2020年2月

本日の新潟県立大潟水と森公園 当面新しい文化で。

2020年2月29日(土曜日)

本日、新潟市で一例目の新型コロナウイルス感染が確認された。
それでも空は晴れ、午後、近くの新潟県立大潟水と森公園をほぼくまなく歩いた。

今冬雪の日がほとんど無かった園内は、例年よりも早くきれいに仕度されていた。

 

 

 

 

 

 

 

できるだけ閉じられた混雑を避ける丁寧な手洗いをまめに行う。食べ過ぎ飲み過ぎを少々慎む。
当面、どこかしら新しいこのような文化に親しみつつ頑張るので良いのだと思う。

今朝の雪より驚いたこと。

2020年2月28日(金曜日)

今朝がた突然雪が降り驚いた。午後の在宅回りでは、少し海岸から離れると雪は見られず、海沿いだけ帯状に降ったらしい。

 

今朝の潟町の庭。

さて雪よりずっと驚いたのは昨日首相から発せられた小中高の一斉休校の一声だ。
いま行う全ての対策はこどもを学校に通わせ続けるために行うくらいの覚悟が必要なはずである。学校や教育はそれほど貴重で、社会の最上位レベルにある。
それをこうもあっさり止(と)めてしまうとは何なのだろう、本当に驚いた。

陽が射したり雪がぱらついたり 「銀の匙」と麦こうせん。

2020年2月27日(木曜日)

午前中は暖かいと言う人も寒いと言う人も居た本日木曜日。
午後休診とはいえ、ここのところよく往診が入った。本日は看護師が上手に調整してくれてちゃんとフリーになった。

風が強い日だったが夕刻にはいっとき雲が赤くなった。うまく時間が合えば夕焼けのほくほく線電車が撮れるかもと期待して田んぼへ出向いた。残念ながら時刻が合わず、あまつさえモクモクと黒い雲が現れて空を被った。

 

 西の空。この後一面真っ黒となり、たちまち山も見えなくなった。

 

帰りましょう、と車の向きを変えると、しばし道が白くなる。

 

現在二回と半分読んでいる「銀の匙」
しばらくどこかへ見失ったが、また出て来た。
年令のせいだと思うが、同じ本を繰り返し読む。
父の晩年に似てきたが、楽に読めるので仕方が無い。

以前も触れた通り、物語は明治前・中期におけるこども時代の回想として進められる。
祭、食べ物、遊び、囃しことば、親族、もの売り、植物、生き物、庭や風景、男女のこども、、、。これらと引っ込み思案な主人公との、どこかもの悲しげで美しいやりとりが、こまやかな言葉で綴られる。野尻湖の枇杷島(弁天島)で執筆されたというのも親しさをおぼえる。

 

本には驚くほど色々なお菓子(今で言う駄菓子)が登場する。
右は文中に登場した江戸・明治以来の「麦こうせん」。
左は遅ればせながら本日初めて口にしたタピオカ。

麦こうせん。粗めのラクガンであろう。かってよく食べた気がする。

麦こうせんはネットで買った。香ばしい麦粉の匂いがぷんぷんしている。私だけかもしれないが、タピオカよりも美味しかった。
本には沢山のおもちゃやお菓子が登場する。それらが売られている様子や扱いには何とも言えない情緒が漂う。
今、情緒や風情などというものは、どこか遠くへ行ってしまった。時に周囲でそれらしいものも顔を出すが、人集めであり、生活感もなく作り物ばかりで残念だ。

新型コロナウイルス検査一つの考え方 かけらでも良いから愛情を。

2020年2月26日(水曜日)

昨日政府から新型コロナウイルス対策として基本方針が発表された。
過去にSARS、MERSの国内感染が無かったこと、有効な抗ウイルス薬とワクチンが無い事、さらにPCR診断が十分行き渡らないことなどから決定的な機軸が示されないまま苦しい内容にならざるを得なかった。
新たといえば、クラスター感染という概念が示され、当面それを管理抑制するのが課題という考えが伝えられた。

