庚申塔その11、上越市板倉区の庚申塔、山寺薬師と三尊像。

2019年1月2日(水曜日)

昨年10月下旬の魚沼行き以来のマイブーム庚申塔
あっちこちしながら庚申塔その11になった。

新年2日は昨年を振り返り、11月12日および17日に
訪ねた上越市板倉区の庚申塔についての見聞を記して
みたい。
そもそもなぜ板倉区だったかといえば、魚沼から帰り、
ネットで上越市の庚申塔とひくと、新潟県で最も古い
されている庚申塔が板倉区にあると知ったからだっ
た。
魚沼の頃は、まだ二十三夜塔を見るだけで精一杯、庚
申塔は魚沼の女性から聞かされただけ、写真なども偶
然ほかのに写り込んでいたというレベルでしかなかっ
た。

サイトにあった板倉の塔は如何にも素朴、可愛い猿が
二匹青面金剛になつき、2鶏と日月の文様も彫られて
いて塔の諸要素をあらかた満たし、魅力的だった。
場所は福王寺と記され、地名も良かった。

訪ねた11月12日すぐには場所が分からず、ゑしんの
里記念館へ行き、場所の手がかりを尋ねた。
スタッフの皆さんのお陰でおよその場所が分かった。
福王寺を歩いているとあるご夫婦と出合った。
話をすると、すぐそこということ、ご主人が案内して下
さった。

場所は十二社だった。

 

1
十二社の本社と石祠群。西日を浴びて苔が美しい。

案内された右端の石祠を覗くと小さな像が認められた。

 

2
祠の奥に青面金剛らしき姿が見える。

 

3
左右に猿とおぼしき像が手を差し出している。
石祠に収められている庚申塔もあるんだ、と少々驚い
た。見づらかったせいもあり、鶏と日月の紋様は判然
としなかった。

4
これが板倉区紹介サイトに掲載されていた写真。
単体として光背を有し、金剛、猿、鶏、日・月などくっ
きり彫り出されている。
当日十二社で見たものとかなり違い、ほかにこのような
石塔があるのだろうと思った。
※後で分かったことですが、私が見た石祠の像はまさに
この石塔であり、それが石祠にはめ込まれているような
のです。
いつかこの写真のように取り出された庚申塔を見てみた
いと思っています。

案内して頂いた方は上石さんと仰り、自分より父が詳し
いとのこと。そのお父様はあいにく歯科の治療に出てい
るが、電話をしてみます、と言って話を進めて下さった。
電話から十二社のすぐ下に公民館があり、その裏手に石
塔などがまとめられているという事だった。

※その後、上石さんのお父様・孟さんは地元の石仏や地
域の信仰史を研究されている方と知り、後日貴重な資料
を沢山届けて頂きました。

 

5
公民館で初めて全貌が分かる石仏の庚申塔を見た。
キリッとした眼差しが印象的。
六臂(六つの腕)の金剛は弓矢を持ち、上方の手の玉の
ようなものは宝輪か、もしかしたら日・月なのか、私に
は分からなかった。邪鬼と鶏は認められなかったが、両
側の猿といい、しっかりと彫られた庚申塔を見る事が出
来て大変に幸せだった。

小さな集落でこのような石塔まで残す庚申の行事とは何
なのか、像が象徴する意味とともにますます興味がつの
った。
当日、区のホームページにあった像を見ることができな
かったが、再度来訪し探してみることにした。

 

6
公民館傍らに可愛いい四角形の二十三夜塔があった。
もしかしたら江戸の後半期か、この集落の女性たちは
二十三夜の月待ちをどのように過ごしたのだろう。
小ぶりな塔を見て、慎ましくも楽しかったであろう情
景を思い浮かべてみた。

この日の帰路板倉区曽根田で文字塔にも出合った。

9
大廣寺境内の庚申塔。上部に日・月が彫られている。
古い庚申塔あるいはゑしん尼のイメージせいで、板倉
区にそこはかとない仏気(造語です)漂うのを感じてい
た。

 

以上が11月12日、一回目の板倉訪問だった。
当ページ四番目の写真のような可愛い石塔を是非とも
自分でみつけたいと(前記※以下のように、実は見て
いたのですが)思い、11月17日に板倉区を再訪した。
前回ゑしんの里記念館を訪ねた折、同区山寺薬師近く
には幾つか庚申塔がある、とも聞いていた。

行き馴れない場所であり、自分でも地図を描いて訪ね
た。
土曜午後遅く出たのと、牧区の宮口古墳に寄ったため、
ゑしんの里 やすらぎ荘通過が4持半過ぎ、夕のとばり
が降り始めていた。

初めて通る暗がりの道に幾つか急カーブが続く。
途中、頸城地方で最も古い石塔の一つと言われる応永5
年(1398年)建立の宝篋印塔(ほうきょういんとう)
にも寄り、その後の沿道で二つの庚申塔に出合った。

 

7
最初の文字塔。私の背丈よりずっと高い。
頂の○は日月(にちげつ)のシンボルなのか。
文字デザインもおしゃれだった。

 

8
山寺に近づく頃に現れた文字塔。これも高く上方に○
が彫られている。角柱型の石に深く堂々と彫られていた。

山寺薬薬師到着は5時だった。
暗がりのなか、まっすぐ急な石段が伸びている。
転ばぬよう207段を上ると薬師堂。
闇のなか堂内に明かりが点き、大きな木彫の仏像三体が
窓の格子越しに浮かんだ。

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迫力の薬師三尊像(釈迦如来、薬師如来、阿弥陀如来)。
いたくら観光ガイドから引用)。

当仏像建立も応永年間であり、前記した宝篋印塔とほぼ同
時期に当たっている。
“応永2年に三善氏によって寄進されたものであるというこ
とが、作者である京都六条の仏師築後法眼と共に胎内に銘
記されています。仏像は桧の寄せ木造りで、遠く京都から
運ばれたといいます。昭和33年に県文化財の指定を受けま
した”(上記サイトから引用)。

真っ暗なお堂で突然見た大きく立派な仏像にとても驚き、
かつ圧倒された。
まだ木の香りがしそうなほど、あるいは出来たばかりと紛
うほど生き生きと感じた。

再びここを訪ねることにして、急な階段をソロリソロリと
降りて帰途に就いた。

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