2020年3月
美術館コロナの春の薄化粧。
新型コロナウイルスに備えて、3月15日の開館を延長しました樹下美術館。
午後のみの開館、席数半減、滞在時間制限、メニュー制限、図書貸し出し中止、などを掲げての出発です。
小学校の始業が行われること、上越地域の感染が無い事などを条件に、4月6日に今年の開館をすることに致しました。
●文化庁のホームページには「文化芸術に関わる全ての皆様へ」という、,3月27日付け長官のメッセージがあります。
以下に最後の部分を引用しました。
〝この困難な時こそ、日本が活力を取り戻すために、文化芸術が必要だと信じています。
明けない夜はありません!今こそ私たちの文化の力を信じ、共に前に進みましょう。
宮田亮平〟●またドイツ政府は「アーティストは必要不可欠であるだけでなく、生命維持に必要なのだ」と述べ文化芸術面に大規模支援を表明しています。
不安のなか、このようなメッセージには勇気づけられます。
本日スタッフが館内外の清掃を済ませ、一緒に展示準備をしました。
以下におおむね完了した倉石隆の絵画コーナーの様子を掲載します。
中央に5点の細長い油絵を架け、
手前に倉石氏が挿絵や表紙を描いた本19冊を展示しました。
16席から7席減らして9席にしたカフェ。
陶芸室のテーブル席も8席→4席としました。
何度もお伝えしましたクリスマスローズが真っ盛りになりました。
美術館コロナの春の薄化粧
色々考えてみましたが、相手は賢くて姿も見えない強力な魔術師。
混み合うことが少ない当館がいっそう閑散であれば、と妙なことを願っています。
残り少なくなった貴重な春を、こんな風に迎えるとは考えてもみなかったことです。
キーやボタンを押せば答えが出る生活で、すっかりご立派になってしまった私たち。
春で、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」を思い出しました。
レイチェルを出すと、揚げ足取りをする人がいそうで、これまた悲しいのです。
あるブロガーさんへの歌。
とても残念なのですが、ある方が最近ブログを閉じられることになりました。
遠くから樹下美術館を応援してくださっている方です。
ささやかなお礼としましてYouTubeから歌をお借りしました。
宜しければどうかお聴きになってください。
ある医師のお勧めの歌でもあります、
アルフレード・クラウスの「真珠採り(耳に残るは君の歌声)」にしました。
力づくで来ようとする者との戦い。
貴方に共感し応援しています。
「大丈夫ですからね」
来る4月6日の開館に際しまして。
「来る4月6日、今年の開館のお知らせです。」
感染症に対して以下のように配慮をいたしました。
●館内ではなるべく静かにお過ごし頂ければ有り難く存じます。
●カフェのお過ごし時間はおよそ一時間程度までにご協力ください。
お互いに予防を理解し、春の到来とささやかな文化に触れて元気を出しましょう。
本日の県立大潟水と森公園 4月6日に今年の開館を予定。
かろうじて雨をこらえていた本日土曜日日中の空、夜になりしとしとと降っている。
厳しさを増した東京のコロナの状況は、大規模な病院・施設の内部感染が報じられ、全体としての動静が気になる。
柏崎市以西の上越市および糸魚川市においては、依然として感染者の確認はない。この問題では、公の発表が実態を反映しているかどうか常に悩ましい。何となく疑わしい眼であたりを見る癖が付いてしまい、いかにも気が重い。
精一杯自己管理を続け、一定の行動規範に従う以外になさそうだ。逃げる訳にもいかず、これも健康維持の一つの形として、納得するので良いのかな、と考えている。
本日午後は大潟水と森公園を歩いた。このところヒマさえあれば公園に行く。寒暖の差が激しいので服装には気を付けなければならない。本日は、途中で小学時代の同級生に出合いほっとした。
騒然とした社会と異なり、公園の自然は確かな足取りで季節の歩みを刻んでいる。それらに触れると、混乱しがちなこちらの調子が整えられていく感じがしてくる。
タチツボスミレであろう、歴史ゾーンの一カ所に沢山咲いていた。
潟の里ゾーンのミズバショウ。
さて間もなく4月になります。
新型コロナウイルスのため、3月15日の今年の開館を小学校の新学期の始業まで延期する予定としていました。
当地は4月6日がその日にあたります。感染の収束や安全宣言など宛になるものがありませんので、やはり随分悩みました。
しかし、
「こんな時だからこそ、ささやかな文化ながら、心のともしびになれば」、と考え開館を決めました。
事情が事情だけに、幾つかの事項に配慮し、普段と異なる形で始めたいと思っています。
ぎりぎりになりましたが、詳細は明日掲載致しますので、どうか宜しくお願い致します。
メディアや記者ばかりはなく直接国民にも語りかけて ヒスイ色の海。
元気だった人が周りで倒れていく。おそらく欧州やアメリカの一部では感染症の恐ろしい一面がみられているのでしょう。
あまり好きな言葉でありませんが、内外で「国難」や「戦時下」という言葉が使われるようになりました。
全国を襲う未曾有の事態に対応するリーダーは国や自治体の長です。国民が冷静に振る舞うため、機を見て的確な説明をして取り組みを訴えなければなりません。
その際、
精一杯で良い、「明解な事実」、「強い問題意識」、「取り組みへの情熱」および「精度の高い対応」の伝達が期待されます。
これまで首相は、対策本部や専門家会議の後に何度も会見を重ねました。しかし主にメディアを介する会議の結論と報告が中心でした。