医療は、重症者を優先し医療資源を保持すること。感染拡大が危惧されるため、不用意な病院受診を控えること、の二点が強調され、以下のような以前からの具体策が継続されるようだった。

【受診要点】
初期のかぜ症状であれば基本家で療養。
受診の目安として以下①,②のいずれか。
37,5度以上の熱が4日続く(※高齢者あるいは基礎疾患のある人は2日)。
または強いだるさ、息苦しさの症状。
受診相談は最寄り保健所へ電話する。
今後感染が大幅に増えた場合、感染が疑われる患者さんを一般の医療機関でも受け入れる。

【問題】
疾病の重い軽いを自分で判断するのは簡単ではない。診察において、一見大した事がなさそうな人のレントゲンで肺炎が見つかることがある。熱にしても、「ありませんでした」と言う人を耳の赤外線で計ると38度あることは、そう珍しくない(熱ははかり方で全くちがうことがある)。
そもそも4日間、症状と微熱を抱えたまま家にこもるのは容易だろうか。心配が増幅され、かえって関係機関の電話が鳴りっぱなしになる、という逆効果を考えなくていいのだろうか。
問題は診断であるが、驚いたことにクルーズ船の段階から、この国ではコロナウイルスのPCR検査能力が極めて不足していたという。日本はこんな国だったのか、「残念」で「恥ずかしい」と言わざるを得ない。ようやく増えたというが、まだ十分ではなさそうだ。

【一つの方法】
疑いのある人が病院に出向くのに感染拡大の懸念があるなら、検査だけでも家で受けられないか。訓練された保健師などがPCRの検体採取セットを持参して巡回するのである。
あるいは現医療機関をつのり、基準を設け検体採取に回る。
巡回が目立つため差別を生むのであれば、個人が保健所に出向くのはどうだろう。希望者はマイカーで寄り道を謹み、検査だけに限定するのである。(一般と動線を区別された小さなスペースで良い、保健所にはいくらでもあるように思われる)。
※いずれも双方十分なガウンテクニックを採用し、接触を短縮するため問診は電話かメールで済ませる。検体採取は入り口など浅い場所で素早く行い、サインして終わる。費用は特別な措置のもと公費を検討すれば良い。

○患者さんが来る、こちらが行く。どちらにどのようなメリットとリスクがあるだろう。費用対効果は如何ばかりか、難しいところだが、一つの考え方ではないだろうか。

【朗報?】
今夕のニュースである製薬会社が小型の迅速診断機器を開発したと伝えていた。3月末までに実用化可能、15分で結果が出るらしい。抗体検査なら一定の経過を経る必要があるが、PCR法に準ずるのであれば大変な発明である。補助診断でも朗報であろう。

【イベント】
首相から大規模なスポーツや文化イベント自粛の勧めがあった。Jリーグは残念だが一昨日のゲームとスタンドはやはり異様だった。

【いずれにしても】
新型インフルエンザの時はタミフルやリレンザがあった。しかしこのたびは丸腰である。
医療に格好などつけなくても良い、政府は国民に対してかけらでも良いから愛情を示してもらいたい。

大潟沖の船とカモメ Jリーグは大丈夫か。

2020年2月24日(月曜日)

昨日は風強く寒く、大潟漁港では手が冷たくて往生した。一転して本日日中はよく晴れ、風も弱まり温かかった。

 

本日昼カモメを撮っていると直江津港からタンカーが出て来た。

 

ところでこれまで何度か新型コロナウイルスの件を書いてみた。免疫やこどものこと、消化器合併症と栄養などに触れた。一般的な経験則を拠り所に、さほど間違ったことは書かなかったつもりだが、動向には注意深く接して行きたいと思う。

目立ったところでひとつ、Jリーグが歌などを自粛して開催された。しかし今は問題ではないだろうか。

明日、国から全体について新しいまとめが公表されるらしい。

大きな海 小さな小さなウイルスの理解。

2020年2月23日(日曜日)

昨夜から台風にまさるとも劣らない風が吹いた日曜日。
大潟区渋柿浜の大潟漁港の波は圧倒的だった。カメラのレンズに絶えずしぶきが吹きつけ、何度も拭かなければならなかった。

