないカラスのことをしんぱいしていました。
「太陽はあついからなあ、カラス君、おおやけどをしてしまったのでは」
マーグじいさんはしんぱいそうです。
「空をとべるカラス君だ、きっと太陽をとってきてくれるよ」
小リスはカラスをしんじているようでした。
「もしかしたらカラス君、太陽をもちにげしたのでは」、キツネはうたがっているみたいでした。
それでも夕方になると、みんなでお山のてっぺんにすわって、カラスの帰りをまちました。

4 こまったカラス
ところでカラスはどうしていたのでしょう。
なんどくりかえしてもうまく行かないカラスは、しょんぼり村はずれの道をあるいていました。
「このままでは森にかえれない。こまったなあ、カアー」と空を見上げてなきました。

しばらく歩いていると、広いトマト畑が見えました。まっ赤にじゅくした大きなトマトがたくさんなっています。おなかペコペコのカラスは一つをもぐと、モグモグ、むちゅうになって食べました。
「あーあ、おいしかった」

カラスはようやくひといきつくことができました。
そしてもう一つ食べようとトマトをくわえたとき、
「コラー、いたずらカラスめー!」
大きな声がしておひゃくしょうのとくべえさんが走ってきました。
カラスはトマトをくわえるとスタコラ、スタコラはしってにげました。

ようやく草むらへとにげて、ひとやすみ。
くわえてきたトマトを食べようとしたとき、
まてよ、太陽がとれないなら、かわりにこのおいしいトマトをおみやげにもってかえろう。そしてみんなにわけを話して、あやまろうと思いました。
その夜カラスは、トマトをわきにおくと、ぐっすりねむりました。

申し分けありません、後半へ続きます。

 

これが当時の表紙。
いつでもコピーできるように、原本は閉じずにクリップで止めていました。

文の原稿用紙。
こどもたちなどに上げる時はこれをコピーし、
挿絵のコピーをはさみ表紙のコピーを乗せてホッチキスで止めました。

10部ほど作りました。当時白黒のコピーが普及しはじめていましたが、私が知る限りカラーコピーは新潟市の印刷屋さんが扱っていてそこへ持参しました。一枚800円だったと記憶しています。その後カラーコピーは急速に普及しました。

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