事態はまだ先まで続く様相です。不慣れな生活によるコロナ疲れも否定できませんし、軽症と言われる若者の逸脱も無視できません。
事態が重大なほど、長引く今、リーダーによる心打ち勇気と希望につながる言葉が待たれます。
うらやましいことに、マクロン氏やメルケル氏は、まるで国民を自室に招いて語るように自分の言葉で訴えました。我が国のように大勢のSPと役人、あるいは記者を引き連れる、権威に囲まれる会見は、仰々しい視覚的な雑音によって、素直に視聴者の心に入り難いのです。国民一人一人に向けた心に響く首相の(あるいは都知事の)生の言葉を聞きたいのです。
余談ですが、この点テレビでみる道府県知事たち(一部を除いて)はメモ無しで自らの言葉で話をされ、事態の切迫感と自身の真剣さが伝わります。そのほうが安心にも繋がるようなのです。
さて以下は先週土曜日、夕刻に近い柿崎海岸です。
過日の上下浜はオレンジ色でしたがこの日はヒスイを思わせる色でした。
ばいきんきち その2。
長年書棚の隅っこでレントゲンのフイルム箱に入ったままだった「ばいきんきち」。原稿用紙の文字稿と画用紙のスケッチをコピーし、クリップで止めただけのものでした。5,6部つくり子供達と知り合いに上げて終了でした。
もう一つ、水彩で描いた「森のトマト畑」は少し面白がってもらいましたが、「ばいきんきち」は気持ちが悪いなど少々不評、ただゼガー博士は面白かったと言ってもらいました。
では続きです。
4きちの中
外からみると、ボロボロのれいぞうこのきちも、中はピカピカで、あちらこちらにライトもついていて、とてもせいけつになっていました。
小さなれいぞうこでもばいきんたちにしてみれば、巨大なきちです。何千何万ものばいきんがいました。プラスチックでで出来たろうかや、体育館、きょうしつ、びょういんがあり、沢山のいすとテーブルがおかれた食どうでは、ばいきんたちがにぎやかに食じをしています。
「ヘエー、たいしたもんだな」、感心して写真をとりました。
こんな大きなきちならば、きっとけんきゅうしつがあるにちがいない、と思い、一匹のばいきんにたずねてみました。
「その先を右に曲がった所だよ。しかし所長のゼガー博士は気むずかしいので有名だよ」と言われました。
でもぜひ博士にあって、ばい菌のひみつを知りたいと思いました。言われたとおりに行くと、けんきゅうしつがあり、決心してドアをたたきました。
5ゼガー博士
とびらをあけると、しけんかんやピペットにくすりビン、色々なおくすりやバーナー、さまざまな機械のほかメーターがいっぱいみえました。
白衣を着たばいきんたちがいっしょうけんめいしごとをしています。かべに「人間をやっつけろ!人間にまけるな!」という大きな字が書いてありました。
ゼガー博士はどこですか、と入り口でたずねると、
「一番おくにいますよ」とおしえてくれました。見ると黒いふちのメガネをかけ、ヒゲをはやし、耳が特別大きな博士がみえました。
こわかったですが、近づいて声をかけました。
「博士、私はばいきんしんぶんの者です。今年のばいきんのどくはどんなとくちょうがありますか」とたずねました。
博士はじろりとこちらを見ると、めんどうくさそうに、
「げりだよ、今年はげりさ」と答えました、
それを聞いてわたしは心配になりました。というのはげりをするとかぜは治るのに時間がかかるのです。
その時でした、博士はとつぜんこちらを向き
「君、君は本当の記者じゃないね。人間だろう」と言いました。
はっとして後ろへさがり、
「私はばいきんしんぶんの記者です」と言いました。
「いやちがう、君は記者のマークをつけていないし、だいいちくつをはいている。ばいきんはくつなどはかないもんだよ、それにしっぽもないじゃないか!」
博士はおこってどなりました。
私はにげようとすると、
「こいつは人間のスパイだ!つかまえろ」
博士がめいれいし、わたしはあっというまにしばられてしまいました。
6脱出
しばられたまま沢山のばいきんがあつまっている体育かんにつれてこられました。
「みんな良く聞け。こいつは人間だ。これからこいつに新しいどくをちゅうしゃしてじっけんをする」
博士は大声で言いました。
すると、
「ちょっとまってください!」
その時、こどものばいきんが足を引きずりながら出てきました。
「博士、このひとはいい人なんです」といいました。
道ばたで足の手あてをしてやったあのピノでした。
しかし博士はかまわず、「じっけんをつづける」といいました。
このままでは大変なことになります。
「まってください。私のポケットにいおしいおみやげが入っています。それをあげましょう」
とひっしになって言いました。
博士は私のポケットに手を入れると、ホメオスターを取り出し、「これはうまそうだ」と言ってのみはじめました。
するとくすりがきいて、博士はみるみる大きくなり、天井までとどくと、しまいにはれいぞううこいっぱい、ぎちぎちになってきました。
飲み過ぎです、もうはちきれそうです。
おどろいたみんなはきちを走りまわり、大こんらんになりました。わたしはポケットに残ったホメオスターを急いで飲みながら出口にむかって走りました。
「博士が爆発するぞ!」とみんなに声を掛けました。
やっとのことでそとへ出ると、私のからだはしだいに大きくなりはじめていました。
ドッカン-! 突然大ばく発がおこりました。
れいぞうこは博士もろともこなごなになって飛び散りました。
あたりが静かになると、まわりにはばいきんが沢山横たわっていました。
動かなくなった小さなピノがみつかりました。
わたしを助けようとしたばいきんです。