 

 

いっとき陽が射した時間に堤防に当たる波しぶきは迫力があった。
このような時に一瞬虹彩がかかることがあるが本日見られなかった。

目に見えない小さな小さなウイルスがひきおこしている災禍の日常で、大きな海の動静を眺めるひとときは少し気が休まる。

いま季節は移り、移動、進学、引っ越し、歓送迎会、スポーツイベントと観光シーズンがはじまっている。コロナの状況はようやく日本人メインになってきた。対応の中に多くの外国人が介在したこれまでに比べて、状況に幾分整理がついてきた。ここに到っては、大声のマスイベントなどは暫く見合わせ、新たな封じ込め対策を実直に実行し確実に克服に向かった方がいいと思う。

経済のダメージは大きいが、だらだらと進めて、何時終わるともしれない深みにはまるのが最も良くない。緩むこと無く綿密かつドラスティックな対策を是非履行してもらいたい。

今ウイルスは何を求め、どんな環境を喜び、何を嫌やがるかを知り、どんな状態に置かれているかを理解することは、私たち一人一人にとって有益ではないだろうか。敵を知り己を知るのは戦の基本。〝本当の専門家〟の話を聴いてみたい。

インフルエンザ、ノロ、ロタ、コロナなどウイルス疾患と栄養の重軽。

2020年2月22日(土曜日)

新型コロナウイルス感染により、クルーズ船の乗客からついに二人の死亡者が出た。その中のお一人は84才の女性で、持病がないことで下船による治療が遅れた。
持病の有無にとらわれ、存在した下痢症状が軽く見られたフシがある。一般に疾患の過程で生じる下痢などの消化器症状は重症化に結びつききやすい。高齢であればなおさらであり、下船治療を急ぐべきだったと考えられる。SARS、MERSにおいて消化器合併症の重大さは経験されているはずであり、このたび軽視されたのはまことに残念だ。

ところで普段インフルエンザの予防や対策でしばしば〝十分な栄養〟が勧められる。しかしシーズンだからと言って、あるいは罹患により発熱や倦怠感を訴えている人に、言葉どおり十分食べるのを勧める事はリスクが大きい。
ウイルス性疾患はおよそ全身に作用し、しばしば消化器をも障害する。そこへ無理して食べ、過重な負担を強いた場合下痢、嘔気、嘔吐を生じ、回復に必要な体力と栄養さらに免疫を喪失し治癒の遅れと重篤化をもたらすことが危惧される。回復期ならばともかく、進行中の食事はあくまで無理をせず、消化器を保護する方向を考慮すべきであろう。

そんなことから私は、インフルエンザなどで受診される方の栄養については、基本〝十分に〟とは言わず、〝普段より軽めに〟とお伝えする。あるいは必要に応じて一定期間の絶食、さらに野菜スープの上澄みやお茶と梅干のみを勧め、食べ急がないようにとお願いをする。経験上そのほうが早く軽快するのである。

消化管がメインターゲットになるロタあるいはノロウイルスではなおさらであり、日常でも、過度な栄養より、ほどほど、あるいは軽めの方が身体の代謝が促され、免疫が強化されることを長年信じてきた(もちろん良質な睡眠はいうまでもない)。

倉石氏の挿絵の本に「誰が風を見たでしょう」の歌があった。 

2020年2月20日(木曜日)

昨日は倉石隆の挿絵本のことに触れ、「玉川こども・きょういく百科」の「ちきゅう」に描かれた氏の挿絵を紹介させて頂きました。描かれている幼いこどもたちの情景を見るにつけ、日常の種々(くさぐさ)から開放され、童心に返って筆を走らせる倉石氏が浮かびました。

ところで、その本を見ながらあるページで手が止まりました。そこに懐かしい歌が書かれていたのです。

 