落ちていたウメの花びらをひろってかけてやりました。
すっかりもとの大きさに戻ったわたしは、いそいで病院へ行き、庭のこわれたれいぞうこと、まわりを消毒してください、と頼みました。
大変な出来事でしたが、話はこれでひとまず終わりです。
その年、悪いかぜは、あまりはやりませんでした。
拙い「ばいきんきち」は以上です。
あらためて見ますと、変な所ばかりで困っています。無理を言ってお読みいただき有り難うございました。
休館中のお詫び ばいきんきち その1。
新型コロナウイルスはオリンピックを延期させるほどの力を見せつけています。やはりただの風邪でもなければインフルエンザでもなかったようでした。
さて以下は今から40年ほど前、小学校2年と4年生だった二人の子供に向けたまことに拙い文と絵です。
本当に恥ずかしいのですが、新型コロナウイルスによる休館のお詫びです。もし宜しければどうかご覧下さい。
1ミクロマイシンとホメオスター
私はいつもばい菌というのはいったいどこからやってくるのだろう、ということを考えていました。ばいきんのようすをさぐるには、自分もばいきんのように小さくならなければいけないので、人間が小さくなれるおくすりをつくるけんきゅうをしました。ある日、とうとうそのおくすりが出来あがりました。そして、小さくなるおくすりにはミクロマイシン、ふたたび大きくなるときのはホメオスターという名前をつけました。
かぜがとてもはやった冬、私はばい菌の基地を見つけにゆくことにしました。ばいきんにあやしまれないようにコートをきて、カメラをもって帽子をかぶり、しんぶんきしゃのかっこうをしました。そしてホメオスターをもポケットに入れ、ミクロマイシンをのんでみました。たった三つぶで私の体はどんどん小さくなり、つくえやいすが山のように大きくみえるようになりました。
2ピノ
さていよいよ外に出てみると、あちこちはみなばいきんだらけでした。空をとんでいるもの、れつをつくって行進しているもの、きたないみぞをのぞきこんでいるもの、中にはひるねをしているものもいました。
しばらく歩いてみましたが、ばいきんたちはあっちへ行ったりこっちは来たりで、どこにきちがあるのやらさっぱりけんとうがつきません。ところがよくちゅういしてみると、けがをしているばいきんたちは、みな同じ方向へ歩いたり、はこばれたりしていることに気がつきました。
けがのばいきんたちは、びょういんへ行くにちがいない。そこにはきっときちがあるはずだと考えました。そこへ足をけがしばいきんが「いたいよう、いたいよう」と泣きながら歩いていきました。あまりいたそうなので私は近づいて、足にほうたいをしてあげました。
「どうもありがとう」そういうとばいきんはまた歩きはじめました。するとこんどは仲間がやってきて、
「おいピノ、いったい何にやられたんだ」と言いました。
「くすりのたまにやられたんだ。逃げても逃げてもくすりがおいかけてきて、とうとう足をやられてしまった。と答えていました。ハハ-、あいつはピノというのか、いがいにかわいい名前だなと思いました。
「ピノおだいじに」というと仲間のばいきんはとおくへ走って行きました。ピノの後をつけると、ばいきんたちがとてもたくさんいる所へきました。きゅうきゅうしゃもいそがしそうに走りまわっています。いよいよきちのちかくへ来たのだ、と思いました。
3ばいきんきち
ほそいろじをぬけると広ばへ出ました。そこはとなり町のびょういんの庭でした。庭のすみにふるいれいぞうこがすててあり、ピノはそのそばへ行くとあたりをキョロキョロ見わたしました。わたしは見つからないように木のかげにかくれました。しばらくしてのぞいてみるとピノはもう見えなくなっていました。
そうか、あのれいぞうこがばいきんのきちにちがいない、と考え、走っていってれいぞうこをトントンとたたき、
「私はばいきんのしんぶんきしゃです、開けてください」とさけびました。
するととびらがひらいて「さあ、早く入れ、見つかるな」ともんばんがいいましたので急いで中に入りました。
次回続きをのせてみたいと思いますので、どうかもう少し我慢のほどお願いいたします。
荒天の日のオレンジ色の海 何事も無関心に見える海。
穏やかな晴天がしばしば一転して荒天となる。
前後しますが、去る20日春分の日(金曜日)は、前夜半から恐ろしいほどの風が吹きつけた。それでも時々陽が射す時間があり、ホテルと雲を撮ろうと上下浜を訪れた。すると、壮大な光芒の後、日没前後の荒れた海面がオレンジ色に染まった。
ちなみに以下は前日の海です。
のたりのたりしていた。
豹変は風のせいで、自分がやったことではない、と海は言うだろう。
自らの子でもあろう人間やウイルスの出来事や、ふところに抱く海洋生物などに全く関心を示さないようにみえる海は大物だ。一方それを揺り動かす地殻や風、光や湿度に温度などもまた凄い。かれらは物云わぬ巨大な兄弟たちだ。だが無口な彼ら巨人に代わって、子たる私たちが代弁するのも必要な仕事ではないだろうか。
※足りない部分がありましたので、末尾一行を翌日補いました。
抗体の砦 一見行け行けの達観は混乱と不安を助長。。
新型コロナはいつ終わりますかね、と外来でよく訊かれる。ハイこれで終わりです、とピッタリと止むことにはならないと思う。夏ころもダラダラと続き、秋冬はぽつぽつとなり、それなりに年を越すかもしれない、とぼやけた返事しかできない。
ピタリと収まることを期待してる方は、私の返事にがっかりした顔をされる。対応マナーを守りつつ、感染の後抗体を持った人が増えること、早く薬が出来ることが決め手でしょうか、と誰もが考えそうなことを言うのが正直精一杯なのだ。
さて感染には、重症、軽症、無症状など症度パターンがあり、軽症~無症状の人が最も多いとされている(日本に於いてこれらを推定するに必要な検査と質の良い臨床統計の資料が揃っていない)。
先に、自分は既に感染しているかもしれない、として予防を心がけるのをバーチャル感染、バーチャル抗体などとして書いてみた。
現実には重軽を問わず感染者は直れば一定の抗体を獲得する。今後、抗体保有者の拡大が流行の重要な砦になるので、治療薬が無い現在、感染者は社会防衛に身を賭して貢献をしいていることになる。但しコロナウイルスは抗体産生が弱めという説があり、いずれにしても克服には根気が必要そうだ。感染の犯人捜しや感染者への非難を謹み、社会全体で防衛していくイメージの維持が大切だと思う。
それにしても、社会で抗体獲得者を増やすために若い人は進んで感染して、という意見やイベント予定までみられる。半分ジョークにしても暴論であろう。若者でも自他の死亡リスクだけは考える必要がある。
行け行けの強気達観は議論提起に役立つこともあろうが、実際には混乱と不安を助長している。
暖かかった木曜日 庭の手入れ 土底浜の夕空。
暖かかった木曜日、車外温度計が19度を指していてびっくりした。
潟町のキクザキイチゲ。三十年近く経って次第に色が濃くなった。
八重?というような花も見える。
場所が良いのか毎年しっかり花をつける。
広い海を見ていると何でも引き受けそうに見えるがそうは行かない。
放射能もコロナも駄目と海が言う
余計な仕事をさせないでと言っているように思われる。
柿崎の後で県立大潟水と森公園に寄るのが最近のお決まり。
(ホームページには新型コロナウイルスに関するお願いが書かれています)
公園の西の端にある潟の里ゾーンの東屋。
このゾーンは人が少なく比較的鳥が多い。
どこか神秘的でもあり最も気に入ってる。
午後から妻の友達が来て庭の手入れを手伝ってくださった。 お陰様で残っていた落ち葉が片づいて随分とさっぱりした。
庭の後、夕刻の土底浜へ行くと赤い空に出合った。
大きさの比較のために?オートシャッターで撮りました。
10秒だったのですが、のぼり坂を走ってやっと間に合いました。
ペリ・ーコモの「Red Sails in the Sunset(夕陽に赤い帆)」
上京して初めて買った25㎝LPに入っていた曲です。
残念ながら今夜から大荒れの予報です。
休館のお詫び 銀の匙その3 ムラサキシジミ 雀たち お菓子に温まる ウィルスの行方 マスク。
日中暖かな陽が射した一日、午後から特養の診察に伺った。今年はインフルエンザの流行を免れたものの、新型コロナだけは何処を突いてくるか分からないので落ち着かない。
昨夕、妻がちょっとした集まりに出掛けた。二時間経とうとするころ、お節介かと思ったが、そろそろ中座するよう電話で促した。帰宅した妻は、電話をもらって助かったと言った。今は人に嫌われても、ウイルスにだけは好かれないようにせざるを得ない。
さて休館のお詫びにと勝手ながら小説「銀の匙」のから、明治時代の子供たちの振る舞いを紹介させて頂きました。前回は人見知りの激しい主人公のお友達にと、お伯母さんが見つけた「お国さん」という女の子と「蓮華の花ひらいた」をして遊ぶところを載せました。
本日はお国さんと仲良くなっていく場面の一節その3です。
〝二人がさしむかいになったときにお国さんは子供同士がちかづきになるときの礼式にしたがって父の名母の名からこちらの生年月日までたずねた。そしてなにの歳だといったからおとなしく酉の歳だと答えたら
「あたしも酉の歳だから仲よくしましょう」
といっていっしょに、こけこっこ、こけこっこ、といいながら袂で羽ばたきをしてあるいた。おない年はなにがなし嬉しくなつかしいものである。お国さんはまた家の者が自分のことを痩せっぽちだのかがんぼだのというといってこぼしたが私もみんなに章魚坊主(たこぼうず)といわれるのがくやしかったので心からお友達の身のうえに同情した。いろいろ話あってみればいちいち意見が一致して私たちは間もなく仲よしになってしまった。〟
以上、またご紹介させてください。
さて午後の施設を終えて美術館に寄りました。美術館はねそべったまま身を持てあまし、庭の花も何か申しわけなさそうにしています。幸い在宅回りが無かった午後、枯れ芝の庭にボールを撒いてアプローチの練習をして過ごしました。
すると小さな物体がチラチラと飛び回り美術館の壁や敷石に止まります。
アオスジタテハでした(当初ムラサキシジミと記載しましたが訂正しました)。私にとっては珍しく、喜んでカメラを向けますと、どこかへ飛んで行ってはまた戻るのを繰り返します。しゃがんでいる頭上にも何度か来ました。樹下美術館は午後の陽を包み込むような形をしているため、温まっている壁や石が気に入ったのでしょう。
調べますと成虫のまま翅を立てて越冬するということです。
なるほと翅の裏は枯葉そのものの模様になっています。
小雪の冬は越冬する昆虫たちには楽だったことでしょう。
それにしても数ヶ月の寒風の下を何処で過ごしたのでしょうか。
この魅力的な蝶にとっても幸運な年でありますように。
ベンチの傍らに雀たちがいました。
大きな群から離れて一帯を住処に決めたのでしょう。
パートナーを求めて活発に追かけっこなどをしていました。
さて以下のようなお菓子を頂きました。
東大寺お水取りの時期だけのお菓子と聞いた「御堂椿(みどうつばき)」。
奈良市千代の舎竹村(ちよのやたけむら)の製。