「だれが かぜをみたでしょう」のページ。

〝だれが かぜをみたでしょう
僕もあなたも みやしない
けれど 木の葉をふるわせて
かぜは とおりぬけていく

だれが かぜをみたでしょう
あなたも僕も みやしない
けれど 木立が あたまをさげて
かぜはとおりすぎていく〟

覚えたのは多分小学校時代。学校で、姉から、レコードから?どうやって覚えたのか思い出せない。
しかしメロディーと、うろ覚えの歌詞はいつの日からか、不意に口を突く。
だれにもそんな歌があるのではないだろうか。

 


「風」
(題が風とは知りませんでした)

本を見て、さらにYouTubeで見て、やはり歌は存在したのだ、と一種デジャブに似た感覚をおぼえた。
原題「Wind」 訳詩・西条八十 作曲:草川信  大正10年(1921年)発表
作詞のクリスティナ・ロゼッティは進んだ人だったらしい。
草川信は長野県出身、「夕焼け小焼け」「揺りかごの唄」 などを作曲している。

良い歌だと思う。

倉石隆が描いた人物 絵画二つの側面 玉川こども・きょういく百科の挿絵から。

2020年2月19日(水曜日)

樹下美術館設立当初から齋藤三郎の陶芸とともに常設展示をしている倉石隆の絵画。

●収蔵作品の多くは、以下一部をお示したように大人の油彩人物画です。

 

「更紗」

 

「詩人」

 

「M婦人像」

 

「琢也」
人物たちは何か重そうで複雑なものを抱えているように見えるのは、それぞれが大人だからでしょう。倉石氏はあえて大人の何たるかを描こうと努力したように思われます。

●少年少女が見られるのは以下のような版画、あるいは書物の挿絵でした。

 

版画「大きな髪飾りの少女」

 

「十五少年漂流記」の挿絵から。

 

「森の少女」の挿絵から。

「金色のあしあと」の挿絵から。

●少年少女あるいはこどもたちには物語の中で夢中や熱中が見られます。

●今まで、倉石氏が描いたのは少年少女に相当する年令の子たちまでかな、と漠然と考えていました。ところが先日以下の挿絵に出会い、さらに幼いこどもたちが沢山描かれているのを知り、びっくりしました。

 

「ひかりのくに」昭和52年4月号から。
園児たちの何と軽々として可愛いいこと。倉石氏の作品とはにわかに信じられませんでした。

 

そんな折、ウエブサイトで倉石氏が挿絵をした本がまた見つかりました。

 

「玉川こども・きょういく百科」 全31巻のうち7巻。
玉川大学編集 1995年9月30日誠文堂新光社 新装版第4刷発行。

 

倉石氏が挿絵をしている「ちきゅう」。
A4変形版、芯は固いが表面は柔らかいハードカバーがついた高級本。

以下非常に多くの挿絵やカットから一部をご紹介します。

 

「こどもの目」

 

「雨」

 

「雪」

 

「夕立、かみなり」

 

「きり」

 

「虫、犬、ねこのいるせかい」

 

以下自然や宇宙の挿絵には迫力がありました。

「エベレスト山」

 

「月から見た地球」

こうしてみますと倉石隆は自在に描けた人だったことが分かります。デッサンのトレーニングの賜物ではないでしょうか。氏に限らず、往々にして昔の画家たちには描こうと思えば描ける絵と、信条や使命として描かなければならない絵の、両方があったことがうかがわれます。双方とも同じ重さで大切だったにちがいありません。

来る3月15日開館の美術館で倉石隆は「細長い絵」と氏が施した「表紙と挿絵」の書物を展示致します。

昨年夏から始めている机上の一枚メモ。

2020年2月19日(水曜日)

昨年8月19日から、pcのキーボードの手前に大きな白紙を一枚置いてメモとして使い始めた。
大きめのカレンダーの裏を二つ折りして用い、12月末には両面を書き尽くした。一般のメモ用紙や手帖と違い、出し入れしなくて済み、座った目の前にあるので気楽に書ける。また、かなり以前の用件や覚え書きがそのままなので脈絡が分かりやすく、何かと便利だった。

 

昨年12月28日、四ヶ月少々で裏表を書き尽くした。

 

当日日付(12月28日)を付けて新しくした紙。
新しいカレンダーは小さめだったため片面のみ用いた。

 