きれいなもんですね。
長生きはするものでしょうが、この度ばかりはじっと狙われているようで落ち着きません。
世界はどのように推移するものか。日本はまだまだですし、大国アメリカはどう切り抜けるのでしょう。貧しい無保険の人達がとても気になります。
本日は四人の方に一枚ずつですが、マスクを上げました。とても喜んでくださったのが目に浮かびます。
沢山載せてしまいました。
本来なら本日は開館の日だった。
3月15日の日曜日は樹下美術館今年の開館日でした。展示プランを考え、本や食器を買い足し、庭の手入れを続けましたが延期に致しました。開館を楽しみにしていらした方々には本当に申し分けありません。
本日は晴れ間が覗いたものの少々寒い日でした。11時ころから散歩に出ましたが、寂しさは否めませんでした。皆様もまさかこんな春になろうとは、というお気持ちではないかと思います。
樹下美術館の梅の枝。
駐車場はひらいていますので、宜しければ庭などをご自由にご覧ください。
政治の良い面がなかなか伝わらない分、個人のちょっとした心づかいなどがうれしく感じられます。
普段の健康にいっそう配慮し、本を読んだり、庭や畑、あるいは近隣の自然に親しむのに良い機会ではないでしょうか。ランニングやウォーキングの人を見かけるのも頼もしいことです。
本日のマスク。
感染しているかもしれないと仮定してマスクを意識するようになった。
来院する方達も皆さん付けて来られる。先々の不安からますます不足し、出入りの業者さんはじめ町のストアから衛生用品が消えている。私たちは少し早めにネットで購入したためため、当分なんとか間に合いそうだ。
本日午前に同級生のTちゃんが来た。マスクの上で眼が笑っている。いいマスクじゃないの、というと、いつものようにオホホと言って、自分でつくりました、と仰った。新聞だか雑誌に付いていた型紙に合わせた、ということ。お母さんが裁縫の先生だったTちゃんは普段色々なものを自分で作る。今日はふっくらと軟らかそうなマスクが似合っていた。
今度は同級生のY君が来た。マスクが無くてすみません、と申し分けなさそうに言う。診終わって、少ないけど良かったら使って、と言って引き出しから4,5枚出して差し上げた。
そんな夕、お茶の稽古から帰った妻が、先生から、亡くなられたご主人が残されたマスクを頂いた、と言って箱を二つ取り出した。
初めての丸型マスク。耳ではなく顎と頭に掛ける本格的なもの。
鼻の部分はアルミで形を作り、その裏にスポンジが施されている。
〝これで余裕ができ助かります、、先生本当に有り難うございました〟
ヘンリー・マンシーニのDreamsville(夢の場所あるいは夢の町?)
1958-1961年のTV探偵シリーズ ピーターガン の挿入歌。
60年前とは思われない新鮮さ。
施設の出会い 美しい「白梅」。
午後に施設回診があった。新型コロナウイルスは恐いが、幸い同園は静かに推移していてほっとする。
比較的新しいお年寄りの女性を診た。いつも大人しい方である。
二三話してから
「ここにいて寂しくないですか」と訊いてみた。
「寂しいなんて思っていたら、いられません」とかなりはっきりした口調で仰った。
普段ぼそぼそと話される人の明瞭な返事に少々驚き、
「あなたはとてもしっかりしていますね、こんなに本当のことをちゃんと言えるんだから」
と言った。すると、
「先生は○○先生ですか」とばそぼそいう。私のことを知っているみたいだ。
「ええ、潟町の○○です」
「わたし昔先生に掛かったことがあります」と突然仰って驚いた。
続けて、
「先生、変わりましたね、年取られました」と言われた。
ドキッとしながら、ああこの方は何でも本当のことを仰るんだ、とまた思った。
「はい、年取ったと思います、父にも似てきましたし」
と答えたものの、いつどんなことを診たのか全く覚えていない。その時、何か間違いをしていなければいいが、と心配がよぎる。
「また、二週間したら会いましょうね」と言って頭にさわった。
「有り難うございます」とぼそぼそ返事をされたので、また話をしてみたい。
一度あったことは二度あるのか、先ほどの方の帰りにホールを通った。
そこである老人が介護士さんと居て、筆を執って字を書いていた。
ちょうど書き終わった時で、これ白梅と読むんですって、と介護士さんが言う。
一分の隙もない美しい白梅が書かれていた。
この方の字は廊下に幾つも掛かっている。いつも感心して見ているが、実際書かれているのを見るのは初めてだった。
「本当にお上手ですね」
「いえ、とんでもない、先生の花の絵にはかないません」と仰った。
またドキッである。
お訊きすると同じ町に住んでいた方だった。
私の受け持ちではないが、いつも通りすがりに深々と会釈をされる。
この方もまったく静かな人で、笠智衆をきりっとさせたような方だなあと思っていた。
よくもまあこんなに上手く筆が運ぶもんだと感心した「白梅」(やや下から撮りました)
コロナウイルスによって過日鎌倉の梅を諦めたら、素晴らしい白梅に出合った。
もらっていいですが、と尋ねると「どうぞ」と仰った。
この分野は知らない者同士でも十分やっていける。
しかしかって会ったとか、実は知っていたなどで、知己があらたまると、新しい親しみが生まれ、次ぎにお会いするのが楽しみになる。
休館のお詫びに「銀の匙」の一節から その2
本日はお詫びというわけでもありませんが、気にいって読んでいる中勘助の本「銀の匙」から以下のように一節を紹介させて頂きました。
幼年の主人公「私」は神田で生まれ間もなく小石川へ移ります。