その紙が本日このように一杯になった。
黒ボールペンの上から赤いマーカーで書いたり、下線を付けたりした。
道真公や天神様、訪ねた鎌倉のこと、新型肺炎など色々書いてある。

 

新たに本日の日付を付けて始める。

これまで身の回りで工夫してみたものの中では長続きしている机上のメモ。終了後、書き付けた英単語で覚えられそうなものや、面白い名詞などは手帖に写す。

雑多に書かれた文字や短文は、何らかの必要があって一度は頭を通過したものだ。書き終えた紙をあらためて眺めると、自分の脳を拡げて見ているようで、その拙さに少々がっかりする。
但し新しい紙はやはり気持ち良い。恐らくあとふた月足らずでこれも終わることだろう。新型コロナの件が好転するような断片が現れることを期待している。

庭の旺盛な雑草 見頃を迎え始めたクリスマスローズ。

2020年2月16日(日曜日)

雪が無いまま2月は半ばに入っている。
本日せっかくの日曜日なのに朝から雨が降った。夕方のローカルニュースで春一番が吹いたと聴いたが、強い風を感じなかった。

雨の庭は以下のような眺めでした。

暖かさのため雑草の勢いがすごい。取る分どんどんきれいになるので、除草作業を始めている。

クリスマスローズは見頃になっているものが増えている。

 

 

 

 

 

寒さが残る庭で下向きに咲くクリスマスローズはけなげで愛らしい。庭に大小50株はあり、これから順次開花を始めることでしょう。開館はまだ一ヶ月先、現在は写真ですがどうかご覧ください。

体を動かそうと、昨日に続きヒュウガミズキとミツバツツジを植えました。小さな苗木7本のうち、本日一本ずつ植え全て終了。雨の合間を見て行いましたので、そう濡れずに済みました。

来週の横浜行きを中止した 新型コロナウイルスは生活習慣も関係する少々変わった感染症なのか。

2020年2月15日(土曜日)

実は来週末横浜に泊まり、翌日は鎌倉で梅を見ることを1月に決め、新幹線とホテルを予約していた。
楽しみにしていたが新型肺炎の一件で急遽予定を全てキャンセルした。旅行は誠に残念だったが、どうしても足が向かなかった。

加うるに流行は市中に拡大する傾向を見せ、特に観光の動線にリスクを感じる動きになってきた。新潟県の報告は未だ無い。パニックほどではないが、医療関係者であるだけに万一発端になることだけは避けねばということがあり、中止して良かったと思っている。

ここに到り、海外ばかりではなく国内観光に二の足を踏む人も少なくないかもしれない。そもそもマスクをしてする観光は果たして楽しいだろうか、というのもある。その延長でいえば、この先何万というマスクをつけた観客が座るかもしれないオリンピックは、悪夢ではなければいいがと心配になる。

安易な見通しは厳に謹み、病態、疫学、診断、トリアージなどの精度を上げ、柔軟な受け入れ体勢を確立し、有効な薬剤とワクチンを急ぐほか道はない。未知の疾患だけに、大規模な知見を重ねている中国の真摯な取り組みと協力も不可欠であろう。

クルーズ船は果たしてどうすればいいのだろう。サーズとマーズにこの件はあったのだろうか、難しい問題である。
※ちなみに2003年6月9日更新として、以下の様にWHOから出された
国際クルーズ船における感染予防措置とSARS「可能性例」の管理 のページがありました。このたびの日本の措置の骨格はこれに基づいているのでしょうか。
http://idsc.nih.go.jp/disease/sars/update75-cruise.html

さて、言うまでも無く条件として密集と閉鎖環境は感染症にとって最悪であり、船そのものがそのままウイルスの培養環境にも変わり得る。新たな感染者と治癒者の平衡はどう推移するのだろう。水際をうたいながら感染者が増え続けているところをみると、防護マニュアルと実践テクニックの乖離が懸念される。検疫官や救急隊員の感染など、現場の疲労と汚染も想像され全く気の毒である。

一方で、繰り返される感染連鎖によってウイルス自身が変異強化されている懸念は払拭できない。当座多くを占める乗船者の引き取りに動きそうな米国の動向と日本の対応が一つの鍵になりそうだ。

それにしてもマスクは厄介な問題だ。感染者には吐き出すウイルスをとめると同時に、そこに蓄積させ濃縮させる装置に見える。一方予防者には空気中からウイルスを集め、局所の汚染を促す場所にも見えるのである。
特に慢性呼吸器疾患のある人にはマスクは苦しくてたまらないだろう。一般に呼吸の出納はかなりギリギリの平衡で成立しており、マスクによるわずかな制限が及ぼす心肺への影響は無視できない。高齢者に多い病態だけに感染の有無にかかわらず、このような人がいた場合、本当にマスクを付け続けることなどできるだろうか。

最後に、私は詳しくないが、船内の飲食と運動、あるいは喫煙などの感染症への影響は如何なるものであろう。これらの影響を受ける血糖の上昇機序ほか免疫能の動向もやはり気になる。
このことでいうとこのたびの武漢の正月大宴会、東京の屋形船での新年会はどうなのか。市中へ拡大した状況であれば、大勢の閉じられた密集空間における長時間の大声や飲食は、過労とともにいまやリスクかもしれず、配慮を要すべきものかもしれない。

サーズ、マーズとも私たちには経験が無い。いまのところこどもたちが免れていのは、疾患の一つの特異的側面であり、微妙な免疫の間隙を突いてきそうな点で、偶発的かつ大人中心の生活習慣が絡んだ感染症という、変わった病気でなければ良いがと、少し心配している。

落ち着いたなら是非とも横浜と鎌倉を満喫したい。

今夕江戸っ子ご夫婦と。

2020年2月13日(木曜日)

今夕お二人とも江戸っ子のご夫婦と食事をした。
清々しく傲らず、教養・経験とも十分で楽しいお二人。上越地方が好きと仰り再訪され、光栄にもひと時を共にさせて頂いた。

 

 

 

 

楽しく美味しかった上越市寺町は長養館のひととき。
美しい雪吊りの庭にはちゃんと雪が残っていた。

直江津の花火、鵜の浜温泉の人魚像がいいと仰り、有り難いことだった。

妻の茶会 凄まじい半沢鶴子さんの挑戦。

2020年2月11日(火曜日)

午前の小雪混じりの空が昼頃から晴れた祝日。
本日勉強と称して数人のお茶人を招き妻が茶会をした。何ヶ月も前からプランを練り菓子を予約し、数日前から懐石の仕度をしていた。

11時から始まった会の三時間半、孤軍奮闘した模様だった。

 

玄関。

 

碗ものを仕度する。
茶会の前半は懐石。飯、汁、向こう付けの盆から始め、途中のメインは碗もの。
誠に手前味噌だが、あまり手が止まらない妻の料理はまあまあだと思う。

 

今時分の常で、方谷浩明の雪寒北嶺梅馨南枝が掛かっていた。

 

さて世に茶人は多けれど、この人は特別ではないだろうか。全くレベル違いだが、このたびの妻には少々触発されている気配があった。

 


NHKで紹介されるお茶人・半沢鶴子さん。たまたまこれまでこの方のドキュメントを三回観た。

自ら車を駆って行脚し、土地土地の食材で懐石を作り出合う人に茶を点てる。自らに自然界の如き調和を願い、一日一日から何かを摘み取りたいと述べて終わりなき茶を求める。高潔な修業僧のようであり何か武士のようでもある。幼少に両親を失ったという半生も心打つ。

この方からは希望を知らされる。
ちょっぴり私と同じなのは満州生まれ。同郷の末席を汚す者には遠くからかすかな親近感を抱かせてもらっている。

在宅医療は大事業 ヴァレンタインのプレゼント ジョージ・シアリング。

2020年2月10日(月曜日)

月1出向いている百才が近いおばあさんは、通い始めてから4,5年は経つ。
促されてベッドで目を開けると一瞬笑顔風な表情になるが、すぐに眠ってしまう。これまで骨折をしたり、執拗な呼吸器疾患や皮膚疾患、時に裂傷を負ったりして何度も病院へ行った。介護者にとって、寝たきりの方を病院に連れて行くのはその都度大変だった。