歩ける年になってもひたすら強い愛情と保護を注ぐ伯母さんに背負われる生活をしている主人公。時代は明治半ばの頃。博覧強記で深い仏心の持ち主である伯母さんの訛りと気っぶにも、不思議と郷愁を誘われます。本日は昨日の続きです。
〝あらたにこの調和しがたい新参者が加わったために子供たちはすっかり興をさまされていつまでたっても廻りはじめない。それを見てとった伯母さんは輪のなかへはいり景気よく手をたたいて
「あ、ひーらいた ひーらいた なんのはなひーらいた」
とうたいながら足拍子をふんで廻ってみせた。子供たちはいつか釣りこまれて小声でうたいだしたので私も伯母さんに促されてみんなの顔を見まわしながら内証(ないしょ)で謡のあとについた。「ひーらいた ひらいた、なんのはなひーらいた、れんげのはなひーらいた…」
小さな輪がそろそろ廻りはじめたのをみて伯母さんはすかさず囃したてる。平生ろくに歩いたことのない私は動悸がして眼がまわりそうだ。手がはなしたくてもみんなは夢中になってぐんぐん人をひきずりまわす。そのうちに
「ひーらいたとおもったらやっとこさつーぼんだ」
といって子供たちは伯母さんのまわりへいちどきにつぼんでいったもので伯母さんは
「あやまった あやまった」
といって輪からぬけだした。「つーぼんだ つーぼんだ、 なんのはなつーぼんだ、れんげのはなつーぼんだ…」
つないだままつきだしている手を拍子につれてゆりながらうたう。
「つーぼんだとおもったらやっとこさひーらいた」
つぼんでいた蓮華の花はぱっとひらいて私の腕はぬけるほど両方へひっぱられる。五六遍そんなことをやるうちに慣れない運動と気疲れでへとへとにくだびれてしまい伯母さんに手をほどいてもらって家へ帰った。〟
上掲2枚の写真は2014年5月20、樹下美術館近隣の畑の蓮華です。
まじまじ見たのは初めてで、こんなにきれいなものだとは知りませんでした。
さて、こどもたちには少し優しいコロナウイルス。このウイルスはよほど人間のことを知っているのかもしれません。それで大人は余計に油断が出来ないのではないでしょうか。
休館のお詫びに「銀の匙」の一節から その1
本日はお詫びというわけでもありませんが、気にいって読んでいる中勘助の本「銀の匙」から以下のように一節を紹介させて頂きました。
国が富国強兵に被われる直前、のどかさがまだ残る明治20年代ころからの子供達、あるいは社会の一コマです。
幼年の主人公「私」は神田で生まれ間もなく小石川へ移ります。
歩ける年になってもひたすら強い愛情と保護を注ぐ伯母さんに背負われる生活をしている主人公。博覧強記、そして深い信心の持ち主である伯母さんの訛りと気っ風にも、不思議と郷愁を誘われます。都合で本と段落が変わていることをお許しください。
〝で、伯母さんは一生懸命私の遊び仲間によさそうな子供をさがしてくれたが、そのうち見つかったのはお向こうのお国さんという女の子であった。
ーお国さんのお父様は阿波の藩士で、そのじぶん有名な志士であったということは近頃になって始めて知った。ー
伯母さんはいつのまにかお国さんが体が弱くておとなしいことから頭痛もちのことまでききだしてもってこいのお友達だと思ったのである。ある日伯母さんは私をおぶってお国さんたちの遊んでいる門内のあき地へつれてゆき
「ええお子だに遊んだってちょうだいも」
といいながらいやがる私をそこへおろした。みんなはちょっとしらけてみえたがじきにまた元気よく遊びはじめた。私はそのひはお目見えだけにし、伯母さんの袂につかまって暫くそれを眺めて帰った。その翌日もつれてゆかれた。そんなにして三日四日たつうちにお互いにいくらかお馴染みがついて、むこうでなにかおかしいことがあって笑ったりすればこちらもちょいと笑顔をみせるようになった。
お国さんたちはいつも蓮華の花ひらいたをやっている。伯母さんはそれから家で根気よくその謡(うた)を教えて下稽古をやらせ、それが立派にできるようになってからある日また私をお向こうの門内へつれていった。そうしていじけるのを無理やりにお国さんの隣へわりこませたが意気地の無い二人はきまりわるがって手を出さないので、伯母さんはなにかと上手に騙しながら二人の手をひきよせて手のひらをかさね、指をまげさせて上からきゅっと握ってようやく手をつながした。
これまでついぞ人に手なぞとられたことのない私はなんだか怖いような気がして、それに伯母さんに逃げられやしないかという心配もあるし、伯母さんのほうばかり見ていた。〟
「
「かごめかごめ」はしたことがあるように思います。
蓮華の花ひらいた、は聞いた覚えがありますが、遊んだか否か微妙でした。
かすりの着物にへこ帯であろう子供たちの様子は愛らしく映ります。
門内:もんない、と読むのでしょうか、具体的な意味が分かりませんでした。いわゆる町内でしょうか。
夏目漱石から「子供の世界の描写としては未曾有」と絶賛され東京朝日新聞に連載された「銀の匙」
大人には特別な出来事が起きるわけではありませんが、繊細な主人公にとって毎日は事件でした。
押しつけがましく致しまして申し分けありません。
家にばかりもいられない、新型ウイルスの日曜日。
本日も近隣の新潟県立大潟水と森公園を歩いた。
体を動かしたいのと、外気と紫外線はウイルスに悪ろうはずはないというのもある。
さて、突然長い春休みになってしまったこどもたち。突然昼間から家族が増えてまごまごするお年寄り。走り回る生徒さん。
気のせいか園内は何か普段と違う、どこかよそよそしげな、ある種の緊張なのか、少し変わった空気が漂うように感じた。
(いやいや、私だけが緊張しているの?)
私たちは出来るだけ外にいたほうが良いみたいだから、と仰ったお二人。
お互いに気をつけて頑張りましょうね。
家で孫達とお茶を飲んだ後、ホームセンターへ芝生の肥料などを買いに出た。
帰りに海洋芸術ではないが、直江津港と火力発電所に寄った。
嵐の海の絵 東北大震災のエネルギー。
走ればすぐ海へ出る所で育ったので、季節ごとに何かと海へ行った。冬の最中に海辺の砂丘でスキーをした。荒波が打ち付ける波打ち際の砂の上まで滑るのである。
そんな訳で荒海のドラマチックな景観も好きで、先日も写真をのせさせて頂いた。
先週末にかけて荒れたため飽きもせず近隣の海を写してきた。
漁港の防波堤と波。
どんなに激しく何年打ちつけても、小さな漁港の防波堤だがびくともしない。
もうじき3月11日、東北大震災の日がくる。
ちょうど新潟市の知足美術館で拙個展の最中。弟はじめ三つの親族が南三陸町と仙台に住んでいた。すぐに個展などは上の空になったことが昨日のように蘇る。
大震災の津波は1回で、あまたの港の防波堤をことごとく破壊した。その力は広島型原爆のほぼ3万個分のエネルギーだったという。上掲の堤防などは砂を盛った如くあっさり潰されたに違い無い。普段地下のプレートが如何に強大な力を我慢しあっているかも知らされた。
加えるに原発4基の破壊と爆発。東北を越えた未曾有の災禍に広がった
日頃自分一人生きるのも大変な人生を生きている。だが時に立ち止まり、このような災害と事故を自分のことのように置き換えて振り返ることには非常に意味があると思う。
さて冒頭で爆弾低気圧の漁港を取り上げたが、美術の分野には海洋芸術あるいは海洋画というものがある。
陽光を湛えた穏やかな海を描いたものが多い中で、以下のように嵐も少なくない。
レンブラント(レンブラント・ファン・レイン)の「ガリラヤの海の嵐」
海にまつわる説話や聖書の逸話など古くから海は多く描かれている。わけても嵐の海は風波や雲の観察、光の効果、波乱を支える構図の安定感、さらに物語の構成など素晴らしい。
日本画の激しい波浪といえば、何と言っても葛飾北斎と曽我蕭白であろう。機会にめぐまれたなら勉強をして、取り挙げてみたいと思います。
樹下美術館の開館を延期することに致しました 新型コロナウイルスの随想。
このたび熟慮を重ねた結果、
新型コロナウイルスの感染拡大に備え、樹下美術館は3月15日からの今年の開館を延期することに致しました。
樹下美術館は、まず人であふれかえるようなことが無い小さな施設です。休館、開館、どちらがどのような影響があるか全く見当がつかず、悩みました。
最終的な判断は、2月29日、首相から全国の小中高の学校に対して休校の要望が出されたことで決まりました。
再開を何時にするかも難しい問題でしたが、期限を設けず小学校の推移に準じさせてもらう事にしました。
この機会に新型コロナウイルスへの気ままな覚えを以下に並べてみました。
●小中高の休校と首相の言葉。
休校の目的は社会とこどもの感染防止です。当然学業の維持がありますので、休めば良いだけでは済まされないでしょう。いざ直面して、当事者たちはとても困惑しているのではないでしょうか。皆さんはそう強い立場ではないだけに、あたかも新型コロナウイルスの人為的な二次災害の側面としてみえてしまうのです。
以前に、政府は愛情を示してと書きましたが、面倒な事でしょうか。困難の克服は方法のにみあらず、時には心打つ言葉が待たれるように思うのです。
苦労されている首相にはぜひ自らの心の内も吐露して頂き、同じ国民として一緒に頑張りましょう、というメッセ-ジを待ちたいと思います。きっとみなを勇気づけるにちがいありません。
●バーチャル感染とバーチャル抗体。
荒唐無稽な事を掲げましたが、宜しくお願いいたします。
このところ、できるだけ私は〝すでに感染している〟と考えることにしました。ウイルスの潜伏期間が長いこと、発症してもまずは軽症であること、の二点が明らかにされています。さらに感染拡大と経路の不明確さも重なり、ますます普段の感染・非感染の区別がつきにくくなりました。
そんな状況下で〝いま自分は元気なので大丈夫、と考えるのは油断と感染拡大に結び付きかねません。
むしろ〝症状は出ていないが、すでに感染しているかもしれない〟と考えるほうが、より慎重な振る舞いに繋がりやすいように思われます。
少なくとも二週間大丈夫なら、ああ感染していなかった、と喜び。この先また二週間やってみよう、と繰り返すのです。
これだとマスクにも積極的な意味が生まれますし、他者への配慮も良くなろうかと考えられます。本当のワクチンや抗体の獲得まで、出来ればバーチャル感染と称しこれを繰り返し、各自が行うことで得られる結果としての予防行為には意味があるように思われます。〝社会におけるバーチャル感染とバーチャル抗体〟の概念です。あるいは心の免疫応答と言えばいいのでしょうか、如何でしょう。
●あまりに楽な冬の後にあまりに厳しい春のお返し。
雪国の一般人にとって、雪が無いあまりに楽な冬が終わりました。このままだと田植え時期や盛夏に必要な水が心配だ、と周囲が案じていました。しかし暖かい冬の途中から新型コロナウイルス感染が広まりました。庭の雪囲いを外し、花のつぼみが膨らみ、周囲から花の便りが聞かれ始めた途端、とんでもない病が襲ってきて、世界は凍り付き一変しました。
医療の大混乱、流通チェーンの破壊、経済の冷え。教育の混乱、文化・スポーツの中断、、、。病は世界に広がり収束の目処は立たず、暖冬の恩恵など一夜にして吹き飛んでしまいました。
思えば暖かかった冬は、大津波の前にいっとき潮が引くような、一過性の現象にさえ思われてきます。今訪れた感染症こそが自然が狙った本番だったのでしょう。