毎夜二時三時にもオムツを替える介護者の娘さんは、表向きには文句を仰るが、強い愛情をもって接しているのが分かる。
在宅医療というと場合によって美しく聞こえなくもない。しかし癌の方や長い要介護4,5レベルの方を看るのは、一種戦争のようでもあり、ご本人も寝ているだけではなく傷だらけになって戦っている戦士のように見えてくる。
概して在宅医療は一大事業だ。

本日の訪問で、おばあちゃんからです、と言ってお宅からヴァレンタインのプレゼントを頂いた。

 

介護者が作っているルッコラ。それにチョコレート。

 

今夜サラダになったルッコラ。

 


ジョージ・シアリングのマイファニー・ヴァレンタイン。
若かりし時代にラジオからよく聞こえたシアリングは幼くして視力を失ったピアニストで作曲家。
アメリカで活躍したが、晩年母国イギリスから大英帝国勲章を授与された。
1950年代であろう録音はモノラル。以前も書いたがモノラルのピアノは残響が少なく音がコロコロと丸く可愛く聞こえ、私は嫌いではない。

ここへ来て寒さが強まり、冬が意地をみせている。
今日も寒かった。

寒波を免れている マンハッタン ・トランスファーの「SNOWFALL」。

2020年2月9日(日曜日)

先週からぐっと寒くなり何度か雪が降った。
難渋する程度ではなく数㎝の積雪だったが今期はじめて雪景色だった。そういえば今年は「寒気」という言葉を聞くが「寒波」は耳にしていない。
調べると、著しく冷たい気塊(空気のかたまり)でも一両日で去るものは寒気、広範に亘り3日以上居座るものを寒波と呼ぶらしい。

今年は寒さが来ても短期間で去って行くのが続いている、ということになる。今の所豪雪という災害的な気象から免れているのでやはり助かる。

 

昨夕、上越市大潟区の蜘蛛ケ池湖畔。

 

昨夕の大潟区蜘ケ池は瑞天寺の方向の眺め。

 


マンハッタン・ トランスファーの「スノーフォール」。
四人のコーラスグループ、マンハッタン・ トランスファーは何度もグラミー賞に輝いている。
しんしんと雪の降るさま、あるいは降り止んだ雪晴れの感じがよく現れていると思う。

四月からのお茶会のお知らせ 二度目の積雪。

2020年2月8日(土曜日)

樹下美術館では今年4月から毎月一回、

以下のように第4日曜日に薄茶のお点前でお茶会を致します。

簡単ながら季節の趣向をもってお迎え致したいと思っています。
第一回目は3月22日(日曜日)。
午後1時からと2時半からの二席
です。

どうかお気軽にご参加下さい。

お問い合わせなどは美術館の窓口か以下のお電話でどうぞ。
樹下美術館☎025-530-4155

 

今夕樹下美術館の寒菊。
本当に辛抱強い花だ。

本日午後、量は少ないが今年二度目の積雪。今のところ苦しみにあえぐこともなく、冬の風情を味わえる今年の雪。因果は分からないが時にはこんな年があってもいい。

今年前半の齋藤三郎(号:陶齋)。

2020年2月7日(金曜日)

今年の齋藤三郎展示は前半(3月~7月)と後半(8月~12月)に分けて展示致します。
前半は以下のように「陶齋の梅と椿」に致しました。

 

上掲は約30点の展示作品から一部を掲載致しました。

 

梅は二人の師富本憲吉と近藤悠三ゆずりの紋様ですが、椿は陶齋独自に始めました。椿は時代と共に変化が見られ、興味深く思われます。
どうか陶齋の春をご高覧下さい。8月~12月の後半は「ざくろ」と「秋草」をテーマに展示の予定です。

今年度の倉石隆 今年初めて辺りが白くなった。

2020年2月6日(木曜日)

小雪無雪は自然現象なのでともかく、武漢肺炎、よく分からない不倫に汚職に選挙法違反などで紙面?は賑やかですが、多くは例年のことかも知れません。
せめて樹下美術館は何とか爽やかに推移できれば、と願っているところです。

さて開館の3月15日に向けて、今年のラインナップが少しずつ出来てきました。本日は倉石隆の展示をご案内致します。
油彩は昨年好評でした「細長い絵」を延長して展示致します。良く言えばロングランというところです。
このほか氏が挿絵や表紙で携わりました多くの書物のうち当館が収蔵する本を展示いたします。

もとより小さなスペースですが、工夫をして展示する予定です。
ご高覧頂ければ有り難く存じます。

齋藤三郎(陶齋)の展示および今年の新機軸「毎月一回のお茶会(薄茶点前)」につきましても順次掲載していく予定です。

 

さて本日予報通り雪が降りました。あたりはせいぜい5~6㎝という感じですが、今年初めて積雪らしい風景を見ることが出来ました。午後は青空が現れ、昼の外出で車が示した車外気温は-1度、室内外とも寒い1日でした。

 

本日の樹下美術館

 

やはり白鳥は雪が似合っていました。

昨年は多くの催事を行い、オーバーペースを否めませんでした。
年令のこと、注力せねばならない本業。今年は催事を減らし、極力心身の〝安定〟を心がけたいと願っている次第です。

冬の晴れ間の柿崎海岸。

2020年2月4日(火曜日)

朝方などは雪交じりの雨が降っていたが、次第に晴れ間に変わり、午後からは安定した晴天になってしまった。
こんな日の昼休みをどう過ごすかは軽い悩み。出られるのは近隣なので、田んぼなら山と雲、それに水鳥を探し、海なら波と雲、時にカモメや千鳥に出会える。

出掛ければ何かしら目につくものがあり、写真も撮れる。欲張ったら切りがないが、頸北はそこそこ近隣に恵まれていると思っている。

本日は柿崎海岸に行った。

 

 

 

空が青いと海も青い。2月ともなれば日射しに強さが出てくる。

 

 

珍しくシーグラスが上がっていた。
良いのを選んでショップのペンダントに出来そうだ。

 

晴天を喜んだのはつかの間、明日は寒気が降りて平地も雪になるらしい。雪よりも寒さの方が気になる。

テッポウユリの球根 雲の変化。

2020年2月2日(日曜日)

本日日曜日の日中は気持ちが良い晴れ間も見えた。気温は少々寒いが、買ってあった鉄砲百合を午後から植えた。
50ヶあった球根を30は植えた。いつもは深く植えるが、すでに芽が伸びているものがあるので浅めにしてみた。6月に真っ白な花を沢山咲かせるのを楽しみにしたい。

 

晴天の午後の米山は雲に被われていた。

それが夏のカナトコ雲のようにぐんぐん上昇して広がるや、30分もすると今度は山が見えてきて、雲は透け、散って行った。
空全体を被う灰色の雲は動きもしないが、塊の雲の変化は早い。

誕生日。

2020年2月1日(土曜日)

昨夜半12時過ぎて寝る仕度をしていると元気なトーンで、○○才おめでとう、という妻の声。
本人は祝っているつもりであろうが、私としては何か良くないことを宣告されているようで、例年なんとも言えない気持ち。

いよいよ今年、父親が生きた年令を歩むことになった。
父も私も同じ誕生日なので、時々互いの年令を重ねて何とはなしの思いを巡らせてきた。

以下いつものことで申し分けありません、妻が用意した精一杯の夕食です。

 

 

 

1月生まれは目出度い、3月生まれはもう春、その間で2月はブルブルと寒い。それで2月生まれの人に会うと寒い月に生まれましたね、と言ってシンパシーを覚える。

今年も出来るだけ健康に気を付けて、自分の事は15パーセントくらい、皆様のことを85パーセントくらい考え、また頑張ってみたい。

 


昭和54年の早春に初めて聴いた曲。
皆様のためなどと言いながら、誕生日祝いに好きなアルビノーニのオーボエ協奏曲のうちの1曲からアレグロのパートを掲載してみました。

2020年2月
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