●自然への冒涜としっぺ返し。こどもに対する自然の本性。
昔の人のように考えてみると、これは長年の大人の油断、なかんずく自然軽視のしっぺ返しかと見ることが出来ます。過日そのことを指摘した患者さんがいました。
汚染、破壊、失調、、、、自然が被った損失は計り知れませんし、止みそうにもありません。そこへコロナウイルスの大インパクトでした。符丁を考えてみる必要はないでしょうか。
ところで、このウイルスには、こどもたちを避けようとする奇妙な態度をみることができます。わずかですが強大な自然が秘めている本質としての母性が覗いているように見えるのです。はっきりわかりませんが、垣間見られるこの方面への探求は、当ウイルスの克服、もしかしたら共生にも及ぶヒントになるかもしれないと、想像(空想)している次第です。
※翌日、最後の一行少々の表現を変えてみました。
随所に不遜とファンタジーを交えて記載致しました。
最後ですが、駐車場は時間通り開けますので、よろしければ庭などを自由にご覧下さい。
その際、出来れば互いに2メートル前後は離れ、宜しければ大声を控えるのが良いかもしれません。
みなで乗り越えられるよう頑張りましょう。
感染者や感染元を優しく思いやりましょう。
3月1日日曜日、再び大潟水と森公園 鵜の池にオオハクチョウ さらに美術館から上下浜へ。
暦が前進して3月1日を迎えた。
今年の春は色々な意味で1日1日が貴重になりそうだ。自分が感染を免れる保証は一切無く、不意にヒヤリとする。
せめて1日気を紛らわせて無事に過ごさなければならない。
日曜日の本日、予報より良く晴れたので、昨日に続いて再度大潟水と森公園へ出向いた。同じ所へ繰り返し行くのは本と同じ、気楽なのが動機であろう。
上の写真の池に鯉がいた。
冷たそうな水の中、そーと泳いでいる。
この辺りでミズバショウを保護し増やしている。歩道が新しくされた。
園内から見た鵜の池の南方面に白鳥の群が見えたのでそちらへ回った。
鵜の池の水門。ずっと向こうに白鳥たちがいるはず。
このあたりは公園の区域外になります(対岸が公園)。
。
ここで白鳥を見るのは初めて。
普段白鳥は隣の朝日池に居る。ただ毎年季節の終わりになると鵜の池でよく見た。
モニターで大きくしてみるまで分からなかったが、この群はコハクチョウとオオハクチョウが一緒だった。
当地でオオハクチョウを目にすることは普段ほとんど無い。
このグループはくちばしが長く、黄色の部分が前に伸びている。
オオハクチョウだと思われる。大きさも少しだけ大きい。
写真で右の、よくみると9羽がオオハクチョウ。左の5羽がコハクチョウであろう。
遠目にも大きさが違うようだ。
すでに隣の朝日池には、当地に馴染みのコハクチョウの姿は無く、みな北へ帰った。本日見た群は北陸や山陰から北国へ帰る途中の群ではないかと考えられた。日本海沿岸を訪れるオオハクチョウは当地ではなく、主に北陸・山陰へ渡る。しかしなぜ彼らは北への帰路で朝日池を避け、鵜の池に降りるのだろう。
これまで冬の終わりに、鵜の池で白鳥が見ることがあり、コハクチョウが二つの池を移動するのかと思っていた。本日の写真にオオハクチョウが見られたことから、北陸、山陰からシベリアなどに帰る途中のお客さまたちでは、と新たに推測された。それにしてもなぜ朝日池でなく鵜の池なのだろう、詳しい人に色々訊いてみたい。
池を去って美術館の庭に戻った。私があちこちウロウロしている間に、妻が雑草取りをしていた。
何かしていないと落ち着かない私の性分。夕暮れまで時間はあるので上下浜へも行った。美術館から10分少々で近い。
いつもと反対の東側へ回り、そちらからマリンホテル「ハマナス」を写した。
ワイエスの絵みたいだ、とまた言われそうだ。
本日はゆっくり出来たが、いま病院はかってない緊張の日々であろう。私の外来でも普段より細かなやり取りが必要になっている。上越地方が大事に到らないことを祈るばかりだ。
公園では散歩の人と何度も出合って会釈したが、いつもよりほっとする。
- 花頭窓、二十三夜塔、庚申塔、社寺
- 樹下だより
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- かって認知症だった人、晩年の「ありがとう」は「好き」だった。
- 妙高市はいもり池の近く「ギャラリー峨々」を訪ねた。樹下美術館も紅葉。
- 再び良寛椿の苗。
- 1本の木にキンカンとカラタチの実が。
- 秋晴れの日のゴルフ。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その3。
- 本日ジョケラさん初日。
- 明日からジョケラさんの展示会 高宮あけみ展のご来館有り難うございました。
- 別れ。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その2。
- 講演会「良寛さんに学ぶ」が無事終了した。
- カフェのノート、スケッチブックの絵、ブログ展その1。
- 来たる11月7日からラッセル・ジョケラさんの展示会 晩秋の花 近隣のコハクチョウ
- 先週末の種々。
- 高田高等学校創立150周年の秋 いたくら桜園 近隣の秋。
- 「ラッセル・ジョケラ木工展」 可愛いお子さんとおじいちゃん。
- 本日今年最後の同業ゴルフ。
- 今夜のコンサート カッチーニの「アヴェ・マリア」。
- 信州は須坂で江戸時代の料理を食べる 満月、私達の奇跡。
- 失った1枚 栗。
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